伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

5月のIKOI農園収穫祭

2016年05月31日 | 園芸

5月29日    (日)    

IKOI農園オールメンバーによる久し振りの収穫祭である。天気は上々。小鳥の声、草木の香り、畑の中で緑に包まれているだけで幸せ。この居心地はなんともいえない。

この時期、もっとも苦手とする蚊が今年はいない。ブヨもいないし、蜂の姿もみえない。総じて昆虫の姿が少ない。これはとても有り難いことだが、反面、野菜の雌花に花粉を仲立ちしてくれる蝶々があまり飛んでいないのが気になる。土の中にはミミズが少ないのも……。

自然の異変か?なんだか気掛かりでもある。

ところで、今回の収穫のメーンは玉葱とソラマメ、いずれもびっしりと茂っており、想像以上の出来で収穫量はハンパではない。

玉葱の大きさが普通のサイズの3倍くらいのものもある。 

ソラマメは丈は低いが、実はたくさんついている。女性連は椅子に座って枝から豆を毟り取るのに大わらわ。

男性軍は玉葱、ソラマメを地面から引っこ抜いた後は、跡地の耕耘、トウモロコシ苗の植え付け、サツマイモの苗床作りなどいろいろな作業がある。

女性軍によって食事の準備は完了。 

 皆揃って乾杯!そのあとは飲む、食う、喋るでおおいに盛り上がる。

残った次なる収穫作業はジャガイモ。これは1週間後か。そしてその時にまたしても収穫祭?

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「対島の滝」と「橋立つり橋」を歩く

2016年05月25日 | ウオーク

5月23日    (月)    

伊東市の広報誌「いとう」5月号の表紙に若いカップルが見事な滝の景観を眺めている写真が掲載されており、その横に「対島の滝 展望台」とあった。 そうだ。「3/12のブログ」で歩いた時にはまだ工事中だった展望台がすでに完成しているのだ。

これは早速、観にいかねばと思った。

ちょうど家内が伊豆高原駅近くにある歯医者とスーパーに行くことになり、いつもは駐車場に停めた車の中で待ってる時間を利用して滝の展望台まで歩くことにした。

まずは対島川に沿った小道を通って展望台まで下り、展望台から滝を見た後、橋立つり橋まで足を伸ばしてから往復すれば、ほぼ1時間もあれば十分だろう。

「橋立つり橋」周辺を「門脇灯台・吊橋」周辺と同じように観光スポットとして市が整備を始めていたことは知っていたが、入口の前を走る道路にはいつのまにか「橋立つり橋通り」と名付けられており、対島川沿いの小道は表示板からなにからすっかり整備され様変わりしている。

今はちょうど「青葉の季節」、対島川の両サイドの樹木が緑のトンネルを作ってくれており、緑の葉裏を照らす陽光、吹き抜ける微風、若葉の匂い、まさしく最高の散歩道となっている。

 

 

その対島川が海に流れ込むところが滝になっている。これまでは滝の全貌を見るには、右手にある危険な崖を降りて「大淀・小淀」から見るほかなかったのだが、左手に新しく立派な展望台が作られていた。

残念なことには、しばらく雨が降っていなかったので対島川の水量がほとんどなく広報誌「いとう」の表紙を飾った堂々たる滝の姿はなく、これは拍子抜け。

だが岸壁を洗う波と青い海の広がりはなかなかのもの。これに海に注ぐ滝があればいうことあるまい。

展望台にはじめて立ってから「橋立つり橋」に向かう。対島川沿いの道はよく整備されたなだらかな勾配なので歩き易いが、吊橋までの道は自然のままの「自然研究路」の一部だから岩が露出していたり、危ない石階段だったりで結構歩きにくい。しかし気を付けて歩けば80老でもなんとか歩ける。

「橋立つり橋」の上から。

往復でほぼ1時間。家内はスーパーでまだ買物をしていた。

このコース、季節を変えればまた違った魅力がある。これからも一人歩きしたい。足元に気を付けて……。

 

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農作業に熱中する

2016年05月19日 | 園芸

5月19日    (木)    

