伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

農事 雑報

2015年09月26日 | 園芸

9月26日    (土)     /

天気がまた崩れた。秋の好日がなかなか続かない。

こんな日に農作業は無理、せめてIKOI農園や庭での植物の生育状況を観察する。

 IKOI農園

大根の生育はまずまず。秋から冬にかけて立派な大根ができそう。

九条太葱はようやく発芽した。発芽状況良好。来年秋口には「乾燥ネギ」という新しい技法を試みるつもり。
 

青いネットの覆いを掛けておいたいろいろな菜っ葉類(カブ、水菜、菜花、シュンキク)も発芽順調。
 

ハヤトウリの先端付近に花が咲き、はやくも後の姿を思わせるかわいい実が付き始めている。これがやがて拳ほどの大きさになる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

庭の片隅

雨が長く続いたことから生ゴミバケツを下げてIKOI農園まで行くのが辛くて、空けたコンポストを庭の片隅に設置し、生ゴミを入れてEM発酵液をふりかけておいたのが堆肥になったのでその上に胡瓜の苗を植えておいたら、よく育ち形のいい胡瓜が成っている。

庭でも少しだけ農事ができる。


同じく、「ガーデンレタス・ミックス」のタネをパラパラ蒔いておいたら、ちゃんと芽がでて色とりどりのレタスの菜っ葉らしくなっている。

バジルは元気になってきた。

書斎の野菜工房でのロメイン・レタスの芽だしも成功。種ネットで取り寄せ初めて試みる野菜栽培だけにこれからが楽しみ。
 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 庭のメインツリーというべき金木犀が黄色い花をいっぱいつけて強い香りを放っている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瑞穂の里を歩く

2015年09月24日 | ウオーク

9月23日     (水)  秋分の日     

忘れかけていた実り豊かな山村の風景。

「とよあしはらの ちいほあきの みずほのくに (葦原千五百秋瑞穂の国)」という戦前の幼い頃に覚え込まされた「天壌無窮の神勅」を思い出させるような稔の稲穂が波打つ一望の稲田をみて歩く。

今年の夏の前半は記録的な猛暑の日が続き、後半は梅雨期を思わせるような雨か曇の毎日で恒例のD-ikoi水曜日のモーニングウオークは長く中断したままだった。

そして今日、美しく澄み渡った秋の空、爽やかな空気がみなぎる彼岸の中日、珍しくオールメンバーが揃っての朝のウオーキング再開となった。

7:30に集合。目指すは「池地区」の田園風景。

低い山並みが取り囲むかつては池だったという田圃地帯「池地区」は、今時珍しい文字通りの「里山」というべきかつっての自然の佇まいを持ち、いつ来ても特に我々高齢者を楽しませてくれる大和民族の原風景ともいうべきものを連想させる処だが、それでもあちらこちらに見られる休耕田は少しばかり興趣を削ぐところがなくはなかった。

だが、それが変わった。農村を疲弊させていた減反政策が見直されたのであろう、休耕田が急速に姿を消し、今は黄金色の稲穂が一面に広がる実り豊かな山村の風景が甦って来たようだ。

刈り取られた稲穂を干す稲架が並ぶ光景も、忘れかけていた往年の田園風景の思い出に重なる。

稲架の光景とは違い、新調されたコンバインで一挙に稲刈りをしているところもある。機械で自動的に稲を刈り取り、玄米はおのずと袋に格納され、稲藁はすべて綺麗に粉砕されて翌年の肥料成る。 むかしながらの稲刈りと現代風稲刈りの対比が妙。

