伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

梅雨期、室内の花

2012年06月30日 | 花卉

6月30日 (土) -

梅雨の季節、戸外の花はそうじて雨に打たれて元気がない。咲き誇っているのはアジサイくらいのものか。

だが、室内では出窓の上の鉢ものはこの時期の温かい気温を楽しんでいるかのようで機嫌よく、綺麗な花を咲かせている。

6月が終わり、今年もこれで半ばが過ぎる。

 

ストレプトパーカス

ミニコチョウラン

スパティフィラム

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高齢者の癌について (2冊の本から)

2012年06月29日 | 健康雑感

6月29日 (金)  -

昨今話題になっている本、近藤誠「抗がん剤は効かない」と中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな 『自然死』のすすめ」を読む。

おおいに頓悟するところあり。

平成20年の日本人の死因は、1位が癌(悪性新生物)、2位が心疾患、3位が脳血管疾患、4位が肺炎となっている。1位の癌死は一貫して増加し続けており、全死亡者の30%を占め、そのうち75歳以上高齢者は3分の1になっているという。

高齢になるほど癌死はふえるから、ほとんどの超高齢者は癌で死ぬと考えておいた方がいい。

そうであるなら、超高齢者はその終末において対面する癌をどのように考え、対処するかを日頃から考えておかねばならない。

この二人の医者に共通していることは「癌」は放置しろということ。

現在の医療界の常識に対置する意見だから、批判は激しかろうがその見解を受け入れるかどうかは、その説くところをどのように読み解き、納得するかに係っている。

それはあくまで自分自身の判断であり、その人の「死生観」につながるともいえようか。

この年齢に達するまで、私は友人はじめ多くの癌死した人を知っており、医学会で取り上げられる統計的裏付け(その分析も怪しい)より、見聞きしてきた実例の方がより明確なエビデンスと考えている。その限りで若い人の癌は別にして、高齢者、特に超高齢者の終末の捉え方としては二人の意見に賛成である。

がんを宣告された若い人が一か八かで癌細胞の攻撃(手術や抗がん剤、照射)という処置を選択するほかにないだろうことは心情的に理解できるが、少なくとも行き先の限られた高齢者にとっての選択ではないと思う。

癌になる前からこうしたことを心に刻み、これからのQOLを保持していこうと思っている。

以下、二冊の本のなかから私なりにメモしたもの。

 近藤誠「抗がん剤は効かない」抄

〇抗がん剤や分子標的薬は、延命効果に関しては水も同然。毒性に関しては正真正銘、毒薬や劇薬に分類されているものが圧倒的多数。

〇抗がん剤は延命効果がないというより、一般的に縮命効果があると言った方が正確。(癌が腫瘤をつくる「固形がん」について。血液がんは別。)

〇今日、がんに限らず、高血圧や糖尿病等、種々の成人病の早期発見・早期治療が叫ばれています。しかしこれも、寿命を延ばすという根拠データがない。

〇がん検診を含め、健康診断や人間ドックは受けないほうがよい。

〇がんは「末期発見」が望ましい。

〇がんに起因する症状がない場合には、原発病巣を治療するのも、転移を治療するのも、疑問です。

ことに肺転移や腹膜転移等ある場合、原発病巣の手術をするのは間違いとすらいえる。取るべき症状がない以上、手術しても楽にならず、後遺症で苦しむだけ。命を縮める可能性が高い。

 中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな(自然死のすすめ)」抄

〇ほとんどの医者は、自然死を知りません。人間が死んでいく姿を、見たことがありません。

〇「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。医療が濃厚に関与することで、より悲惨でより非人間的なものに変貌させてしまった。

〇がんでさえも、何の手出しもしなければ全く痛まず、穏やかに死んでいきます。…年寄の癌の自然死、60-70例を経験した今は、確信に変わりました。

〇本来、年寄は、どこか具合が悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化がらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけではありません。

〇感染症と異なり、難病、生活習慣病は、その原因が体質や素質(遺伝子に問題)、悪い生活習慣、老化など多岐にわたり、特定できない。したがって除去、撃退不能のため、完治ということはない。

〇精密検査をすれば、確かに詳しくは分かるでしょうが、その結果を踏まえて好転させる手立てがあるかどうかが重要なのです。

〇エビデンス、集団で比較した場合に、統計的に意味のある差があった、つまり有効だったということです。有効グループの全員に効いたのではなく、効かなかった人もいます。ただ、集団で比較すると効ありといえるだけで、特定の個人、貴方にも有効といっているわけではない。

