伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「さくらの里」逍遥

2011年09月30日 | ウオーク

9月30日(金)-

家内が珍しく秋の「さくらの里」を散歩したいという。今日は午前中は晴だが午後からは曇、それからしばらくは曇日が続くという。

そんなことで、午前中に車で「さくらの里」に出掛け園内を30分足らず歩く。途中でデジカメで撮影しながら、しかも少しビッコを引いての「歩き」だから、これは「散歩」というより「逍遥」といったところか。 「さくらの里」とはいうもののこの時期だけは桜の花がない。ただ、ほんの僅かに「十月桜」が数輪綻びているだけ。

大室山全体を覆うススキはまだ早い。山全体がススキの穂で銀色に輝くのはまだ先のことだ。

さわやかな風が吹き抜け、こんな素敵な秋の好日に公園内を歩く人はほとんど見かけない。勿体ないとおもう。


犬を散歩させる人に出会った。こんなところを散歩させてもらえる犬は幸せなのであろう。


十月桜

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脚ならし 再度「池地区」散歩

2011年09月28日 | ウオーク

9月28日(水)

本当に秋らしい日となった。田園に広がる初秋の景色に心が洗われるようだ。

脚ならしのため再び「池地区」をMrs.TBと歩く。脚の具合をみながらゆっくり歩いてもらったら、なんと2時間近くの散歩となった。総歩数は9300歩。さすがに脚に痛みが走り、終わりの頃はこれ以上歩きたくないという気持ちになる。


大室山の姿がいい。


仰ぎ見ればケヤキの秋色


流れ落ちる秋の水。澄んでいる。


アキアカネが空中を飛び交っているが、水辺にはちょっと変わった赤とんぼがいる。


藪の中には風に揺れる水引草。小さな花だが、なにか心惹かれる。


ススキ



彼岸花

 

 


ザクロの実を見付けた。ながく見たことがなかったのでなんだか懐かしい。

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「タラノキ」(たらの芽)の花

2011年09月26日 | 園芸

9月26日(月)

ふと気づいたら、庭先の空地に生茂っている「タラノキ」に沢山の白い花が咲いている。

この「タラノキ」は数年前に1,2本、どこからか飛んできてこの土地に根付いたものだが、それからはどんどん大きくなり数も増えて、いまではタラノキの林とはいかないまでも一つの群落を作ってしまった。

春になると、このタラノキは山菜の女王ともいうべき新芽「たらの芽」を沢山付けるが、棘のある太い幹、そして高々とそびえたつ先にある新芽を採取するのは大変で、そのほんの一部だけを採って天麩羅やおひたしにするだけで、後はそのまま放置している。

そのせいもあってか、タラノキは伸び伸びと育ちこの盛況になったのであろう。

いずれにせよ、こんなに増えてしまうと、「山菜」としての魅力もかえって薄れてしまうし、その後は棘ある雑木群として近寄るのは危ない。

そんなタラノキだが、こんな白い大ぶりの花を付けている姿をみると無用の雑木として切り倒すのはなんだか可哀そうにも思えてくる。

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「池地区」散歩

2011年09月23日 | ウオーク

9月23日(金)

「歩き」を得意としていた私だが、変形性股関節症ですっかり自信をうしなってしまった。

これからどれだけ歩けるか?脚の具合と相談しながらとは、なんとも情けないことになった。

脚の具合を確かめるため、取り敢えず平坦な「池地区」の里山一周を散歩コースに選んでみた。(40分 4500歩)

海に面していず、三方が山に囲まれたところだから、黄金の稲穂が吹き倒されているところがあるくらいで、台風の被害らしきものはほとんで見受けられなかった。

 


なにを燃しているのか、立ち上る白い煙。里山にはこんな煙がよく似合う。


気が付けば、彼岸花が咲く頃であった。

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台風被害の検分

2011年09月22日 | 園芸

9月22日(木)

