伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

爪木崎ウオーキング D-ikoi

2014年01月30日 | ウオーク

1月29日  (水)   

伊豆半島の「花暦一月」最初の幕開けとなるのは須崎半島の突端爪木崎にある水仙群落の開花。D-ikoiのロングウオークも例年、ここから始まる。

1月中に行われていた「水仙祭」が終わるのはもうすぐだが、時期的には最高の日となった。全面に広がる水仙の開花は今ちょうど真っ盛り、緩やかに吹く東南風が一帯を水仙の芳しい香りでつつんでくれていた。

 

伊豆高原を9:00に出発。車2台に10名乗車、いつものように下田御用邸の隣にある駐車場で下車し、スロープと階段を下って白砂と碧色の海面を持つ九十浜に降り立つ。

 


 

昨年と同時期、同場所での記念撮影。

岩のくぐり穴を通って爪木崎に向かい磯伝いに歩いて水仙群落地に向かう。

磯場近くで昼食
 

この丘に立つと、東南から吹く微風が運ぶ水仙の香りが強い。
 

反対斜面で須崎方面を望む。これまで気付かなかった面白い形の岩を見る。

時間があるので、帰路には須崎に寄り恵比須島を取り囲む遊歩道を一巡する。島は変わった組成の岩に取り囲まれている。

 

白浜神社にも寄る。
 

境内で早くも桜の花が開いている。その名は「白浜伊古奈桜」とある。この神社の祭神は荒ぶる「伊古奈姫命」(噴火と地震を司る?)、三島大明神と結婚したことで落ち着き「愛と知恵と美の女神」になったという。(Mrs.IWの解説)
 

枯木の御神木「白龍の柏槇」、「枯れてから千三百年」とあるが、まさか!

河津にも寄り、海浜で化石が採れるという。河津城址の裾を巡って海浜へ。だが、潮が満ちて海辺まで行けない。他日を期して戻る。

ここにも桜が……。
 

伊豆高原に戻り「ガスト」でティタイム、IKOI農園で解散。大きな大根一本ずつ抜いて帰る。
 

この日、総歩数8000歩、少々脚の草臥れ。「花暦二月」は河津町の「河津桜」より東伊豆町の「みなみの桜」と「菜の花畑」の方が魅力的なので中旬に実施予定。

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通信環境の改善(スマートホン常用とパソコンの光接続)

2014年01月25日 | パソコン

1月25日  (土)  /

昨年暮れに申し込んでいた光回線接続工事が1月17日にようやく終わった。屋内の電話線に並行させて光ファイバーを走らせる工事で1時間ほどかかった。

当地は街から離れた山中の別荘地だから、これまでNHKの光ケーブル設置工事がなかなかなされず、インターネットを使うには通信速度が遅い電話線でADSL回線を使うしかなく、待ち望んでいた光回線接続工事であった。

工事が無事終了し、喜び勇んで設置マニュアルに基づき新しいモデムからパソコンへの接続設定をはじめたところ、とんでもないことに気付いた。
光ケーブルへの申し込みに際して既定のNTTのプロバイダー にするとメールアドレスが変わってしまうので、これを避け今まで通りのアドレスを使うためプロバイダーを変えないことにしていたのである。

光回線でパソコンを使うには工事に入る前に、プロバイダーに光回線変更の連絡をしなければならないことを怠っていたのである。光にするには新しくプロバイダーのIDやPWが必要とのことで、あわててプロバイダーに連絡したが、関係書類を直ぐ送っても1週間かかるというのである。

回線がADSLから光に代わってしまっているから、従来通りのADSLも使えない、光も使えないということで、パソコンのインターネットとメールが1週間にわたってまったくできなくなってしまったのである。

これはに困った、心底困った。毎日至極当たり前のこととして使っていたインターネットが不通のまま1週間過ごさねばならないというとんでもない事態に陥った。

IKOIのお仲間Mr.ITがパソコンについて実にうまいことを言っていた。

「若い時にはパソコンを覚えるのに苦労し、現役時代は仕事でパソコンに使いまわされて苦労し、退職後フリーではなにかの事情でパソコンが使えなくなると苦労する」と。

まさにその言葉どうりで、1週間はパソコンなしの生活、いかにパソコンが生活必需品として自分の生活に深く入り込んでいるかを痛感させられた日々であった。

そして、ようやく光回線がつながった。回線速度測定ソフトを使って通信速度を測ったら12MBps、これまでのADSLの通信速度はKBps単位だったから飛躍的な改善である。これならyoutubeで読み込みが遅れて一時中断するようなことはなくなる。しかも経常経費はADSLより光の方が少し安いという。

