1月24日、松阪市飯南町深野にある「松阪市飯南和紙和牛センター」で行われた、柿野小学校の児童による「紙すき」を見学させていただきました。和紙和牛センターについては以前、決算特別委員会の席上で質問させてもらったことがあり、一度紙すきを見たいと思っていましたがお声がけをいただき、今日見ることができました。
この日は柿野小学校の3年生の児童20名が、地元の深野和紙保存会(野呂修三会長 会員14名)の皆さんの指導のもと紙すきを体験しました。今日参加した柿野小学校と粥見小学校は毎年体験学習の一環として紙すきを実施しているもので、この日は色紙大の大きさの和紙を3枚ずつ作りました。このあと子供たちは保存会の方から、和紙の歴史や和紙と洋紙の違いなどの説明を受け、原料の楮(こうぞ)などから和紙ができるまでのビデオを見ました。
深野和紙は慶長9年(1599)野呂市兵衛俊光という人が、美濃から紙すき職人2人を連れてきて、深野地内長野で紙すきを始めたものです。貞亨4年(1689)年頃には紙すき農家は250戸を超えましたが、亨保16年(1731)頃をピークにだんだんと衰退していきました。明治36年(1903)国指定の小学校の教科書が和紙から洋紙に変わり、和紙の需要が減っていき、昭和44年には最後まで残った紙すきの2軒も廃業して、約400年続いた深野の和紙の歴史が終わりました。昭和62年(1987)には深野和紙保存会が結成され、平成4年には和紙和牛センターができて、紙すきの伝承が行われています。飯高ふれあい祭りにも紙すき体験コーナーを設けて、紙すきの普及に努めています。
この施設が和紙和牛センターと呼ぶように、深野は和紙の産地でもあり、また和牛の産地でもあります。全国的にみても和紙の産地では和牛が肥育されている所が多く、和紙の適地と、和牛の適地は一致するということです。
以前は飯南地区だけで和牛の品評会も行われており、また松阪の品評会でも飯南の牛は最優秀(当時は優勝)の常連でした。しかし最近では和牛を飼育する農家も激減しています。
次回は深野和紙の歴史や和紙と洋紙の違いなどをまとめます。
コメントありがとう。
私も紙すきはこの日初めて見せていただきました。
古くから地元に伝わる深野和紙を皆さんが熱心作られていて、素敵な光景でした。