伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

 「古き良き時代」の残影 (三金会雑記105号原稿)

2013年08月25日 | 三金会雑記

8月25日 (日)  

「三金会雑記」の終結がいよいよ直前になった。この次の原稿が最終号となる。1987年に創刊されてから実に26年間、よくぞ続けられたものだと思う。

本日、三金会雑記 105号 秋号 の原稿をword文書で書き上げでメールで編集長に送る。これでひとまず肩の荷が下りる。 


「古き良き時代」の残影

 前号に、後の三金会の成立につながった諸兄の大学時代の写真を載せたら、

2013-9-30 「黄ばんだ古い写真数葉」 (三金会雑記104号原稿)

三金会雑記が廃刊になる前にその種の写真をできるだけ転載しろという要望がいくつか寄せられた。 

 その中にはそれらしい写真を持ってる記憶はあるのだが、今はその後六〇年の間に作られたアルバムの堆積の下に沈んでおり、容易にとりだせないから……という物臭さというか横着な意見もあった。

 なるほど考えてみれば、私自身古いアルバムを取り出すのにはずいぶん苦労しており、これはもっともな意見に思えてきた。

 そこで、せっかく取り出した古いアルバムである。前号に載せた写真だけでなく、三金会に関わる古い写真をスキャナーで取り込み「三金会雑記105五号」に「古き良き時代の残像」と題して原稿とすることにした。

「古きよき時代」? その頃は戦争直後の飢えに象徴される困窮の時代は終っていたとはいえ、はじめの頃はまだまだ貧しい時期だった。「ゲルピン」という言葉が我々の間に行き交っていた時代である。

 しかし、お金はなかったしお腹も減ってはいたが、戦前の重苦しい空気から一挙に解放され、どこからも束縛されない、現在よりはるかに自由な空間があり、そしてなによりも私たちは若かった。なにものにも代えがたい「青春」がそこに息づいていたのである。

 以来、豊かになった高度経済成長期から景気後退期などを経て今日まで、それぞれの人生の歩みに起伏はあったであろうが、あれほど前途を明るくみて各自が自由に振る舞える時代はなかったように思う。だからあえて「古きよき時代」ということにした。

選んだ写真は、写っている全員が「三金会」関係者、もしくは後の「三金会」の仲間が中心になっている写真のみを探して転載した。

 スキャナーを使ってパソコンに取り込む作業をしてみたら意外なことに気付いた。
縦横3㎝くらいの小さな写真をパソコンに取り込み拡大すると、初めて見るようになった写真がいくつかあったことである。こうした
写真を見て、「あれっ そんな写真があったのか」と思う人もいるのではないか。

そんなことで、まずは、レディファーストで、三金会に彩りを添えてくれた女性会員を交えた写真から載せる。

 この写真の後列男性組は、右から平野哲郎、坂口裕英、一人おいて難波直彦、平野重信、一人置いて小野義秀、一人置いて磯野誠四郎、赤野健、それに後一人と後列が並んでおり、前列女性組は右からは塩谷純子、一人置いて貝島マサ子、長谷川素子、船越弘子(後の赤野健夫人)、そしてあと二人(多分女子高生)が並んでいる。18名中11名が三金会関係者である。

悲しことだがこのうち平野哲郎、平野重信、磯野誠四郎、赤野健、同夫人の五人は今は亡い。

故赤野健が格好良くバットを持っていることから察して、おそらくソフトボールかなにかをした後に写した写真だと思われる。 

写真の裏面に1948と鉛筆書きしてあるから時は大学六本松分校教養学部時代である。

その頃は学生運動最盛期で、中村禎里などの共産党分校細胞の連中が眼を光らせていたから、まさか分校の校庭で、男女が集まってソフトボールなどに興じたなど考えられず、どこかのグラウンドを借りるなどの知恵もお金もなかったから、この場所は、当時福岡女專の学生自治会を牛耳っていた塩谷、貝島女史が居るところから察して、どうやら女專の校庭だった可能性が高い。

