伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

IKOI農園収穫祭

2015年08月31日 | 園芸

8月30日     (日)          

昨日は農作業、そして今日はIKOI農園の収穫祭。

しかし、雨のため農園の一角ではできず、Mr. & Mrs.IWのお宅で。

収穫祭の素材となったのは昨日収穫した大きなスイカとたわわに実を付けた枝豆。それにMrs.IW御自慢の「たこ焼き」「そうめん南瓜の酢の物」、そしてMr.ITが釣った「ヤリイカ」も加わる。

いずれもとても美味しい。

枝豆はとりたてが最高に美味しいとかで、激しい雨の中を Mrs.IWがわざわざIKOI農園まで出かけて植わっていた枝豆を全部引き抜いてきた逸品、枝豆好きにはこたえられない。いくらでも食べることができる。

勿論、枝豆にはビールが付き物、まずはビールで乾杯。

枝豆の分だけビールも渉(ハカ)が行き、Mrs.IWの「たこ焼き」と「そうめん南瓜の酢の物」も絶品、ビールのあとはワイン。

11時半頃にはじめてなんと5時まで。終わり近くに用務のため今回参加できなかったMr.KDも駆けつける。

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曇天下の農園日

2015年08月30日 | 園芸

8月29日     (土)     /

長かった日照りにようやく恵みの雨が降ったかと思ったら、今度は一転、雨と曇の日がずーっと続いている。

農作業は炎天の日もダメ、雨の日もやれないとなると、おのずとIKOI農園は手つかずで放置されたまま。

長い間IKOIメンバーに見放されていた野菜類は伸びるに任せた雑草のなかでなんとか生き延びているかどうか?

今日は三人そろって本当に久しぶりの「農園日」となった。

まずは雑草刈りから始まる。もっとも高齢に私は働くといっても畑内をうろうろ、草を引っこ抜く程度の手軽な作業しかできないが……。

やはり、日照りや雨の日が続いても、時にはIKOI農園を視察して野菜類の生育状況をチェックすべきであった。

なんとも残念だったのは、いつの間にか丹精込めて育て上げたスイカが、多分ハクビシンだと思われるが獣に食いちぎられ無残な姿を呈していたことである。

金網ネットをかぶせて鳥や獣からの防護措置としては十分だと思っていたのだが、それをはねのけての仕業である。やられた!!

収獲できたのは二個だけ。だがなかなか立派なスイカである。

 

ハクビシンらしき獣による被害はスイカだけではなかった。

サツマイモも掘り起こされて食い荒らされていた。これまでサツマイモが獣の被害にあうことはなかった。想定外の出来事! これもハクビシンの仕業のようだ。

すぐ近くのMr. STの庭に最近猪が出たと聞いた。ちょっと首をかしげたくなるような話と思っていたが、さにあらず、どうやら最近の大室高原別荘地にはいろいろな野生の動物(鹿、ハクビシン、栗鼠、ハリネズミなど)が出現するようになりつつあるようだ。

完全に防御できるかどうか分からないが、とりあえずサツマイモ畑にグリーンネットを張り巡らす。

 枝豆は鳥獣に襲われることなく順調に育っている。IKOI農園ではこれまで枝豆栽培に何度も挑戦してきていたが、いずれも失敗、葉っぱだけが大きく育ったがちっとも実が付かなかったり、実が付いても薄っぺらな実だったりして。

だが、今回だけは違う。どうやらビールのつまみになりそうな十分の出来である。

「次郎柿」も順調のようだ。例年は収穫期になるとほとんど全部がぼとぼと落果するか、うまく実った僅かの実はカラスに食べらてしまい、人様の口にはほとんど入らない不運の柿だが、今年はヘタムシの消毒が効を奏したか、ほとんど落果せずびっしり実を付けている。このままいけば、今年は柿の大豊作は疑いなしか。

昼前に雨がぱらつき始めたので作業中止。家内たちは「吊るし雛教室]なので我々の昼食は「幸文」で。

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船山馨「茜いろの坂」再読

2015年08月27日 | 健康雑感

8月27日     (木)      

