伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

御節料理は小振りでOK

2016年12月31日 | 日記

12月31日    (土)    

これまで年末にお節料理をお願いしていた割烹「ふみ」ではこれまででさえ夫婦二人で食べきれない量の2,3人分セットだたのが今回はさらに大型化され3人分だという。

これではどうしようもない。

そこで、御節料理が頼める別のお店を探していたところ近くのうどん料理「切麦屋あいだ」でもお節料理を作るという。

今日、大晦日がその受取日。

まだ食していないので、味は分からないが小奇麗にできておりなかなかよさそう。

これで正月の準備はすべて終わった。

 

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玄関 クリスマス飾りから正月飾りへ

2016年12月28日 | 手作り

12月28日    

クリスマスが終わり、玄関のクリスマス飾りは撤去されて正月飾りへ。

 


 

例年のことながらこれから年末年始の「快晴」が続きそうだ。

今日はことのほか澄明な空気、海も山も鮮やかにきらめいている。(利島の向こうに三宅島まで見える日はなかなかない。)

こんな天気なら新年には言葉通りの「おめでとうございます」が言えるいい門出となりそうだ。

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今年のレモンは大豊作

2016年12月26日 | 園芸

12月26日    (月)    

IKOI農園にはレモンの木が二本植えられている。毎年そこそこの実を付けるが、「レモンの実」としての価値はあまり高くない。

店で売っているような鮮やかな黄色い無傷の肌のレモンというわけにはいかないからである。

当地の風は強くレモンの枝には棘がある。そのため実がなる頃にはきまって木が烈風に吹きあおられ、レモンの実の肌に傷が付き、ほとんどの実の肌には黒い斑点がついてしまう。

我が家でレモンジュースとして使う分には差し支えないが、人様に差し上げるには見た目が悪く憚りがある。

しかし、今年のレモンはよく成った。

大豊作だっただけでなく、台風は来なかったし、強風の日はほとんどなかった。そのせいで傷のつかない立派なレモンがかなり目につく。

綺麗なレモンをメインにして傷がついたレモンも一緒にあわせれば、人は喜んで貰ってくれるのではないか。

 

食卓にレモンの山

 

 

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今日も散歩

2016年12月23日 | ウオーク

12月23日    (金)    

昨夜の風は激しかった。急速に発達した低気圧の影響で日本各地に20mから30mの暴風が吹き荒れたという。「台風」ならぬ「暴風」なんて私が生きた昭和期にはほとんどなかったような気がする。

近時の地球温暖化の進行がこんな気象を異常現象ではなく、ありふれた気象現象としてしまったのだろうか。

その暴風によって樹の枝に枯れ残っていた黄葉はすべて吹き飛ばされ、当地の冬の情景は一変した。「枯れ木立の林」に取り囲まれたのである。

昨夜に続けて今日もかなり強い風が吹いている。しかし、空気は澄み渡り陽光がさんさんと降り注いで暖かい。

書斎から見る自然の佇まいは散歩を誘っている。


真っ青に澄み切った空を切り裂くように林立する落葉樹の姿を散策路で見るのは私の好みだ。

あの素晴らしい「新緑萌える春」も「緑が折り重なる夏」も「紅葉が織りなす秋」とも違う伊豆高原の林の情景だが、それなりの魅力がある。

今日も近所を1時間半ほど散歩道を歩く。 


歩きながらポケモンをゲットする「散歩」を始めたのが11月に入ってから。それから2ヶ月。

雨でも降らない限り毎日4000歩から5000歩ほどの散歩を続けている。おかげで足腰が強くなったのか、最近はポケモンゲットより歩くこと自体に比重がかかっている。

ポケモンのトレーナーレベルは現在「レベル22」。

本来、散歩には向かないこの冬の時期にこれだけ歩いているのだから、この調子でいけばスーパー・シニアとして「歩き」の快記録を達成できそうである。

(iPhoneは本当に便利だ。「ポケモンGO」もさることながら、「歩数計」というアプリを使えばその日の歩数だけでなく過去の歩数も記録してくれる。現在は偶然ながらぴったり5000歩。)