一方、稲架ではなく、もっと素朴に稲束で乾燥させているところもある。

これは「マコモ」。何枚かの田圃に並んで植えられていた。食用(マコノダケ・マコモ粉)、薬用のため栽培されているらしい。

稲との相性もよく水質浄化に役立つとか。

歩く畦道の両端に露草が小さいながら花を咲かせている。鮮烈な青の色合いが印象的。

露草は、朝咲いて昼には萎む花、ふるくから儚さの象徴ともされており、万葉集にいくつも詠われている古来からの花。

「 あしたに咲き 夕べは消ぬる つき草の 消ぬべき恋も 吾はするかも 」

「 朝が露に さきすさびたる つき草の 日くたつなへに 消ぬべく 思ほゆ 」

そして、ここにも「彼岸花」が沢山咲いていた。以前にはあまり見掛けなかったような気がする。

モグラ・ネズミ除けになるという古くからの説があり、最近になって畦に意識的に植えたのだろうか、それとも観賞用としてか。

「彼岸花ロード」というか「曼珠沙華パス」とでも言うべきか両端を紅色の花に飾られた畦道を一列になって歩む。

 素晴らしい秋のウオーキングを終えて、いつものようにファミリー・レストラン「ガスト」で朝食して解散。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アケビの実」「彼岸花の群落」その後

2015年09月21日 | ウオーク

9月21日     (月)      

シルバーウイークに入ってから晴日がしばらく続くらしい。いよいよ秋がもたらす諸々の自然の恵みを眼に舌に味わうことができる。

一昨日、採取したアケビ(紫水晶)の実が縦のついていた白い線からぱっくり割れて中身が姿を現した。

この白い綿に包まれたようなゼリー状の固まりがアケビの実である。私が幼かった頃、これをしゃぶって黒い小粒のタネを口から吐き出していたことを思い出した。

口に入れてみた。ほんのりしたその甘味はどうということはないが、往時を懐かしく思い出させてくれる秋の味覚だ。

現在、アケビの実の利用法は皮の部分を天麩羅にして食べるのが一般的だ。ちょっと独特の苦みがある「通」の食べ物、季節を感じさせる郷土料理である。

いずれにせよ、その姿が魅力的だ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――

15日に行ったばかりだが、隣家の別荘族Mr. & Mrs.SBを誘って「刻(トキ)」で朝食。帰途にふたたび十足の彼岸花群落を案内する。

すこし時期遅れになったかと思ったが、数日を経て花数はむしろ倍増している。今が最盛期?

変わり映えしない景色だが、より華やかになっているようなので……。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく訪れた秋晴れの日

2015年09月19日 | 園芸

9月19日     (土)     

暦の上で秋に入ってから随分経つというのに雨か曇の日ばかりで、梅雨の季節を思わせる冴えない日々が続いた。

しかし、今日はようやく一転、秋日和で秋の園芸を楽しむのに相応しい日となった。

前もって「作業日」の約束をしていなかったので今日は「一人作業」と思いつつIKOI農園に出掛けたてみたら、すでにMrs.ITがきており、早々と農作業に取り組んでいる。

秋の陽を浴びながらの一人作業もそれなりにいいものだが、二人連れ立っての作業となるとその楽しみは倍加する。能率も上がる。

今日やるべきこととしていたのは九条太葱の播種と大根苗の間引き・土寄せだったが、ハヤトウリの生育状況(これは実の付きかただけでなく休憩場所を覆う緑蔭の繁り具合を確認)、柿の試し収穫(ぼつぼつ食べられる)、いつもは鳥に食べられているアケビの成り具合(これは食用ではなくあくまで観賞用)などいろいろ思わぬ楽しみがあった。

 

大根苗の土寄せ(いつもほったらかしでも秋大根は良くできるのだが、今年は特に丁寧に、さらにEM発酵液を1/1000に希釈して上から掛ける。)

休憩所の上を覆うハヤトウリはよおうやく花芽が付いたところ。

ハヤトウリの葉がよく繁ったことで、アケビ(紫水晶)の実は鳥に見つからなかったようで綺麗な紫色に色付いた。

秋の実り
 

雑草、枯草を整理して綺麗になった畑

農園の片隅に咲いていた白い彼岸花(曼珠沙華)

これぞ秋の空
 

夕刻近く南西の空に三日月が……。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雛作り途中経過報告

2015年09月17日 | 手作り

9月17日     (木)       

