伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

「さくらの里」の桜は早くも見頃

2016年03月31日 | ウオーク

3月31日    (木)   

何のことはない! わざわざ遠出しなくてもごく近くにある「さくらの里」の桜が見ごろを迎えていた。

昨日のウオーキングでみる桜は時期的にちょっと早かった。

今日はふと思い立って、家内を連れて車で数分「さくらの里」まで走らせてみる。

「さくらの里駐車場」はすでに満車で車を容れる余地がない。観光バスも何台か来ている。予想もしなかった混雑振り。已む得ずリフト近くの駐車場まで行たら、そこはガラアキ状態。(だが、そこも30分ほど園内を歩いてから戻ったらほとんど満車状態に)。

「さくらの里」には各種各様の桜が植えられており、すでに葉桜になっている早咲きの桜があるかと思えば、開花が当分先の固い蕾のままの桜もある。桜を代表するソメイヨシノは五分咲きくらいか。

だが、車を停めた駐車場の周辺に植えられているソメイヨシノはほぼ満開に近い見事な咲きっぷり。

伊豆高原駅への「桜並木通り」のソメイヨシノがようやく花開きはじめているというのに、標高の高い「さくらの里」公園でソメイヨシノが咲き誇っていたのには正直驚く。こんな逆転現象ははじめて経験する。

それに、思いもよらず早くも観光客が押し寄せてきているのも想定外。しかもそこでは外国語が飛び交っている。観光バスは外国人観光ツアーであろう。東京の繁華街で外国人で溢れかえっているとは聞いていたが、遠く離れた伊豆半島も例外ではないくなってきている? これっていいことなのか。

嬉しいような、困ったような妙な気分になった。

 

短時間のウオーキング 2000歩 

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「桜と新緑のコラボ」ウオーク

2016年03月30日 | ウオーク

3月30日    (水)    

「花曇り」というのだろうか。春日和とはいえない天気ではあるが、ソメイヨシノが開花しようとしているこの時期、水曜定期ウオークを欠かすわけには参らない。

今日のコースは、かねて眼を付けていた稲取のクロスカントリーコース。特に期待していたのは出発点から2-300メートルに及ぶ広々とした芝生道の両脇につらなるソメイヨシノの桜樹を花をみながら歩くこと。参加者5名(Mr. & Mrs.IT、0N、Mr.IW)。

だが残念、僅かに開花しているとはいえ一分咲きといったところか。それなりに美しい景観だが、これなら満開のとき、来週にでも再挑戦する価値は十分にありそうだ。

 

ソメイヨシノは期待外れだったが、このコースにはいろいろな品種の桜もところどころに植えられていて、桜と新緑のコラボレーションはなかなかのもの。 

 
満開に近いこの桜の品種は「コシノカンザクラ」というらしい。

眼下の稲取港はぼんやりと。

出会った幼稚園児のピクニック。その可愛らしい姿が花の不足を補ってくれた。

寒からず暑からずウオーキングにはいい条件、総歩数は8000歩。

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春の日の雑草むしり

2016年03月28日 | 園芸

3月27日    (日)    

穏やかな陽射しを全身に受けて庭の花壇の雑草むしりに一日を費やす。たいした仕事ではないが、のんびりやれば一日仕事になる。

春になったとはいえこのところ気温が低く陽射しも弱わかったので戸外で過ごすことはにすこし抵抗があったが、今日の天気は「春日和」、おのずと人を外に誘い出させる。

庭の花壇は家内の担当だが、花粉症にやられたらしくこれまで経験したことのない鼻づまりに悩まされてあまり外に出たがらないので、畑の野菜の仕事がとりあえず一段落した私が代わって花壇の雑草除去をやってみることにした。

すっかりやり終えてみたらとても気持ち良い。昨日はプロが芝生を刈りこんでくれていたので、庭が一際映えて見れる。庭の春模様はいよいよこれから。

今、花壇に蔓延っているのはもぱら宿根草だが、これを整理して新しく買いこんだ花の苗を植えるのは家内の仕事となる。

 

スプリンクラーで散水



 

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孫たち来豆

2016年03月24日 | 日記

3月21日    (月)     

春の年間行事になっている孫・子ら一族の2泊3日の大集合、今回は私ら夫婦を入れれば11名。孫5人はいずれも大人の男性だから物理的にいっても家に入れるべき物理的容積は限界に近い。

しかも連休なのでこれだけの人数を収容できる外食先を見付けるのにも苦労する。

なんとか見つけた狭い焼肉屋ではテーブル二つを占拠してなんとか収まる。

いつの間にか5人の孫の一番下も大学生、当たり前のことだが、上からの目線でものを言う時代はとうに終わっている。

孫5人は別席で適当に。

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「大寒桜」「城ケ崎桜」、そし橋立吊橋界隈ウオーク

2016年03月12日 | ウオーク

3月12日     (土)    

春に先駆けて咲く「河津桜」の花は散り終り、すっかり葉桜になってしまった後に続くのは 「大寒桜」と「城ケ崎桜」である。そして、これが咲き終わればいよいよ「染井吉野桜」が開いて春本番を迎える。

「大寒桜」は伊豆高原駅から国道135号に出る道筋に、「城ケ崎桜」は富戸の漁港を右に見て走る県道109号線の両サイドでいまが満開。

ここ数日冷え込みがきつかったにもかかわらず、昨日から早くも鶯が鳴くのを聞く。

雨で流れた水曜日のIKOIウオーク、その振替えで、天気はすこし寒いが桜見と伊豆高原駅横を流れる対島川(タジマ)に沿って整備された遊歩道を下って「橋立吊橋」まで歩く。

Mr. & Mrs.IT・ON、Mr.IWの5名。

かつてはこの道を知る人はあまりおらず隠くされたお気に入りの散歩道として私はよく歩いたものだが、最近は長く歩いていない。

驚いたことに、いつの間にか道は整備され見違えるほど。工事はいまも続けられているようで、新しい観光スポットとなっている。今日が土曜日でもあり沢山の人とすれ違う。

対島川沿いに木柵が整備され、最近降った多量の雨で川の流れは激しく、それが辺りの景色を引き立ててくれている。

対島川が海に流れ込むところは滝になっており、崖下の大淀小淀まで降りないと見辛かったが、これを見る「対島の滝展望台」が工事中。これができががればなかなかの見所となろう。

 

地面を覆う松の落葉が美しい。海を見るため展望を妨げる樹木を伐採したのか、以前はこんなふうには見ることはなかった。

「橋立吊橋」。城ケ崎海岸の吊橋といえば「門脇吊橋」が広く知られており、ここまで足を伸ばす人は稀だったが、近辺の整備が終われば門脇を凌ぐ人気が出るかもしれない。

松も美しく自然の佇まいは、こちらの方がいい。吊橋を渡った後に元に戻る迂回路も設けられていた。(以前は吊橋を戻るか、富戸漁港まで歩くほかなかった。)

吊橋の下の岸壁でロッククライミングの練習をしている人もいた。

 


大寒桜

城ケ崎桜

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本との決別  ─  「片づけの魔法」で

2016年03月09日 | 日記

3月7日     (月)      

長年の課題になっていた本類・書類などの整理を確実に実施できる見通しがようやく立った。

最近日本だけでなくアメリカでも話題を呼んでいるという近藤麻理絵「人生がときめく 片づけの魔法」を読んだことによる。

この本は、数ある「整理・整頓」「収納」の方法論とは全く違った考え方からする画期的な手法を述べており、これまで本を捨てる作業において失敗を繰り返してきた私にとってはまさに「開眼させられた」という表現がぴったりくるものであった。

「片づけは捨てることに始まる」「ものを捨てることで人生がときめく」「片づけはマインドが9割」。これは大いに納得。

具体的には「全部の本を一か所に集める」「残すものを選ぶ」「一気に捨てる」「捨てるに当たって一つ一つ手に取って判断する」「捨てる作業は儀式・祭り」。これも然り。(捨てる順序は衣類→本類→書類→小物類→思い出の品とあるが、衣類は家内の管理下にあるので除外)

ただ、著者が捨てる判断基準に置いている「ときめき」についてだけは、私はこれに違った意味合いを持たせることにした。

なぜならまだ若い女性である著者と私とでは人生の立ち位置が違うから。その持つ人生観・価値観は必ずしも同一ではないし、所持している本も当然ながら質量ともに別だろうから……。

