伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

迎春の準備

2011年12月31日 | 手作り

12月30日(金)

今年も残すところあとわずか。今年は総じてあまりいい年ではなかったが、来年は個人的にも世の中ももっと明るいものであってほしい。

新しい年を迎える物的準備も今日で終わり。

玄関の雛飾りなど

「IKOI農園」での新しい装い


Mr.IW&ITが朝から休息所の椅子・テーブルの汚れを落とし焼き入れを行うなど新春を迎えるためのリフレッシュ作業ですっかり新しさを取り戻した)

 


 

12月31日(土)

お節の準備


「ふみ」からの取り寄せ

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冬晴れの日が続く

2011年12月26日 | 日記

12月26日(月)

北日本や裏日本が大雪で苦しんでいるのに、伊豆半島では毎日快晴の日が続いている。なんだか申し訳にような気がしないでもないが、こんな日を無駄にしないようせめて暮れの家事手伝いくらいはしなければなるまい。と、いっても戦前育ちの80老男がやれることなどしれている。

なにはともあれ、戸外に出ることだ。

書斎からではなく庭から見る相模の海、そしてゴミステーションからの普段の帰道を二筋ずらしてみることができる天城の山々。

場所を僅かにずらしただけで違った景色が展開する。冬だというのに海も山も輝いてみえる。


庭から


近くの道から天城連山が一望

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裸木の魅力

2011年12月25日 | 花卉

12月25日(日)

クリスマスとはキリスト誕生の日だが、旧制高校理系の連中はこの日をクリスマスではなくニュートンが誕生した日と記憶していたと聞いた。

彼らは「クリスマス・イブ」を「ニュートン・イブ」と呼んでいたという。ちょっとペダンチックな匂いもあるが、キリスト教とは無関係な日本人にはこちらの方がいいのかもしれない。

それはそれとして、今日は素晴らしい冬晴の日である。真っ青な空が一面に広がっている。

抜けるような青空にすっかり葉を落とした裸木が屹立している様は人を惹きつける捨てがたい美しさがある。

春のやわらかい新緑の樹、初夏の光に葉裏をなびかせる樹、そして秋に色付いた葉をまとう樹、いずれもその美しさを人は讃えるが、冬枯れの樹は「枯れ木」として余り好まれていないようだが、凛呼として枯れ枝を空を突き刺すようにして聳え立つ大きな樹の姿は私の好みである。

そんな樹が南面する庭先に一本聳えていたのだが、今年になって切り倒してしまった。おかげで展望は凄くよくなったが、ないではないで、なんだか少し淋しくもある。

だが、北に接する隣家のコナラの樹が今冬ではそれを補ってくれている。

昨夜、お酒を飲んだので食事処に置いてきた車を「桜並木通り」を下って取りに行く。

葉を落とした桜木に囲われた道もそれなりに風情がある。

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糖尿病新薬「ジャヌビア」飲み続けて1年、その効果

2011年12月23日 | 健康雑感

12月23日(金)

糖尿病と診断されてから一体何年たったろうか?随分長い時間が経過している。これが「持病」というのであろうか。

だが、「糖尿病」と診断されたからといって、特別の症状があるわけでもなく、単に糖尿病の指標とされる血糖値やヘモグロビンAbA1cの数値が示す値が高いというだけのことだったから、「糖尿病」というより「高血糖症」というべきものと自己診断し「病気治療」というより日頃の「健康管理」の問題として数値をさげる努力でこれに対処してきていた。

しかし、加齢の影響もあるのであろうか、徐々にその数値が高まってくると、高血糖がもたらす合併症━これが本来の「糖尿病」、病気としての糖尿病 ━ の脅威がひしひしと迫ってくる感じで安閑としてはおれなくなり、「運動」や「食事」、体重コントロールなど日頃の健康管理だけでは到底間に合わないのではと思うようになった。

自分なりに危険水域と考えていたヘモグロビン(HbA1c)の数値がついに7.0%を超えたことから、日頃の健康管理(つい気を許して甘い構えになってしまう)だけでは対処するのは無理なのではと考えるようになり、これまで医者から勧められても極力避けてきていた糖尿病薬を併用せざるを得ないと心に決めたのが昨年12月のことである。

自分なりにインターネットを通じていろいろの糖尿病薬に関する情報を多方面で調べ上げ、その情報を基にして医者と相談して決めた薬が新薬「ジャヌビア」であった。

ジャヌビアという薬は、これまでの糖尿病薬と全く違った作用機序の経口薬(DPP-4阻害薬というらしい)で、糖尿病薬副作用としてもっとも心配される低血糖の危険はほとんどないという。