ようやく元の体調に戻れた。なにごとにもやる気が出たようである。

朝早くからIKOI農園に出かけて一人で昼過ぎまでなにがしか農作業に勤しむ。

といったところで、老躯でできる作業はしれている。コンポストの移動、小松菜・大根・蕗などの収穫、雑草の除去、水遣りくらい。

だが、畑には蝶が舞わない、虫がすくない。土にはミミズは見当たらない。例年とはなにかが違う。ちょっと気になる。

が、それはそれとして、身の回りはすべて緑、焦らず慌てずのんびりと気の向くままに手足を動かして農園で時をすごすのは至福の刻。

収穫間近の玉葱

手前から大根、スティックブロッコリー、ジャガイモ、玉葱。

昨日Mr.ITによって植えられたトウモロコシの苗。

水槽には睡蓮の葉が広がっている。

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ブログのPVが100万を超える

2016年05月17日 | パソコン

5月17日    (火)    ☂

本日、「伊豆高原シニアライフ日記」の閲覧件数が100万を超えたことを知る。ブログのアクセス状況に「 閲覧 1,000,205 pv」と出た。

調べてみると、PVとはpage view、つまり「ページアクセス件数」のことで、そのブログが毎日何頁みられたを示す単位とのことで、日々これは更新される。

「トータル」とあるのは、そのブログが開設以来のアクセス総件数であるらしい。

100万といえば大変な数のようにも聞こえるが、思い返せばブログを書き始めたのが10年も前の2006年6月であるから、以来書き続けたものが100万ページ読まれたからといって別にどうということはないのであろう。

GOOブログの画面には直接表示されないが、別に平均PV件数というのもあるらしく、トータル閲覧をトータル訪問者で除したもの、つまりこれまで一人当たり一日何頁をみてくれたか、ということで「伊豆高原シニアライフ日記」の場合でいえば3頁くらいになるらしい。

ならたいしたものではない。この程度ならブログのビギナー段階からようやく脱出したというところだろうか。

 このブログを書き始めた頃を振り返ってみると、それまで私を縛っていた特別の仕事がようやくなくなって自由な時間をふんだんに持てる日常生活に入った頃で、暇に任せてパソコンを弄っていたら「ブログ」に関心をもつようになり、ブログの作り方も分かってきたので自分でもやってみようかと始めたものであった。

2009年6月の「伊豆高原シニアライフ日記」には「身辺雑記」として次のような文章を書いている。

「永住の地を伊豆高原に求めて18年、南には相模湾に浮かぶ島々、東には伊豆大島、西には天城連峰、そして背後となる北側には緑に覆われた大室山という絶妙の土地がもたらす素晴らしい景観と豊かな自然が生み出す様々な恵みに感謝しながら、とにかく元気で楽しく晩年の日々を過ごしたいと願いつつ生きる高齢者の生活記録」とある。

お蔭さまで、今日までこの願いはなんとか叶えられてきた。この年齢ではこれから先、なにが起こるか予測できないが、できることならこんな「極楽とんぼ」的生活を続け、それを支える一助にもなっているブログ「伊豆高原シニアライフ日記」を書き続けることができればと願っている。

こんなたわいのない文章や写真のブログでも読んで下さる方々に心から感謝します。 

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皐月の「置き雛」

2016年05月16日 | 手作り

5月17日    (月)   

昨日は家内の「吊るし雛教室」の日。Mrs.IW宅にいそいそと出掛ける。

だが、桃の節句の大掛かりな内裏雛作りが終わった後は、「教室」というよりお喋りと食事の「集まり」がその実態か。

そんなことで玄関の棚にはあまり変わり映えしない「置き雛」が飾られることになる。

季節は皐月、それにちなんだ花など。

 

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皐月の空の農作業

2016年05月15日 | 園芸

5月15日    (日)    

私の嗜好か性癖か知らないが、皐月の空の下、緑に囲まれた戸外にいるだけで私はおのずとハッピーな気分になる。

今日は朝からIKOI農園の一隅で心地よい陽光を浴びながら座り込んで、撤去したグリーンピースの枝からひたすら実を捥ぐだけの作業で半日が過ぎる。

グリーンピースを畑から撤去し、その跡地を耕耘し石灰を撒くという大作業はもっぱらMr.IWがやってくれたので、私の作業は女子供でもできる手先の単純作業。なのに午前中に全部やり終えそうになく、途中でMrs.IWの手助けを受ける。驚くほど成った大粒の実は採っても採ってもまだ後に残っているといった格好。

それにしても、今年のグリーンピースの出来は半端ではない。もう20年以上毎年IKOI農園で私のもっとも力をいれて作ってきたグリーンピースだが、これほど多量に収穫できたのは初めて。