これで私の生活も元に戻った。

パソコンでインターネットが使えなかったのは私にとって大きなマイナスの出来事であったが、世の中、万事「塞翁の馬」で、パソコンが使えなかったことが、別のプラスを生み出していたのである。

パソコンが使えない期間、スマートホンを使ってインターネットに接続することを余儀なくされたことにより、スマートホンそのものの使用について随分勉強させられ、なんとかスマートホンを使いこなせるまでになったことである。

昨年の秋、それまでの携帯をスマートホンに代えた(10月26日ブログ「スマートホンを買う」)のだが、タッチパネルの操作がうまくいかず、電話とメールのほかには数ある多様な機能を操作する段階には至っていなかったのである。

それが、この1週間ほどスマートホンで否応なくインターネットを使うことになり、タッチパネルの操作にも慣れ、それに伴ってスマートホンのいろいろな機能を試してみて、インターネットだけでなく、ほかの操作にもなれてきており、だんだんスマートホンが手放せなくなり、常時携帯が習慣化してきている。

スマートホンの便利なところは、簡単な調べならわざわざパソコンの前に座らずに、たとえばベッドの中で手だけを伸ばしてインターネットを見ることができる。現在、毎朝の習慣になっているのは朝目覚めたときベッドのなかでインターネットの新聞(日経・産経)を読んだり、今日の天気予報をみたりしている。

スマートホンがすっかり身に着いたということであろうか。

パソコンの光回線接続による通信速度の向上、そしてスマートホンの操作習熟と常時携帯化、この二つで私の通信環境は近時おおきく改善、向上することになった。

目出度し目出度し!

 

寝室の窓から見た昨日の日の出(朝が早くなり、太陽の出る場所が随分左側に寄ってきた。)

 

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寒い!寒さの中の平凡な事実

2014年01月16日 | 園芸

1月16日  (水)  /

24節季では1/5「小寒」から1/20「大寒」までが最も寒気厳しい時期とされているが、比較的温暖だといわれる伊豆半島でも年々寒さが厳しくなってきているようだ。

20年前を遡って考えてみても、大室高原では霜は降らなかったし、戸外の桶に氷がはることはなかったと記憶している。

排気ガスの影響による地球温暖化が問題とされているが、地球規模のサイクルからいうと地球は寒冷化の段階にはいっているともいう。暑いにせよ寒いにせよ最近は極端化してきているように思える。

今日も寒い。ひどく寒い。この寒さで外出はできるだけ避けているが、バケツに生ごみが一杯となりIKOI農場のコンポストに投入しなければならない。わづか数十メートルの坂道だだが滑ったりしないよう気を付けて行く。

農場の散水用水槽に浮かぶ「ほていあおい」はすっかり枯れ果て厚い氷にしっかり閉じ込められている。

 

寒さに堪えながらIKOI農場まで折角きたのだからと、農場の視察・点検をしみたら、この寒さのなかでも大きく育っていく作物がある。一つは「青首大根」、もう一つは「椎茸」である。

 

特に「青首大根」の生育ぶりには驚いた。いつの間にかものすごく大きく育ったいる。10年以上かけて冬大根作りに励んできたが、今年の大根ほど出来がいいのは初めてである。バケツに2本入れると一杯で家に持ち帰るのが大変だった。

 

「椎茸」のほうは、小さなものが沢山原木にできているが、いずれも小さいまま固くなっている。しばらく雨が降らず空気が乾燥していたためだろう。水なし、この寒さでは育たないは当然である。

 

ただ一つ、椎茸原木の下に雑草がびっしり茂っているところからに、とてつもなく大きくなった見事な椎茸をひとつだけ見付けた。地面が近く、雑草の茂りで乾燥することをはばんでいたからであろう。





家に帰って庭を見回ったら、ここでは早や「春の兆し」が認められる。

咲き初めた蝋梅の花と咲き誇っている水仙の花である。

春はまだ遠く、いまは厳冬の唯中にあるが、時々刻々植物はそれぞれの営みを目立つことなく続けているのだ!