であるとすれば、この場所は「天神」の須崎、今は福岡の繁華街のど真ん中になっている。

 


 

次は、余人を混じえぬ三金会員だけが顔を並べた写真を何枚か掲げる。

  いつ、どこで写した写真が判然としない。
 ここに写っている二宮清は元三金会会員。「元」というのは「三金会雑記二〇記念号」で水口編集長から「全員出稿」の要請に言を左右して投稿しなかったことから水口の逆鱗に触れ三金会からの除名処分?となったから。
 二代目編集長平野の時に復籍の口添えをしたことがあったが、平野は水口の遺言だからと応じてくれなかった。二宮は北九州大学教授(労働法専攻)でその後も私と付き合いがあったが、七〇歳代に亡くなった。

いつのことだったか、九州の最高峰久住山山頂での写真。難波の妹、岡本夫人がいる。4人とも三金会員。

Picasaを使って画像処理してみたが、これ以上には鮮明にならなかった。 ちょっと人物が識別できないが場所は大学の演習室か。左から平野(哲)、平、青野、田村、大森、小野、藤野、吉増、平野(重)?。全員が三金会員。

 

当時、渡辺通1丁目にあった平の家で、学期末試験の直前に数人集まって俄か勉強をした記憶がある。その時、息抜きと称して勉強そっちのけで将棋を指していた時の写真らしい。

 

就職の求人案内の掲示でもみているのだろうか。我々の卒業時期は旧制大学と新制大学が同時に卒業し「大卒」が倍になるという学制改革の犠牲となった不運の年であり、しかも不景気の時代だったから、就職が大変な時期だった。それにしてはみんな穏やかな顔をしている。

 

大学正門前での写真である。裏面には1953.2 と鉛筆書きしているから卒業間近の写真である。

裏に「下関波止場」とある。微かな記憶によれば、山口県のカルスト台地を見に行く途中ではなかったろうか。

 


最後に、ちょっと艶めくが、大学卒業後の写真である。裏面には1954年クリスマス・イブとあるから、大学を卒業してサラリーマンになるか大学に残るかしていたしていた頃。皆、少し大人っぽくなって、男は背広をきてシャキッと構えている。女性も正装している。

三金会関係者は九名。後にこのうち6人・三組がその後カップルになったのだから真面目な集まりだった。名前を挙げる必要もなかろう。

察するに、その頃はもうそれなりに戦前の生活水準に近づいていたのであろう。

ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画「舞踏会の手帳」を連想させるような舞台装置(追憶のなかではシャンデリア輝く豪華な舞踏会場が時を経て訪れてみたら場末のシケたダンス場だった。)だが、その前に飲んだり食ったり、どんな御馳走をたべたか、皆目思い出せない。

こんな集まりをいつも仕切っていたのは平野重信だったから、この集まりもそうだったろう。場所がどこだったかも思い出せない。

 


《 追記 》

三金会雑記の前号「黄ばんだ古い写真数葉」青春を回顧する青野橘君の愛唱歌に触れ「歌詞はほぼ記憶しているが題名は知らない」と記した。

その後、湘南に住む日野麻耶会員が「あの歌の題名は「古い顔」というのですよ」と教えてくれた。
(申し訳ないことに、載せた写真のどこにもダントツの美人だった日野さんが入っていないことに気付いた。一緒に写った写真はないのである。その頃は私など相手にしてくれなかったと思うのは僻みか。)

 早速、調べてみたら、この歌詞はイギリスの随筆家として知られるチャーラス・ラム(1775-1834)の詩を西条八十が訳し戦前の雑誌「キング」に発表したもの、「古い顔」であった。

  原詩は次のようなもの。

 The Old Familiar Faces     Charles Lamb

I have had playmates, I have had companions,
In my days of childhood, in my joyful school-days?
All, all are gone, the old familiar faces.