台風一過、晴れ上がる。

激しかった昨日の台風による「IKOI農場」と庭の被害状況を検分する。予想していた通り相当のダメージを受けていた。

とはいえ農業を生業としている人とは違って、「遊び」の園芸だからこの程度の農場の被害は甘受しなければなるまい。

ともあれ、これからしなければならない後始末、頭が痛い。

「IKOI農場」の被害


栗 ほとんど落果してしまった。しかし、かなり実が大きくなっているから剥いたらなんとかなるかもしれない。


檸檬 いくつか落果したが、枝にはまだ沢山残っている。被害は僅少、それに落果したおおきなレモンはなんとか使えそう。


里芋 太い茎がなぎ倒されているがこれは時間が経てばなんとか回復できそう。 


ハヤトウリ 広がりかけていた緑のカーテンがすっかり萎れてしまったが、これも時間が経てば回復できそう。

柿と栗はほとんど落果し、枝に残るのはごく僅か。今年の柿も昨年同様に全滅か!。

柑橘類はまだ若かったからか、それとも着果がしっかりしているからか落果は少なく比較的被害は僅少。

庭の被害


テラスに置かれた大理石の腰かけまで吹き倒されていた。


この重さなら大丈夫と踏んだ「ストレリチァ(極楽鳥花)」の鉢もテラスから落下。


太い竹でがっちり支えてあった「皇帝ダリア」も大きな茎を支えきれずに倒壊。

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台風15号の直撃

2011年09月21日 | 日記

9月21日(水)

台風15号が静岡県浜松市付近に上陸、伊豆半島を巻き込む日本本土を直撃する最大級の台風となった。中心気圧955ヘクトパスカル、最大瞬間風速は60メートルに達するとTVは伝えている。

当地に居住し20余年になるが、これまでに経験したことのないような激烈な風と雨、二階の書斎で微かに揺れを感じるほど。今までになくちょっと不安な気持ちになった。

それに停電、真っ暗な室内で雨戸を揺るがす大きな音を聞いているとなんだか怖い。しかし、停電はすぐに戻りホッとした。

この凄まじい光景を記録にとどめるべく雨戸を開けようとするが容易に開けられる状況にはない。こんな日に外に出るなど危険千万、論外である。そとに出ずなんとか寝室のガラス窓越しに風雨に揺らぐ樹木の姿だけを撮影できた。

暴風雨は2時過ぎから始まり、6時にはようやく収まった。

庭や「IKOI農場」の被害が心配になる。明日は早速見回らねばならない。

こんな日にやれることといったらやはりパソコンだろう。TV電話「skype」を使ってMr.UT、TB&Mrs.HRと台風情報などを交換しながらお喋りする。

skypeで話をしながらパソコンを操作していたら、デジカメで撮影した暴風の画像や動画(これは送信にちょっと時間がかかるが……)を簡単にskypeで相手に送信できることを知った。 skypeって、本当に便利なパソコン・ツールである。

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風は南東の海側から吹いていた。西側に当たる玄関は建物にさえぎられて風は強くない。

玄関前西側の樹林の状況

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秋の「農園日」

2011年09月18日 | 園芸

9月18日(日)

農作業に絶好の秋日和。「IKOI農場」でMr.IW&ITの声がするので私も急遽作業服を着て農場に出掛ける。予定にはなかったが急な「農園日」となった。

しかし、まだ右脚がやや不調なので、力のいる作業は無理、農場の中をうろうろするだけで作業らしい作業はできない。

本日の作業といえば、その役割をほぼ終えた夏野菜の撤去作業とこれから迎える秋野菜の初採り・探り採りが主なもの。「IKOI農場」を歩き回わり「実りの秋」がほどなく訪れようとしていることを実地で確かめ嬉しくなる。

これなら近日中にサツマイモ・里芋・柿・栗などをはじめ秋野菜の大量収穫が見込まれるので「秋の収穫祭」ができよう。

作業が終わって、夏野菜最後の収穫、秋野菜の探り採りの「代表選手」たちを休憩所の机の上に集め並べてみたら「豪華絢爛」とは誇張に過ぎるが、結構多彩な彩りでなかなか見応えがある。

 


