伊豆高原シニア・ライフ日記

「老い」を受容しながら自然の恵みに感謝しつつ「残躯天所許不楽復如何」の心境で綴る80老の身辺雑記 

恒陽台・望洋台別荘地を歩く

2014年05月30日 | ウオーク

5月28日  (水)   /

我が家への訪客が国道下から大室山麓中腹に展開する大室高原別荘地を見上げて「あんな高いところに住んでいるのか!」といささか呆れ気味に驚く声を聞かなくなって久しい。

別荘ならいいとしても居住地となると、これほど高い所は危険が一杯、生活に不便で、孤立的になるのではないかといったマイナス・イメージが言外に滲んでいるような言葉である。

25年前から居住しているので遠来の初訪問客は今はほとんど来ることはなくなったが、数日前、久し振りに当地初めて訪客Mr.MEからも似たような発言があったことから、遂の住処をこのような高所に選んだ奇遇を思い返し、人の好みは様々なれど、私に限って言えば、ここの高台を永住の地としたからこそ今の満ち足りた生活があるのだと改めて思った。

Mr.MEに宿泊してもらった「エクシブ伊豆高原」の部屋はたまたま我が家とほぼ同じ標高となる最上階6Fだったので、その部屋から見下ろす風景で私の高所に寄せる思いの一端を彼も理解したかのようである。

 


 

ところで、「大室高原別荘地」の標高は高いが、それより遥かに高い位置にある別荘地が近くの赤沢地区にいくつかある。

その中の二つの別荘地「恒陽台」と「望洋台」を歩くことがが今回のD-ikoiウオーキングの目的となった。「恒陽台」はIKOIメンバーであるMr.KDが住んでいるところでもある。

「恒陽台入り口」と書かれたところから立派に舗装された急な坂道を上りに上って、標高500m山頂近く、赤い大きな鳥居のあるところで下車し、まずはちょっとお洒落な「赤沢稲荷」の祠にお詣りしてから更に上へ上へと登っていく。

下界?は晴れているが、ここは雲の中なのか眼下に広がる洋上には靄が立ち込めている。

そのため最大の見せ場というべき「海一望」を果たすことはできなかったが、急斜面に鬱蒼と生い茂る樹林のなかに点在する高々とした家の佇まい森閑とした雰囲気は高所ならではのもの。

 

 

途中で見かけた「ふたりしずか」は、この地に相応しい草花である。(この草には白い穂花が二つ対に咲くのだが、これは一つだけ、「ひとりさびし」と名付けるべきか。)

「恒陽台」を上り切り、隣接する「望洋台」の道に入って歩き回わった後、深山幽谷の趣のある山間を流れる「草崎川」に沿って下る。

相当長い距離を歩いたため、年寄りと女性は昼食時でダウン、若い人?が再度鳥居まで車をとりに上ってくれD-ikoiウオーキングはここでフィニッシュ。Mr.KB宅に立ち寄ってから帰る。歩数6000歩、えらく疲れた。体力の衰えを自覚する。

 

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春過ぎ夏の気配

2014年05月27日 | 園芸

5月27日 (火)  /

心をときめかせた樹々の新緑もいつしか深い緑に変わり、春過ぎて夏来るの風情をにじませるようになった昨今。

夏の訪れを思わせる兆しは庭にもIKOI農園にも顕著にみられるようになってきた。草木を繁茂させる勢いは日ごとに増し、花を咲かせ、実を結ばせている。

目下、我が家の庭では満開を迎えているのが「タツタ撫子」、その勢威を誇っている。

 




 

IKOI農園ではソラマメ、玉ねぎ、ジャガイモ、豌豆、大根などの野菜が緑を盛り上がらせ収穫の近きを知らせている。

一方、室内では玄関の棚に「母の日」名残のカーネーションと並んで新作の「紫陽花」の置き雛2ヶが旧作「百合」と一緒に姿を現している。

 

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南伊豆町「長者ヶ原山つつじ」 D-ikoi-W

2014年05月16日 | ウオーク

5月14日  (水)   /

昨日は雨、明日も雨予報。間に挟まれた水曜日の定例ウオークの今日だけが晴日となった。

しかし、メンバー8名のところ用務のため不参加が多く、5名のみの参加となる。

目的地は南伊豆町の「長者ヶ原」の山つつじとその周辺で採れる蕨。

南伊豆までは少々遠く一日がかりの行楽となるが、長者が原の山つつじは豪華絢爛の小室山のつつじとは趣を異にする自然のままの素朴な味わい。

飾りげなく点在する野生つつじの群生地の野趣も捨てがたい。

蕨採りの方は80歳を超えた超高齢者の我々夫婦は屈むことが苦手なのでもっぱら若い人?に任せてひたすら展望台までのウオーキングに徹する。

だが、それでも上りは休み休みの歩みとなる。

総歩数は4000歩。

 



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緑の中に住む幸せ

2014年05月11日 | 日記

5月11日  (日)   

一年で最も生きる喜びを感じる時期。自然はもとより人の心も。 

伊豆高原は緑一色。どこもここも緑、緑、緑。麻雀でいえば「オールグリーン」。家の四囲もすべて緑一色に包まれている。

畑の野菜類も日々緑の濃さを増して育っている。

 

書斎からみる緑の伊豆高原

 


 

我が家を囲む緑

IKOI農園で育ちゆく緑の野菜

 

