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帝国主義の誤謬(北大道新アカデミー2022前期)

2022-06-30 15:02:55 | 講演会、学成り難し・・・

潰えた石橋湛山の「小資本主義」と外務省改革派グループの論理

石橋湛山は静岡2区選出の国会議員だったので、子供の頃から名前を知っていた。太平洋戦争から戻った村の大人達は選挙のたびに「吉田だ」「鳩山だ」「社会党だ」と議論していたし、鳩山派を引き継いだ石橋湛山に期待を寄せる人々が多かった。中学校を卒業する頃には新聞を読むようになっていたので石橋湛山の総裁選出ドラマに胸を躍らせたが、湛山の思想を理解していたわけではない。

総裁選の顛末は以下の通り。「日ソ国交正常化を果した鳩山首相引退後の総裁選で、アメリカ追従を主張する岸信介に対し、石橋は中華人民共和国など他の共産圏とも国交正常化することを主張して立候補。総裁選の1回投票では岸が1位であったが、石井光次郎と2位・3位連合を組んだ決選投票で当選。党内融和のために決選投票で対立した岸を内閣の副総理として処遇するのであった。内閣発足直後には国民皆保険を目指す閣議決定を行い、積極財政を行うとし全国遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。帰京後軽い脳梗塞で倒れ、政治的良心に従うと潔く退陣。後任首相には岸が任命された。首相在任期間は65日と短かった」。石橋の辞任には、「潔い」「無責任」と相反する論評があった。

今回の「北大道新セミナー」演題に石橋湛山の名前を目にしたとき記憶が蘇り聴講を申し込んだ。講義は、ジャーナリスト時代及び政治家としての湛山の思想を近代史の中でどう位置付けるかが主題だったが、かなり難解だった。

西洋を追いかけ、時代が遅れて突き進んだ日本帝国主義の領土拡大行動。帝国主義の誤謬に気付き異を唱えた人々がいたのに、戦争を回避できなかった弱さは何処にあるのだろうと講義を受けながら考え続けた。また、ロシアのウクライナ侵攻が時代を経て重なるのを覚えた。失われる命、経済的損失は計り知れないのに、戦争を何故止めることが出来ないのだろう。人間の愚かさなのか?

講師は北海道大学日本史学研究室教授 権錫永(KWEON Seok-Yeong)博士。研究分野は日本近代思想史、植民地期朝鮮文化史。「近代において3度も大きな戦争を遂行し、あちらこちらに植民地をもった日本という国をどのように理解すべきか、知識人はそういう国家的行為とどのように向き合ったのか・・・」を研究テーマにしていると言う。

 

◆権錫永「潰えた石橋湛山の小日本主義の夢」2022年6月11日

石橋湛山は、戦前は「東洋経済新報」主筆・社長として一貫して日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱え、戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張して政界で活躍。保守合同後初めての自民党総裁選挙を制して総理総裁となったが、在任65日で発病し、退陣(大蔵大臣、通商産業大臣、内閣総理大臣、郵政大臣などを歴任)。退陣後は中華人民共和国との国交正常化に尽力した、ジャーナリスト・政治家である。

国家存亡にかかわると言う「危機認識」、「国益のため」と言う粉飾された主張が帝国主義の根幹にあった。湛山は「自国の利益を目的とするはずの帝国主義が実は自利に反している。自利を真剣に考えた先に正義が宿る」と帝国主義の誤謬を指摘し、植民地を棄てよ、現実の数字(膨張政策の欠損)を重視せよと小日本主義を唱えた。国民の幸福だけでなく人類の幸福に貢献する道を求めた。

◆権錫永「帝国主義の誤謬と外務省革新派グループの論理」2022年6月25日

帝国主義の誤謬を指摘し転換を図った事例として、もう一つ「外務省革新派グループの極東連合構想(日本主義)」がある。

西洋による東洋の支配・搾取からアジア民族を開放し、アジアの民族的協力社会を建設しよう、日本がその核となる。核となる原理は日本主義(皇道主義)、理想のためには武力行使もあり得るとした極東連合構想。昭和の戦争はこの構想と重なる理想主義的な外交方針によって推し進められた。彼らにとって国民とは何だったのだろう? 

今の政治家も、新型コロナやロシアのウクライナ侵攻を背景に「危機だ」「国益だ」と叫ぶ。この言葉に国民は逆らうことが出来ないだろうと考えているに違いない。しかし、この言葉を耳にした時こそ「何が危機で、真の国益とは何?」と我々は賢く熟考する必要があるだろう。勿論前提になるのは、情報がコントロールも隠蔽もされていないと言う状況にあること。

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