5月9日 (月)
今回の連休は最悪だった。徹底的に冴えない日が続いただけでなく、なにをやっても不如意の連続。
振り返ってみれば、万事好調、「極楽とんぼ」でやってきた気楽な後期高齢者の生活が一変、この「素晴らしい緑の季節」だというのに[加齢」の重みが一つの節目となって一挙に押し寄せてきたかのようである。
連休に入った途端になんとなく咳が出るようになり、そのうち咳き込むようになつてからむやみに痰が出るようになった。
当初はあまり気にせず普通の生活を続けていたが、咳がひどくなり、痰も薄い灰色のものからだんだん色が濃くなって来た。身体の調子もなにかおかしい。熱を測ったら37.5度になっている。
これはちょっとまずいな! 間が悪いことに連休で病院は休み、連休が明けるまでは我慢して専らベッドで休養してればよかろうと、本やスマホを持ち込み、音楽を聴いたりテレビをみたりしていればなんとかなるだろうと軽く考えていた。
ベッドで寝ていたらそのうち治るだろうと高をくくったものの症状は次第に悪化しとうとう38度を超える始末。
それに、こんな時期に限ってなにかと不都合が起きる。
まず、寝室のスタンドの電灯がチラチラする。TVの録画機能がおかしくなっている。それに前から気にしていたTVのリモートヘッドホンが電池切れ、整理しようと思いながら放置され乱雑になった寝室の物入れ、必要な品が取り出せない。ベッドの上には使わなくなったホットパックがベッドでは邪魔、そのうちTVのリモコンが電力不足でおかしくなる。
普段には滅多に起こることなおない厄介な不都合が一度に生じるなんて……。
そんなベッド生活で、とうとうしびれを切らし連休の終わるのを待ちきれず、休日担当の病院を探して出掛けることにした。場所は遠く宇佐美まで、車の運転は幸い息子が一人、伊豆に遊びに来ていたので運転してもらう。
診察結果は風邪だが、老人にとって一番心配な肺炎には至っていないとのこと。点滴で抗生物質をしてもらったら37°半ばだった熱はたちまち低下し平熱に下がった。せきはまだ出る、鼻水も少々。まあ、なんとか治った。
車の乗り降りに息子が手助け・介護してくれた。はじめてのことである。なるほど老人が介護されるとはこんな風か衝撃的な体験となった。
ようやく連休が明けて、元の身体に一応戻ったかと思っていたら、今度はなんと家内の肩が痛いという。
咳はすこしあるものの気にはならないし、優先順位は家内のほうにあるからと整形外科病院に出かける。10日ほどベッド生活だったし、車の運転にはちょっと不安定を感じていたが……。
やはりいけなかった。帰りの車走行中にかなり広い直線の車道だったのに縁石に車輪をぶつけて完全パンク。体調冴えないなかでロードサービスを呼んで仮車輪に交換してもらいなんとか家まで辿り着く。
ホイールもいかれてしまっているので行きつけの車修理屋さんに電話し修理を依頼する。困ったことに外車のホイールは国産車と違って入手に手間取るという。ということはしばらく車なしの生活を余儀なくされる。
体調がまだ十分回復していない中での気を張るこんな仕事にほとほと疲れる。
この「最悪だった10日」を経てから、ようやく心を静めて思うことは、私も家内もこれまであまり心配することもなく平穏に過ごしてきたことは後期高齢者としては稀な幸運だったということ、そしてこんなことはいつまでも続かないかもしれない。
で、あるならこれからはいよいよ「終末期の準備段階」に入っていることを念頭において「あるべき生き方」を自分なりに真摯に考えねばなるまいということであった。
淡い緑の世界は、いつしか濃い緑の世界へと代わっていた。 時はたゆみなく遷りゆく。