右上から カボス・タネ取用ゴーヤ・紫蘇 ・里芋・サツマイモ・ミニトマト・さや隠元・カボス・枝豆・トマト・栗・オクラ・ピーマン・オクラ・茄子・ゴーヤ・万願寺・モロヘイア・ししとう・かぼちゃ・牛蒡・レモン 


休憩所を緑で覆うハヤトウリのカーテンはまだ不十分、しかし、ハヤトウリの小さな雌花はついている。


畑の整理も行き届いてきた。手前は枝豆、その向こうは葱、芽を出した大根苗、サツマイモの茂りと列は続く。

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「三金会雑記」97号、あと3号で100号へ

2011年09月17日 | 三金会雑記

月17日(土)

沖縄付近に停滞している台風15号の影響からか、急に襲い来る激しい雨、束の間の晴間、そして青空を残したまだらな曇を、終日繰り返している奇妙奇天烈な天気である。

室内から外には出られないのでパソコンのかたわら一昨日送られてきた「三金会雑記」97号を読んでいる。

97号、「季刊誌」だからつぎの98号冬号、来年の99号春号、そして夏にはついに100号となり、昭和62年創刊以来続いた「三金会雑記」は大団円を迎える。

この調子なら大丈夫、100号はかたい。その100号刊行を終えた後に福岡で行う「三金会」総会が「三金会」最後の集まりとなる。

創刊時60歳をまだ先に見ていた男女が80歳の老爺・老婆となってその完結を迎えるなど当時誰もが予想だにしなかったことだろう。

敗戦につづく米軍の占領下で学生時代の青春を共に過ごした我々が、仲間を少しずつ減らしながらもなんとか現在まで生き延びてきて、残ったものがを力を合わせて「三金会雑記」を作り続け、最後にそれを完結させようとしている!!!

この時からだって2年近くも経っている……。 → 「三金会雑記」創刊の頃(水口編集長時代)

 

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園芸作業暫時中止

2011年09月15日 | 園芸

9月15日(木)

季節の巡りは正直なもので、急に秋らしくなり、日中の園芸作業もやりやすくなった。

これからは本格的な園芸作業だと張り切ろうとした矢先、7月の「歩こう会」で無理をした報いが今頃出たようで、だんだん右脚の動きが鈍くなり、畑での力仕事が苦手になってしまった。

この状態が続けば、しばらくは農作業はお預けにならざるを得ない。

ただ、気懸りなのはお仲間から頂いていたブロッコリやキャベツの苗がそのままになっていることである。

これらの苗は玉蜀黍を撤去した後の土地に植える予定だったが、そのままになっており、これだけはなんとか植えつけねばと気持ちが焦っていたのである。

たまたま、昨日「IKOI農場」のお仲間Mr.IWから肥料の件で電話があり、そのときふと脚の不具合をふと漏らしたところ、代わりに苗の植え付けて上げるといってくれた。

今日、農場に出掛けてみたら、なんと空地は見事に耕耘・施肥され、その上に苗が等間隔に植えつけられ、更には防虫ネットまできちんと張られているではないか。

私ならこうはいかない。私はもっとアバウトな植え付けを考えていた……。これこそ鑑賞に堪える農場の姿である。

これは力の差だけではない、同じような作業であってもこれだけ違うとは!

園芸趣味は、収穫だけでなく見た目もきれいでなければならない。だが、これを実行に移すことができる客観的な私の条件の方は、加齢とともにどんどん悪くなりつつあるのが心配だ。

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満月の写真を写し損ねる

2011年09月14日 | 雑文

9月14日(水)

一昨日、夕食に出掛けた帰り道、西の空に見事な満月が昇ってくるのを見た。一年でもっとも美しい月とされる「中秋の名月」である。

旧暦8月15日、いわゆる「十五夜」は2011年ではどうやら9月12日になるらしい。

黒々とした木立のシルエットの向こうに輝く満月、この一瞬の素晴らしい景色を写真に撮りたいと思ったが、生憎デジカメを持ち合わせていず残念ながら見過ごすことになった。

しかし、昨日になってその見事な光景が忘れられず、澄んだ秋空でもあったので、夕刻を待って一日遅れの「十六夜月」の姿をデジカメでとらえようと家の外に出てみた。

陰暦14日は「宵待月」、16日は「十六夜(いざよい)月」、17日は「立待月」、18日は「居待月」というから満月にさほど変わらぬ「十六夜月」ならなんとか撮影できると考えたのである。

