伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

梅の古木

2011年02月26日 | 花卉

2月25日(金)

散歩をするとあちらこちらで梅の花が咲いている。今年の寒さが花の芽生えを随分遅らせているようだが、それでも春は確実に近づいている。

我が家の梅樹は21年前に新築した時、庭にはメインツリーが必要だという植木屋さんの言に従いかなり年輪を経た梅の木を植えたものだが、それからの長い歳月の経過に伴っていつしか主幹はぼろぼろに朽ち、樹勢はすっかり衰えてしまった。

それでも毎年なんとか花を咲かせ実もつけてくれてはいるが、この木に登るのは危険だから実はそのままに放置している。(昔の梅の木と違って現在の梅の木は杏子かなにかに接ぎ木して育てたものが多いから40-50年くらいしかもたないと聞いた。)

人も植物も寄る年波には勝てない。いずれこの樹も長くは持つまい。やがて姿を消すのであれば、花はまばらになってしまっているが、その姿をとどめておくのは今しかないのかもしれない。

 


 

 

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ようやく春めいてきた

2011年02月23日 | 園芸

2月23日(水)

このところ曇日が続き、気温はさほど寒くはないのだが気分的には春の訪れを感じさせなかった。

しかし、今日は青空とはいかず、うっすらかすみ雲が広がってはいるとはいえ窓越しの温もりのある日差しは春近きを思わせる。

書斎と農場と間を隔てていたコナラの巨樹の大枝を切り落としたおかげで「IKOI農場」の全貌とまではいかないが、ひろく見渡せるようになった。

畑が、ぼつぼつ春の本格的な農作業にかからなければならない時期だよ、と手招きしているかのようだ。

 

 

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河津・下田方面ウオーク

2011年02月18日 | 「大室高原歩こう会」

2月17日

「大室高原歩こう会」の2月行事は河津桜・峰温泉大噴湯公園、ロープウェイで寝姿山、下山、浄蓮の滝というコース。
しかし、気圧の谷の接近で、天気予報は雨/曇で実行が危ぶまれたが、多少の雨は覚悟の上での決行となった。
幸い、予報に反してほとんど雨に降られることはなかった。

今年は特別に寒かったから例年なら見頃の河津桜だが、まだほんの1,2分咲といったところか。見頃にほど遠く、しかも朝早かったから人影はまばら。

桜樹が続く河津川の土手を通って、峰温泉大噴湯公園に至り、10:30に間欠泉から高さ30mという噴湯を見る。(東洋一の間欠泉の大噴湯だとか)
青空だと湯柱に虹が映えて見事だそうだが、今日はあいにくの曇空ではさほど見応えあるものではない。

河津から下田まではバス。ロープウェイで寝姿山に登る。愛染堂付近で昼食後、ハイキングロードを下って下田まで降りるべきところ、道を間違え白浜海岸までの長距離ハイキングとなってしまった。
しかし、途中雨にたたられることなく歩き、バスに乗り込む寸前に雨が降り出すという幸運。

河津から下田まではバス。ロープウェイで寝姿山に登る。愛染堂付近で昼食後、ハイキングロードを下って下田まで降りるべきところ、道を間違え白浜海岸までの長距離ハイキングとなってしまった。
しかし、途中雨にたたられることなく歩き、バスに乗り込む寸前に雨が降り出すという幸運。

下田港を見下ろす(爪木崎半島と港口方面)
寝姿山頂上(愛染堂と平安期地蔵150余体)

 

ハイキング・コースから。 山は枯木の多い冬山、曇空とあっては寒々とした風景。

 

白浜海岸から河津に向う。この時期は河津桜の観光バスで国道135号線は渋滞必至とみて135号線を避け、天城トンネルを越え浄蓮の滝に寄る。

いつもはごった返す浄蓮の滝だが、観光客は少なく、人影のないわさび田の奥まで行って滝を遠望することができた。

 

予定外のハイキングコースを歩いたため総歩数はなんと14714歩にもなっていた。少々草臥れた。

 

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伊豆半島の自然 (1)

