豆の育種のマメな話

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北海道における大豆の歴史(4)納豆,枝豆用品種の開発が地域を支える

2011-09-03 10:25:22 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

国産大豆は豆腐や煮豆など主として食用に供されるが,納豆,枝豆,きなこ,もやし等への活用もある。ここでは,納豆と枝豆について触れよう。

納豆

納豆の由来として「源義家が後三年の役(1083)で奥州に向かう途中,馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができた」という伝説で語られるように,我が国では「水戸納豆」が有名である。その特徴は,品種「地塚」のように極小粒である。極小粒種は粒の表面積が大きいため,納豆菌の着きが良く美味しい納豆ができる,ご飯と一緒に食べて口触りが良いなどのメリットがある。

ただ,極小粒種が納豆に使われたのは,この地方の土壌と気象条件が大粒種の生産に適さず,小粒の「生娘」「小娘」「地塚」等の種類を栽培せざるを得なかったこと,これらの極小粒の大豆は,豆腐,味噌等の製造には不適当で,納豆用にしか適用できず,貧しい農民がやむにやまれぬ状況の元に改良した大豆が,今日の茨城の小粒大豆であるという。

北海道では,秋田大豆銘柄(中粒褐目)の品種が,味が良いとの理由で,納豆に使われることが多かった。茨城県での大豆栽培が減少する中で,「納豆小粒のような品種が,北海道にないのか」と実需者からの声が大きくなった。

これに応えて,北海道立十勝農業試験場では「スズヒメ」(1980育成,PI84751×コガネジロ)を世に出した。この品種は,ダイズシスト線虫強度抵抗性を保持していたこともあり,帯広市川西農協,幕別農協でその後20年間生産された。また,北海道立中央農業試験場が育成した「スズマル」(1988育成,十育153号×納豆小粒)は,道央の空知,石狩地方を中心に今なお2,000haを超える作付けが見られる。ちなみに,現在の水戸納豆には,北海道の「スズマル」も利用されている。

その後,十勝農試では,納豆加工適性の高い「ユキシズカ」(2002,吉林15×スズヒメ)を開発した。この品種は,「スズヒメ」に替わって生産が順調に増えている。また,黒豆や青豆を使って納豆を製造販売する業者も現れている。

枝豆

枝豆用品種の開発は主として種苗会社(北海道でも雪印種苗など)が担っている。これまで,公的機関が育種目標に設定した歴史はないが,煮豆や菓子用に開発した品種が枝豆として使われている場面は多い。古くは,「鶴の子」(1905),「大谷地2号」(1914),「奥原1号」(1939),「早生緑」(1954)やその系列品種が,枝豆に使用されていた。

冷凍技術が発展するにつれ,枝豆が保持しなければならない特性として,本来の味の良さに加え,冷凍さやの色や毛色(白毛望ましい)が重要だと指摘されている。

十勝農試が開発した「大袖の舞」(1992,十育186号×トヨスズ)が,枝豆用として注目されている。JA中札内村では,フランス製の大型コンバイン3台をフル活動させ,「畑から調理加工まで4時間」のスローガンで,液体窒素を利用した瞬間冷凍技術により品質の良い製品を製造し,高い評価を得ている。これまで,色々な品種を試みてきたが,今では「大袖の舞」に絞ったという。

「なぜ大袖の舞ですか」

「味も良いが,何より冷凍した時のさやの色が良い。それと,北海道の優良品種であるため,種子生産が安定しているし,コスト面でも安価である」

1品種で対応できるのか」

4月から6月まで播種期をかえる。畑も地域ブロック制でコントロールしている」

平成20年実績で,作付面積350ha,生産額34千万円。

この農協の強みは,組合長が率先して職員の意識改革に努め,製品開発と販売戦略を重視していることにある。十勝地方の,小さな村の小さな農協がいま輝いている。「大袖の舞」育成者の一人として,この現場もうれしいスポットである

黒豆

黒豆はお節料理の煮豆として使われる。「丹波黒」と北海道の「光黒」が双璧で,「光黒」は種皮に光沢があるのが特徴である。「中生光黒」(1933)と「晩生光黒」(1933)は長く栽培されていたが,北海道では晩生のため,しばしば冷害に遭い,生産が不安定のため投機的に栽培されることが多かった。十勝農試では早生化を目指し「トカチクロ」(1985)を開発,中央農試も「いわいくろ」(1998)を育成した。現在はこれら2品種が主に栽培されている。

参照:土屋武彦1998「北海道における大豆生産の現状と展望」豆類時報 10,9-21に加筆

 写真は「豆資料館ビーンズ邸」(中札内) 

 

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北海道における大豆の歴史(3)「とよまさり」ブランド- 輸入自由化後,大粒白目の良質で国際競争に勝った

2011-09-03 10:04:50 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

良質で国際競争に勝った

トヨスズ」(1966)は短稈,耐倒伏性で作りやすく,かつ大粒白目の良質性が高く評価され,育成直後から急速に普及し,1975年以降は全道作付面積の50%以上を占めた。特に煮豆としての評価が高く,「トヨスズ」銘柄で取り引きされ,輸入自由化により作付けが著しく減少した時代の大豆生産を支えた。「下田不知系」に由来するダイズシストセンチュウ抵抗性品種は,「トヨスズ」より熟期が早く多収の「トヨムスメ」(1986),「トヨムスメ」より早生の「トヨコマチ」(1989)や「ユキホマレ」(2004)が育成され,これらは現在の基幹品種となっている。