家内が楽しみにしているMrs.OSを先生とする「吊るし雛教室]はいまは生徒数4人、月に2回ほど各家庭を持ち回りで行われている。

高齢者の趣味の集まりとしてはじまった今から10数年前は生徒数も10数人を数えていたが、今は内々の小さな家庭的集まりとなり「食事会」と「お喋り会」を兼ねるようになって、それがまたとても楽みでもあるようだ。

「雛作り]の方といえば、さすがに長年やってきただけのこともあって始めた頃の作品からからすればかなり精度の高いものに変わりつつあるよう見受けられる。

目下、製作にかかわっているのは「桃の季節」の置き雛一式。お内裏様、三人官女、五人囃子、それぞれの持ち物(笛や太鼓など)、そして右近の桜、左近の橘、雪洞といったところか。

ちょっと大物だからなかなかに出来上がらない。いまはようやく「らしく姿」を垣間見させる程度になっている。

明日は今月で2度目の集まりがMrs.IWのお宅で行われる。

その日の連れ合いはIKOI農園での作業日にすることが多いが、明日は雨模様、園芸作業はできそうにない。今の時期、農園でやるべき仕事はおおいのだが……。

「置き雛」一式が完成するまでには、随分先になりそうなので、これはその途中経過報告。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彼岸花を見て歩く

2015年09月15日 | ウオーク

9月15日     (火)       /

道端に彼岸花が咲いているのをふと見かけ、もう彼岸花の咲く季節となったことを知り、家内と連れ立ち、稲田をとりまく畦道を彼岸花が飾る十足地区を散歩する。

晴れ渡った秋の好日というわけにはいかないが、それでも曇や雨の日が多い此の頃ではまあ散歩に適した日だったといえる。

30分ほどの軽いウオークとなったが、花はいまがちょうど盛り。稲穂の黄金色に輝く絨毯模様の周囲を縁取る鮮やかな紅の彼岸花はよそではちょっとみられない秋の景観の一つである。

 

黒アゲハ蝶が彼岸花の蜜を吸う。

ハトムギの茂みにも彼岸花が入り込んでいる。

軽い散歩の後、昼頃になったので、Mrs.TKから教えて貰った近くにあるお洒落な小さい喫茶店「刻」で昼食をとる。丁寧にいれてくれるコーヒーがとても美味しい。価格はめっちゃリーゾナブル。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢者が暮らしやすい国、暮らしやすい土地

2015年09月12日 | 健康雑感

9月11日     (金)    

定年退職後伊豆高原に住んで25年、私は高齢者にとってここほど暮らしやすいところはないと思っている。

退職前には東京をはじめとし福岡、仙台のほか、いくつかの地方都市に住んだことがあり、仕事の関係では南は沖縄から北海道まで出かける機会があったが、退職後に是非とも住みたいと思ったところには特になかったように思う。

当地を永住の地に選択したのも、あれこれ居住条件を考えた上で選択したわけではなく、まったく偶然のしからしめるところ、ちょっとした縁からなんとなく暮らしやすそうなところという程度のものだったのだが……。

私は所謂「オメデタ人間」であることを自認しており、なにごともいい方に解釈したがる現状肯定的な性格だから、それがただちに伊豆高原の客観的評価につながるとは言えないだろうが、これまで長年伊豆高原に住んできた経験を通していうなら、ここほど高齢者が住むのに適している土地はそうざらにはないだろうと思う。

ここでの毎日の生活は平凡ではあるが、高齢者の生活としてはおおいに満足できるものだと思っている。

海あり、島あり、山ありの展望に恵まれ、家をとりまく四囲は緑に溢れ、鳥や虫の鳴き声を聞くほかは騒音のない静けさ、夏は涼しく冬は暖かいという高齢者にとってはもってこいの穏やかな気温、それに家に引き込む温泉まである。

(もっとも、最近の地球規模の気候変動によってか快適な気温は以前ほどではなくなってきつつあるようで、雨や風の勢いも以前より激しさを増してきているのは残念。)

また、近年になって日本各地を襲うようになった激甚災害に見舞われることなく、たまに訪れる台風で多少の被害がなくはないが深刻な事態になったことはこれまで経験したことはない。伊豆半島は地震頻発地域だが、当地は溶岩台地の上にあり地下数十メートルの強固な岩盤に守られているので、少々の地震があっても感じる震度は極めて小さく不安を感じることなど全くなかった。

