(小津安二郎が表紙絵・題字を書いた岸松雄の映画評論本)
小津安二郎。松阪ゆかりの名映画監督です。
1月20日、松阪市丹生寺町の松尾地区市民センターで、松尾公民館のふれあい学級が開催されました。この学級は高齢者の人たちを中心として、健康に関する話しや、外国の暮らしの話しなど、毎回講師を招いて講座が開催されています。今月は映画鑑賞会が行われ、小津安二郎監督の『東京物語』が上映されました。私は残念ながら公務が入っていたので映画を見ることはできませんでしたが、講師である松阪小津組の矢野隆登志さんにお会いさせていただきました。
矢野さんは小津安二郎の研究家で、各地区を廻ったり、また松阪ケーブルテレビなどでも講演をしてみえます。矢野さんと私は20代の青年時代からの友人で、松阪市青年協議会で一緒でした。
日本を代表する映画監督・小津安二郎(1903年~1963年)は多感な青年期を松阪で過ごしました。安二郎は家の近くにあった「神楽座」という映画館に通い続けたことが彼の生涯を決定づけました。
小津と同時代に活躍した映画評論家に岸松雄(1906~1985年 本名 阿字周一郎(あじしゅういちろう))がいます。同世代の2人は映画監督と映画評論家と立場は違いますが、映画という同じジャンルの中で親交を深めていくのでした。岸松雄の映画評論の本の表紙絵や題字を小津安二郎が書いたことをみても、2人の親密度がわかります。そして2人は、かたや日本を代表する映画監督として、かたや日本を代表する映画評論家として上りつめていくのでした。
実はこの岸松雄の父の実家が松阪市西野町にあります。私の地元です。数年前に矢野さんから岸の話しを聞きたいので案内してほしいということで、二人で岸の実家の安濃田勘五郎さん宅に行き、話しを聞いたことがありました。残念ながら安濃田さんはそれから約半年後亡くなられました。
岸松雄の子ども時代の周一郎少年は、よく父の実家の松阪に遊びに来ていたそうです。その時彼は、西野から松阪の町まで歩いて往復したそうです。岡寺さんも彼の家と親戚にあたり、岡寺さんにもよく遊びにいったそうです。
後に日本の映画界で活躍する小津と岸の二人が、少年期に同じ松阪にいたことになります。小津はよく祗園祭を見に行ったということですが、もしかしたらその時は、お互いの存在を知らない二人が同じ祇園祭を見ていたかも知れないのです。
松坂というのは、良い所なのでしょうね。
一度、行ってみたいです。
松阪はとても良い所です。ぜひ一度お越し下さい。
お越しの節はご一報下さい。私が案内させていただきます。
℡ 0598-58-2948
川口 保