豌豆類では、絹さやとスナック豌豆が先にでき、その収穫がほぼ終わったころ、グリーンピースの葉に白い粉をまぶしたようなうどんこ病が出はじめてようやく最後の収穫に入るのだが、今年はなぜかグリーンピースは青い葉っぱのままで、しかも一斉に大粒の実を成らせている。


Mr.IWがグリーンピース畑で作業中、小鳥の空き巣を見付けた。笹の枯葉でくるりと巻いた可愛い形をしている、ちょっと珍しいので後で写真にでも撮ろうかと近くに置いておいた。

作業が終わって、いよいよ写真撮影に取り掛かろうかと拾い上げてみたら、なにやら巣の中で蠢く赤いものがある。空巣ではなかった!よくみると生まれたばかりの赤裸の雛が一匹、それに赤い卵が二つ三つ。なんの鳥か?

なんとも可愛そうなことをした。グリーンピース畑の隣に月桂樹が植わっているので、その葉の茂みのなかにそっと置いてみた。親鳥がうまく見つけてくれることを願うのみ。


IKOI農園の周辺に植えられた柑橘類の花がいま咲いている。檸檬、甘夏、柚子、、スダチの花である。同じ柑橘類だが温州ミカンと金柑はまだ。

かすかな甘い香りが辺りに漂う。

檸檬
 

甘夏

柚子
 

それに柿の花も。
 

 

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一碧湖回遊に見る「丁子草」

2016年05月13日 | ウオーク

5月12日    (木)   

素晴らしい天気に恵まれた。雲一つない青空、暑くもなく寒くもない適温に爽やかな微風。

昨日は気を滅入らすような曇天の下で、長く続いた風邪から回復しているにもかかわらず、何事にもやる気力が湧かず身体を動かすことなくただ時間だけが流れていた。

しかし、今日は気分一転。外に広がる緑萌えたつ世界を眺めたら、きっちりやるべきことをやれるような気力が湧いてきた。

まずはやりたいと思ったことは、外を歩くこと。健康生活第一歩!

昨日、別荘に来て今夜遅く東京に帰るというのにMr.TBが一緒に歩いてくれることになった。目標地点は一碧湖、大沼、沼池を8の字型に一周する。

沼池の湿地帯ではこの時期に咲く絶滅危惧種とされている「丁子草」の群落を見る。地味な花であるが、緑の樹陰にこんもりと球形の叢の上を清楚に彩っている。

滅多に見ることができない花。

 沼池の眺望

沼池で泳ぐ鯉の群れ

 

飛翔する「アオスジアゲハ」? 4態を捉える。 

大池から緑の大室山を見る。

Mr.TBが病後の身体を労わってくれてゆっくり休み休み歩いたので、7000歩を3時間ほど。

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懐かしき亡友の手記を読む

2016年05月10日 | 三金会雑記

5月10日    (火) 

 この齢まで生き続けていると、多くの親しかった友達を喪ってしまっていることに思いが至る。

誰の言葉だったか忘れたが「長生きして一番辛く悲しいことは親しい友がいなくなっていること」だと。

まさしく実感である。思い出せば、いいようのない心のやるせなさ、淋しさ。しかし、かすかに残るのはそうした友と一緒に紡いでくれた過去の思い出。

共有した時間を思い起こさせてくれるのは、写真であったり、一緒に起居した場所だったり、ともに眺めた景色だったり……。

それにその人の手紙やその人が書いた文章。

そんな切っ掛けでブログに載せるにはちょっと場違いの感じもあったが、亡くなった友青野君の「三金会雑記」の古い文章を載せたら、なんと二三の方がコメントで彼の文章を絶賛してくれたではないか。

いつも過去の思い出を特別に大切にして文章を書いていた青野君ことだけに、私はとても嬉しかった。

そんな彼が酒席で愛唱していた歌。

「子供の頃に遊んでた 学生時代に付き合った いろんな友がいたけれど みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔

夜遅くまで座り込み 笑って飲んだものだった あの仲良しの飲み仲間 みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔

恋をしたっけ素晴らしい 美人だったあの人も 今は会われぬ人の妻 みんなみんな今はない ああ懐かしい古い顔 」

(彼の子供の頃は知らない。でも「美人だったあの人」には会えないどころではなく、みな「三金会会員」としてしょっちゅう会っていた。)