〇枯れかけている植物に肥料をやるでしょうか。

〇人間は生きていくためには飲み食いしなくてはならない。当たり前のこと。ところが生命力が衰えてくると、その必要性はなくなる。…脱水は、意識のレベルが下がって、ぼんやりした状態になる。呼吸が充分できなくなると、酸素不足、酸欠状態になり、炭酸ガスが体内にたまる。酸欠状態では脳内にモルヒネ様物質が分泌される。炭酸ガスには麻酔作用がある。老衰死は痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに……

〇点滴注射もせず、一滴の水もはいらなくなった場合、亡くなるまでの日数は、7日から10日くらい。排尿は2-3日前まである。

〇食べないから死ぬのではない、死に時がきたから食べないのだ。

〇「多少死期が早まるだけの話です」

〇癌になる最大の危険因子は加齢

〇癌、早期発見の不幸、手遅れの幸せ

〇「天寿癌」さしたる苦痛もなく、あたかも天寿を全うしたように人を死に導く超高齢者(85歳以上)の癌。

〇私のところでは、過去に麻薬を使うような末期がんの患者をみたことはありません。老人ホームで、60-70名の年寄のがん患者をみていますと、癌に対してなんら攻撃的治療をしない場合、全く痛みがないのです。(同和園での癌死52名)

〇発見時に痛みはなく、その後、何の手出しもしなければ痛むことはないと分かった。「死ぬのは完全放置の癌に限る」は、確信に変わった。

〇「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあがらわず、医療は限定利用を心掛けることが大切。

〇年をとるということは、高齢の障害者になるということに他ならない。

〇生活習慣病の特徴は、「治らない」「治せない」「予防できない」「すぐに死なない」です。…なおらなくてもいいと諦め、上手にお付き合いをすることが肝要」

〇以前は「正常値」といわれたが、今は基準値とか基準範囲といわれる。基準値は健康人の95%が含まれる値に設定されている。健康であっても5%の人は外れる。しかも若者のそれである。検査項目は複数である。理論的には10項目で59.87%、健康人10人のうち4人強はどの項目かが基準値を外れる。30項目なら約8割の健康人がひっかかる。

2011年人間ドック受診者300万人で「異常なし」が8.4%だった。検査結果の賞味期限は当日限り。 

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じゃがいも収穫祭 (IKOI農園)

2012年06月25日 | 園芸

6月24日 (日) 

雨だ曇だと悪天候が続いたせいもあり、「IKOI農園」のじゃがいもを掘り上げなければならないぎりぎりの時期となった。

梅雨の季節、お楽しみの収穫祭も雨に降られなければ良しとしなければならない。

たった一畝だが大収穫、大量のじゃがいも(メイクイーン、きたあかり)を掘り上げる。

持ち寄りの御馳走で豪華なパーティとなる。

家から電気コードを引きフライヤーで揚げた掘り立ての小型じゃがいものから揚げは特に絶品。

IKOI農園オールメンバー8人プラスゲスト2名。

ゲストとして、ご近所でお呼びしたい人もいないわけではないが、現在のIKOI農園休息所のスペースではこれ以上は無理。

ほぼ一日、雨に降られることもなくて幸い。

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「女王樹」の再生・復活へ

2012年06月21日 | 園芸

6月20日 (水) 

台風で根元から倒壊、前の道路をふさいでしまっていたIKOI農園の「女王樹」白木蓮を除去するには、根元からチエンソーで切断するほかあるまいと思っていたところ、午後になってIKOI農園のお仲間3人が立ち現れ、これを起こして立ち直らせるという。

身軽にするため大枝を切り落とし、露出した根を切断し、3人がかりでロープを引っ張り、元のように直立させることができた。お見事!

力仕事ができない私は、女王樹復活再生のため眼前に展開されるこの大活劇を見守り、ただただ驚嘆するのみ。

 

白木蓮の茂みが消えたので書斎からIKOI農園休息所あたりがよく見えるようになった。(「怪我の功名」?)

 

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惨憺たる台風4号の被害

2012年06月20日 | 園芸

6月20日 (水) 

かって経験したことのないような猛烈な台風。しかも梅雨期に台風がくるなんて。時間も長く、10:00から12:00pmまで休むことなく吹き荒れた。

今朝、早速IKOI農園の台風の被害状況を検分する。酷い!