I have been laughing, I have been carousing,
Drinking late, sitting late, with my bosom cronies?
All, all are gone, the old familiar faces.

I loved a Love once, fairest among women:
Closed are her doors on me, I must not see her?
All, all are gone, the old familiar faces.

I have a friend, a kinder friend has no man:
Like an ingrate, I left my friend abruptly;
Left him, to muse on the old familiar faces.

Ghost-like I paced round the haunts of my childhood,
Earth seem'd a desert I was bound to traverse,
Seeking to find the old familiar faces.

 この西条八十の訳詞に、戦火の下にあった昭和一七年、東北帝大生松島道也が曲をつけ、学生演劇グループの間でひそかに歌われたのが広がったものだとあり、歌詞全文も見つかった。

 〽 子どもの頃に遊んでた 

学生時代に付き合った

いろんな友がいたけれど

皆みんな今はない

 ああ、懐かしい古い顔

 〽 夜遅くまで座り込み

笑って飲んだものだった

あの仲良しの飲み仲間

みんなみんな今はない

ああ懐かしい古い顔

 〽 恋をしたっけ素晴らしい

美人だっけがあの人も

今じゃ会えない人の妻

ああ、懐かしい古い顔

  私の記憶では青野は一番と三番しか歌わなかった。彼は二番の歌詞を知らなかったのだ。もし二番の歌詞を知っていたとしたら、この歌詞こそがあの時代を誰よりも懐かしんでいた彼のことだ。もっともお気に入りの歌詞になっていたことは疑いない。

  なお、この歌詞には、その後に四番、五番と続くのだが、この部分は戦没した友を悼むもので、戦後の歌には相応しくなく、あえて割愛した。

 いずれにせよ、私は青野に代わってこの歌詞を「三金会雑記」を終えるに当たっての「挽歌」に相応しいと私は思っている。

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知らなかったパソコンでの音声検索

2013年08月21日 | パソコン

8月21日  (水)  /

夏休みに来ていた娘が無料電話や短文交換を家内とするに便利な「スマートフォン」を置いていった。スマートホンを実際に手にとってみるのは初めてである。

現在、スマホの普及率は飛躍的で、一昨日の日経新聞によると日本の人口の4割がスマートホンを利用するようになったという。

80歳を超えてからというもの私は外出することがほとんどないので携帯電話があれば十分(最近はほとんど携帯を使う機会すらない)、スマホを持ち歩く必要はないのでこれまで全く関心を示すことはなかったが、今、流行のスマホというのがどんなものなのかは一応知っておきたいと思い、短時間だが娘から使い方を教えてもらった。

スマホというのは一言でいえば携帯電話にパソコン機能が付いたものらしい。

しかし、問題は操作をタッチパネルで行うことである。
私の指がよほど不器用にできているのか、加齢によるこわばりがあるのか、タッチパネルを指先で触れてみてもなかなか動いてくれなかったり、勝手な方向に飛んで行ったり、実に難しい。
娘はすいすいと気軽に動かしているのに、何度やっても思ったとおりには動いてくれない。

それに、パソコンでマウスをクリックするより動作に少し時間がかかるのも気に入らない。パソコン機能を使うにはやはりパソコンの方がいい。

結局、スマホとはLINEアプリでスマホユーザー同士で手軽に短文交換と無料メールできるのが目新しく、あとはパソコン機能がある程度使える携帯末端である理解した。
それなら、スマホがいかに普及しようと、パソコンと携帯電話があれば私には不要なものだと納得した。

まあ、それはそれとして一つだけスマホを弄っていておおいに感心したことがある。それはスマートホンのgoogle検索場面に向かって娘が声でキーワードをしゃべると、検索結果が表示されるのである。いちいち検索キーワードの文字を入力しなくてもいいらしい。

これだけは新しい世界に触れたという実感で、たまには若い人(といっても娘は50歳だが)から新しい機器の操作を教えてもらうのも刺激になるなと考えた。

 しかし、その後になって、フッと思い付いた。

私がパソコンでgoogle検索をするときに、スマホの検索窓と同じものが出るが、その窓の最右端には同じような小さなマイク像が表示されていることを思い出したのである。それが何を意味するのか、これまで気にもせず考えもしなかったが、ひょっとしたらこれは音声検索のためのアイコンではないかと思い、早速試しにそれをクリックしてみたらすぐに反応して大きな赤いマイクのアイコンが表示されるではないか。

その赤いマイクに向かってキーワードを喋ると、なんと検索結果が出るのである。もちろんスマホより素早く!