2017/4/20の「イン遁予定地視察」の記事から4年後に青野君の書いた文章を、風邪でベッドにいる間に読んだ「三金会雑記」から見出した。 25年前のものである。

  

 


 

「三金会雑記20号」のこの記事に続いていたのが、同じように親しくしていた赤野君(彼も亡くなった)の連載記事である。

「雑記」の記事は氏名の「アイウエオ順」で掲載されるから、青野の次は赤野ということになる。彼の筆力もなかなかのものだった。

 

 

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最悪の連休からの10日間

2016年05月08日 | 日記

5月9日    (月)        

今回の連休は最悪だった。徹底的に冴えない日が続いただけでなく、なにをやっても不如意の連続。

振り返ってみれば、万事好調、「極楽とんぼ」でやってきた気楽な後期高齢者の生活が一変、この「素晴らしい緑の季節」だというのに[加齢」の重みが一つの節目となって一挙に押し寄せてきたかのようである。

連休に入った途端になんとなく咳が出るようになり、そのうち咳き込むようになつてからむやみに痰が出るようになった。

当初はあまり気にせず普通の生活を続けていたが、咳がひどくなり、痰も薄い灰色のものからだんだん色が濃くなって来た。身体の調子もなにかおかしい。熱を測ったら37.5度になっている。

これはちょっとまずいな! 間が悪いことに連休で病院は休み、連休が明けるまでは我慢して専らベッドで休養してればよかろうと、本やスマホを持ち込み、音楽を聴いたりテレビをみたりしていればなんとかなるだろうと軽く考えていた。

ベッドで寝ていたらそのうち治るだろうと高をくくったものの症状は次第に悪化しとうとう38度を超える始末。

それに、こんな時期に限ってなにかと不都合が起きる。

まず、寝室のスタンドの電灯がチラチラする。TVの録画機能がおかしくなっている。それに前から気にしていたTVのリモートヘッドホンが電池切れ、整理しようと思いながら放置され乱雑になった寝室の物入れ、必要な品が取り出せない。ベッドの上には使わなくなったホットパックがベッドでは邪魔、そのうちTVのリモコンが電力不足でおかしくなる。

普段には滅多に起こることなおない厄介な不都合が一度に生じるなんて……。

そんなベッド生活で、とうとうしびれを切らし連休の終わるのを待ちきれず、休日担当の病院を探して出掛けることにした。場所は遠く宇佐美まで、車の運転は幸い息子が一人、伊豆に遊びに来ていたので運転してもらう。

診察結果は風邪だが、老人にとって一番心配な肺炎には至っていないとのこと。点滴で抗生物質をしてもらったら37°半ばだった熱はたちまち低下し平熱に下がった。せきはまだ出る、鼻水も少々。まあ、なんとか治った。

車の乗り降りに息子が手助け・介護してくれた。はじめてのことである。なるほど老人が介護されるとはこんな風か衝撃的な体験となった。


ようやく連休が明けて、元の身体に一応戻ったかと思っていたら、今度はなんと家内の肩が痛いという。

咳はすこしあるものの気にはならないし、優先順位は家内のほうにあるからと整形外科病院に出かける。10日ほどベッド生活だったし、車の運転にはちょっと不安定を感じていたが……。

やはりいけなかった。帰りの車走行中にかなり広い直線の車道だったのに縁石に車輪をぶつけて完全パンク。体調冴えないなかでロードサービスを呼んで仮車輪に交換してもらいなんとか家まで辿り着く。

ホイールもいかれてしまっているので行きつけの車修理屋さんに電話し修理を依頼する。困ったことに外車のホイールは国産車と違って入手に手間取るという。ということはしばらく車なしの生活を余儀なくされる。

体調がまだ十分回復していない中での気を張るこんな仕事にほとほと疲れる。

この「最悪だった10日」を経てから、ようやく心を静めて思うことは、私も家内もこれまであまり心配することもなく平穏に過ごしてきたことは後期高齢者としては稀な幸運だったということ、そしてこんなことはいつまでも続かないかもしれない。

で、あるならこれからはいよいよ「終末期の準備段階」に入っていることを念頭において「あるべき生き方」を自分なりに真摯に考えねばなるまいということであった。


淡い緑の世界は、いつしか濃い緑の世界へと代わっていた。 時はたゆみなく遷りゆく。


 

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