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「ミドリムシ」と「㈱ユーグレナ」

2014年01月13日 | 雑文

1月13日  (月)   /

ふとした偶然から「ミドリムシ」という生物の存在に興味をそそられた。

「ミドリムシ」とは「虫」ではなく昆布や若芽などの藻類に属するという。いまから5億年前に地球に誕生した光合成を行う微生物(体長0.05ミリ)で植物と動物の性質を併せ持つという珍しい存在。

現在では中学か高校の理科の教科書にも載っているとかで一般にも広く知られているようだが、戦前・戦後の教育を受けた私の世代にとってはこれまで聞いたこともなかった新奇の生物である。

そんなミドリムシのことを知っていたかと、念のため化粧品会社の社長をやめ80歳を超えた今となっても大学の研究室を借りて女性の髪の毛を顕微鏡で覗くという理学部出身の旧友Mr.UNに聞いてみたら、大学時代にミドリムシを顕微鏡で見たことがあるという。
なるほどその分野ではむかしから知られる存在だったらしいが、それは極めて特殊な世界でのことだったであろう。

このミドリムシ、学名「ユーグレナ」、(ラテン語でeu美しい、glena目)が発見されたのは17世紀と古いが、1990年代になってからは、無限の可能性を秘めた生物素材として研究が進められ、1990年代に至ってバイオ・エネルギーとして政府が膨大な予算をかけて支援した「ニューサンシャイン計画」の一部にも取り入れられたようだが、成果が出ないまま2000年にはその研究も衰退して終わったといういわくつきのものらしい。

失敗の最大原因はその大量培養が困難だったことによる。それが近時、ある企業が大量培養に成功してからにわかに注目を浴びるようになったと知った。

ところで、その「ミドリムシ」、インターネットで調べれば調べるほど興味が湧いてきた。

こうした特定事項を調べるのにインターネットは大変な威力を発揮する。

昔なら百科事典で項目を索引で探し該当項目の巻を開いて読み、それで満足できなければそれに関連する項目をできるだけ探して読むくらいが関の山だったが、今ではインターネットを駆使すれば専門的論文まで含めて関連サイトに簡単に移行して読むことができる。時間さえあれば知識欲を満足させるのは極めて容易だ。

 面白さにつられて、ほぼ一日近くかけてミドリムシのことをあれこれ調べてみた。もちろんあくまでも素人の好奇心からである。

その過程で「ミドリムシ」の大量培養に成功し、ミドリムシが持つ可能性を最大限に引出し企業化したベンチャー企業が「㈱ユーグレナ」であることを知った。

そして、その会社が展開しようとしているミドリムシ事業を知れば知るほどこの会社に魅了された。「ユーグレナ」はマザーズ市場に数年前に上場されたばかりのベンチャーの会社である。

現在はミドリムシから栄養食品や化粧品を作るくらいが主な事業であるが、ミドリムシの将来性を見据えた企業構想はとてつもないものである。ミドリムシを素材としてバイオマスの5F、すなわちFood(食料)、Fiber(繊維)、Feed(飼料)、Fertilizer(肥料)、Fuel(燃料)など多方面での工業製品を生産することを目指しているという。

なかでもミドリムシから作ったオイルでジェット機を飛ばす燃料を作るというのは凄い。また、ミドリムシから作った食品や飼料で世界の食糧危機をも救うというのも気宇壮大である。

夢みたいな話だが、インターネットでの情報だけではなんとも頼りなく思い、「僕はミドリムシで世界を救うことに決めました(出雲充)」といういささか大それた題の本があることを知って、アマゾンで取り寄せ一読してみた。ユーグレナの社長が昨年2012年に出版した本である。

内容はベンチャア企業の起業にまつわる話だが、ミドリムシの将来性が必ずしも夢ではなく実現可能な実務構想であることを納得させられ大いに意を強くした。

最初は、少し眉唾な話にも思えたものだが、その後もさらにインターネットを通じていろいろと調べてみると、既にユーグレナと連携し共同研究している大企業は数多く(伊藤忠商事、全日本空輸、電通、日鉱日石、日立、理化学研究所、清水建設、住友共同電力、都下水道局,大阪瓦斯など)、大学との共同研究でも東大、大阪府立大、兵庫県立大、島根大、近畿大などで進められいことも分かった。また、文部科学省や経済産業省など政府機関から補助金を受けているらしい。