なんのことはない、音声検索機能は前から私のパソコンに備わっていたのである。

検索のためいくつかのキーワードを並べて検索範囲を絞り込むのには向かないが、一つのキーワードで行う簡単な検索ならば、これがとても便利なものであることを遅ればせながら発見した。 

いやはや、お粗末の一幕。

スマートホンの検索場面

パソコンの検索場面

マイク型アイコンをクリックすとと
 

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海上自衛隊の驚くべき実像

2013年08月19日 | パソコン

8月18日  (日)   

盆休みも終わり、ようやく朝夕涼しくなった。夏の盛りもどうやら超えたようだ。

現在、息子・娘と孫たち9名が夏休みできており、11名の大人数で全室満員、書斎以外には私の居るべき場所がなくなった。戸外に出て園芸作業やウオーキングをやるには日中の気温はまだ高く、それもできない。

しかたなく、一日書斎にこもってパソコンを前に、あれこれ操作し時間を潰している。

パソコンの世界に遊べば、やるべきことに事欠かない。若い人たちはパソコン・ゲームで時間を潰す人が多いと聞くが、私はパソコン・ゲームに全く興味はなく、試してみようとする気持すら持てない。

やることといえば、wordやexcelを使っての「物書き」をするか、インターネットの「検索」を使って知的好奇心を満たすための情報の探索をするかである。

今日の関心は、このところ気になっていた最近の中国、韓国の政治・経済・社会の現状を知ることで、webの文字情報、youtubeの動画のなかから関連情報を検索していた。

当然のことながら尖閣や竹島問題も視野に入り、そこから日本の海上における安全保障態勢を調べていたら、これまでの私の認識を一変させるなんとも驚くべきyoutubeにぶち当たった。これまで見たyoutubeの中で、これほど私を驚かせたものはない。

それは「海上自衛隊の実力」という題で、動画の長さは43分、海上自衛隊が持つ現在の戦力など詳細に物語り解説するものである。

自衛隊に関する私の認識がひょっとしたら一般の人に比較してかなり偏っていたのかもしれない。そんなことは大抵の人は知っているといわれるかもしれないが、私にとって「眼からうろこ」、端的にいえばビックリ仰天の映像の連続となった。

私の自衛艦のイメージといえば、伊東港外でときどき見かけた大型漁船並みの小さな大砲を備えた軍艦ぐらいを漠然と考えていたのである。

だが、とんでもない、いつの間にこんな大艦隊が成立していたのであろうか。旭日旗をはためかせ波を蹴立てて走る姿は、旧帝国連合艦隊すら連想させる堂々たる大艦隊群で、尖閣諸島で緊張が高まっている今日、当面の対応に苦労している海上保安庁の後ろにこんな自衛艦群が存在していたとは!

ヘリコプターを搭載する大型自衛艦が最近、就航したという話はどこかでぼんやり聞いていたし、東日本大震災の救援に向かったそうした自衛艦の姿をちらとテレビで見かけはしていたが、それが「ひゅうが」と名付けられたヘリコプター搭載型自衛艦だという。

改めてよくみればなんと物資を運搬するヘリコプター搭載艦どころか本格的な「空母」そのものではないか。(後で知ったことだが、現在は「ひゆうが」の後継艦としてより大型の「いずも」22DHがすでに就役しており、さらに同型艦24DDHは近く完成するという。24DDHはほぼ2万トン、旧帝国海軍の本格空母「蒼龍」より大きく、アメリカ空母の「ヨークタウン」と同規模だという。)

最近になって中国がロシアの空母を購入し改装して配備したというニュースを聞き、「これは偉いこちゃ」、尖閣問題とからめて日本の海上安全保障は本当に大丈夫だろうかと気にしていのだが、なんのなんの「ひゅうが」はそんな一昔前のチャチな空母とは大違い、最新装備を備えた最新鋭の本格的空母、これにあと2隻、さらに強力な「ヘリコプター搭載自衛艦」こと大型空母が備えられるなら日本の海上防衛は万全だと安心した。

また、イージス艦という名を知ってはいたが、私はなんとなく中型の自衛艦を想像していた。しかし、がっちり艦隊編成されたその姿をみると旧帝国艦隊の再来を思わせる迫力がありこれにも認識を改めさせられた。

それに、海上自衛隊は高性能の大型潜水艦を18隻も保有していた。ちかく22隻に増強されるという。

さらに驚いたのは、海上自衛隊が「航空集団」として陸上基地から発着する対潜水艦用大型航空機を保有していることである。「対潜哨戒機」といえば、海を監視し潜水艦を発見してその位置を報告する程度のものと考えていたのだが、これは敵潜水艦を発見するだけでなく魚雷を装備し即座に潜水艦を破壊する機能をもった大型陸上航空機ではないか。

しかも、その訓練状況の映像をみると、我が家からいつも見ている利島が見る場所で行われており、そんなごく近くの海域で対潜攻撃訓練が行われていることを知ったのも驚きだった。

なんとも、驚きが続く43分の映像、これまで自衛隊に対する認識不足だった私でなくとも、改めて海上自衛の実力を知る上で、このyoutubeは一見する価値があるのではないか。

(youtubeのアプロード時間は15分限りと漠然と思っていたが、いつの間にか1時間に及ぶアプロードもできるようになっていた。これも驚きの一つ。)

尖閣近辺で緊張が高まる昨今、この自衛艦の実力を知り、大変心強くおもったが、ふと心の片隅をかすめた不安は、これから日本が「軍拡」に走ることはないだろうか、ということである。

「備えあえば憂いなし」だが、「平和と独立を守り、国の安全を保つ(自衛隊法)」に十分な実力・装備の限度を超えてはなるまい。

 

※ 以下のアドレスをクリックするとyoutubeに飛び、43分の動画をみることができる。 

http://youtu.be/LM11Ak2xWMg

 


朝食時、一族全員11名集合 (これだけの人数が一つの家の中に満ち溢れている!)

 

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吊るし雛の構成部品 追加

2013年08月16日 | 手作り

8月16日  (金)    /

 7月29日 ブログ 「吊るし雛」の部品の一部完成

6月25日 ブログ 「吊るし雛」、ネズミ二匹

 「吊るし雛」の完成には30ヶくらいの部品を作ってから吊り下げねばならないとか。

現在のところ、その三分の二くらいが出来上がったようであある。

構成部品は難しいものからだんだん簡単なものになっていってるようである。

 

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黄色の「トマトジュース」

2013年08月13日 | 園芸

8月13日  (火) 

グリーンの胡瓜ジュース、赤いトマトジュース、今度は趣きを代えて黄色いミニトマトで黄色のトマトジュースを作る。

色合いが違うだけで味はやはり「トマトジュース」。 

朝食に添える野菜ジュースが少し多彩になってきた。 

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トマトジュースを作る

2013年08月08日 | 園芸

8月8日  (木)   /

「IKOI農園」のトマトはまだ熟すまでに至っていないが、ミニトマトは毎日よく取れる。

「胡瓜ジュース」作りに慣れ、すっかり我が物と化した「ジュースエスプレッソ」でミニトマトを使って今度は「トマトジュース」を作る。

見た目も綺麗で美味しいトマトジュースが出来上がった。少量の塩をいれるだけでいい。

「胡瓜ジュース」は美味しいというより「健康ドリンク」の色合いが強いものだったが、「トマトジュース」の味はなかなかいける。

これからは「トマトジュース」でいいく。

  

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痙攣の妙薬「芍薬甘草湯」

2013年08月06日 | 健康雑感

8月6日  (火)  /

午前中、曇空の下で時折小雨がぱらつく。気温があまり高くないのにつられて思わぬ長時間の農作業になってしまった。

数日見なかったため出来放題の胡瓜、ミニトマト、ピーマン、さや隠元、ツル紫、オクラ、サラダ菜、サニーレタスなどをたっぷりと収穫、トマトの鳥よけネットの張り直し、それに書斎の育苗工房で育てていた第5段目の胡瓜苗、スティックブロッコリー苗などの定植などでいささか頑張りすぎた。

雨と汗で作業着からは水が滴るほど。次から次とついやりすぎたら、なんだかすこし気分が悪くなった。熱中症の初期症状か。

帰りの短い坂道を登るのが辛い。今日は3:00まで温泉がない日だからシャワアーを浴びる。生暖かい水から冷たい水に代えてしばらく身体を冷やす。水だけが無性に欲しくなる。あまり水分を取りすぎたからか、食欲がわかず昼食もせずベットに転がり込んだら、脚のふくらはぎと手の指先に痙攣の前駆症状がでた。やばい!まもなく引きつった脹脛の激痛にしばらく耐えねばならない。激しい運動をしたと自覚していただけに本格的な「こむら返り」になることは必至と覚悟した。

「こむら返り」が始まったら、居てもたっていられない。撫でても擦っても、温めても、足を伸ばしたり引っ張ったしても、これを止める手立てはなく、ただひたすら自然に治まるのを待つだけとなるのがこれまでだった。

しかし、今回は「足のつり」に卓効があるという「芍薬甘草湯」を飲んでみることにした。

この漢方薬はかねてから足の痙攣、「こむら返り」」に時々苦しんでいた私のことを知り、Mr.ITが即効性がある薬として勧めてくれていたものである。

驚いた。これが見事に効いたのである。しかも直ぐに。前駆的症状はしばらく続いたとはいえ、本格的な「こむら返り」になることなく治まったのである。

漢方薬は「ゆっくり穏やかに効くもの」、効果がでるまでにはかなり時間がかかるものと思い込んでいたが、これほど即効性ある薬とは思わなかった。

その素晴らしい効果に感動し、この薬の由来をネットで調べてみた。

「芍薬甘草湯」という名のとおり、その成分はややこしい配合ではなく、「芍薬」と「甘草」だけというすこぶるシンプルなもの。漢時代の古典医薬書「傷寒論」から現在まで使われ続けてきた伝統的・代表的な漢方らしい。

現在販売されている薬も「よく足がつる」ことだけをターゲットとした至極単純明快なもので、薬効への自信をうかがわせる。

「こむら返り」はごく短い時間に起こる症状だから、薬がすぐ効くのでなければ誰も買わないだろう。

 

「こむら返り」とはふくらはぎが急激に収縮し、激しい痛みを伴う症状で、多くの人が経験するが、高齢化に伴って起こりやすくなる症状だとされ、「神経の伝達ミス」によって起こるらしく原因が複雑で必ずしも解明されておらず、西洋医学では的確な薬も対処方法もないようである。

私は退職後、東洋医学専門学校でしばらく法学を講じたことがあり、「門前の小僧 習わぬ経を読む」ではないが、東洋医学への親和性は高い。

2年前には難治といわれた「変形性股関節症」を東洋医学的療法で完治させるという得難い経験もしているので、

2011/12/02 変形性股関節症の克服 

「高齢化がもたらす疾患」に関する限り、私は西洋医学よりも東洋医学の方をはるかに信頼しており、今回の経験はこの思いを一層信を深めることになった。 

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ドリアン試食会

2013年08月05日 | 園芸

8月5日  (月)   

 タイに住む旧友Mr.KCから次のようなメールとともにドリアンが届けらえた。「果物の王様」に相応しい見事な外観である。

「……以前、バンコクで、ヴぃチットさんが彼の果樹園からわざわざ持って来てくれたドリアンを、オリエンタルホテルの部屋には持ち込めず、ホテルの冷蔵庫に預かって貰って翌朝受取り、当日の観光の前に食べてみようと、一休みしたところで食して頂きましたが、熟しきっておらず、味気ないものとなり、大兄が美味しいとは言い難いと批評されたのをお聞きして、次回にはこんなに旨いものか、と言って頂けるようにしようと思っていました。……今回その思いを実現できるであろうということで嬉しく思っています。ただし食べ方に注意が必要です。本来、果物の王様と言われるように、本当に美味しいものです。ただ、食べ時をうまく選んでください。多分同封されていると思われる注意書きをよく研究して下さい。くさいくさいと言われるドリアンと違って、かぐわしい香りのするモントーン(金の枕)という名称の種類です。……」

8/1に到着。食べる時期を選ぶのに随分気を使ったが、ようやく強い匂いがするようになったので、本日8/5にIKOI農園のお仲間を呼んで「ドリアン試食会」を催す。

滅多に食べられない果物なので「説明書」に従って恐る恐る包丁を入れて切り分ける。

アボガドを甘くクリーミーにしたようななんとも表現しがたい独特の味で、これが音に聞くドリアンの本当の味かとおおいに納得した。

みんな美味しい美味しいと言ってくれたのも嬉しい。

遠くタイからこの味を届けてくれたMr.KCには心から感謝する。

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きゅうりジュースを作る

2013年08月02日 | 園芸

8月2日  (金)   

胡瓜が取れすぎて困っている。今は胡瓜の最盛期、当地では家庭菜園を持つ家庭も少なくなく胡瓜はその定番野菜だから、ご近所で貰い手を探すのには苦労する。

「IKOI農園」で収穫する胡瓜は、すべて苗から育てたもので、その苗も代を重ねており、初代、二代目は既に役目を終えて撤去済み、いまの三代目は盛りの若木だから採れる胡瓜はみずみずしく曲がったりせずまっすぐに伸びたすごく立派な胡瓜なのだが……。

(育苗工房における胡瓜の苗育てにすっかり自信を付け、次々と種から育てている。次を担う四代目はすでに畑に定植しており、五代目はポットの中で育っている。これらの苗から育つ胡瓜は端境期だから貴重なものになるはずで、取れ過ぎても処分に困ることはないと思っている。)

いずれにせよ、現在は毎日数本は採れるので、ありきたりの胡瓜料理では食べ切れるものではない。

そこで、考えついたのが「胡瓜ジュース」である。 これならはかがいく。インターネットで検索したら、いくつかの「きゅりジュース」のレシピが見つかった。

そうしたレシピでは、胡瓜のほかにリンゴ、レモン、グレープフルーツ、アボガド、バナナなどを使うものが多いようだが、なるべくならややこしいものでなく、胡瓜を単体にしたもので、それになにか少しだけ加えるようなものがいい。それもできれば我が菜園で賄えるものが……。

「IKOI農園」にレモンはあるが、その実はまだ小さく使えるまでに成長していない。しかし、レモン、グレープフルーツとあるからには、柑橘類と合うに違いないと考え、現在なんとか使えそうな菜園のカボスを使ってみることにした。

胡瓜4、5本もつかうと夫婦には十分な量になる。なかなかいい色に仕上がった。カボスを少量いれるとまあいける味になる。

甘夏最盛期のころの「甘夏ジュース」のようにとても美味しいというわけにはいかないが……。

嬉しいのは「胡瓜ジュースは利尿作用がり、腎臓の働きを活発にし、アルコール代謝を促す」とあったこと。高血糖値を問題にしている私にとっては有難い飲み物である。

 