稲作転換への対応と生産奨励

一方,稲作転換政策の中で大豆生産が奨励され,本道でも道央部の上川,石狩,空知地方での作付けが増加した。この時代,上川地方では秋冷,降雪が早いことから早生の良質品種が求められ,中粒白目の「キタコマチ」(1978),「ユキホマレ」(2004)が普及し,この地方の安定生産に貢献した。また,石狩,空知地方では多収品種の「キタホマレ」(1980)が普及し,石狩地方の平均収量が連続して300kgを超える原動力となった。さらに,この時代からダイズわい化病の発生と被害が増加し,その対策が重要な課題となっている。

競争力強化が求められる

農家戸数の減少,高齢化が進み,また畑作経営の中に野菜や花きなど高収益な園芸作物が導入されるにつれ,農業労働力の不足が深刻化し,一層の省力化が求められる情勢となった。大豆作の機械化は必須の条件となり,収穫作業の機械化が要望されている。機械化適性品種の「カリユタカ」(1991)が育成され,普及に移されているが,まだ品種および栽培体系とも改良の余地が大きい。

(2)残された課題

耐冷,多収育種は「十勝長葉」の早生化,耐冷性向上に始まり,「北見白」「カリカチ」を経由して「キタムスメ」および「キタホマレ」へと発展し,さらに最近は「ユキホマレ」など白目品種の耐冷性も一段と向上している。線虫抵抗性育種は,「下田不知系」の抵抗性を導入した「トヨスズ」の育成と普及により大きな成果を上げ,さらに多収化した「トヨムスメ」,早生化した「トヨコマチ」「ユキホマレ」,線虫レース13に抵抗性の「ユキホマレR」などが開発された。この育種では,単に線虫抵抗性の導入だけでなく,大粒白目の兼備により道産大豆の品質向上に大きく貢献した。ダイズわい化病抵抗性育種は,不完全な抵抗性ではあるが中国産母本を用いて「ツルコガネ」「ツルムスメ」を育成した。またアメリカ産品種の難裂莢性を導入した機械化栽培向き品種第1号の「カリユタカ」を育成した。以上のように,戦後65年北海道のダイズ育種は着実な進歩を果たし,またダイズシストセンチュウやダイズわい化病など防除技術の確立,さらには施肥技術の改善や機械の改良など大豆生産技術の進歩は大きい。

また最近,DNAマーカーを利用した選抜も効果を上げているが,現状の大豆生産環境を見るとき,重要特性を総合的に兼備する品種の育成や省力化に向けた栽培面での取り組みなど,まだまだやることがあると言わざるをえない。

参照:土屋武彦1998「北海道における大豆生産の現状と展望」豆類時報 10,9-21に加筆

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北海道における大豆の歴史(2)戦後復興期に活躍した多収品種「十勝長葉」

2011-09-01 13:45:07 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

戦後の回復期,夢の多収品種「十勝長葉」の誕生

1947年育成された「十勝長葉」は中生の晩,小粒,渇目で,既存の基幹品種である「大谷地2号」に比較して大幅な多収を示すとともに,耐倒伏性が強く,またマメシンクイガの被害が著しく少なかったので,育成直後から急速に普及し,1954年まで全道の大豆栽培面積の約50%を占めた。戦後の復興期にタイミング良く発表された多収品種であるが,その育成には1932年から10年にかけて多収を目標に「本育65号」などを交配し,1935年から戦後の1946年まで交配を中止しながらも戦時下に交配材料の選抜を続けた育種家の努力を見逃す訳にはいかない。

「十勝長葉」は,言葉のとおり小葉が長葉で,いわゆる柳葉型を呈するのが著しい特徴である。一莢粒数が多く多収であり,強茎で耐倒伏性に優れる。北海道の収量水準を飛躍的に引き上げたばかりでなく,東北地方の各県でも奨励品種に採用された。また交配母本としても広く利用され,後代に多くの優れた品種を産出している。張國棟氏によれば中国黒龍江省でもその利用例が多くみられるという。「十勝長葉」に戦後復興の夢を得た生産者は,1952年「十勝長葉育成者頌徳碑」を十勝支場に建設し,育成者の努力を讃えた(注:現在は,道総研十勝農業試験場の前庭にある)。

頻発する冷害と線虫被害への対応

十勝支場では,1947年以降「十勝長葉」を片親とし,「十勝長葉」の強茎,多収を維持しながら,早生化,大粒化,耐冷性向上などを目標に人工交配を再開した。これらの組合せから,「北見白」(1956),「イスズ」(1957),「カリカチ」(1959)などを育成した。「十勝長葉」は主産地の十勝では晩熟に過ぎたので,19535456年と連続した冷害の被害を受け,これら耐冷性品種へと急速に置き換わった。中でも「北見白」は,中生,中粒渇目で,強茎,多収であり,耐冷性が強く作りやすいことが評価され,1960年頃から10年間にわたり,全道大豆栽培面積の4050%を占めた。作り易いという農業総合特性を育種家に印象づけた最初の品種でもある。

一方,主産地の十勝では長年にわたり豆類の作付けが50%以上と過作が続いたため,1950年代以降ダイズシストセンチュウの発生および被害が顕著となった。十勝支場では1953年から,「黒莢三本木」「ゲデンシラズ一号」など東北地方の品種を抵抗性母本として,ダイズシストセンチュウ抵抗性を導入する育種を開始し,1966年に抵抗性の「トヨスズ」を育成した。

 参照:土屋武彦1998北海道における大豆生産の現状と展望」豆類時報 10,9-21に加筆

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