玉蜀黍は全滅。支柱に結束したのがいけなかった。紐で支柱に結束した部分から全部折れてしまっている。倒れた苗なら起こせるが、折れてしまってはどうしよおうもない。

茄子、トマト、胡瓜などそれぞれ幹や葉に被害はあるが、こんごの天気次第でこれらはなんとか立ち直れそう。

柿の樹はなんとか無事。栗の樹は大枝の折損は随所にあるが、残った枝で秋にはすこしは実のるであろう。

 

  

最大の被害は、IKOI農園唯一の花木だった「白木蓮」の樹。太い幹の根元から吹き倒れてしまい、もはや手の施しようがない。

毎年春には見事な花を咲かせておおいに目を楽しませてくれた樹だったのに……。

まさしく、IKOI農園の「女王死す」といったところか。

白木蓮、かつての華麗な姿

 

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「三金会雑記」百号記念特集

2012年06月18日 | 三金会雑記

6月18日 (月) 

「三金会雑記」百号記念特集が手元に届く。生存会員31名、物故会員の夫人も加えほぼ全員が投稿しており全117頁。

25年間続いた季刊誌がついに完結。ついにやったかというのが実感。

だが、この号に載せられた記事を見る限り百号をもって完結するといった気配はどこにもなく、これからも続ける意気込みが読み取れる。

これまでの話し合いでは「百号まで」と理解していたが、私のはやとちりで「百号までは(頑張る)」ということであったらしく、百号は一つの区切りで以後もできるだけ続けるということのようだ。

吉増編集長以下執行部が健在な限り「三金会雑記」は続くことになる。

「編集後記」によると「百一号からも変わることなく無事是名馬の気持ちでゆっくり行きましょう」とある。

 

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「須崎歩道」「恵比寿島」「竜宮窟」 ウオーク

2012年06月16日 | ウオーク

6月15日 (金) 

「大室高原歩こう会」の6月行事は、伊豆東海岸に沿って走る国道135号線で南下し、須崎半島に左折、その先端にある爪木崎から須崎漁港へ至る「須崎遊歩道」を歩いて須崎漁港に至り、橋を渡って「恵比寿島」で昼食というのがメインのコース。

そして、昼食後は再びバスに乗って南下し、田牛(「とうじ」と読む)にある「竜宮窟」「サンドスキー場」を一巡してから海水浴場バス停から帰途につく。

国道135号線は自家用車で何度も通っているが、車高が低いので道路沿いの崖下の景色は車窓からはよく見えないし、見えても瞬時に過ぎてしまう。

これが、高いバスの座席からだと車窓から見下ろすことができるのでなかなか見応えのある景色が続く。 

 

 総勢50名、爪木崎から須崎に向けて「須崎遊歩道」を歩く。(1時間45分)

 ほぼ中間に位置する「細間の段」から。

恵比寿島を望む。

須崎漁港近く。

須崎漁港の庚申堂など。鄙びた、しかし歴史ありげな仏たち。

恵比寿島から。

竜宮窟(下から)

竜宮窟(上から)

サンドスキー場(幅100m滑降の長さ30m、傾斜度45度)白砂が堆積してできた砂山)

紺碧の海

歩数計は13000歩を示す。相変わらず最後尾で皆に付いていくのが精いっぱいだが、股関節の変調を感じることなくあるけた。

難治といわれる変形性股関節症が完治していることを確認できた。KIk療法のお蔭である。

変形性股関節症の克服

しかし、脚力は1年前には戻らない。体力も衰え疲れもする。

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大川温泉の蛍鑑賞会

2012年06月16日 | ウオーク

6月14日 (木) 