2011年02月15日 | 三金会雑記

「三金会雑記」 2011年 春号 №95

 

伊豆半島の自然

 

東京から伊豆半島に向かう特別急行列車は「踊り子号」と呼ばれている。その列車は熱海から伊豆東海岸を沿って下田まで、熱海で分離・連結された一部の車両は三島から伊豆半島の中央部を走って修善寺に至る。

この列車の名称は川端康成の小説「伊豆の踊り子」に由来する。

 

これが物語るように伊豆半島では「踊子」という文字がよく使われ、「踊子」が「伊豆」を代表するかのように扱われることがある。

 

川端康成の「伊豆の踊子」という小説が沢山の有名な女優(戦前の田中絹代にはじまり、美空ひばり・鰐淵晴子・吉永小百合・内藤洋子・山口百恵など)によって映画化されたことが影響しているらしい。

伊豆半島のあちらこちらには「踊子像」「踊子文学碑」「踊子コース」「踊子会館」など、はては「踊子饅頭」までがある。

 

川端康成の「伊豆の踊り子」という小説はいま読み返してみても、淡い恋心と旅情を清らかに描いており、多感な青春時代の甘い感傷を呼びさまさせてくれる名作だが、処女作といってもいいごく初期の小説で、たかだか三〇頁ほどの短編に過ぎない。

 

私の独断と偏見かもしれないが、川端康成という作家は日本という島国の美しさとこれに寄せる日本人の心情を繊細な表現で描き出した小説家ではあるが、ノーベル賞受賞という世界レベルの作家であるようには思えない。
 その受賞記念講演「美しい日本の私」を読んでみたが「日本的、あまりにも日本的」な内容で欧米をはじめとする外国人が期待したような講演ではなかったのではあるまいか。

 

最近になって「雪国」「山の音」など彼の代表作を改めて読み返してみても、伊豆でみかける文学碑に「文豪」川端康成と彫り込まれているが「文豪=偉い文学者=文学の豪傑?」にこれほど似つかわしくない作家はいないのではないかとさえ思っている。

 

しかし、それはそれとして、川端康成が「伊豆の踊子」だけでなく、多くの文章を通じて伊豆半島の自然の美しさを褒め称えて、これを広く世に知らしめてくれたことは、地元に住む人間にとっては嬉しいことである。

 

 例えば、次のような文章がある。

 

「伊豆は海山のあらゆる風景の画廊である・・・伊豆半島全体が一つの大きい公園である。一つの大きい遊歩場である。つまり、伊豆は半島のいたるところに自然の恵みがあり、美しさの変化がある。(「伊豆序説」)」

 

「伊豆を詩の国とするのは、出湯より風景だ。海の美しさと山の美しさを持った半島だからだ。・・・伊豆には風景のあらゆる美しさの模型がある。・・・伊豆の海山は男性的なところもあり、より多く女性的なところもある。(「伊豆温泉記」」

 

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伊豆半島の自然 (2)

2011年02月15日 | 三金会雑記

もっとも、川端康成が伊豆の自然に魅了された時期は大正から戦前昭和の時代である。

 

その頃の「伊豆」といえば、三島・沼津から長岡・韮山を経て修善寺、湯ヶ島と狩野川沿いの比較的平坦な地を通り抜け天城峠を越えて下田に至る伊豆半島の中央部、いわゆる「中伊豆」を漠然と指していたようで、人里を離れ道らしい道もなく容易に行き交うことができなかった「東伊豆」「西伊豆」「南伊豆」などはほとんど人に知られることはなかったのである。

 

私がいま住む伊豆半島東海岸にある「伊豆高原」などはまだ存在すらしていない。人の通えぬ雑木林が一面に広がっていた未開の地であった。

 

「伊豆高原」が人目に触れるようになったのは昭和三六年に伊豆急行線が伊東・下田間に開通してからのことである。

その前、戦前の昭和一三年に熱海から伊東までの国鉄(JR)線ができているが、その時でも古くからの温泉地だった伊東がその終着駅だった。

 

そのあたりの状況を昭和二年に川端康成は次のように書いている。

 