そんな企業が描く将来なら、その発展に少しでもお手伝いしたいと思い、マザーズ市場で同社の株価をチェックしてみた。株価は1400円前後、売買単位も100株だとある。これなら私でも買える。

新興市場への投資は、株の高騰により短期間で大きな利益をねらうのが常道なのだろうが、「ユーグレナ」に関する限り、儲けなどは度外視して会社を応援したいという気持ちが大切である。株を買うとしても短期の保有ではなく、長期間持ち続けてその会社の発展を見ることにあり、もちろんその間の配当などは念頭になく、その「大きな夢」を買うということになる。 

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「八幡宮来宮神社」参拝

2014年01月11日 | ウオーク

1月11日  (土)   

正月に恒例としてきていた「三社詣り」の最後として、八幡野にある由緒ある古社「八幡宮来宮神社」まで家から長い坂道を下ってゆく。Mr.TBと。

直に下れる最近できた幅広い舗装道路の両脇にある歩道はなるべく避けて、できるだけ別荘地内や町中の曲がりくねった道を歩く。 

新しくできた道路から見る相模湾の水平線は、まさしく眼の高さにある。これだけがこの道からの見もの。

別荘地から対島川岸沿いにある狭い野道に抜ける場所を記憶を頼りに何とか見つけ出し舗装道路を横切り八幡野の古い街並を珍しげにきょろきょろしながら歩く。

(今後のことを考え、別荘地から川沿いの道に出る場所を写真で残すことにする。)


 

 


 

 八幡宮来宮神社に至る。深い樹叢に囲まれ静寂が支配する中、苔に覆われた階段を上って小さな社の前で額づく。拝殿が二社両祀の珍しい神社だという。

私はとても素晴らしい佇まいの神社だと思うのだが、いつきても人っ子一人いない。正月を過ぎて間もないというのに……。


 

神社に入るすぐ手前にお寺がある。「大江院」伊豆八十八か所第二十八番霊場だという。

これまで神社に気を取られ素通りしていたが、院内に入ってみたらここもなかなかのお寺である。


 

道を下り終えて伊豆高原駅前からバスで帰る予定のところ、数分前にバスが出発しており、やむを得ず、タクシーで自宅まで。 

この日の歩数がぴったり一万歩、すべて下り道だから気楽に歩いたが、帰ったら俄かに足が重くなった。

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エルテのブロンズ像に魅せられる

2014年01月10日 | 雑文

1月10日  (金)   /

今日は「イトーの日」とかで伊東市所在の多くの観光施設の入館料が無料だったり割引になったりする。

そんな日だから今日のウオークは入館無料となる「シャボテン公園」と「グランパル公園」の構内をぶらぶら散歩しようと前日からMr. & Mrs.TBと約束していた。

しかし、天気予報は晴だといっていたのに、朝起きてみればなんと雪がちらつく曇空、それにこれまでにない冷え込みで、これではいかに「フリー」だといっても公園の散歩には適しない。

だが、折角外出を思い立ったことでもあり、無料ではないが割引が効く「伊豆ガラスと工芸美術館」と「池田20世紀美術館」を見て歩こうということになった。
いずれも入館料は「イトー」にちなんで110円。美術館で文化の香りを……というにしては少々ミミチィ話だが。

どちらの美術館に入ったのは確か6,7年も前のことだったから、それなりに展示・陳列物にも変化があるだろうと期待してのことだった。

まず「伊豆ガラス美術館」に入る。ここはロシアのエリチン大統領が川奈ホテルに泊まったとき、夫人が訪れたところと記憶している。

「伊豆ガラスと工芸美術館」(以前は伊豆ガラス美術館といっていた)の1階に置かれたガレ、ラリック、ティファニーなどのカラス作品は記憶にあったが、二階に置かれてたエルテという人の作品は記憶になく、以前には置かれていなかったと思う。

初めて見るガラス細工とブロンズ像だが、精緻な技法による見事な造形には眼を見張った。優美というか妖艶といったがいいか、幻想的な素晴らしい女性像にすっかり魅入られてしまった。