だが、これは大失敗だった。月が昇る時間が少し遅くなることは覚悟していたが、日が沈む時間を計算に入れていなかった。

僅か一日違いだが、月の出の遅れだけでなく太陽の沈むのが早く、月が昇ったときには辺りはすっかり夕闇に閉ざされてしまっていたのである。

三脚を構え本格的に撮影するのであれば、それなりの写真を得ることができるであろうが、いつものように手軽な片手撮りというわけにはいかない。

写した写真は、真っ暗な背景に白く丸い月が写っているだけのお粗末。

悔しまぎれに、家を出る前に夕闇迫る天城の山と相模の海を写しておいた写真で気を紛らせることにした。

これのほうが、ほの暗い秋の夕暮の風情がまだ感じられる。

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「手作り」の雛

2011年09月13日 | 手作り

9月13日(火)

大室高原界隈では、緑の自然環境を守るためそれぞれの敷地を囲うのは塀ではなく生垣で作るようになっている。

お蔭で散歩道の途上、各家庭が庭で育てているいろいろの美しい四季の草花を覗くことができるので、その鑑賞は私にとって散歩の楽しみの一つになっている。

だが、ここは洋風の建物が多いからか、それに似合った西洋種の草花がほとんどで、夏になっても日本の夏の風物詩ともいうべき「朝顔」を見ることはまずできない。

朝顔はやはり、伝統的な日本家屋が立ち並ぶ裏路地を飾る花、しっとりとした朝露に濡れながら細竹に巻き付いて咲くのが一番似合うかのかもしれない。

本物の朝顔を見る機会はないが、家内が最近作った「吊るし雛」ならぬ「置き雛」の作品、「朝顔」はやや暗い玄関先に置かれてわずかに夏の風情を漂わせている。

既に夏は終わり、秋が訪れようとしている今頃になっての出来上がり。

「6日の菖蒲・10日の菊」の誹りは免れないが、なにしろ手先の動きが鈍くなった高齢者中心の「吊るし雛教室」での作品だから、まあ、よしとするか。

これまで家内が作る「雛」を「吊るし雛」と呼んでいたが、この呼称は実態に即していず、あまり適当ではないので、あれこれ考えた末に、以後「手作り雛」ということにした。

したがって、ブログの「カテゴリー」も「家内」にかえて「手作り」と改める。

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年々歳々花相似

2011年09月11日 | 雑文

9月11日(日)/

丁度いまから半年前のこの日、2011年3月11日午後2時46分、日本に深い爪痕をいまだに残す「東日本大震災」が発生している。

3万人の犠牲者を出した地震・津波によるその惨状は忘れることができない記憶として我々の心に刻み込まれてしまっている。

一方、10年前のこの日、2001年9月11日にはアメリカで世界を震撼させた「同時多発テロ」が発生している。

そして、その犠牲者3千人のうちには日本人24名も含まれている。

この驚天動地の大事件を経て、アメリカはもとより世界の様相は一変してしまった。

現代に生きる我々は、自分とは離れた場所で起こり、やがて我々自身にも直接・間接に関わってくることにもなるこうした異常・非常事態を身近に映像を通して、しかもほとんどリアルタイムで見ているのである。

なんともやりきれない凄まじい映像だが、この二つの事件は異質のものでもとより同時性を持つものであろうはずはない。しかし、シンクロナイズされていないとはいえ私にはなんだか事件は重なりあって見えてしまう。

そうであるのに、それにもかかわらずというべきか、個人の私の上に流れゆく時の推移に、この事件はなにほどの変化をもたらすことなく、いたずらに平々凡々の毎日が過ぎ去っていっている。

これが生き生きと生きてきた壮中年期を経て辿り着いた人生の果て「老境」といわれるものの実態なのか。「動」ではなく「静」の世界。

そんな思いで、ふっと劉廷之の詩を思い浮かべた。

古人無復洛城東 今人還対落花風 年歳歳花相似 歳歳年年人不同 

 年々歳々人は同じではないが、年々歳々花は同じだ。

人はそれぞれに齢を重ね老いていき、社会はかつてないほど激変していくが、花は季節がくればいつもと同じように咲く ということか!