「熱川温泉は宿の部屋から海が見晴るかせるし、山の明るさもいいが、何しろ交通が不便で、伊東温泉あたりから山の乙女のひく馬にでも乗せて貰って行くより仕方ない(「伊豆の印象」)」

 

それが、その後の昭和九年になると

 

「熱海から熱川まで、二時間あまり海岸線を乗合自動車にゆられて参りました……沖に浮かぶ伊豆の七つの島がここの宿の部屋からきれいに見えます。伊豆の温泉場でも、よそにはないことでありましよう。それから夜空をこがす三原山の御神火が、やはり海の遠くにほの赤く見えます。(「熱川だより」)」

 

とあり、東伊豆もその頃になると少しは開けてきたようである。

 

熱川は伊豆高原より南に八㎞ほど下がったところだからこの海の眺望は我が家から見るものと全く変わらない。

 

現在わずかに変わったものがあるとすれば伊豆大島の「三原山の御神火」が消え、平成一〇年に噴火した三宅島の噴煙がこれに代わったことぐらいだろうか。

 

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伊豆半島の自然 (3)

2011年02月15日 | 三金会雑記

 そんな伊豆半島に住み着いて二一年になる。そしてその間、自宅を起点にして伊豆半島全域の自然の美しさを私は存分に味あわせてもらっている。

 

 川端康成は別のところで書いている。

 

「伊豆は、歩くべきところだ。熱海から伊東へ海岸を歩くのもよい。下田から谷津へ海岸を歩くのもよい。だが、修善寺から下田へ天城を越え、街道沿いの幾つかの温泉を訪ねながら歩くのが、やはり伊豆らしい旅であろう。(「冬の温泉」)」

 

 その頃と違って現在は半島全域に舗装道路が張り巡らされているから半島内に散在する観光スポットだけを目当てに出掛けて、その周辺のウオーキングコースを歩くのであれば日帰りで十分である。

 

 川端康成の言うとおり「歩く」ことによってこそ、伊豆半島の自然の本当の美しさに触れることができる。

 

 同じ場所でも四季折々、時々刻々、そしてもちろん天候にも左右されて、自然は違った表情を見せるのであるから、極言すれば伊豆半島の自然美をあまねく探求し満喫するのに「終わり」はないのかもしれない。

 

 もとより自然だけではない。伊豆半島には史蹟や由緒ある神社仏閣など人の手による物もないわけではない。

 

「伊豆国」決して大きくないが日本史上では古くから知られる知名度の高い旧分国である。

 

日本の歴史を揺るがす画期的な大事件、歴史的な転換期に二回も登場する。
 幕府創設と日本開国という歴史的大事件の舞台になったのである。

 

 「伊豆配流」になった頼朝の源氏再興の挙兵が行われ、長岡を中心に修善寺などは源氏ゆかりの地であり、日米和親条約で我が国最初の開港地となったのは下田港で、いわば日本近代化の先駆けとなった土地である。

 

 また、立正安国論を幕府にとがめられ流刑となった日蓮の「伊豆法難」の地は伊東であり、伊豆一国を支配した北条早雲(伊勢新九郎)は戦国大名の嚆矢といわれる。

 

 こうした著名な事件・出来事にまつわる史蹟や建造物がないわけではないが、それも「伊豆の自然」の美しさに比べれば色褪せてしまう。

 

ウオーキングの道々見聞きして興味を増してくれる存在ではあるが、しょせん自然探訪の添え物の地位を出ない。

 

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伊豆半島の自然 (4)

2011年02月15日 | 三金会雑記

 当地における私の後期高齢者としての生活は「歩くこと」「土を弄ること」「パソコンを使うこと」を軸に構築することにしているので、天気さえよければ、できるだけ「歩く」ことに精出している。

 

 最近は、流石に足腰の衰えを自覚するようになり険しい山路に難渋することもあるが、それだからこそ今のうちに伊豆半島の景勝地をすべてクリヤーし心残りを作りたくないと思っている。

 

 八〇歳を超えたこの一年、振り返ってみても実によく歩いている。残り少なくなった人生になにやらせかせられているような趣きもないわけではない。

 