しかも、一日1回ジャヌビア50㎎を服用するだけでいいという手軽さもいい。

「ジャヌビアの効果」 2011/7/7 のブログ

こうして、ジャヌビア服用を決断してから今日までちょうど1年が経過した。この間、毎日怠りなく1錠を朝食後飲み続けてきた。

その結果が下表のとおりである。毎月1回、薬を貰うために病院を訪れた際にHbA1cの血液検査をしてもらう。その各月ごとの検査結果の数値である。

飲み始めたとき7.1%だったヘモグロビンHbA1cの値が若干の起伏はあるものの毎月確実に低下していき、一昨日の検査では最低値である6.3%まで下がった。(血糖値は食後6時間経過で125mg)

これだ安心するのは早計かもしれないが、6.3%といえば糖尿病コントロール評価の国際新基準に照らし、「優」に近い「良」である。これを以て満足しなければならない。あとはこの辺りの数値で推移できればいうことはない。

この一年、期待していた数値にようやく達したことを祝って祝杯を上げたい。ただし飲み過ぎない程度に……。

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久し振りのウオーク (稲取クロスカントリーコース)

2011年12月20日 | ウオーク

12月20日(火)/

ゴミステーションからの帰り道、Mr.ARに出会う。午後から久し振りの歩こうということになった。

最近はいい天気が続いていたものの気温は低く、園芸や散歩など戸外活動の気分にはなれず、すっかり遠ざかったまま書斎でパソコンを弄るだけの怠惰な生活で推移してきていた。

そんな閉鎖的環境から来る鬱積した気分に区切りをつけ「気分一新」と行きたいところと思っていた矢先である。

また、少し長い距離を歩いてみて、その後の股関節の調子を確認するのにいい機会でもあった。(「KIK療法」の励行で自覚的にはかなり回復していると思うのだがどうか?)

冬至を間近にしたこの時期、日没は4時半頃になるのを考えると、稲取のクロスカントリーのコースを一周するには少々遅きに失したのではと心配したが、なんとか間に合っただけでなく、以前よりコースの整備もよくなされており、予想以上の景観を楽しむことができた。

矢張り、最高のポイントは途中の展望所から一望する伊豆諸島と稲取の街並。島々がこんなにくっきり見えるのは珍しい。

5㎞のコースにみる初冬の景観も悪くない。

知らなかったが、ここには椿や山茶花の樹がコースの両側に沢山植えられている。

椿は今はしっかり固い蕾を付けている。あと1月もすれば相当に見応えある場所になるのではないか。

 

歩数は7764歩、問題なく歩けた。変形性股関節症は確実によくなっていることを確認。

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「IKOI農園」冬景色

2011年12月12日 | 園芸

12月13日(火)

「IKOI農園」の冬支度がほぼ終わった。これから春までは雑草も生えないし、虫もいない。

春を迎えるまでの作業といえば、毎日残菜をコンポストに投入してEM液をふりかけて土を入れるほかは、たまに青菜などを収穫するくらいで、あとは寒さに堪えながら育っていくけな気な野菜類を見回るだけである。

春を迎えるまで本格的な農作業はない。なるほど、これがいうところの「農閑期」という奴なのか。

冬になったとはいえ「IKOI農園」には様々の野菜類が植えられている。太陽が燦々と降る日にはみんなすこし元気を取り戻すが、酷寒で氷が張り霜柱が立つ様な日には、み

んなうなだれひたすら時の過ぎゆくのをいじらしく待っている。

 

玉葱(保温対策ばっちり)

今の時期、椎茸の成長はとても遅い

鈴なりのレモン

甘夏と温州ミカン

東側から
 

西側から

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早くもクリスマスと正月がくる

2011年12月11日 | 手作り

12月11日(日)

今年も終わりに近い。早いものだ。心理学者ジャネの法則通りに、超高齢者の時間は年々確実に短くなっていくのを実感させられる。

年の終わりに近づいたからといって我々の年代の者の生活に特段の変化があるわけではないが、女性の場合は少し違う。これまでの習慣からそれなりの準備みたいなものもあるようだ。

形だけでもクリスマスと正月を迎える準備が必要らしい。

その一つ、玄関の棚の置き雛が取り払われ、ささやかなクリスマスの飾りに変わっている。

キリスト生誕を祝うクリスマスなんてクリスチャンでない者にとって全く意味がないお祭りだと思うのだが、いつのまにかクリスマスは日本社会の行事としてすっかり定着してしまったようだ。