3年前から恒例となったIKOI農園メンバーによる初夏の風物詩「大川温泉の蛍鑑賞の夕べ」、年々これに参加する人数が増え、今年は8家族16名の大人数となった。

6:30車を連ねて出発、大川温泉の海岸に到る。暮れなずむ海岸で初夏の涼風になぶられながら東伊豆町が準備してくれる公園行きのバスを待つ。

バスを待つ観客も以前にくらべて随分増えた。東伊豆町が広報に力を入れているのであろう。

高台にある竹ケ沢公園に向かうバスの路傍に飾られた提灯、鑑賞会の幟の数も昨年より随分増え観光行事としての雰囲気を盛り上げている。

いつものとおり竹ケ沢公園の池の畔に建つ東屋で辺りが暗くなるのを暫時待つ。やがて蛍が飛び始め、蛍の光が池の水面に映り幻想的な風景をかもしだす。

蛍の出現は8:00-9:00が最盛だと聞いていたが、今年は早々に飛び始めその数も昨年を上回った。しかし、その光景を写真に写すことは許されない。

帰途は町が無料で貸してくれる提灯を掲げて10分ほど小川に沿った暗闇の道を下る。これを「提灯ウオーク」と呼んでいおり、なかなか乙な趣向である。途中でも小川で育った蛍が二つ三つ飛んで歓迎してくれる。

いくつもの提灯がぶらぶらしながら連なって道を下る夢幻のような風景は捨てがたいが、私のデジカメをもってしては写真でこれお捉えることはできない。

最後は、これも恒例となった全員の写真撮影、町の係りの方が親切に撮影してくれる。

 

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アジサイの季節

2012年06月14日 | 花卉

6月14日 (木) 

梅雨はアジサイの季節

庭のアジサイの花が咲いた。今年はいつもより花房が大きいような気がする。

 

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緑いよいよ濃し

2012年06月10日 | 日記

6月10日 (日)  

梅雨に入ったが、今日は久し振りの爽やかな天気。

海も島もよく見渡せるが、眼下の緑はすっかり濃くなり夏の到来を思わせる。

 

緑の中のIKOI農園

 IKOI農園の野菜も元気一杯。野菜にも花が咲く。

咲いて嬉しいものは茄子やトマト、胡瓜そしてカモミール。

歓迎されないのがじゃがいもや大根の花。

 

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玉葱の大収穫

2012年06月08日 | 園芸

6月8日 (金) 

「曇後雨」という天気予報が外れ、朝からの晴天が日中もずーぅと続いた。こういう「外れ」は大歓迎である。

明日は定例の全員で作業する「農園日」を予定していだが、朝から雨だというので「農園日」を「パソコン研究会」(といっても集まるのは3人)に振り替えることにして、今日の午後が「農園日」となった。

作業内容は、梅雨前に堀り上げねばならない玉葱収穫とその跡地の耕耘・畝作り。玉葱は予想を超える大収穫、大玉、中玉のみの収穫でプロ並み!。

 

 

天気予報で今日から東海地方は「梅雨入り」だという。

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今年の釣鐘草

2012年06月05日 | 花卉

6月5日 (火) 

家内の好きな釣鐘草。

毎年、この時期に咲くが、今年の釣鐘草は丈が一向に伸びない。寒さのせいか、例年の半分くらいの高さ。

とにかく、「暑い!暑い!」といっているはずの今頃なのに、今日も肌寒いような風が吹く。台風の影響かと思われるが、冬からはじまった長く続くこの寒さは異常。

 

 

いつもは、このほかにブルーもあるのだが、今年はその色の苗は売っていなかったとか。

つりがねそう(カンパニュラ) 桔梗科ホタルブクロ属

花言葉は「感謝」「誠実」  

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ウリハムシの防除

2012年06月04日 | 園芸

6月4日 (月) 

毎年、この時期に瓜類を苗から育てる際、厄介な存在にウリハムシがある。

苗が小さいと葉っぱがウリハムシの食害でボロボロになってしまい枯死してしまうことが多い。苗が大きくなると生育にはさほど影響はないが……。

農薬はなるべく使いたくないので、捕虫網で捕まえたり、指で押しつぶすなどしているが、なかなか埒があかない。

西瓜、胡瓜、南瓜などにウリハムシが付くが、特に南瓜が好きらしい。

ウリハムシの防除対策として、もっとも簡単なのはネットを張って虫の侵入を防ぐことである。

地這え胡瓜

「IKOI農園」では、園芸材料をなるべくホームセンターなどで購入することを避け、工夫を凝らして廃物利用するよう心掛けている。

(ネットを支える支柱は洗濯物についてくる針金のハンガーをペンチで折り取り、自由に折り曲げたりして使っている。形が簡単に変えられること、地面に刺しやすいこと、軽くて持ち運びが容易なことなど、かえって市販の支柱より使い勝手がいい。)