 

            

 

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「大室高原の歴史」に関連する残メモ書き

2016年12月19日 | 雑文

12月19日    (月)    

今年一年を締め切るべき年末もいよいよ迫ってきた。「園芸」「散歩」「パソコン」を軸に生活してきた私にとって、今年の最大の特徴は天候不順による戸外活動が著しく制限されたことであろうか。

そのせいもあって、室内でできる「パソコン+iPhone」の習熟についてはそれなりの進歩はあったみたい。だが、スーパーシニアのやることだからたかが知れている。

今日は我が家の屋根・外壁を10年振りに大々的に塗り替え作業実施中、そのため戸外に出辛くいまは専ら書斎にこもってパソコンを弄っている。

 

 そんなことをしていたら、パソコンの片隅に収まっていたOnedriveの中に「大室高原の歴史」に関連するメモ書きが目にとまった。今は不要なものとして削除しかけたが、いや待てよと思い止まった。

これは、私が2010年5月のブログに「大室高原に住んで20年」として題して書いたとき心覚えとして書き留めておいたものであり、文章の体をなしていないが、ブログで触れなかった事項もあるようなので、ひょっとしたら残しておいてもいいのではと思ったのである。

2010/5/26「大室高原に住んで20年」(「三金会雑記」素稿)

このブログは私の過去のブログの中で今もよく読んでくれている方がおるようなので、そうした「大室高原」の歴史に関心をもたれる人にはそれなりの役割があるかもしれないと思い、敢えて以下に掲載してみた。

 

 

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冬日の散歩

2016年12月17日 | ウオーク

12月17日    (土)    

雲一つない澄み切った青空。これが当地で見る典型的な冬空である。こんな日は少々寒かろうと散歩には最適の日である。

陽光さんさん、海は光輝き、遠い山肌もくっきり鮮やかに見て取れる。散歩の楽しみ、これにすぎるものはない。

今日の散歩は1時間半、4000歩を少し超える。

最近は散歩コースが似通ってきた。ポケモンが取れて坂が比較的少ない道となるといつも同じようなコースになる。

近頃気付いたことだが、伊東市街地と郊外の伊豆高原界隈ではポケモンの出現率が違う。

街中だとポケモンが次々とまとまって現れるため、それに気をとられてほとんど歩く暇がない。したがって運動のための散歩にならない。

これに対してこの界隈ではしばらく歩かないとポケモンが出てこない。最初の頃は不満だったが、今ではこのくらいの出現率が散歩にはちょうどいい。

それにありふれたポケモンは敢えて取らずに見逃すことが多くなった。滅多に見掛けないポケモン、所謂「レアポケモン」を目当てに歩くのだが、これがなかなか出現しない。

現在「図鑑」に登録したのは82匹、見つけはしたものの捕まえることができなかったのが6匹となっている。「図鑑」に登録できるのは150匹となっているようなので、捕まえるにせよ、進化させるにせよ図鑑をすべて埋めてしまうのはまだまだこれから先のようである。

ポケモン・ゲットの先に陣地をとりあう「ジム・バトル」などのゲームがあるようだが、その類は私の好みにあうのかどうか。

それまでは、せっせと歩くことにしよう。

 

 

 

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ポケモンGOをお供に「一人散歩」

2016年12月12日 | ウオーク

12月12日    (日)         →

ここ毎日、機嫌よく「一人散歩」を愉しんでいる。歩く歩数はおおむね5000歩から4000歩、時間にして1時間から2時間くらい。

歩数に比べて時間がかかっているのは、散歩の途中で現れるポケモンをゲットするため暫時立ち止まったらり、たまたま出会ったきれいな景色をiPhoneで撮影したりするからである。

この辺ではポケモンは50mから100mくらい歩くと出現する。これはちょうど飼い犬と散歩していると犬がところどころで嗅ぎ回ったり、オシッコしたりで立ち止まるのと同じようなものだ。