クリスマスイブに酔っ払いが教会の前を通りかかり、クリスマス・ツリーが飾られているのを見て

「へぇ!教会でもクリスマスをやるのか!」

と言ったという話があるが、今の日本人はこの酔漢を笑えないのでは……。

 

クリスマスは別として、正月はまだ日本人にとって最も重要な世俗行事であることは間違いないし、干支も忘れ去られてはいないようだ。

来年は「辰」(竜)年である。 正月には辰にちなんだなにかが必要なのだろう。

今年最後の吊るし雛教室で、家内は「辰」の置き雛を作ると言っている。


これは借りてきた先生の作品、えらく難しそうだが、これを見ながら作るらしい。

――――――――――――――――――――――

「吊るし雛教室」の先生を中心にしてお仲間たち大集合

 

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「奥の院」の秋の気配 ③

2011年12月07日 | ウオーク

12月5日(月) (その三)

ようやく奥の院に至り、遅くなった弁当を食べる。ここもまた、全き静寂の中に秋の気配が横溢していた。

駐車場横

「奥の院」上り口

弘法大師が修業したところと伝えられる

下り階段

「桂大師」への上り口

この日の総歩数は14913歩。翌日に変化なし。変形性股関節症克服の日は近い!

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「いろは道」(修善寺から奥の院まで)を歩く  ②

2011年12月07日 | ウオーク

12月5日(月) (その二)

「修善寺」から「奥の院」までの遍路道?「いろは道」には、道筋に沿って「いろは」48文字を刻んだ石柱が建てられていることを知ったのは今年の5月のことである。

いつかこの道を歩いてみたいと話し合っていたのが、実現した。

ブログ 5月7日 修善寺 ━ 奥の院 の「いろは道」

修善寺の門前に置かれた「い」文字を刻んだ石碑からはじまり、「奥の院」の入口辺りに置かれた石碑「ん」で終わる5㎞のコースに「いろは」48文字を刻んだ石柱・石碑が建てられているというので、折角なら、これをたどってすべての石柱・石碑を見逃すことなく歩かねばならない。

だが、最初から迷ってしまった。修善寺門前の「い」の次の「ろ」が見付からないのである。

近くに住むおばあさんに教えられてようやく発見、前途多難を思わせたが、その後は地図を頼りに歩けばおおむね道の左右端にあるのを見付けることができた。なにしろ10人20の眼で探すのだから見落としは少ない。

ただ、それぞれの石碑は等間隔に置かれているわけではなく、また違った時期に再建されたものもあって形は様々、特に苔むし古色を帯びた古碑(中には読めない変体仮名もある)では文字の判読が難しく、行きつ戻りつ確認しなければならないこともあって、5㎞の道程を2時間余かけてしまった。

一つだけ「ら」の碑を見逃したが、これは車での帰り道にそれらしき辺りに降りて探索した結果、ようやく発見した。この碑は「いろは道」から分岐した道にあり、見逃したのも無理はなかった。

いろはにほへ

とちりぬるを

わかよたれそ

つねならむう

ゐのおくやま

けふこえてあ

さきゆめみし

ゑひもせすん

途中の田園風景

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旭滝・修善寺の秋色 ①

2011年12月07日 | ウオーク

12月5日(月)  (その一)      

「IKOI農園」メンバーのほかご近所の総勢10名が3台の車に分乗し修善寺を中心とした中伊豆のトレッキングを楽しむ。(Mr. & Mrs.IT・TB・TD・ON、Mr.IW・KD)

まずは修善寺の南、136号線沿いにある「旭滝」に立ち寄る。

「旭滝」は朝日に映えるその姿から名付けられたという。 8:30 大室高原を出発したから時刻よし、時期もまた紅葉が美しい晩秋の季節ならではの美しい景観で、みな満喫する。

―――――――――――――――――――――

それから「修善寺」に向かう。ここを起点として「奥の院」まで5㎞の「いろは道」を歩むのが本日のトレッキング・コースである。

山の麓にある「奥の院」から歩けば緩やかな下り道で、ゆっくり歩いて1時間半の楽なコースだが、「修善寺」の「い」からはじまり「奥の院」の「ん」で終わる「いろは」の石碑を見ながらの「お遍路道」?だから、上り道を厭うて逆順で歩くわけにはいかない。