 今年はウリハムシの防除対策としてもっと簡単な廃物利用の方法を考えた。

「行灯仕立て」という方法である。「行灯仕立て」とは、ビニールの肥料袋などを二つ横割して広げ、四方に支柱をたてて、昔の行燈のような格好で苗を囲う方法である。

(「行灯仕立て」は、もともと春先の保温と風除け対策として利用してきたもの)

これで、完璧な防除はできないが、ウリハムシは行灯内に上から入り込むのが苦手らしく葉っぱに沢山のウリハムシが群がることは避けられたようである。
 
(気温が上がってきた現在では裾を上げて通風をよくしているが、ウリハムシは下からは侵入しないようである。)

 

防除措置をしたところでは、うまくいっているが、措置ができない大きな苗にたかり始めているようだが、こちらは少々たかられても被害はなさそう。

西瓜(一匹とまっている)

胡瓜(このくらいになればもう大丈夫)

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初夏の置き雛

2012年06月03日 | 手作り

6月3日 (日) 

暑くもなければ寒くもない。穏やかな晴日。

特に差し迫ってやるべきことはない。

玄関の「置き雛」を写す。初夏にちなんだものか。

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「三金会雑記」に代わるもの(100号の原稿)

2012年06月01日 | 三金会雑記

6月1日 (金)   

三金会雑記百号記念の原稿


「三金会雑記」がこの百号を以て完結する。長い間、年に4回書き続けてきた私の原稿もこれが最後となる。

「三金会雑記」を百号以降も続けようという意見も一部にあるようだが、なにしろ全員が80歳を超えた。
続けるとしてもこれまでと同じようなスタイルとはいくまい。会員の近況などを伝える「情報紙」程度の軽いものになるのではなかろうか?
名残惜しいが、ここらあたりが本格的?な「三金会雑記」の打ち切り時なのかもしれない。

 昭和62年4月に始まって以来、実に25年間、3人の編集長交代があったにもかかわらず、季刊の雑記そのものは一度も途切れることなく今日に至ったことは、誰もが予測だにしなかった快挙である。その内容は別にしても同人誌百号は稀有のものと評価していいであろう。(cf.三金会雑記90号「『三金会雑記』創刊の頃」)

http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/d/20091119

そのほとんどの号に、私は長いものもあれば短いものもあったが、曲がりなりに原稿を書いてきたから、定期のパソコンによる原稿書きはいつしか習慣としてしっかりと身に付いてしまった。
だから、それが無くなるということには、ある種の虚脱感というか、気持ちにぽっかり穴があいたような切ない気がしないでもない。

 「老年期」は「喪失の時代」だと言った人がいる。老いるということは、それまで自分を作り上げてきたもの、自分と共にあったもの、身近に存在したものがつぎつぎと失われていく時代だというが、まさしくそうだと思う。

失われてゆくものを止める手立てはないが、その喪失をなにか新しい別のもので補うことによって、少しでも遅らせることは、高齢化社会を生きる上での知恵なのかもしれない。

「三金会雑記」原稿執筆の作業がなくなれば、これに代わるなにかを見付け出して新たに取り組むことが望まれる。とはいえ、これまで経験したことのないようなものに挑戦するには余りにも歳をとり過ぎている。

徐々に衰え行く肉体的・精神的条件に合わせて可能なもの、いわば年齢相応「身の丈」にあったものを探すとすれば、それまで自分がやってきたこととは違うところにある筈はなく、あくまで自分がやってきたものの広がり乃至その延長線上に求めねばなるまい。

 いまから22年前に、ここ伊豆高原を永住の地と定めたとき、私はここでそれまでの生活をがらりと変え、新しい老後生活を構築しようと、おおむね三つの領域での活動を考え、残された時間を使うことにした。そしてその考えは今も変わっていない。(cf.三金会雑記85号「園芸・パソコン・散歩」)

http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/d/20080825

その第一の領域というのは、それまで馴染んでいた都会の雑踏・騒音から逃れ、この恵まれた自然環境を存分に堪能しようと伊豆半島を中心にできるだけ歩き回ることだった。

手軽には「散歩」だが、すこし足を伸ばしての「ウオーキング」「ハイキング」、ややハードな「歩き」となれば「トレッキング」ということになる。(cf.三金会雑記95号「伊豆半島の自然」) 

