2月16日(月)
人間と同じことで、機械物も古くなると故障が出る。いや、人間が機械と同じように‥‥‥というべきかもしれない? 人間でいうなら八〇年も使い続けてきた身体だからどこか故障しないことの方がおかしい。
ところで、人間のことはさて措き、ここでは機械の故障について述べる。
昨年の暮頃からパソコン(NEC Valuestar VT9008D)の調子がおかしくなり、これまであまり経験したことのないいろいろな不具合が生じるようになった。
当初はソフトに問題があるのかと思い、デフラグ・デスクスキャン・システムの復元・ヴィールスソフトの削除と再インストール・スタートアップの整理・静電気の放電措置などなど、思い付くあらゆる手立てを講じてみたが、うまく動くようになったかと思ったらまたぞろおかしな動きをするようになる。
こうしたパソコンの不具合を解消のための最後の手段としてパソコンの「初期化・再インストール」がある。
これは慣れない者にとっては一日がかりの大仕事でできれば避けたい方法だが、これも思い切って断行してみた。
だが、一向に改善の兆しがない。
パソコンの「初期化・再インストール」も一度やってしまえば、二度目はさほどの抵抗感はなくできる。結局、二回、三回と繰り返してみたものの結果は同じこと。
不具合といってもパソコンの機嫌が悪く、時々フリーズして作業を怠ってしまうといった程度でパソコン操作に決定的なダメージを与えるほどのものではなかったから、騙し騙しなんとか使ってきた。しかし、いつまでも問題を抱えるのは嫌だし、私の能力ではなかなか埒があきそうにない。
これはひょっとしたらハードの問題かもしれないと思うようになり、NECの故障相談窓口に電話をしてみた。
これまでの経過を克明に説明して判断を仰いだら、どうやらハードの故障、パソコンの基本であるマザーボードがいかれている可能性もあるという。
ハードの故障までは考えなかったので暮れから正月にかけて、パソコンに引っかきまわされ、その対応に相当の時間を費やしてしていたことになる。
ちょうど厳冬の季節で、晴であっても戸外活動には余り適した時期ではなかったので、長いこと経験することのなかったパソコンとの格闘による集中的なデスクワークは、大変ではあったが、それはそれなりに無駄ではなく意味あることだとプラス思考することにした。
うまくいかないことからくるストレスも高齢者の平穏無事な生活の中でみれば、この程度のものならむしろ頭を適当に刺激して活性化させるそれなりの効果もあろうし、その間の右往左往でパソコンに関する豊富な知識を否応なく獲得することができたことも有益だった。
ところで、ハードの故障と分かったからには次に直面しなければならない問題は、このパソコンを修理に出すか、それともこれを廃棄して新しいパソコンに買い換えるかの決断に迫られることである。
NECの窓口がいうところによれば、この症状からみてマザーボードの故障なら修理代は5万4千円前後になるという。
しかも、ついでながら‥‥‥と言うところによると、このパソコンは製造から随分時期が経っており、その故障修理期間(関連部品の保存期間)は本年3月で切れるという。
ならばと、すっかり使い慣れ切っているこのパソコンの後継に当たる機種を聞いてみると、新機種としてVW970VG VW770VG というのが本月発売されたばかりという。
(私のパソコンは地上波のTVしか見られないが、これら新機種ではデジタル放送にも対応しており、性能はCPUpuは3.06CGHZ、メモリ4GBと格段によくなっているようだ。)
オープン価格なので値段はいえないが、市場では25万円くらいだともいう。(後でインターネットで調べたら25万はメーカーの小売希望価格で、インターネットで購入すれば19万か18万くらいで買えることが判明。)
今のパソコンを購入した時点を調べてみたら2004年4月の購入で6年も前のことであり、価格はなんと36万5千円もしている。
この機種は画面の横幅がとても広くてCPUは当時としては破格の2.80CGHZ、メモリ2GBでとても動きが早いこと、それに地上波だけだがテレビの視聴・録画もできるので大いに気に入っており、その扱いにすっかり馴染んでおりとても捨てるに忍びない愛着がある。
新機種の方は発売されたばかりだというのも、これまでの経験からはあまり感心できない。割高だし、性能に対する評価がまだ定まる段階にはなく、使い勝手が必ずしもよくない可能性だってないわけではない。
さらに、OSは当然のことながら最新のウインドウズ7だろうが、せっかく慣れているウインドウズXPを捨て、新たな操作の勉強をするのも今は少々気が重い。
いずれウインドウズ7を勉強しなければならないとしても今でなくていいだろう。
もう少し時間が経過して7についていろいろな操作方法を解説するマニュアル本が出揃うまで先延ばししてからの方がいい。
修理代として6万円はちょっと高いが、2、3年も使えれば元はとれようし、そのときは私も82か83歳というそろそろ頭が硬直しかねないぎりぎりの年代となる。
その時点で、なおも元気ならさらに機能が充実した新機種を「最後のパソコン」として買い求めることを検討した方がよかろう。
本年3月から故障対応が困難になるというが、この機種を買ってから6年も使って特に問題はなかった経過を考えればしばらくは大丈夫だろうし、新機種を購入しても、廃棄ではなく家内に払い下げるという手もある。(現在、家内が使っているパソコンは私のよりずーっと新しい機種だが、その性能ははるかに劣る。)
かくて、新規購入をやめて、故障修理を決断するに至った。
最近は本当に便利な世の中になったものだ。大きなパソコンを包装して発送するという面倒くさい作業は一切不要であること知った。玄関先にそのまま出しておけば業者がすべて丁寧に梱包して持っていってくれるのである。
だが、、パソコンを修理に出して戻ってくるまでの一週間、パソコンのない生活にはほとほと参った。パソコンがこれほどまで我が生活の中に深く入り込んでいたことを痛感させられた1週間であった。
修理されて戻ってきたパソコンはまことに具合がよろしい。
これまで長い間に知らず知らずに積み重ねられてきた不要なもの、よどんだ澱といってもいいようなソフトがたくさんあり、これらを一切合財清算したことで、全く新しい操作環境を構築することができた。
「禍転じて福となる」ほどではないにしても、まあ、記録にとどめておくべき出来事であった。