自然的環境は全く申し分ない。しかし人為的環境の方の方については問題がないわけではない。

ここに住みついた今から25年前は確かに不便であった。生活の便宜を提供するスーパーやお店の数は少なく、当地の難点は急坂の多いことで、歩いていくのは大変、自転車も使えないので自家用車に頼るしかなかった。

バス・私鉄など公共交通機関はあるにはあるが、時間などの制約もあって使い辛く、「高齢者が当地に住む上での条件は足腰が丈夫であることと車の運転ができること」とも言われるように今も車は欠かせない。

しかし、開発が進んだ現在にあっては近くに生活の便宜を提供する医療機関やスーパー・量販店などがどんどんできており、そうした面では格段に便利になってきている。

当地の開発当初「無医村」などと揶揄されたと言うが、高齢者の生活に欠かすことができないとされる医療機関は近くにいくつかあり、入院可の大規模な病院はないもの医療体制で特に問題視されるようなことはない。

(私達夫婦はこれまで高齢者としては比較的元気に過ごしてきたので医療機関との縁は薄かった。少なくとも現状では……。)

かつて前期高齢者だったころは、簡単にアクセスできるところに図書館・劇場・コンサートホール・デパートなど文化的施設があることを望んだものだったが、後期高齢者ともなると、もうその必要性はほとんど感じなくなっている。

元職場の同僚や後輩が退職後、地方に移住して地域の人間関係に苦労するといった話をよく聞くが、少なくとも私の限られた範囲での人間関係についていえば、ここで知り合った人たちはいずれもいい人・優れた人ばかりである。これは他の土地からの転入者だけでなく、日頃生活する上でお世話になる地元の業者や職人さん達、お店の人もそうで、おおむね人あたりがよく感じがよろしい。穏やかさでしられる静岡県人、あるいは伊豆半島人に共通する性格のゆえか。いずれにせよ、住む上で必要とされる人間関係はとてもいい土地柄である。

人にはそれぞれ好む事、望むことには違いがあり、高齢者が暮らしやすい土地を一概に選び出すことはできないが、私の独断と偏見でいわせてもらえば、伊豆高原ほど定年退職後に暮らしやすいところはほかにないのではと思っている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

そんな思いのところ、一昨日だったか日経ニュースで「高齢者が暮らしやすい国として日本が世界で8位」という数行の短い記事が目に付いた。

「高齢者の暮らしやすい土地」というのにおおいに関心をそそられ、早速インターネットを使ってこの記事のもとになった情報を調べてみた。

この記事の情報源は、世界の高齢者の生活環境を調査している国際団体「ヘルプエイジ・インターナショナル(本部ロンドン)」が世界の96ヶ国について高齢者の「所得保障」、「健康ステータス」、「能力」、「有効化社会・環境」を数値化し分析して2015年版として暮らしやすさをランキングしたものにあった。

そのランキング表は次のようなもの。

世界のトップはスイス。8位の日本より上位を占める国はドイツとカナダを除けば人口の少ない小国である。

獲得ポイント(満点100)を掲げると、スイスのポイントは90.1、ドイツは84.6、カナダは84.0、そして日本は80.8、アメリカ79.3である。

ちなみに最下位となるアフガニスタンがなんと僅か3.6、次いでマラウイ4.1、モザンビーク4.5.が続く。

隣国である韓国は低い。60位で44.0(韓国の自殺率は世界トップクラス、特に高齢者の自殺率がとても高い。)、中国は48.7。

 