 

今年も秋が来て、去年と同じように庭に植えた2種類の「秋明菊」が花開こうとしている。

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秋の散歩の試し歩き

2011年09月09日 | ウオーク

9月9日(金)

最近、膝か腰かよく分からないが脚の調子が万全でなく、右足をすこし引きずって歩くようになっている。疑いなく、加齢による変形性股関節症が遅まきながら我が身にも忍び寄ってきているらしい。

これに立ち向かうためには、脚力と相談しながらできる範囲で歩くこと、また「エクシブ伊豆高原」のプールでの水中ウオーキングを再開するなど、脚の筋肉を強くすることを考えねばならない。

その意味合いをかね、今日は車を使わず秋の日の試し歩きとして片道30分「ふみ」まで昼食に出掛ける。

風が吹き抜ける道や緑の木蔭道はすこぶる快適だが、直射秋の強い陽射しを浴びると相当に暑い。特に帰路30分の坂道で我が家に帰り着いたったときには全身びっしょり汗まみれになってしまった。

しかし、なんとか歩ける。これからは天気を見計らいぢきるだけ「歩く」ことに努めたい。


典型的な秋の空。


車も人影も絶えた昼下がりの伊豆高原桜並木の坂道。


道端にみる一本杉。


大室山、お久し振り!


早くも道端にはドングリが……


紫式部も咲いている?いや、実を付けている。

 


やっと、たどり着いた「IKOI農場」の休憩所。南面に茂った隼人瓜が緑陰を作ってくれている。ここで一息つく。



「IKOI農場」から見上げる我が家。まだ最後の難所、門までの急坂が残っている。長く歩いた後は、ここからが一番こたえる。

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晴れれば庭の花にも目が向かう

2011年09月08日 | 園芸

9月8日(木)

しばらく秋日和が続きそう。晴れれば自然の美しさにおのずと目が向く。空、海、島、山、そして樹林など.

庭の花もその例外ではない。夏から秋口にかけて咲く庭の花。だが、まだ雨に打たれた痛みから完全に立ち直ってはいないが……。


宗旦木槿


木槿(鳥取花笠)


桔梗


紅葉葵


名称しれず

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一本のミニトマトから

2011年09月07日 | 園芸

9月7日(水)

今年のミニトマトは大豊作だった。たった一本のミニトマトに鈴なりの実がなる。

購入したミニトマトの苗は一本に過ぎないが、現在その最盛期を迎えているのは、購入苗からその成長過程で生じた脇芽をかいたのを挿し木したもの。これは実に簡単に活着する。

少し成長は遅れるが、今頃になって結構大量にしかも大きな実が結実する。

何故こうもうまくいったのか。

考えられる理由は、一房につく実の数を大幅に制限したこと(房の先端につく花や小さな実を思い切って切り落とした)であろう。これで実を充実させる力が分散せず大玉になったのであろう。(ミニトマトは上へ上へと次々に房を付け、その先端にたくさん花をさかせる。)

それともう一つは、雨に弱いトマトの特性を考慮し房毎にビニール袋をかけて実が直接雨に濡れないように配慮したことである。(買物ビニール袋の底に鋏を入れ、そこから房を包み込むように入れて洗濯バサミで閉じ込める)これにより実割れはしないし、また熟したトマトを鳥から食われるのを防ぐこともできる。

本来のトマトの出来は今一つだったが、少なくともミニトマトに関する限り、これまで十分すぎるほど多量に収穫できたし、これからも暫くは収穫は続きそうである。


一本のミニトマトから

 

 

これから「かぼちゃ」も収穫期に入る。雑草に紛れて気付かなかったが、これもあちこちに実を付けており、沢山収穫できそうだ。


これは「長かぼちゃ」

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