最近では、歩いたところはすべてそこで撮影した写真とともにブログ「伊豆高原シニア・ライフ日記」http://blog.goo.ne.jp/tengoro7406 

 

に書き込んできた。

 

 そこで、昨年一年間に書き綴ったブログを読み返してみて、そこに載せた写真の中から概ね各月毎にめぼしい写真をいくつか選んでみた。

 

 小さい写真ではその魅力を十分に伝えることができない。ブログでは動画やパノラマ写真も入れてあり、もっと見栄えすると思うのだが……。

 

 

 

 

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伊豆半島の自然 (5)

2011年02月15日 | 三金会雑記

  今冬は日本全土が異常気象で、北海道・東北・裏日本、さらに九州までもが記録的な豪雪の被害を受けているようだが、関東地区と静岡県だけはこれとは逆に年末から連日の快晴続き、空気は乾燥し寒さは厳しいが、陽光が絶えず降り注ぐ絶好の冬日和に恵まれてきた。

 

 冬の間はやらねばならない農作業はほとんどないから、年が明けてからというもの冬とは思えない明るい陽射しに誘われて、頻繁に歩き回っている。

 本年一月中にブログから歩いた箇所を拾い出し、列記してみた。


一月一〇日(月) 雪のち晴
大室山に隣接する岩室山頂の「シャボテン公園」の園内外を歩く。この日は「イトーの日」とかで伊東市民は入場料無料。夜来の雪が白銀となって園内を飾る。

 一月一二日(火) 晴
城ケ崎海岸沿いに作られた「自然研究路」を歩く。全長は六㎞もあるので、その一部「いがいが根」から「とよ」までの往復。

一月一四日() 晴
家内が伊東市街のスーパーで買物中に一人で「渚橋」を中心にして海岸沿いの国道一三五号線舗道と浜辺を歩く。

一月一六日(日) 晴
小室山の頂上に登ったあと山麓にある遊歩道を一周する。滅多に見ることができない房総半島まで望める。

一月一九日(火)
近くの里山「池地区」を一人で一周する。かつての農村風景を髣髴させる場所は伊豆では珍しい。しかも勾配のない平坦な道も散歩には貴重である。

一月二一日(金)
大室高原歩こう会」の新年宴会をかねた一月行事。三島大社を参詣後、源兵衛川の川中に設けられた遊歩道を歩き、「楽壽園」園内を一周する。

一月二二日(土)
稲取まで出掛け「花咲く丘」「浅間山」「触れ合いの森」を歩く予定だったが。時期的に工事場所が多くあまり歩けなかった。展望スポットのみ。

一月二三日(日)
近くの「さくらの里」公園を早咲きの桜を求めて一人で歩く。三波川冬桜・十月桜がわずかに咲いていただけ。

一月二五日(火)
下田御用邸近くから爪木崎の水仙群生地を一巡したあと、下田の安政年間米国領事館だった玉泉寺から「ハリスの小径」を歩く。水仙は最盛期。

一月三〇日(日)晴
達磨山登山後、伊豆海岸の秀麗な富士を眺めながら御浜崎・大瀬崎に車を走らせ、それぞれの岬を一巡する。

 

 なんと、一月間のうち「歩き」が一〇回を数える。三日に一日の割合でウオーキングやトレッキングを行ったことになる。
 ウオーキングの季節とは到底いえない厳冬のこの時期、こんなに歩いたことはかつてないことである。

 これは少々「キチガイ」じみているのかもしれない。

 伊豆では若い人が一人で黙々とウオーキングやトレッキングに励んでいるのによく行き逢う。こういう人はよほど「歩くこと」自体が好きなのであろう。


 でも私は連れ立って歩くのが好きだ。おしゃべりしながら歩く方がはるかに楽しい。幸い緒に歩いてくれる若いお仲間がいてくれるのはとても有難いことである。

そんなお蔭でこんな「歩き」になったともいえる。

 

 

 

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伊豆半島の自然 (6)

2011年02月15日 | 三金会雑記

 

 

