(写真は駅部田界隈)
◆市内の読みにくい地名
松阪市内には読みにくい地名は少ないが、その中でも岩内(ようち)、大足(おわせ)、菅生(すぎゅう)、甚目(はだめ)、新屋庄(にわのしょう)、田牧(たいら)等が読みにくい地名に属するであろう。
岩内は「いわうち」が、大足は「おおあし」が、菅生は「すがう」が、甚目は「はなめ」が、新屋庄「にいやのしょう」が訛ったものと考えられます。田牧町については別項で述べます。
これらの地名の読み方には何となくその雰囲気が感じられるが、似ても似つかぬものが「駅部田(まえのへた)」です。「部田」は「へた」と読めても、「駅」を「まえの」とは読みにくい。今回はこの駅部田についての地名探訪です。
◆道の駅と鉄道の駅
最近各地で道の駅ができ、ドライバーのオアシス的な存在となっています。松阪市内にも「飯高駅」と「茶倉駅」があります。この道の駅は名古屋駅や東京駅など鉄道の駅を真似て付けられたと思ってみえる方も多いのではないかと思いますが、「駅」の制度は鉄道より道の方がはるかに古く、1300年以上も前の奈良時代に始まりました。中央政府から地方へ政令を伝達したり、地方国司から中央へ報告したりするため道が整備されました。この時の馬を乗り継いだ中継所となったのが駅です。
中央の役人が大事な公文書を携え地方に行く時に通る道には「駅」が設けられ、駅には役所がおかれ、馬小屋があり何頭かの馬が飼われていました。このとき通る道を「駅路(えきろ)」、役人が乗る馬を「駅馬(えきば)」、荷物を載せる馬を「伝馬(てんま)」と呼ばれました。マラソンの「駅伝」はこの「駅馬」「伝馬」の頭文字をとってつけられました。またこの時役人が公用の印として持っていたのが本居宣長なじみの「駅鈴(えきれい)」です。
また駅を運営するのに必要な経費を捻出するのに与えられた田を「駅田(えきでん)」と呼びます。
◆駅部田は「うまやのへた」が訛ったもの
「駅」という字を漢和辞典で引くと馬小屋を表す「うまや」という意味があります。駅部田は「うまやのへた」が訛ったものだと言われています。では「部田」は何かと言うことですが、1つの説では駅を運営するために与えられた「部署の田」から付けられたというものです。
もう一つの説として・・・古い言葉を集めた古語辞典でもこの「部田」は出てきません。そのかわり「辺」や「端」と書いて「へた」と読む字があり、「ほとり」とか「そば」という意味があります。
『地名語源辞典』には「部田は「辺田」から変化したものといわれ、「田の端や端の土地をいう」とあり、『飯高郡駅部田村地誌』には「本村ノ名義ハ松阪駅ニ対シテ駅ノ傍ナル謂(いわれ)ナリ。部田ハ馬屋ノ傍ナル故ニ名ヅクベシ。」とあります。これらの資料から駅部田は昔の松阪駅の近くという意味の馬屋のそばを表す「うまやのへた」が訛ったものと思われます。
◆飯高駅について 飯高駅は1000年以上も前にこの地方を統治していた飯高氏が、都と地方を結ぶための馬の中継所としての駅制「飯高駅」を置き、やがてそれが宿場町へと発展していったもので、現在の道の駅「飯高駅」という名はこの当時の飯高駅にあやかって付けられました。
(紀勢国道事務所新庁舎開所式記念講演 門暉代司氏講演録『「みち」の歴史あれこれ -伊勢街道と和歌山街道を中心として』を参考にさせていただきました。)