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「小室山つつじ園」ゆるゆるウオーク

2014年05月08日 | ウオーク

5月7日  (水)   /

「小室山公園つつじ園」の「つつじ祭り」は毎年連休にあわせて4月29日から5月5日まで行われる。このときは遠来の客が大挙押し寄せるので大変な混雑ぶりになる。

常設の駐車場ではもちろん間に合わないので、近くに広大な臨時駐車場が別に設けられるが、それでも満車に近く、しかも駐車は有料である。

だから地元の我々は意識的に連休をさけ、その前後の日を見計らってつつじ鑑賞に出かけることになるわけだ。

今年もD-ikoi早朝ウオークは「祭り」が始まる前の定例水曜日4月23日につつじ鑑賞をかねて小室山に登ったが、つつじの満開には少々早かった。

そんなことで、連休が終わり「祭り」閉幕した直後となった5月第一水曜日、再度小室山ウオークを実施することになった。

ただし今回はメンバーの一人がボーリングで肉離れを起こしたことを慮って?山には上らずもっぱら「つつじ園」内のぶらぶら歩き(2000歩)。


 

「祭り」の後なので、つつじの花の華やぎにさほどの期待を寄せてはいなかったが、どうしてどうして、思いもしない素晴らしいつつじの景観に出会うことになった。

時間にまかせてゆっくりとこれまで通ったことのない通路をあちらこちらほっつき歩いてみると、これまでの見慣れた構図とは一味違った角度から息を飲むような景色が展開される。それに今年の開花がやや遅れ気味だったからであろうか、まだ満開の群落もすくなからず残っておりなかなかの見ものであった

運動というには程遠いウオーキングとはなったものの、おおいに満足していつものように近くのファミレス「ガスト」で朝食となり散会した。


 

 

つつじ園の中で心に染み入るような美しい新緑に 出会う。この色をなんと表現していいのか。

mediumspringgreen #00FA9A あるいは forestgreen #228B22

つつじとは異なる色合いの藤も。

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雪の呪縛からようやく解放

2014年05月04日 | 日記

5月4日  (日)   

近頃は、歳をとったせいか、単純なことでもすぐ嬉しくなり、気分がよくなる。車の大修理が終わり、新車を思わせる姿で戻ってきた。これで長く続いた雪害がもたらしたもろもろの記憶の呪縛からすべて解き放たれたことになる。

去る2月8日から降り続いた記録破りの大雪にからむ嫌な記憶がを綺麗さっぱり洗い流され元の生活にようやく戻ったという実感がこれほどに気分が爽快になさせるものか。たまたま時期が連休に入り生き生きとした自然が戸外へと誘うことと重なったからかもしれないが……。

2月8日の豪雪で壊滅したカーポートに直撃され大破し長いこと見放されていた車がようやく修理を終えて連休前に手元に戻ってきたのである。

とにかく、今回の豪雪による被害は甚大であった。カーポート、車だけではない。IKOI農園の果樹(レモン・甘夏・温州みかん)の壊滅的枝折れ、家屋の樋の垂れ下がりなどなど復旧すべきことが多く、雪の呪いが長く続いた。

雪害からの回復がもっとも早かったのはIKOI農園の果樹である。まだ残る深い積雪の中でIKOIメンバーが早々と駆けつけ処理してくれた。これは私の力では到底対処できない力仕事である。

つぎにカーポートの倒壊、まず壊れた残材の撤去には意外に時間がかかった。しばらく手つかずの状態で放置され新しいカーポートが設置できたのは4月17日、2月以上かかっている。雪害の惨状を毎日眺め豪雪の記憶がいつまでも残るのは何とも不愉快至極であった。

そして、そのカーポートの下に置いておいた車の修理である。屋根やウインドウなど大破折損してしまった。不運なことには購入以来継続していた「車両保険」を車も古くなったことからもう必要ないだろうと解約してしまっていたのである。車の修理はすべて自己負担、大損害である。

次に、修理に出したときは一週間くらいかかると言われていたのだが、そのうち部品の調達ができないとかで一月に延び、更に部品の在庫がなくドイツから直接輸入しなければならないことのことで遅れに遅れて昨日の連休前になんとか修理が終わったという次第。

修理屋さんの言うところによれば、自動車の屋根の折損は伊東市だけで数百台、伊豆半島で数千台、静岡県では数万台に及んだという。外車だけでなく国産車でもいまだに部品の大増産をおこなっているがなかなか間に合っていないと。

成程、考えてみれば自動車の故障部分の大半は前横後のボディー部分だろうから、それなりの在庫はあるだろうが、屋根の故障など滅多にないので部品の在庫数は限られていたのであろう。これまで経験したことがない広範囲の大雪では屋根から落下する雪による車の屋根の故障など全く想定外だったに違いない。

カーポートの再建が遅れたのも同じ理由だったようだ。

ともあれ、そんなことで、最後の車が戻ってきてようやく雪害の記憶を消し去ることができたのである。

当地で3月ほど車なしの生活を送ったのは初めてである。当地に住むには車が不可欠とは聞いていたが、まさか自分が経験しようとは……。

いつの間にか齢をとって最近は車をさほど使わなくなっているとことは自覚していたが、やはりそれなりに車は必要だったのであり、その不便さを嫌というほど今回は痛感させられた。

本来なら修理中には修理屋さんが代車は出してくれる筈だが、前記の事情で代車はすべて出払ってしまった後で、結局代車がきたのは10日ほど前、もはや慣れない車など乗る気にもならなかった。

過日の運転免許更新の際に聞いたことだが、80歳を超えたら「運転免許証」の返上が勧められているらしい。だが、今回の経験に照らして、車を手放してのここでの生活は容易ではない。

そのためには、心身の健康(特に呆けと視力)について、今より以上に注意して、日々の努力を怠らず、せめて90歳までは車の運転をしたいと思う。

 再建したカーポートの下に戻ってきた車、新車同様にピカピカしている。

 

積雪の重みに耐えかね折損したカーポートとその下の車の惨状

 

 

 

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