とんだ誤報がきっかけになって、「残された命」を考えたが、それを切っ掛けに「死期を宣告され人」を主人公にした小説を読むことにした。

さしずめ、念頭に浮かんだのは随分前に読んだことのある船山馨「茜いろの坂」と秋元康「象の背中」である。それにこれはまだ読んでいない川端康成「末期の眼」も。

書棚のどこかに残っているかもしれないと探してみたところ「茜いろの坂」はあったが、「象の背中」は見当たらないので「象の背中」と「末期の眼」はアマゾンで注文した。

まずは「茜いろの坂」を読み始めた。話の筋だけは漠然と覚えていたが、内容は全く記憶していなかった。新しい本を読むのとまったく変わらない。

半分ほど読んだ頃になって頁がばらけはじめた。してみるとこの本は随分古い本だ。おそらく読んだのは10年、いや20年も前のことだったらしい。

最近私が読む本はいずれも面白さに欠ける。読みかけて途中でやめたもの、読み終えるのにえらく時間がかかるものばかりで、物事への好奇心が次第に衰えてきているのではないかと気にしていた。

しかし、この本は違った。文庫本600頁弱、一日半で読み終えた。余命6ヶ月であることを知った65歳の主人公が最後は茜いろに染まったモンブランの夕焼けを見て穏やかに死にゆく話だが、これほど引き込まれて読む本は最近絶えてなかった。

この小説の作者自身が余命6ヶ月を宣告されてから執筆にかかり、不自由な身体をおして書き上げた最後の作品だというが、死に直面した筆者の息遣いまで感じさせるようで、残された歳月に違いがあるとしてもさほど変わらぬ立場にある80歳半ばに達した私自身の思いが重なるからでえあろう。

思えば、まだ私が若かった?頃の記憶では、この本は単に面白かったといった程度のもの(だから書庫に残っていた)だった筈だが、この年齢に達してみれば、まったく違った味わいを持つ本になったのである。

ばらけた本になってしまったが、家内にも読ませてから捨てさせる。

これから読む「象の背中」と「末期の眼」はどうだろうか。

Amazonから「象の背中」と「末期の眼」はまだ送られてきていないが、いまは待ち遠しい。

 

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心穏やかにしなやかに生きるよう心掛けたい

2015年08月25日 | 健康雑感

8月25日    (火)     

福岡に住む元大学教授のSK君が癌手術で入院したという。この齢で癌手術に踏み切ったのかと驚き、その先行きに大きな不安を覚えたのは私だけだったろうか。

旧三金会の仲間うちだったNT、NHの両君が昨年相次いで亡くなっている。二人とも元大学教授だった偶然もあって、なんとも嫌な気分になった。

旧三金会の仲間はちょうど85歳前後の年齢に達しているが、昨年までしばらく訃報に接することがなく過ごしてきていたが、いよいよ身近に我々世代の寿命がどうやら尽きる時期に差し掛ていると思い知らされたようだった。

ところが、昨日、入院したと聞いていた当のSKからえらく元気のいい声で電話がかかってきた。どこでどう間違ったか、癌入院など全くの誤報で本人はピンピンしているではないか。

まずは目出度し目出度し。

彼の電話によると、三金会は解散後も福岡では残党が今も集まりを続けているようで毎月6人が出席しているという。羨ましい限りだが、そのなかで酒を一応飲めるのは彼だけだというから大したものだ。

このとんでもない誤報をネタにして、いつしか二人でこれからの我々世代の残された時間をあれこれ話し合い1時間余の長電話になってしまった。

彼は言う。「おれは88歳まで生きると思う」。これに対して私は「オリンピックが見れる90歳までを一応の目途にしている」と。

この電話を終えてから考えた。

日本人男性の平均寿命プラス平均余命に信を置き現在の自分の健康状態を勘案して判断するならば、90歳は一応順当な目途にはなろうが、目途はあくまでも目途、この年齢になってみれば、いつなんどき致命的な病や怪我、あるいは事故に襲われるかもしれない。そのことも念頭に置いて考えることも大事だと。

