6月22日 (土) 久し振りの![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fine_sim.gif)
IKOI農園で農作業に集中していると、いつも時間が経つのを忘れてしまう。
昼のサイレンを聞いても、昼食だと家内から呼びかけられても、作業の途中に止めるわけにいかないので、ついもう少し片がつくまでと続けていると数十分くらいはあっというまに過ぎてしまい、家内から叱られることがしばしばである。
腕時計をすればいいのだが、農作業を半日もすると全身あせみどろになり時計が濡れてずるずるしてしまうのも気色が悪い。
そんなことで、家にあった不要となっていた置き時計を農具倉庫の棚に置いているのだが、なにしろこれが小さいので時間を知るためには倉庫内に入って時計をみなければならないという面倒臭さがある。
できれば、作業中であっても遠くからでも見ることができる大型の壁時計をホームセンターで買おうかと考えたことがあったが、安い時計でも数千円はするからついそのままになっていた。
ところで、先日の蛍見物の時、Mr.IT、IWが足元を照らすのに提灯風というかランタン型というかちょっとおしゃれな懐中電灯を持ってきていたのに目をつけて聞いてみたら、100円ショップで買ったという。当たり前だが、価格が100円だったという。ちょっと考えられない安さである。
こんな懐中電灯なら、夜道を歩くのにいいな、と思い、翌日早速100円ショップ「オレンジ」に向かった。
私はあまり100円ショップに行くことがない。100円ショップが開店したとき好奇心に駆られて数回行ったきりで、その後はすっかりお見限りであった。
久し振りにショップ内を歩き回ってみたが、残念ながらお目当ての懐中電灯をみつけることはできなかった。
しかし、店内には100円とは思えないような品がいろいろ展示されており面白くもあるので、つい特別に必要ではないが、あったらいいかなと思われる雑多な品をあれこれ買い込んでしまった。なにしろ100円均一だからいくら買っても金額は知れている。
そんな品目のなかに大きな壁時計があった。飾り物ではない。ちゃんと時計の機能は付いているようだ。100円の時計があるなんて!ちょっと信じられない。
まさか、最初から動かないということはないだろう。故障もせず半年も持てば十分だろうと買ってみることにした。
家に持ち帰り、単三電池を入れてみたら、確かにコチコチと時を刻んでいる。
農具倉庫内のよく見えるところにぶら下げようと思い、たまたま買い置きの吊るし金具で吊るしてみた。時計本体よりも吊るし金具の方が高価だという奇妙な事態となった。
それから数日、今も時計は正確に時を示している。
「安もの買いの銭失い」という言葉があるが、今の世の中にこの言葉は妥当しない。
一体、最近の物の値段というのは皆目わからない。特に時代の変化に疎い80老にとって物の値段のありようは理解不能である。
こんなものをだれが、どのようにして作り、売るのか、私には想像もできない。
基本的機能が同じであって数百万円の時計もあるし……。要はよりいいもの、上等のもの、ブランドものという心理的なものが価値を生むのであろうか。所謂「差別化」の価値。
エンゲルスだったかマルクスだった忘れたが、来るべき共産社会の理想像を書いていた記憶がある。誰も飢えることなく衣食住といった生活に必要なものはすべて満たされる社会が来るのだと。
ものがいいものか、上等なものかを度外視すれば現在の先進国の消費社会はまさしくそうした社会であるようだ。(かつて深刻な問題とされた家計に占める食費の割合を示す「エンゲル係数」などという用語が日本社会で死語となって久しい。)
100円時計という些細な一事から、こんな世の中にいまだに生きている自分の「世の中知らず」、旧知識の浅薄さに思いが及ぶ。
いずれにせよ、あとしばらくして、時計が動かなくなったとしても、新しい時代に触れて私の好奇心を満足させてくれたのなら、100円は安い。
(追記) やはり100円時計はものの用には立たなかった。動いたのはわずか10日。その後は完全に死んだ。うんともすんとも言わなくなった。ゴミを増やしただけに終わる。