3月31日(土)風強し
GoogleのフリーソフトPicasaでのコラージュの使い方がようやく分かるようになった。
随分前から闇雲に弄りまわして使ってはいたが、これからはいろいろなやり方で楽しめそう。
取り敢えず、IKOI農園の白木蓮の開花状況を3分割でコラージュにしてみた。
今日の激しい雨で白木蓮は相当に痛めつけられているかもしれない。とすると、昨日の写真が全盛期ということになる。
3月31日(土)風強し
GoogleのフリーソフトPicasaでのコラージュの使い方がようやく分かるようになった。
随分前から闇雲に弄りまわして使ってはいたが、これからはいろいろなやり方で楽しめそう。
取り敢えず、IKOI農園の白木蓮の開花状況を3分割でコラージュにしてみた。
今日の激しい雨で白木蓮は相当に痛めつけられているかもしれない。とすると、昨日の写真が全盛期ということになる。
3月29日
晴が続く。歩くのに最適の気候である。久しぶりに桜並木を徒歩で降りて買物にでかける。
かつてない寒さで桜並木のソメイヨシノはまだ一輪の花もさいていなが、駅周辺では早くも「桜まつり」が行われている。
自然相手の行事だからこうしたちぐはぐなことになるのはやむを得ないが、花の咲かない花祭りとは!
人気、車のない桜並木通り
店は出揃ったが……。
伊豆高原駅構内に飾られた下田八幡太鼓祭りの「太鼓台」
帰りの坂道を登って我が家近くの「IKOI農園」が見えてくるとホッとする。
春である。途中で様々の花に出会った(馬酔木ピンクと白、ミモザ、雪柳)
(アオキ、ローズマリー、雑草いぬふぐり、キブシ)
庭の花壇のクリスマス・ローズ(今頃咲くとは?)
庭の花壇の水仙
夕暮れになると西の空が
3月27日(火)
素晴らしい天気に誘われ、午前中は赤沢のDHC施設の裏、海岸沿いに作られた原生林の遊歩道をMr.ARと散策したが、少し歩き足りないということで、午後からはかねて聞き及んでいた宝島社が高室山で工事しているという「馬の放牧場」を覗いて見ようということになった。
軽い気持ちで竹藪の中に作られつつある馬道(馬のひずめ跡が続く)をたどっていくと、高室山頂上に向かう工事用の道路(やがてエントランスロードになるのだろう)に出たので、その先なにがあるのか確かめようと上っていったら、意外や意外、大々的な建設現場にぶちあたった。
高室山頂上が広く切り拓かれ、大掛かりな厩舎や付属施設、そして放牧場が既に作られている。
やがてすべての工事が完成すれば、相当に大きな観光施設が出来上がると思われる。
既に数十頭の馬が放牧場や厩舎に居るのに驚いた。
小室山や初島などを一望できる高室山頂上。
頂上に向かう工事用道路からみるユーカリ林。
山を巡ってこうした馬道が幾筋もできるのか。
赤沢 遊歩道から
」
なかば朽ちた巨木や太く捻じ曲がった蔓、岩石にまとわりつく蔦、幹に浮き出た奇妙な文様など、ここは太古の茂みを思わせる。
総歩数11311歩となる。 歩くことは歩けるようになったが、坂を上がるときの脚の踏ん張りがきかない。変形性股関節症は克服できたようだが、昨年とは脚の具合がなにか違う。やはり歳相当の骨肉の衰えかと思う。
3月26日(月)
晴天が続き、遅れ気味だったIKOI農園の農作業も本格化。雑草を除去し耕耘、施肥、そして畝立て、そして菜類の播種。
これからは、収穫は別として、でくるだけ見た目にきれいな畑にしたいと思っているが、やり遂げることができるかどうか。
書斎から見る「IKOI農園」全景(豊後八重梅のピンク、白木蓮の白、菜の花の黄色、そして甘夏の黄色が彩を添えてくれている)
3月22日(木)
暖かくなった。いよいよ春の訪れである。「IKOI農園」の豊後八重梅は目下満開。もうすぐ白木蓮も花開き、春の農作業と宴を待っている。
この日の作業は昨年秋に伐採したコナラの大木を椎茸原木として菌の打ち込み作業が中心。
3月21日(水)
「大室高原歩こう会」3月行事は中伊豆方面のウオーキング。
出発時点で素晴らしい晴天に恵まれたと思っていたら、河津に向かう海岸沿いの国道で俄かに重い雲に覆われ始め、河津から天城に向かうループ橋あたりからはバスのフロントガラスを濡らす雨模様に変わる。
そして、天城トンネル辺りに向かう頃にはなんと、雨粒が大粒の吹雪きに変わるというこの時期には考えられないような異変に遭遇、これではウオーキング自体の実施も危ぶまれるという事態となった。
しかし、ウオーキング出発地の「昭和の森会館」に着いたとき、奇蹟のようなことが起こった。
「一天俄かに搔き曇り」の逆、瞬時に暗く重い雲が吹き払われ、抜けるような青空に転じた。
その青空の下、「昭和の森会館」から「踊子歩道」を通って「滑沢渓谷」をのぼり「太郎杉」に到る。
清流が一枚岩を洗う滑沢渓谷
山葵田
林道を抜ける
終点「太郎杉」
[昭和の森会館」に戻り、昼食。
狩野川城址に向かう。途中で法泉寺の樹齢380年というしだれ桜を見る。例年の開花は彼岸以降というが、今年の異常な寒さ続きで花はまだない。
長い間風雪に耐えてきたこの樹齢から致し方ないことながら衰頽が激しく、その姿は痛々しいほど。
これを補うように桜に傍らに植えられた大きな椿の木が逞しく沢山の花をつけていた。
狩野城跡公園は1100年前の平安末期に築かれた中世の山城の遺構を中心に目下公園として整備されつつあるようだ。
本廓のほかいくつかの廓跡を巡る小山のハイキングコース、歩いただけでとくに見るべきものはない。
東廓から(ここが最高地点?)
