家の裏に,幹の直径が30~40cmを超えるようなヤブツバキ(Camellia japonica)の大木が何本かあった。木登りして遊ぶこともあったが,幹の表面が滑りやすく何度か落ちた記憶がある。
花の咲く頃にはメジロ(Zosterops japonicas,,Japanese White-eye)が群れていた。
「どれがメジロだ?」
「目の周りが白いだろう」
「なるほど,ああそれで分かるか・・・」
メジロは,緑がかった背を持つスズメより小型の鳥で,目の周りの白い輪が特徴である。甘い蜜を好み,頻繁に鳴き交わしながら群れでやって来る。
祖母の従兄である彦恒爺さん,良い声で囀るメジロを飼い「鳴き合わせ」を道楽にしていたが,この頃になると囮の鳥籠と「鳥もち」を持って現れた。器用な手つきで「鳥もち」を枝に巻き,近くに囮の鳥籠を吊り下げる。太平洋戦争は既に始まっていたが,伊豆の山奥ではまだ彦恒爺さんのような道楽が許されていたのだろう。
見物していた子供等は,メジロよりも「鳥もち」に興味を覚えた。近所の遊び仲間で年長の餓鬼大将Fが声を掛ける。
「鳥もちは,どうやって作るのだ?」
「 モチノキの皮で作る」
「モチノキ?」
数か月後であったか,翌年だったか, 文男は何処で手に入れたか「鳥もち」を竿に巻きつけトンボを追っていた。
幸いなるかな,我が家の水場の横にモチノキが一本あったので,皮を剥いで「鳥もち」製造に挑戦しようとした。だが,「鳥もち」で昆虫や小鳥を捕えた記憶は全くない。メジロを飼育した記憶も残っていない(祖父に鳥籠を作ってもらったが)。恐らく,鳥もち製造計画は中途で頓挫したのだろう。中途半端で諦めてしまう淡白な性格は,どうやら今になっても治っていない。
さて,この「鳥もち」だが,モチノキ(Ilex integra)やヤマグルマ(Trochodendron aralioides)から作ることが多い。樹皮を細かく砕いて水洗いし,水に不溶性の粘着質物質(ワックスエステル,半固体蝋)を取り出して得られる。実際には,樹皮を袋に入れ流水に数か月晒して木質部を腐敗させ,残った不溶性のもち成分を集めて作る。水に入れて保存していた。取り扱いも水で湿らして行うか,唾を点けながら枝に巻く。乾くと粘質性が強くなり,止まった小鳥が飛び立てなくなるのだ。
第二次世界大戦の頃まで子供等は「鳥もち」を手に昆虫を追いかけていたが,今その姿を見ることは無い。「鳥もち」は現在禁止猟具になっている。
また,日本人と関わりが深いメジロも乱獲密漁により生態系が壊れ,国際自然保護連合によりレッドリスト指定を受け,愛玩飼養のための捕獲が原則禁止されている(環境省2012)。
江戸の文化・風流が消えてしまった事例が此処にもある。
今春,伊豆の山道を歩いた。ウグイスの声は終日聞いたが,メジロの囀りは耳にしなかった(季節・時期の違いもあるかな?)。集落の人口は激減,森の荒廃は勢いを増している。ヤマツバキの大木も数が減った。子供の頃遊んだような(限界集落という嫌な言葉を使わせない),里山を取り戻す術はあるのだろうか?
自然の歪み,社会構造(地域,年齢,経済など)の歪みと格差が拡大している。