http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/d/20110215

だが、この領域ではそこまでが限度、それ以上のものを求めることはできない。

「走り」(ジョギング・ランニング)や「山登り」(クライミング」)を加えるなど論外だし、歩く範囲を広げて伊豆半島から隣県に及ぼすことも考えられない。むしろ足腰の弱まりを思えば、縮小することの方が現実的な考えかもしれない。(cf.三金会雑記98号「変形性股関節症の克服」)

 http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/d/20111202

第二の領域としたのが「園芸」作業である。

自然に親しみ土を弄って植物を育てることなど、私にとって全くの未経験の領域だったが、始めてみたら私の性にあったらしく、とても面白く、おおいに楽しんできた。

晴れの日は「外を歩く」のでなければ「畑に出ての農作業」で過ごすことがおおかったのである。

 しかし、この領域もやがて加齢による体力の弱まりを自覚しはじめてからは、130坪の畑地の管理に手が回りかね、いつまでもこんな園芸作業は続けられないぞと思うようになり、一時は中断・挫折の危機にあった。

しかし、独力で頑張っていた農場管理を、ご近所で知り合ったまだ元気一杯の前期高齢者3人の参加を得て共同管理するようになり、4人の頭文字をとって「IKOI農園」と名付けての新規の取り組みは大成功、労力負担は大幅に軽減したし、また、共同でする農作業の楽しさ、収穫祭の盛り上がりなど、今まで以上に園芸の楽しみを満喫している。

足腰が極端に弱まらない限りこの分野では現状維持ということになる。(cf.三金会雑記89号「我が家の『農政改革』」)

 http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/m/200908

そして、第三の領域がパソコンである。

パソコンとの出会いは50歳代という極めて早い時期だったから、こればかりは退職後に取り入れた新しい趣味ではない。

随分長い間慣れ親しんできているから、その操作の習熟はもちろん、かなりの関連知識も積み上げられてきている。(cf.三金会雑記76号「生活必需品となったパソコン」)

とはいえパソコン界の発展は目覚ましい。驚異的な速さで次々と新しいものが開発され、古い知識はすぐ陳腐化される。

自分好みの分野だけに限っても、その発達に頭の弱った高齢者が付いていくのは容易ではない。

私がパソコンを始めた頃はもちろんインターネットなどは全く存在しなかった。

パソコン単体で機能するワープロ、表計算、画像処理、音楽演奏などが主な使い道だったが、いまでは、そんな機能は基礎知識として、パソコンの大部分の機能はインターネットを通じて行われている。
 「三金会雑記」の原稿はパソコンのワードソフトを使って書いてきたが、出来上がった原稿を編集長へ送るのは郵送ではなく、瞬時に送ることができるパソコンのメール機能を使っている。

いずれにせよ「三金会雑記」の執筆を粗稿からはじめ、プリントアウトして加筆修正し、成案となったものをメールで編集長に送るまでの作業は、私のパソコン生活のなかでも重要な地位を占めていたことを考え合わせると、結局、「三金会雑記」の喪失を補えるものはパソコン世界の中にしか求められない。

それを代替しようというのであるから、簡単なものであってはいけない、相当に歯ごたえのある重いタスクへの挑戦となるものでなければなるまい。 

そういうことで、辿り着いたのが「ホームページ」作りである。

ホームページとは、簡単に言えばインターネットで世界に繋がっているシステム(world wide web)に自分が作ったウエブサイトを置いて、誰でもインターネットを通じて閲覧することができるものである。

しかし、私が作ろうというホームページは、ウエブを通じて世の中になんらかの価値ある情報を伝えたり、意見を発信するといった大それたものではなく、専ら個人用のもの。
ホームページが持つ機能を利用してこれまで長年にわたってパソコンに取り込んできた各種の情報を取りまとめて体系的に整理し、いつでも随時、たやすく引き出すことができる仕組みを自分限りの仕様で作ろうというものである。

 ホームページはリンク機能を多用することができ、インターネット内を自由に動きまわれるし、必要な個所には文章や画像も入れられる。
したがって、ごちゃごちゃになりがちなブラウザの「お気に入り」や「ブックバーク」とは違って、必要とする情報の所在を分かりやすく表示できるから、求めに応じて迅速・的確にそれを引き出すことができる情報処理ツールとして活用できると思っている。

ホームページは一度作ったらそれで終わりというものではない。
絶えずアップデートするメインテナンスの作業が必要であり、さらに新しい情報を追加し、修正していかねばならない息の長いパソコン上での作業がある。