その後に、明徳寺の参拝。
なんの変哲もないお寺だが、「東司」、つまり「トイレの神様」を祭るという神社ならぬお寺という奇妙なところ。
この寺の「東司まつり」は、伊東の「音無神社」の「尻つみまつり」、稲取の「どんつくまつり」と並んで「伊豆三大奇祭」だという。
この日、15874歩。なんとか歩けた。以前のようにすいすいと歩くわけにはいかないが、ここらあたりが変形性股関節症回復の限界であろうか。
3月19日(月)
中村仁一「大往生したけりゃ医療にかかわるな」を読んだ。おおいに納得する。
これまで私が考えていたようなことを、ズバリ歯に衣をきせず言っている。
(話題が深刻なものに考えられるからであろうか、多分意図的だと思うが、ことさらに冗談めかしてというか、ふざけ半分の表現をするところがあり、私にとってその部分が目障りで、本の価値を低めているように思えるのは遺憾。)
80歳代になると「後期高齢者」という大枠のくくりから外れるように思えていたが、なるほど「超高齢者」という言葉があるようで、これの方が私にはどうもしっくりくる。(85歳以上を「超高齢者」というらしいが、法的用語の「後期高齢者」とは違うからこの辺はアバウトでいいのでは)
したがって、この本の納得度は、当面「超高齢者の健康」ということに限定しておいた方がいいのかも...。
この本の中で、私が特に注目したフレーズは以下のとおり。
「本来、年寄は、どこか具合が悪いのが正常なのである。不具合のほとんどは老化がらみだから、医者にかかって薬を飲んだところで、すっかりよくなるわけではない。」
「年をとるということは、高齢の障害者になるということに他ならない。」
「生活習慣病の特徴は、「治らない」「治せない」「予防できない」「すぐに死なない」。…治らなくてもいいと諦め、上手にお付き合いをすることが肝要」
「感染症と異なり、難病、生活習慣病は、その原因が体質や素質(遺伝子に問題)、悪い生活習慣、老化など多岐にわたり、特定できない。したがって除去、撃退不能のため、完治ということはない。」
「精密検査をすれば、確かに詳しくは分かるだろうが、その結果を踏まえて好転させる手立てがあるかどうかが重要。」
「以前は「正常値」といわれたが、今は基準値とか基準範囲といわれる。「基準値」は健康人の95%が含まれる値に設定されている。健康であっても5%の人は外れる。しかも若者のそれである。
検査項目は複数である。理論的には10項目で59.87%、健康人10人のうち4人強はどの項目かが基準値を外れる。30項目なら約8割の健康人がひっかかる。
2011年人間ドック受診者300万人で「異常なし」が8.4%だった。いずれにせよ検査結果の賞味期限は当日限り。」
「集団で比較した場合に、統計的に意味のある差があった、つまり有効だったということだが、有効グループの全員に効いたのではなく、効かなかった人もいる。ただ、集団で比較すると効ありといえるだけで、特定の個人、貴方にも有効といっているわけではない。」
「「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあがらわず、医療は限定利用を心掛けることが大切。」
「「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはず。医療が濃厚に関与することで、より悲惨でより非人間的なものに変貌させてしまった。」
「ほとんどの医者は、自然死を知らない。人間が死んでいく姿を、見たことがない。」
3月20日(火)春分の日
暖かく、快晴。ようやく「春が来た」
富戸海岸の城ケ崎桜が満開。この桜がもっともソメイヨシノに近い。
3月16日(金)
「KIK療法」のお蔭でどうやら「変形性股関節症」を克服できたような気がする。歩くことへ不安が薄れてようやく自信がついてきた。
晴とはいえ、まだ気温は低く、風は冷たいが、週2回のゴミステーションへの往復を利用して近所を徘徊して30分ほどの「散歩」に位置づけ、できるだけ散歩することを心掛けたい。
これからの時期、梅、桃、桜の花をはじめ自然が織りなす美しさを散歩の路上で楽しもう。
桜の種類は不明だが、満開に近い。
あちらこちらで見掛ける椿はそろそろ終わりに近い。
新種の「伊東小室桜」だとか、Mr.IWから頂いたので室内に飾る。