そこで、車3台を先発させ2台を「奥の院」駐車場に駐め、1台が戻っくることで、全員が「い」の石碑から出発することにした。

車が「奥の院」に向かっている間、残った者は暫時、竹林と紅葉があやなす近くの「竹林の小徑」を散歩する。

修善寺鐘楼

独鈷の湯

遊歩道「竹林の小径」

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変形性股関節症の克服 (「三金会雑記」98号の原稿)

2011年12月02日 | 三金会雑記

12月2日(金)

足腰にはそれなりの自信があった。この年齢では山登りは流石に無理だが、多少の坂があっても二万歩くらいならさほどの疲れを感じることなく歩くことができていた。

(それでも昨年春には天城連峰の「万二郎岳」を越え最高峰「万三郎岳」の頂上を極めた。しかし、それが限界であることをその時に思い知らされた。)

2010年6月6日 天城の万二郎・万三郎岳登山

 そんな私が突如「変形性股関節症」に悩まされ、歩くことへの自信をすっかり喪失してしまったのである。

これまで歩くことなど当たり前に思っていたが「歩くこと」に難渋するとは! 私にとって全く想定外の事態の到来である。 

ことの起こりは今年の六月「大室高原歩こう会」である。 

この日のコースは、源氏再興の挙兵をした頼朝が石橋山合戦に敗れ、土肥実平の手引きで隠れ潜んだという「しとどの窟」がメーンで、その後土肥城址から延々と続く長い下りの舗装道路を、途中で休憩することなくひたすら湯河原駅まで歩き続けたのがいけなかった。
(この日、歩数計が記録した総歩数は一万六、七二九歩)

2011年6月16日「大室高原歩こう会」

の日は脚に多少の疲れ残った程度で収まったと思っていたら、翌朝になったら右脚に違和感を覚えるようになり、日を経るにしたがって右太腿部・膝頭やお尻あたりに軽い鈍痛を感じるようになった。

はじめの頃、この痛みは数日で治まっていたが、再発するようになり鈍痛は右脚の付け根あたりに集まってきて歩くと右脚を引きずる無様な姿になってしまった。

 そのうちさらに進んで、立ち上がりや歩き初めの時に脚の付け根に痛み走り、すぐには脚を前に進めることができなくなる変形性股関節症特有の「始動時痛」の症状が出て、立ったり座ったりの日常生活に支障さえ生じるようになってしまった。

このような「変形性股関節症」は、加齢により股関節の軟骨が擦り減っていたところに無理をしたことから発症するとのことで、高齢者によく見られる病気だという。

 当地に来て二〇余年、「歩くこと」「園芸作業をすること」「パソコンを弄ること」を趣味として生きてきた私にとって、これは大打撃である。

 歩けなくなるということは、「トレッキング」はもとより「散歩」もダメ、園芸作業もほどほどにしかできないということであり、残るはパソコンのみ、私の老後生活の楽しみが二つながらに失せ、先行き暗澹たる想いですっかり落ち込んでしまった。

このさき、この脚は一体どういうことになるのであろうか?

インターネットを使って「変形性股関節症」に関する情報を徹底的に調べてみた。

そこから知ったことは、事態が予想していた以上に深刻なものらしい。

変形性股関節症には「前期」「初期」「進行期」「末期」という段階があって、年単位で段階を追って慢性的に進行していくという。

そして、痛みも少しずつひどくなり末期になると動きは大幅に制限されついには寝たきりになるというのである。

私の場合、痛みは歩行時のみで「持続痛」までには至っていず、脚の動きからみても「前期」の段階にあるらしいが、加齢により発症したものの治癒ははなはだ難しいという。

この病気に対する抜本的な治療法を探ると「手術療法」しかないようで、痛みのある患者に対してはほとんどの医者は手術を勧めるらしい。

手術そのものは二時間くらいで済むようだが、その後にリハビリをかねて数週間の入院生活が必要であり、自宅療養になった後も通院でリハビリを続け、治癒したとしても半年に一度の定期検診は欠かせないという。

「手術療法」でない場合は、できるだけいい状態を維持して進行を遅らせる「保存療法」で対処するほかないとのこと。

「保存療法」は、理学療法(リハビリ)が中心で、杖・装具の使用による股関節にかかる負担の軽減、体重のコントロール(減量)、筋力増強訓練(ストレッチ・ウオーキング・水中運動など)で展開され、負荷を減らすため歩く距離の限界をよく見極め決して無理をしないことなど、極言すれば現状維持の消極的な対策でしかないようである。