当地に居住したとき、犬を飼いたかったが、家内から犬を飼ったら旅行ができなくなると反対されて諦めたこを思い出す。

あの頃犬を飼ったとしたら、介護を必要とする老老犬になった後に死んでしまったことは疑いなく、自分の世話さえおぼつかなくなりつつある自分の行く末からすれば飼わなくてよかったとつくずく思う。

なんと有り難いことに、飼いたかった犬に代わって現在は文明の利器「iPhone」のポケモンアプリができて散歩犬の役割を果たしてくれている。

とにかく、ほとんど人に出会わない秋枯れの林道をiPhone片手に適当に立ち止まりながらぶらぶら歩くのが今はとても気に入っている。

ポケモンが私にとってかくも役立つものだとは思いもしなかった。

今夏、孫たちが大挙我が家に押しかけてきたとき、一番下の高校生の孫が私のiPhoneにポケモンGOをインストールしてくれてた。その頃世界的な社会現象とまでいわれたポケモンGOとは一体どんなものなのか一応は知っておきたいと思ったからである。Phoneに残された記録によると8月8日とある。

孫から「今教えられるのはここまで」といわれ、に三匹のポケモンをゲットしその片鱗を知った思いでそのあとは関心を失っていた。

私はパソコン時代から「ゲーム」の類はどうも性に合わず、ほとんどやったことがない。ポケモンも子供たちが室内に閉じこもり熱中しているあの種のゲームに毛が生えた程度もものだと思ったのである。

その後になって、あれほど評判となったポケモンがこれまでの室内ゲームと決定的に違うのは、室内ではなく戸外で、専ら「歩くこと」のみを前提としたゲームだということだった。

「歩くこと」なら私の生活目標の一つ。「老い」を養う最良の手段、ギリシャの医聖ヒポクラテスがいう「歩くことが最良の薬である」を信奉している私にとって見逃せない。

ということで、改めてポケモンを弄ってみようと思い至ったのは10月に入った頃、よくわからないままに動かしていたら次第にポケモン・ゲットが面白くなり、インターネットを使った関連情報を探すのにも興味が湧いてきた。

これまでは、天気がいいならできるだけ毎日散歩しようと心掛けてきた。しかし、冬に入れば天気は続いても寒くてつい億劫になる。それに「独り歩き」は楽しみが薄い。

しかし、ポケモンGOのお蔭で「一人散歩」も楽しくなってきたので、雨でも降らない限り毎日「歩き」に精出すようになったのが昨今である。

そんなことで、現在のトレーラー・レベルは「21」(これから先に40くらいまであるらしい)、歩いた距離は92㎞、捕えたポケモン数は856匹、孵化させた卵は30個などなど。(こんな過去のデーターが自動的に細かく記録される!)

ポケモンがこれほどの効果をもたらすとは!

思うに、ポケモンを愉しむには、「歩く」時間がたっぷりあり、「歩くこと」が好きで、そしてiPhoneが扱えるという条件が必要のようだ、そしてこの条件をすべて持ち合わせていたのが私であった。

スーパーシニアの私にはありあまるほどの自由な時間があり、歩くことが大好き、そしてiPhoneを使い慣れており、扱うことも好きだということ。

iPhoneが使えるという条件さえあればポケモンと散歩、これほど年寄りにいいものはない。ただし、夢中になって周囲への注意を怠らないことはいうまでもない。

 

歩きながら気に入った景色に出会えば、時に写真を写す。これもいい。 

 

 

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玄関先の飾り「クリスマス・バージョン」

2016年12月09日 | 手作り

12月9日    (金)    

月日の流れがあまりにも早い。今年もはや暮れ近く、冬が急速に迫ってきているのを朝夕の寒さで実感している。

幸いこのところ晴れの日が多く、この時期にありがちな気分の滅入るような暗鬱な天気と無縁なのが嬉しい。

玄関先の置き雛「秋バージョン」は、そろそろその役割を終えたので、「クリスマス・バージョン」となったが、そのほとんどは既製品。

家内の手作りは壁のぶら下がりなどいくつか。

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現代の「回文」、なかなかの出来。

2016年12月06日 | 雑文

12月5日    (火)    