我が家の庭の「豊後梅」がようやく花開いた。
「IKOI農園」の菜花。食用から鑑賞へ。
3月14日(水)/
今年の桜の開花は本当に遅い。
家内がスパー「ナガヤ」で買物をしている間に、ちょっと散歩の足を伸ばして伊豆高原駅高原口から国道に向かう道の両側に植えられた早咲きの「オオヒガンザクラ」の開花状況を見に行く。
まだ、2分咲きといったところか。ブログでみると昨年の開花状況は3月11日満開とある。
散歩の途中に見掛けた「沈丁花」、高い香りをはなっている。高台にある我が家の沈丁花はまだまばらの開花、海に近い駅付近とは随分気温に違いがあるらしい。
3月12日(火)/
久し振りに東京に行く。大震災後の長期にわたった列車運行の混乱、さらにはその後の変形性股関節症の発症による歩行不安もあって、ほぼ1年ぶりの東京行きである。引籠りの生活からの脱皮? まだ寒さは厳しいが春に向かう街中の景色に懐かしさを感じたのは意外だった。
伊豆高原駅の待合室とホームの間に植えられている2本の桜(多分河津桜?)が満開になっていた。これが今年の桜の花の見初めである。この異常な寒さ続きでいつもより1月近く遅れている。
新幹線の車窓からみる丹沢山地はアルプスを思わせる雪山になっていた。3月中旬なのにこんな景色を見ろうとは!
思わずカメラを向けてみた。
こんな大山を見たのは初めて。
それぞれの駅の乗継と階段の昇降、会議のあるホテルまでの往復ウオーク、歯科医院までの往復ウオーク、たったそれだけの歩きなのに帰宅して歩数計をみたら8326歩とある。
当初、駅の階段の昇降では足がふらつき少し心もとなかったが、次第に慣れてきた。これは股関節の不具合というより、脚の筋肉の衰えからきているものと思われる。股関節症は治癒したと考えたい。
いずれにせよ、東京行きはちょっとしたトレッキングと同じだ。
3月11日(日)/
ようやく太陽が雲間から現れ、大地を温めはじめた。地虫が這い出るとされる啓蟄(3月6日)はとうに過ぎたが、まだ虫の姿をみることはない。
しかし、地面に広がる植物は心なしか緑の色を増しつつあるように見える。
門柱の傍らに自生の春蘭がひっそりと花を咲かせているのに気付いた。(当地の空き地のあちらこちらにこの春蘭が生えていたのだが最近はあまり見かけなくなった。)
確実に春はそこまで来ているのだ。
3月7日(水)
昨日、今日と二日続いて晴だと言っていた天気予報が覆り、またも春の日差しから見放されてしまった今日の天気だが寒さだけは随分和らいだようだ。
必ずしもウオーキングに最適という日ではなかったが、松川湖畔「梅広場」の梅の開花を当て込んでMr. & Mrs.KZを誘って松川湖畔を一周(4.8㎞)する。
このところの寒さで梅はまだ6、7分咲きといったところか、日の光を受け香高い梅花の鑑賞というわけにはいかなかったが、紅白咲き分けた梅林はそれなりに出掛けた価値はあった。
松川の流れ
この日の総歩数11356歩、なんとか歩けた。
3月6日(火)
昨日に比べて気温は10℃も上がったという。あんなに寒かったのが嘘のような陽気である。
暦の上ではとっくに春だというのに、長い間、陽光の恵みから見放された冷たさの中で戸外を出歩く気分にはなれなかったが、ようやくウオーキングに心が向かった。
「KIk療法」による変形性股関節症の改善度合いを確認するための「試歩き」という思惑もある。
ようやく晴渡った午後からMr.ARと池地区の田園地帯を小1時間ほど歩く。
畦道には暖かさに誘われて若草が萌えはじめており、稲の切り株を残す田圃を浸す水面にきらめく陽光、そして田に水を灌ぐ流れのせせらぎ、田園には春の気配が漂い始めていることを実感する。
蕗のとう
長く歩かなかったため脚の筋肉の衰えからくるのか足取りは少し弱々しいが、股関節はなんとか大丈夫のようである。
ウオークを誘う春の本格的な訪れが待ち遠しい。(この天気はまた長続きしないとのこと)
2月4日(日)
浴室に置いた2本の椎茸の原木。
観葉植物の鉢に代えて、インテリアのつもり。
入浴のときに、時々シャワーで水を掛けてやっている。
浴室は戸外と違て気温と湿気が椎茸にとっていい塩梅なのだろう、うまい具合に大小様々の椎茸がニョキニョキ育つている。
その艶やかな笠がどんどん膨らんでいく姿をみるのは楽しい。