このほか関節の血行を良くするための温熱療法、痛みには消炎鎮痛剤の薬物療法といったものも掲げられている。

私の場合は、その症状からみて、当面は手術の必要性は薄いが、いずれにしてもこれから先のことを考えると大変なことになった。

八〇歳を超えた超高齢者だから、当然体力が落ち回復力は弱まっていようし、これから先の生きる時間も限られていることを思うと、手術・リハビリ・検診といったQOLを低下させる長期間にわたる「手術療法」の選択肢は考えられず、「保存療法」に頼るしかないと考えた。

そこで、更に詳しくインターネットで「保存療法」に関する情報を探ってみた。

そこには現代医療のみならず代替医療を行う病院や治療院・施療院での各種各様の療法(基本的理念に大差ないが)が紹介されていた。

そんな中で、特に注目したのが、東洋医学・代替医療・メンタルケアのサポートをする「日本東洋医学財団」の「KIK療法」である。

難病請負人」を自称する中村司理事長が

「私は変形股関節症については日本一詳しいと思っている」「変形性股関節症は決して難しい病気ではない」「一日七分の運動(「KIK療法」)を続ければ、股関節症の痛み、運動の制限はなくなる」

Youtubeの中で公言しているのである。

その確信に満ちた言動に感銘をうけ、この「KIK療法」に賭けることにした。いや、賭けるというよりこれ以外に私の頼るところはないと思ったのである。

「日本東洋医学財団」が治療法の選択基準として掲げる「八つの基準」も気に入った。

最善の治療とは、「①薬を飲まなくていい ②手術をしなくてもいい ③経済的に安い ④早く効果が感じられる ⑤気持ちよく続けられる ⑥無理なく毎日できる ⑦患者本人が一人でできる ⑧自宅で簡単にできる」だという。

早速、変形性股関節症の治療方法「KIK療法」を解説するDVDを一万二、八〇〇円で購入した。たかがDVDにしては値が張るとは思ったが、健康のためお金を惜しんではならない。 

そのDVDによると「KIK療法」の所要時間は「仙骨位置修正体操」が二分、「KIK体操」が四分で、「仙骨位置調整体操」は一日二回、「KIK体操」は一日一回で、一日たった七分(二分×二回プラス四分)でできるという超簡単なもの。
全く拍子抜けするほどシンプルな体操で、果たしてこれで効果があるのかと心配になった。 

 しかし、驚くべきことにすぐにその効果が現れた。九月三日にDVDを注文し、その説明に基づき「仙骨位置修正体操」と「KIK体操」を始めたのだが、月末には効果らしきものが確認できたので、すっかり気を良くし毎日一回でなく数回繰り返し行うようになった。 

 以来、三か月たつ現在も怠りなく続けた結果、股関節の痛みをあまり感じなくなり、一日一万歩くらいなら歩いても翌日に悪影響が出ない程度に改善してきている。

もっとも、「始動時痛」は軽くなったものの完全にはなくなっていないが……。

「日本東洋医学財団」に対する信頼が高まったことから、同財団が推奨する「血行を良くする温熱医療機器「超こだわりホットパック」も購入することにした。

これは遠赤外線の温熱効果を利用した治療器で四万九、八〇〇円とやや高価なものであったが、使ってみてまことに具合がよろしい。

(インターネットでこれに類する遠赤外線治療器を調べてみると高いものは数十万円するものもあれば数千円というものもある。)

これを身体に当てて寝るとまことに気持ちがいいのである。これまで冬になると使っていた電気あんかの熱と全く違った暖かさである。至極気持ちのいいやわらかなぽかぽかした暖かさで、これで血行をよくし股関節の痛みを改善するだけでなく、そのほかいろいろな病気にも効くというのだから、医療器具であるとともに暖房器具としても十分役立つ。

 長年「変形性膝関節症」を持病として悩んでいた家内(最近は随分良くなってきているが)にも試しに使わせてみたら、すっかり気に入られてしまい、なかなか返してくれない。

そんなことで別にもう一台購入する羽目になってしまった。

現段階ではまだ「変形性股関節症」を完全に克服したとは言い難いが、この年齢で「完治」が難しいというのであれば、痛みがなく、脚の動きに制限がなくなり、一万歩以上を自由に歩くことができれば、それで十分である。

これからあと一年くらい「KIK療法」を励行し「ホットパック」で身体を温めることを続けたら、「変形性股関節症を克服した」といえると思う。

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