このランキングは「所得保障」「健康ステイタス」「能力・性能」「有効化社会・環境」の各領域におけるポイントを総計したもの。

それぞれの領域は次のものを数量化している。

「所得保障」はその国の年金、高齢者貧困率、福祉措置、一人あたりのGNIを

「健康ステイタス」は60歳時の平均余命、60歳時の健康寿命、相対的な精神的・心理的健康を

「能力・性能」は高齢者の雇用、学歴を

「有効化社会・環境」は、社会的なつながり、物理的な安全、市民的自由、公共交通機関へのアクセスを

それぞれ数値化して比較している。

日本の各領域での順位は次のとおり。

順位はいずれも高いが、特筆すべきは日本の「健康ステイタス」が世界のトップに位置していること。

同団体は「日本は世界の中で最も健康的な国」だと評価している。

我々日本の高齢者はこのように世界で有数の「暮らしやすい国]に住ませてもらっていることを改めて知り、なかでも自分なりに日本で最も暮らしやすい土地にいることに感謝した次第。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

なお、ついでながらごく最近になって知った世界の「健康寿命」のランキングと日本の各県別の健康寿命上位県・下位県も掲げておく。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実りの秋

2015年09月07日 | 園芸

8月6日     (日)      

今年の秋はどうもすっきりしない。いや、春も夏もくっきりした季節の移行がみられず、徒にだらだらと時を刻んで自然の模様が移り変わってきた。一時的な循環現象としてのエルニーヨの影響ならいいが、ひよっとしたら世界規模での気候変動による異変ではという一抹の不安もないわけではない。

兎角、このところ自然も世情も不安・不穏ばかりが漂ういやな時代に入っているのではという心配が杞憂であることを願うばかりである。

それはそれとして、今日も曇後雨だという天気予報、しかもこれからこんな日がしばらく続くという。せっかく「実りの秋」を迎えようというのに、秋らしい澄んだ晴天の下で、すがすがしい気分を満喫しながら園芸作業を楽しむ日にはなかなか巡りあえそうにない。

しかし、この時期にはどうしてもやっておかねばならない農作業もあり、今日は作業服をまとっての出勤?となった。

やるべき作業のメーンとなっているのは、ぼつぼつ色付きはじめた「次郎柿」の鳥獣(カラスやリス)害の防護措置である。

柿の一つ一つを袋に包むのが本来なのだろうが、とてもそんな手間はかけられない。思い付いたのが柿の樹全体をネットで覆うこと、もちろん私には到底できない大仕事だがMr.IW&ITが半日がかりでこれをやってくれた。

(わたしは専ら下から見上げて写真を撮るだけ。あとは夏草の引き抜き、大根の種まき、そしてスティックブロッコリー苗の植え付けなど主として座ってする仕事だけ。)

この柿の樹を植えたのは今から10数年前で、毎年沢山の実を付けてくれるのだが、実を味わったことはほとんど記憶にない。沢山成った柿の実が黄色く色づいてくるとぼとぼと落果してしまうのである。

それがカキノヘタムシという害虫のせいだということが判明したのは3年前、以来Mr.IWが駆除薬を適期に散布してくれていたのがすこしずつその効果を現し、いくつか熟した柿の実が枝に残るようになったのが昨年、だがその実も今度はカラスがこれを啄み、結局人様の口にははいらなかったといういわくつきの樹である。

今年は3年目、今度こそは沢山成った柿の実は落果することなくしっかり枝に残って色付き始めている。

 

作業の合間の一休憩。

 

 その他の実り

イチジク

スダチ

カボス

レモン  今年はやや不出来
 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋元康「象の背中」再読

2015年09月04日 | 健康雑感

9月4日     (金)       

船山馨の「茜いろの坂」に続けて秋元康「象の背中」を読む。

この本は最近といっても2006年に産経新聞連載中からとびとびに読み単行本になってすぐ読み直しているから、読後10年近くしか経っていないのだが、残っている記憶は「茜いろの坂」とさほど変わらない。記憶に残るのは48歳の企業部長職にしては相当に派手な女性遍歴の持ち主だったことぐらい。

己の記憶力の減退を思い知らされる。

再読してみると秋元康の文章は歯切れがよく、活字も大きくて、とても読みやすい。

小説の主人公は「茜いろの坂」が65歳だったのに対して、こちらは48歳。おなじ余命6月の宣告だが、人生がまだきらめきを失っていない年齢だけに余命のテーマとして「自分探し」の切実さは胸を打つ。