判断基準としたのは「ときめきを感じるか」ではなく「役割が終わったかどうか」で。

ということで、床に積み上げた本の山から1冊1冊を取り出して手に取って判断するに当たり、「もう一度読みたいか?」「未読ならこれからまだ読む気があるか?」と問いかけ、捨てるときには「これまで私の心と頭を支えてきてくれてありがとう、役割はおわりました。ご苦労様」とねぎらうことてしたのである。

これで我々世代が心のどこかで持つている「捨てる」という罪悪感から免れ、抵抗なく捨てることができすべての作業がスムーズに進められた。

 未読書も少なからずあったが、これも読みたいと思って買った時の「ときめき」(この場合はときめきといっていいかも)がその本の役割だったのであり、今はその役割を終えたのだと考えることにしたのである。

その代表格が木下杢太全集だった。書棚二段にぎっしり収まっていた立派なケース入りのこの本は、当地に住み着いたとき伊東市出身の文学者だからと買い揃えたものであったが、結局はその1冊の僅か数十ページを読んだだけだったのである。まさしくこの本は買った時、そして書庫に並べた時にその役割は終っていたのである。「ありがとう」と、これもさっぱり捨てられた。

捨てると決めた本はしっかり紐で梱包し玄関に並べてから車に積み込んだ。この一連の行為をいってみれば「本とのお別れの儀式」というべきか。

「長いこと有難う。これでお別れします」ということでゴミステーションの「古紙の日」に合わせて往復2回で持ち込んだ。

これで、本全部ではない。納戸にまだ残した若干の本があるし、書斎の書棚にはそれなりに整頓されちやんとおさまっている本がある。

この本たちとの対話、そしてその中での別れとなるとちょっとした難事になるだろうがなんとかやり遂げる積り。

そして、「不要なもの」ではなく「役割を終えたもの」を選別し「本との決別」が果せた後は、更には「書類」、「メディア媒体CD・DVD・ビデオ」、「文房具類」、「写真」などの小物類にまでこの考えで臨もうと考えている。

(こうした考え方の基本は、ものの整理だけでなく「高齢者の身辺整理」にまで及ぼしうるものかもしれないと、ふと思う。) 

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伊東MAGARI雛巡りウオーク

2016年03月03日 | ウオーク

3月2日     (水)       

今年に入ってから水曜ウオークはいつも天気に恵まれている。今日も素晴らしい天気の下で伊東の街歩きを楽しんだ。(Mr. & Mrs.IT、ON)

明日は3月3日の「桃の節句」、伊東の街中では「伊東MAGARI雛」があちらこちらに飾られているというので、その雛見物を軸にして歩くことになった。

まず、最大の見物は仏現寺の階段118段にずらり飾られた雛人形である。聞くところによれば、これは日本最長の雛段に並べられた雛人形だとか。

9:00に出発、伊東港に駐車して暫時歩いて仏現寺の階段下に 到達したのは9:30頃だったろうか、雛人形の大集合。朝が早かったからか見物客はまだ来ていないのでゆっくり居並ぶ趣向を凝らした雛人形の数々を見ながら階段を上る。

 

ちょうど階段を上がりきったところに大勢の幼稚園児が集まっており、先生の指示で並んで雛段を上下する姿は年寄りばかり見つけている我々には珍しくなんとも可愛らしい。

仏現寺から坂を下って隣の仏光寺の境内にある鎌倉時代に111歳生きた綾部正清の墓を横に見て伊東市の繁華街「キネマ通り」に向かう。

途中に見る春の花。

商店街中央通路の真ん中にいくつかの雛段が設けられ、ここも「伊東MAGARI雛」のオンパレード。

商店街を抜けて伊東駅に至る。ここにはオーソドックスな並べ方をした雛段が一基。

最上段が「男雛・女雛」、上二段が「三人官女」、三段目が「五人囃子」と「右近の桜・左近の橘」、最下段が「右大臣・左大臣」と「三人仕丁」。

雛見物を終えて、伊東海岸、いわゆる「オレンジ・ビーチ」に下り立ち久し振りに砂浜を歩く。静かに寄せる白い波頭、全く寒くない。

「渚公園」で一休み。
 

ぶらぶら歩きだったが、なんとこの日の総歩数8195歩。

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