 最後に、本年一月の「歩き」の中で撮影した写真から特別に気に入っている写真を四点ばかり次に掲げておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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雪が降る

2011年02月13日 | 日記

2月12日(土)

昨日から雪が降り始めて今日も一日降り続いている。数日前から晴とはいえ雲が多い天気だったが果たして。

これまではあまりにも快晴の日が続き、豪雪に悩む他地方の人になにやら申し訳ないような気持ちになっていたが、これで少しは気持ちが落ち着く。

とはいえ、雪景色は悪くはないが、行動が制限されてしまうのは困る。

ここ「大室高原」は大室山が噴火したとき流れ下った溶岩台地を開発した所だから、宅地は南斜面に作られており、道はすべて坂道となっている。したがって、雪が少しでも降ると車を走らせることには危険が伴い交通は閉ざされてしまうのである。

この雪ではしばらくは家からの外出を控えねばなるまい。その間、やれることといえば「パソコン」か「テレビ」か「読書」ということになる。

雪国の高齢者は長い雪の間はなにをしているのであろうか?ふっと疑問を感じた。

 

 

 






 

 2月13日(日)

雪は一昼夜降り続いたが翌朝はまたしても快晴。残雪が陽光に輝く。 だが、今日も外出は無理。

 

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温水プール通い

2011年02月10日 | 健康雑感

2月10日(木)

昨年11月19日「秋の天城越え」で17000歩という強行軍をしたせいで、家内が膝関節をすっかり痛めてしまい、歩けなくなってしまった。

病名は「変形性膝関節症」、これは10数年前にも経験したことでもあり、長距離のウオーキングでは当然注意しなければならなかったのだが、その後元気になっていたのですっかり忘れてしまったのが失敗だった。

ヒアルロン酸の注射などで痛みは大分収まったようだが、完治までには時間がかかりそうである。

医師のいうところによれば足の運動が効果的で、とくに膝に負担のかからない温水プールでの歩行が一番いいという。

天城越えで無理をさせてしまったのは私の責任だから、家内のプール通いに私もお付き合いすることになり、当分の間は週に2回、一時間程度のプール通いをすることにした。

車で10分も走れば「赤沢深層水スパ」がある。立派な施設だが利用料は¥1800と高い。
しかし午後5:00からは¥1000とのことなので、しばらく通うことにした。


「赤沢深層水スパ」の週一ではかならずしも十分でないので、もう一回はエクシブ伊豆高原のプールにも行くことにした。

こちらはエクシブの会員権があるのでタダである。最近はほとんど行かなかったの久し振りのプールである。

 

「赤沢深層水スパ」は噴射ジェット流の中を歩くだけで私には少し物足りないが、エクシブは温水プールなので泳げるのが有難い。


泳ぐといってもこの年齢では水中歩きが中心でたまに片道だけクロールや背泳をするだけだが気分転換になる。

 

昨日で「深層水プール」は3回目になるが、「歩く」だけのことから自分なりに少し工夫をしてみたらえらく具合がいい。

その一つはジェット噴射流に逆らって水中でジョギングの真似事をすること。短い距離だがなかなか前に進めないので結構時間がかかる。これで20分くらいは稼げる。

その二は「深層水プール」でお勧めの有料メニュー「フローティング・リラクゼーション」をまねてプールの中で両手を広げて仰向けに浮かんでみたら手足を動かさずともいつまでも浮かぶことができる。おそらく塩水だから浮力が強いからだろう。(この時間帯はお客が少ないからこれが可能)

メニュー解説によると母親の胎内で羊水に包まれた感じで心底リラックスできるという。これも10数分かけることができる。

歩くだけでなく、水中ジョギングとフローティングを考え付いたお蔭で、家内の歩行時間に合わせて時間消化ができそうである。

こんなふうなら温水プール通いも楽しくないことはないので、しばらくは続けられそう。

 

 

 

 

 

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3月の雛飾り

2011年02月08日 | 手作り

3月8日(火)-

3月の雛飾りを玄関に飾る。

 

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春を待つ野菜

2011年02月07日 | 園芸

2月7日(月)