ところで、このジュースを作るジューサーだが、今年の初め頃に購入した「低速圧縮絞りジュースプレッソ EJ-CP10A」という<シャープ製品>である。

これは昨年の暮れ、「家電教室」というTV番組の中で、同番組が昨年中に取り上げた家電製品の中の「優れもの」ナンバーワンとして紹介していたもので、この番組を見て俄かに欲しくなり買い求めたものである。

20数年前当地に来て以来、健康のため朝の野菜や果物のジュースを飲もうと、ジューサーを幾度か買い替えたがいずれもちょっと使っただけで全部廃物になっている。使わなくなった決定的な理由は後の掃除の面倒くささである。これだけは掃除が私の担当になるから。

だが、この製品は違う。使ったあと洗うのが至極簡単。慣れた現在では1分内外できれいにできる。これが最も気に入った理由だが、その能書きを見ると
①空気の混入が少なく味が濃く美味しい②果肉の多い食材や固い食材などいろいろ絞れる③素材の持つ栄養素を多く残せる④金属刃を使わず安心
とあり、確かにこれまでのジューサーとは一味違った綺麗な絞汁が出る。

購入当初は「IKOI農園」でふんだんに成っていた甘夏ミカン をこれで絞っていた。そして、今回からはしばらく「胡瓜ジュース」で活躍することになる。

その後は「トマトジュース」か。ほかに「IKOI農園」で生産されるいろいろな果物や野菜でも試してみたい。 

  

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ブログを書き続けて7年

2013年08月01日 | パソコン

7月31日  (水)   

ブログを製本してくれるサービス「Mybooks」から今年の1月から6月までのブログ記事を印刷した14冊目の本が届いた。価格は¥6535.いつもより少し安い。

書いた記事の量が少しずつ減り本の頁数が少なくなったからであろう。齢を重ねるに従い、いつしか気付かぬままにブログに書く文章・写真の量が次第に減るのは致し方ないことなのであろう。

製本サービス「Mybooks・jp」への製本注文は、2006年後半から始めている。それからは年に2回、1月から6月、7月から12月分をそれぞれ1冊にまとめて注文してきた。

それがたまりたまって今回で14冊。ちょうど7年間のブログの記録ということになる。

ブログの中で私のバックナンバーを辿ると2008年1月からになっており、それ以前のものは無くなっている。一定期間が過ぎるとブログサービスでは消去される仕組みになっているのだろうか。いずれにせよ、2006年と2007年の私のブログはインターネットの世界では雲散霧消してしまっており、なにも残っていない。

ペーパーの上に記録を残したことは正解だった。

私がブログ書き始めたのは2005年の春頃からだったと思う。その頃はまだブログの使い方がよくわからないまま、ライブドアブログやFC2ブログなど二、三のブログサービスを転々としていたから、その時期はいわばブログ書きの練習期間であった。

それが、ようやく今のブログサービス「Gooブログ(有料版)」にたどり着き、なんとか定着したのがその年の暮れ頃であったと記憶しているから、2006年の前半部分は失われているが、比較的早い時期にブログの製本サービス会社Mybooks・jpの存在を知って、いち早く製本注文したのがよかった。2006年6月9日以降の日記に代わる人生記録を残すことができたわけだ。誰が読むことのない自分だけがみる記録ではあるが……。

14冊の記録を手元に置いてみると、よくぞここまで書き続けてきたとも思う。これから後何年、つまりあと何冊書き上げることができるだろうか。

せめて、きりのいい20冊くらいは作りたいものだ。「三金会雑記」が106号での完結が予定されているから、書くことによって頭脳の衰えをすこしでも遅らせる唯一の手段はブログだけとなる。

いずれにせよ、この冊子を広げる人があるとすれば家内しかいないだろうが、一つの形を残すこと自体にも意味あることだとおもっている。

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