随分前に石川達三の「48歳の抵抗」という小説があったが、その頃の定年退職は55歳、その手前にあって心身ともに老いを意識する人生の最初の境目が48歳という設定になるのか。

そんな年齢なら、当然のことながら「茜いろの坂」にある老いの深い眼差しとは違ったものになる。

自分を取り巻くまだ若い家族への思い入れや過去にかかわった女性への思いなど現世へのこだわりが強いだけする痛の色合いを深めている。

しかし、いずれにせよ迫りくる死を前にしての潔さとそこからもたらされる平穏な姿勢は読む人の胸を打つ。

「茜いろの坂」しろ「象の背中」にしろ、小説が描く世界に感情移入することで、これからいずれ当面しなければならない己の終末期への心構えが少しずつ固まってきているような気がする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆高原「象牙美術館」に行く

2015年09月03日 | 日記

9月1日     (火)     

午前中は烈しい雷雨で外出も困難なほど。しかし、午後には不安定な天気ながら雨が降ったりやんだり。これなら外出できる。

Mr. & Mrs.のお誘いで家内とを伴い昨年伊豆高原にオープンした象牙美術館(「象牙と彫刻美術館ジェルピア)を観に行く。

この日、9月1日は開館一周年記念日とかで地元の伊豆半島住民には無料公開とのこと。入館料¥1200がタダだというのでいつもは閑散とした駐車場には車が一杯。雨にもかかわらず館内で地元の顔見知りの人にもいくたりか出会う。

この美術館の外観はおよそ美術館に似つかわしくない倉庫みたいな建物で、これが建設された時その外観からしてわざわざ訪れるような美術館とはとても思えず、関心はほとんどなかった。

しかし、タダというなら、伊東に住んでいるからにはどんな美術館なのかくらいは知っていてもいいという軽い気持ちで今回の訪れであった。

だが、中に入って驚いた。想像を超える精巧な細工が施されたスケールの大きい象牙細工の作品がたくさん陳列されている。その数も半端ではない。

象牙細工は以前に甲府にあった象牙美術館で見たことがあったがこれほどの大きさではなかったと記憶している。また、20数年前に台北の「故宮美術館」で見たのは中国歴代の王朝から伝えられた国宝級のものでその精緻を極めた彫刻技術に感嘆したことがあったが、ここの作品群もほぼそれに匹敵するのではないか。

ただ、ここの象牙細工は王朝時代以降の比較的新しいものが多く、それだけ骨董品としての価値は低いものなのであろう。しかし、それでも親子三代かけて造ったなどとあり、宮廷の支配・保護がなくなった動乱の近代中国において職人が生涯かけてただ一つのものに打ち込むという時代ではなくなっているのにそんな昔ながらの手法による工芸美術品がなお作られていたとは……。

また、象牙作品だけでなく翡翠をはじめとするいろいろな貴石を使った東洋風の美術工芸品の類も彫刻技術の精妙さ、スケールの大きさもまた瞠目に値する。

また、別に石と象嵌技術でつくられた「楊貴妃一代記」のギャラリーもある。「西遊記」のギャラリーも。

施設の外観からは全く期待していなかった館内の見事な陳列物、作品群には全く脱帽である。

このような展示内容であることが知れ渡れば、この美術館は伊豆高原の新しい見どころとして訪客を案内する価値はありそうである。

見終わってから、さらに驚いたのがこれらの展示物がすべて一個人の収集にかかわるものだということである。私は骨董品や工芸美術品の価値には全く疎いが、金銭に換算すれば数十億、いや数百億円にも上るのではないであろうか。

このような美術工芸品を一代で収集できた財力はどこから得たのであろうか。下世話なお金の話にも関心をそそられ、帰ってインターネットで調べてみたら、所有者はなんと東伊豆で桜餅を包む桜葉の漬物を作る会社の85歳の元社長だとある。

桜葉の栽培指導でしばしば中国を訪れ象牙細工に惹かれて一代かけて収集したとあったが、「たかが」といっては申し訳ないが、餅を包む桜の葉っぱの塩漬けがこれほどの財を生むとは!

伊豆半島にはなんとも想像もつかない凄い人がいるものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする