12月1日(土)
まずは入院経過から
11月9日(金) 伊東市民病院 午後、特別の身体不調はなかったので自分の車を運転し精密検査受診、すぐ車椅子に乗せられて集中治療室に収容される
11月10日(土) 次第に呼吸が苦しくなり、深夜には呼吸困難となって集中治療室で生死の境をさまよう
11月11日(日) 「大動脈弁狭窄症、冠動脈硬化症・低左心機能」による危篤と診断され、伊東在住の家内、横浜在住の長男・長女、八王子在住の二女が呼び出される。
1月12日(月) 伊東市民病院には心臓外科医がいないため、伊豆長岡順天堂病院に救急車で緊急手術のため搬送、再度精密検査を受けてから集中治療室に収容
11月13日(火) 集中治療室
11月14日(水) 集中治療室 手術は「大動脈置換術(生体弁)ほか」
手術に伴うリスク 手術死亡率 54.8% 手術死亡率+主要合併症発生率 69.2% 相当に高い死亡率(japanscoreによる)
11月15日(木) 4時間48分の開胸手術
11月16日(金) 集中治療室
11月17日(土) 集中治療室
11月18日(日) 集中治療室
11月19日(月) 午前中、集中治療室から病棟8階の個室に転出
11月20日 (火) 個室
11月21日 (水) 個室
11月22日 (木) 個室
11月23日 (金) 個室
11月24日 (土) 個室
11月25日(月) 午前中退院、ようやく我が家へ
リスクの高い手術であったが成功、本日をもって術後18日目、傷日いまも痛む。開胸手術の傷が癒えるには3ヶ月くらいかかるとのこと。
思い返せば本年に入ったころから、それまで5000歩以上は歩いていた週1のIKOIウオーキングでは僅かの疲れというか体力不足を感じるようになり4000歩前後にとどまるようになっていたが、これも年齢相当かとさほど気にしていなかった。
9月中旬に風邪を引き、治るまでにいつもより長引くことになったが、その後、急激に体力の衰えをかんじるようになった。上り坂を歩くと息が苦しくなる、胸のあたりに軽い鈍痛を感じる、歩くのが面倒になった。これは今までに感じたことのなものだった。
なんとなく不安になって定期検査日(糖尿、血圧管理)でないのにやまもファミリークリニックで特別な検査を乞うたのがきかっけ。レントゲンとエコー検査の結果、午後には伊東市民病院で精密検査を受けろという。
これまで病院には車で独りで行ってたが、ちょっと引っかかったので、家内を同行し車を運転して伊東市民病院に向かう。
そして即日入院、急激な呼吸困難に陥り、深夜には家内、息子、娘二人が呼び出されるという思ってもみない深刻な事態に。
生まれてこの方、「入院生活」なるものを全く経験しなかった(若い頃「人間ドック」で一泊したことはあったが……)。見るもの聞くものすべてが「初体験」。耐え難い肉体的苦痛のなかで時間だけが目まぐるしく過ぎていった。断片的な記憶だけがちぎれちぎれ飛ぶ。
だが、この瀕死の極限になって、生死の分かれ目に立つ自分が意外に「死」を冷静?な意識でみていたことを知ったのは思いもかけないことであった。
「死」にゆくことへの悲しみもなく、恨みなどもとよりなく、恐れもなく、死ぬってこういうことなんだと平静に客観視する目。
さほどの才能に恵まれることなく、むしろ劣った能力の方が多いことを自覚しながら、自分なりに生きかくも満ち足りた88歳の人生を送れたとは、ゆうことなし。
いまも鮮やかに記憶していることは、この生き死にの際に、私は何と、藤原業平の辞世を思い返していたのである。
「 ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを 」
なるほど業平の歌はこういうことだったのか、と。
嘘のように思われるかもしれにが、これは本当である。
暗く息の詰まりそうな「集中治療室」を出て、新築された病棟8階にの明るい個室に入ったときようやく生きてる実感が湧いた。
伊豆長岡は富士山のよくみえるところ、あいにく病窓から富士山は直接みえないが、秋色を深めた山肌が目の前に。
開胸手術の後は未だに痛む。もとの身体に戻るにはまだしばらくはかかりそうである。
健康を取り戻してみても89歳、これから長寿にめぐまれてもせいぜい5年くらいか。いずれ人間として「死」を迎える。
今回の病が私にもたらしてくれた最大のものはといえば、「死」の模擬試験を受けてきたようななもの。私にとって「死」に不安はなく、その時は安心して受け入れられることを知ったこと。
大丈夫ですね。又、毎日ブログを拝見させて
頂きます!
11月2日の雑感以来まるひと月、高尚なブログがストップしていましたね、その前も体調のせいで一週間ほど休まれたことがあったので、本当に心配していました。
だいぶ前に無記名で投稿したこともありますが、今日これを拝見して本当に安心しました、あなたのフアンは世の中にたくさんいると思います、高齢なあなたの洒脱な文が
私(東京から15年前に宇佐美に移住した78才)の励みになっていました。これからも無理をせず体調のいい時に軽いブログを続けてください、応援してます。
復活おめでとうございます。まだまだ頑張ってください。
3年ほど前からこのブログを楽しみにしていました。
ムリしない範囲で更新をお願いします。
徒然草にも「死は前よりしも来たらず、予て後ろに迫れり」
とかありましたね。
苦しい中でも周りを気遣う、冷静な父の姿、そして気丈な母の姿に、娘としても心打たれる思いでした。
そして、農園の皆様の連携、サポートの素晴らしさ。良き隣人達に恵まれたこと、本当に有り難く、心より感謝です。
まだしばらくは、2人の生活が続くと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
私も6年前に体験しました。
心臓君が障害1級になっていますので
何かと不安な日々でしたが
伊豆に来まして 近くの優しい人々に守られています
Oさんも奥様と一緒に 農園の仲間と
元気と笑顔に向かって手を伸ばして下さい