そのための心構えとして、仮にあと半年の命と宣告されたらどうするか。 6ヶ月生きるとして、それまで何をするか、なにをしたいかを考えてみた。

あれこれ考えてみたが、どうやら取り立ててやりたいことが見当たらない。

特別にやりたいことなどなく、私の場合、今の生活の延長線でできるだけ平穏に過ぎゆけばいいということに尽きるようである。

桜、新緑、紅葉など美しい自然の姿をもう一度見てみたい。朝日に輝く海、ピンクに染まった入日雲の景色などじっくり堪能しするのもいい。古くからの親しい知己などに会ってみたい。うまい酒を飲んでみたい。美味しいものを食べたい。などなど強いていえばあったほうがいいには違いないが、なければないでも構わない。

それぞれそれまでの生き方の積み重ね、人生観などに影響されてその人なりに判断することになるのであろうが、私はもともと単純人間、これまでもだいそれた願いはなく、ごくごく平凡な生き方をしてきているので、改めて問われてもく思い付くものはないに等しく答えはおのずと単純になる。

取りあえずは物質的な面での身辺整理はしなければなるまいが、あと残さない物をきれいさっぱり捨て去ることだけのことで、残るは許された生命を心穏やかに、身体が不具合であるならそれを受け入れ、できるだけしなやかにその身体の不具合に寄り添いながら生きることを心掛けたいと思うくらいである。

なお、私は癌が発見されても手術はせず、そのまま放置したいと思っている。末期癌で発見されるのが最も望ましい。人に邪魔されずひとり静かに逝く孤独死も考えようによっては素晴らしい死に方ではないか。

この点については近藤誠医師や「自然死のすすめ」を書いた中村仁一医師の「死ぬのは《完全放置》の癌に限る」に全幅の信頼を置いて対処するつもりである。

 (近藤誠「抗がん剤は効かない」「医療と薬を遠ざけて元気に長生きする方法」、中村仁一「大往生したけりゃ医療とかかわるな」)

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待望の雨が降る

2015年08月18日 | 園芸

8月18日      (火)     /

長かった炎天下燃える暑さの夏がどうやら終わったようである。昨日、待望の雨が降り続き、乾ききった大地をしっかりと潤してくれた。

昨日の雨はまさしく「豪雨」というにふさわしく、地面を雨脚が激しく叩き玄関前の道路には滝のような水が走っていた。

他所とは違い旱魃ともいうべき当地では、豪雨による被害を心配するより、大量の雨水が大地に注ぎ込まれることを多くの人は喜んだのではないだろうか。

    

本当にこの夏は長きにわたってIKOI農園の作物を見ることはなかった。

家からほんのわずかの距離の坂道を歩くだけで行きつくのだが、30度を超す暑さのなかでスーパーシニアが出かければ、ついなにがしかの作業をしてしまうことになり熱中症になりかねないし、そんな危険を考える前にわざわざ出かける気分にもなれなかったのである。

 思えば、庭の土壌改良を狙って庭の一隅にコンポストを設置したことも原因である。毎日家庭で出る残菜を捨てるのにわざわざIKOI農園までいかずとも庭でたやすくできたことも影響している。

そんな気分を一転させてくれた今日、本当に久しぶりにIKOI農園に出かけてみた。

なんと雑草は伸び放題、野菜類は雑草のなかから僅かに頭をもたげている状態、そして時期を終えた胡瓜・茄子などの野菜は枯葉をまとって立ち枯れの姿を呈している。

荒廃した農園の中で、この時期に収穫できる野菜を探してみたら、 ゴーヤとトマト、それになんとからしき姿をとどめているナスが少し見付かった。

ゴーヤは流石に南方の野菜、たった一本の苗なのに暑さにめげず立派な姿の実をいくつもつけていた。黄色く熟しきった実は来年のための種子採りとして最適なのでこれも取り込む。

大玉、フルーティカ、ミニトマトは鳥に食べられることもなくたくさん赤い実を付けていた。これらはとりあえずジュースにする。

茄子の実は乾燥と暑さのなかでかろうじて生き残っていたもの。なんとか食べられそう。

 

だが、これを捥ぎ取るだけでシャツは汗びっしょり。ただ、今になっても蚊がいない。有難いことだが、ミミズも見当たらないし自然の異変を思わせちょっと気になる。

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