エルテという工芸家の名前を私はそれまで聞いたことがなかった。

説明文によるとエルテはアール・デコの代表作家だという。1913年にロシアで生まれ、実名はロマン・ド・ティルトフといい、パリに移り住んで幅広くいろいろな芸術活動を行い、平成2年に98歳で亡くなったという。アール・デコの巨匠だというが、どちらかというと私とあまり違わない世代に属する。

写真をみると女性かと見まがったが男性で、ブロンズ像は70歳台から手掛けたという。本当だろうか。高齢になってこれだけのブロンズ作品が作れたなどとはちょっと信じられない。

日を改めて再度入館して、一人でゆっくりエルテのブロンズ像を鑑賞したいと思った。

通常、美術館内では写真撮影は禁止されているが、この館内で「写真撮影はどうぞ」ということなので、お言葉に甘えてこの素晴らしい作品のいくつか撮影させてもらった。

 

エルテのブロンズ像





次に「池田20世紀美術館」を訪れる。

ここは前に来た時もあんまり感心しなかった。私の絵画への関心は20世紀初頭の第一次大戦前までのものであって、以後の20世紀絵画は私の理解の外にある。

著名なピカソやダリやウオーホルの作品もさっぱり分からない。分からなければ面白くもない。お付き合いで館内をぶらぶらしただけ。

 



美術館の正面

 

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池地区の「山神社」参詣

2014年01月07日 | ウオーク

1月6日  (月)   

昨日に続いて穏やかな冬日和。別荘に来ているMr. & Mrs.TBと4人で池地区にある「山神社」に参詣した後、田園地帯を散策する。

山神社には参詣人ゼロ。森林に囲まれ静まり返った鎮守の小さな社が醸しだす清々しい雰囲気は無宗教の私であってもなぜか心を洗う神聖な気持ちにさせてくれる。

今日は「小寒」、いわゆる「寒の入り」だが、日中晴れ渡った空も下で四囲を山に囲まれ静まり返った田畑をゆったり歩くのはなんとも快い。歩数は4000歩。




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新春足慣らし

2014年01月05日 | ウオーク

1月5日  (日)   

年末から年初にかけて、ほとんど身体を動かしていない。室内でひたすら飲んだり食ったりするだけの生活が続き、身体全体がすっかりだらけきってしまったような気がする。

正月気分をふっきり、取りあえず戸外へ。新春の足慣らしとして「神祇大社」に家内と遅まきの初詣に出掛ける。すこし脚のふらつきを感じる。

総歩数7000歩。改めてこれからの健康保持に「ウオーキング」が必要なことを痛感させられた。

途中「砂場」で昼食の休みをとらなければ、一気に往復とはいかなかったかもしれない。

正月三が日はさぞ混雑したであろうと思われる「神祇大社」だが、それが過ぎれば二、三の参詣客がいるだけなので、ゆっくりのんびり暫時境内を逍遥してから帰途に就く。

 

 帰りは、なるべくこれまで歩いたことがない道を選んで歩く。道一筋隔てただけでも見慣れぬ風景が展開されえるのが面白い。

青空を背にした落葉樹(私の好きな景観)

天城山を広く見晴らす
 

樹幹を隔ててみるログハウスはなかなか風情がある。
 

夫婦道祖神(古色を帯びた由緒あるものではなく、今様のものだが)
 

赤沢地区に多くみかける赤い石の割れ目に木が育っているとは!
 

裸木が続く
 

もう何年も見ることがなかった青空に翩翻とひるがえる日章旗(他国に類をみない簡素にて優美なデザインの国旗、素晴らしい。)

途中に見かけた植物いろいろ
  

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2014年 初日の出

2014年01月02日 | 日記

1月1日  (水)   

例年のことながら、寝室の窓から初日の出を拝む。

隣家の樹がすっかり大きくなり、伊豆大島の麓から昇る初日の全貌を見ることが出来なくなって久しいが、幸い落葉樹だから樹幹を通して初日の輝きをみることはできる。

2014年、新しい年の夜明けである。風速12mという激しい風が吹き荒れており、穏やかとは言い難いが天気は晴朗、これからいろいろあるかも知れないが、総じていい年の初めを予感させる。

今年は「午年」、84歳の年男である。やり甲斐のあることを沢山見つけて年齢並みの実りある一年にしたいと切に願う。


 

 

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