作り上げるのがまずは大作業となるが、その後の運用にもそれなりの時間をかけることが必要とされるから書斎における私の時間を費消するにはもってこいだろう。 

実をいうと、私は「ホームページ」に類似する「ブログ」を既に書き続けてきている。2006年から始めているので、それから6年にもなる。(cf.三金会雑記77号「ブログを書く」、83号「二年続いたブログ」)

http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406/d/20080301

しかし、ブログというのは、ホームページに似ているとはいえ、時系列の日記風のサイト、日々の記録を主とするものなので、これを情報源としては利用することができない。

なにもブログを書くことに飽き足らなくなったわけではない。書くのが面倒とか、嫌いになったというわけでもない。
現在、書いているブログについては、毎日閲覧者は150人前後、閲覧件数は500から600件、開設以来の閲覧者総数は38万人となっており、当初は公開することを目的としたわけではなかったが、今では多くの人が見てくれることも遣り甲斐になっている。

普通、ホームページは「作る」とはいわず、「開く」という。
私があえて「作る」というのは、ホームページ本来の目的とされる公開・閲覧を避け、ホームページそのものを作り上げることのみを目的とし、使い勝手のいい情報処理ツールにすることだけを考えているからである。

公開を予定していないので、人目を引くためいろいろの装飾文字や装飾画像を使って画面を飾り立てることは必要でなく、できるだけシンプルで、自分にだけ分かりやすい実質本位なものに作り上げようと思っている。

ホームページの公開をしない理由は、情報の中には個人情報として公開してはならない、公表したくない、あるいは公開することによって不都合が生じる恐れのあるものが多く含まれるからである。(もっとも、そうしたページは「シークレットページ」として設定することによって回避することはできるが…)

ホームページを作ることが「三金会雑記」執筆作業に代わるものとなり、これに今までどおりのブログ書きがあるとすれば、これらが定期のパソコン作業の両輪のような存在になるであろう。やがて肉体的能力の衰えがきても、指先さえなんとか動くのであれば、そして認知症でも発症しないかぎり、年齢に関係なくこの二つは可能な作業だと思う。

そんな意図でホームページ作りに取り組みはじめたのが、異常気象続きで雨や曇りが続いた今年の連休に入る頃からである。
戸外に出ての「歩き」と「園芸」ができないので、おのずと書斎に閉じ籠ってのパソコン活動だけとなったので、これを好機ととらえ、ホームページ作成に専念したのでそれなりの成果が上がっている。
梅雨期が終わる頃までに、なんとか最後の仕上げをすることを目指している。

はじめから予想していたことではあるが、かなり難儀な作業である。何度も失敗を繰り返し、がっくりきて、また気を取り直して挑戦するという始末。作っても作っても、すぐ手直しをしたくなり、その都度新しい技法を習得しながら挑んでいる。
こうして、少しずつでもホームページの形を整えていくのは嬉しい。

この快感が、ドイツの心理学者カール・ビューラーがいうところの「機能快」、人間が持つ様々の機能を発現させ使うことが「快感」につながるというということなのであろう。

 最近、パソコンのTV電話というべきスカイプを使って東京にいる三金会員の上地君と顔をみながらしばしば話をしているが、ホームページの現在の出来栄えをスカイプの新機能「画面共有」を利用して見て貰ったところ、彼のお世辞もあるのであろうがよく出来ている、とお褒めの言葉を貰っている。

五月も終わりに近づき、ホームページの形もそれなりの恰好がつき始めており、天気もなんとか安定してきているようなので、戸外のウオークと園芸作業の再開も可能になり、ようやく、老後生活を支える「パソコン」「ウオーク」「園芸」の三本柱がうまくかみ合うようになってきている。

思えば、「後期高齢者」といわれるようになって7年余、法律用語としての「後期高齢者」は75歳からセンテナリアン(百歳人)までを一括していうが、ジェロントロジー(老人学)では85歳以上はその心身の状況から特別に区分けして「超高齢者」というらしい。アメリカで、これを「スーパー・シニア」という。

さてさて、せめて「スーパー」までいけるかどうか。

「三金会雑記」と同じように、「歩き」にせよ、「園芸」にせよ、「パソコン」にせよ、こうした活動がいつまでも続けられるわけはなく、いずれいわゆる「賞味期限」が切れるときがこよう。
それが何年先であるかは分からないが、それまではなんとか自分なりに充実した時間を持ちたいと思う。

コメント (1)
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