上から読んでも下から読んでも同じ音になるという「回文」には昔から関心があった。

幼稚園児の頃か、小学一年生の頃だったかに「タケヤブヤケタ」(竹藪焼けた)という言葉を教えてもらって得意になっていたら、近所の女の子が「私もそうなのよ」と言われたことを今でも思い出す。

その幼女の名は「コイケケイコ」(小池恵子)、いまだに忘れずにいる。微かな記憶に残る幼かったあの子は今はどうしているだろうか?往時茫々。

その後、戦争があったり、戦後以来の慌ただしい生活があったりして、「回文」のことなどすっかり忘れ去っていた。

その「回文」の存在を思い出したのは60歳を過ぎて大学で法律解釈を講じるようになってから……。

小難しい法律の解釈をめぐって、学生の息抜きに「言葉遊び」として「折句」、「パングラム」「アナグラム」「回文」などの「言葉遊び」を喋るようになったのがきっかけだったように思う。

その頃知った「回文」として面白かったのは

「 力士 塩舐めなおし 仕切り 」 (リキシシオナメナオシシキリ)

「 時計は叫ぶ 今朝は行け 」 (トケイハサケブケサハイケト)

「 世の中ね 顔か お金か なのよ 」 (ヨノナカネカオカオカネカナノヨ)

など。

それに古くからある上品な歌

「 白波の 高き音すら 長浜は 必ず遠き 潟のみならし 」 (シラナミノタカキオトスラナカハマハカナラストオキカタノミナラシ )

「 群草に 草の名は もし備はらば なぞしも 花の咲くに 咲くらむ」 (ムラクサニクサノナハモシソナハラハナソシモハナノサクニサクラム)

 など。

うまく作るものだと感心していたら、この度、偶然のことから現在も回文を趣味として作る人がおり、なかなかのものを作っていることを知った。

以下がそれ。

「 遠く闇の音 星の下 私の死 骨のみ焼く音」 (トオキヤミノネホシノシタワタシノシホネノミヤクオト)

「抱いていた卵 対だったがしぼみ 星がたった一個 瞬いていた 」 (タイテイタタマコツイタッタカシホミホシカタツタイツコマタタイテイタ)

いずれも福田尚代という人の作。

ちょと写実からはなれた象徴的というか、暗示的な言葉の流れが不思議な趣を醸している。

現代詩ならぬ現代回文詩というべきか。

読み捨てるには惜しいので、私のブログに転載した。


「回文」=「Palindoromes 」を含む「遊び言葉」について以前ブログに書いたことを思い出した。あれからもう5年を過ぎたか!

2011/5/7 blog  < 「いろは」からの連想 ①~⑥ >

 

 

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修善寺自然公園に紅葉を訪ねる

2016年12月03日 | ウオーク

12月2日    (金)    

雲一つないような青空。これが本当の「秋の晴天」or「冬の晴天」。

1ヘクタールの斜面に1000本のイロハカエデが群生するという伊豆半島最大級のモミジポット「修善寺自然公園」のもみじ祭りが12月5日まで、というのでMr.ARと出かける。

登り口の紅葉はすこし黒ずんで盛りを過ぎたかに思えたが、尾根まで続く斜面には見事な紅葉の林が広がっていた。

尾根からは、これはまた見事は富士山が望めた。

 


歩きながら、ここでもポケモンをとる。これまで見たこともない「オムナイト」というポケモンを沢山見付ける。

なるほど、これがオムナイトの所謂「ポケモンの巣」というのだろうか。

トレーナーレベルは早くも「20」に達した。

20になったらモンスターボールよりポケモンを捕まえやすいスーパーボールだけでなくより性能のいいハイパーボールをポケストップで入手できるようになっていた。

     

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