2月に入ってから数日ほど暖かい日が続いたと思ったら、農場の野菜が冬の眠りから覚めたのか、急に元気がよくなった。

いまのところ、農作業としてやるべきことはほとんどないに等しいが、日に日に緑の色を増していく葉物野菜をみるのは楽しい。

 
ほうれん草


ちじみチシャ & サニーレタス

 

 

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節分

2011年02月04日 | 手作り

2月3日(木)

節分の日。明日から暦の上では春となる。心なしか暖かくなってきたような気がする。

玄関の壁に「節分の鬼面」(雛作りでは「鬼巾着」というらしい)を飾った。青鬼・赤鬼が揃った。

節分だからといって豆撒きをしなくなってから久しい。今は行事はなしでもっぱら「福豆」を食べるだけ。

大豆の煎豆は好物である。大豆は健康にもいい食品だという。しかし、この時期しかスーパーで売っていないのが残念。

 

 

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コレステロール値に関する二つのガイドライン

2011年02月02日 | 健康雑感
1月18日のブログ「健康雑感」でコレステロールと中性脂肪について大櫛doc.の所説に触れたところ「一方的な意見だけでなく他の意見も聞くべき」との苦言をコメントで頂いた。文章の感じではある女性医師からのものであるらしい。

このコメントのお蔭で、「コレステロール値」に関する「ガイドライン」なるものがあることを知り、早速インターネットで調べてみた。

コレステロールについては二つの学会からそれぞれ違った二つの「ガイドライン」があることを知った。
「動脈硬化学会」の「動脈硬化性疾患予防ガイドライン2007年」と「脂質栄養学会」の「長寿のためのコレステロールガイドライン2010年」である。

さらに脂質栄養学会のガイドライン対しては動脈硬化学会理事長名での反論の「声明」というのもあり、これには脂質栄養学会の再反論があった。

なんと、コレステロール値は高いのがいいのか、それともわるいのか、動脈硬化学会と脂質栄養学会とでは意見は真っ向から対立している。

どちらが正しいのか?医学を専攻したことのない者が基礎論文まで目を通し読み解くことなど不可能だから、常識に照らし両学会の申し分とこれを取り巻く状況から推論して、どちらの「ガイドライン」が正しいものとするか判断するほかない状況に我々は置かれているらしい。

二つの「ガイドライン」、および「反論」「再反論」を読み比べて、はっきり言えることは「脂質栄養学会」は「動脈硬化性疾患予防ガイドライン」を徹底的に否定する立場から出されたものだということである。

「脂質栄養学会」は以下に述べるような事実を指摘した上で「このガイドラインは、真に必要な情報をまとめ、無駄な、またある時は有害な医療をなくすことを目的として作成されている。」としている。

「動脈硬化学会のガイドライン作成者の多くは高脂血症治療薬メーカーから数千万あるいは数億の研究費を取得している。このような状態で、まともなガイドラインが作られるであろうか。
コレステロールを低下させるスタチン類は日本で年間 2500 億円の売り上げがある。関連医療費はその3倍。その中にかなりの税金が使われている。」

この指摘は重大である。この指摘について「動脈硬化学会」の反論は全くなされていない。その後に出された「動脈硬化学会」理事長の「声明」でもこの事実指摘を無視している。

仮にそれぞれが述べる学理が五分五分だとしても(私の理解できる限度では脂質栄養学会にかなり分があるが)、これに対する納得のいく釈明がない限り「動脈硬化学会」のガイドラインなるものは信用できないと言わざるを得ない。

それに、これは私の全く個人的体験だが、虚弱体質の義母が長年「とても高いコレステロール」を指摘されながら病院通いもせず93歳で肺炎でなくなるまでなんとか元気で過ごしてきたという事実がある。今ほど平均寿命が長くなかった11年前のことである。
個人的にはもっとも確かな信頼できる「エビデンス」である。

結論的に言うなら、私は「長寿のためのコレステロールガイドライン」を正当なものと信じて、「高いコレステロール・中性脂肪」を気にすることなく、これからの健康管理を考えていきたい。
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