国産大豆は豆腐や煮豆など主として食用に供されるが,納豆,枝豆,きなこ,もやし等への活用もある。ここでは,納豆と枝豆について触れよう。
納豆
納豆の由来として「源義家が後三年の役(1083)で奥州に向かう途中,馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができた」という伝説で語られるように,我が国では「水戸納豆」が有名である。その特徴は,品種「地塚」のように極小粒である。極小粒種は粒の表面積が大きいため,納豆菌の着きが良く美味しい納豆ができる,ご飯と一緒に食べて口触りが良いなどのメリットがある。
ただ,極小粒種が納豆に使われたのは,この地方の土壌と気象条件が大粒種の生産に適さず,小粒の「生娘」「小娘」「地塚」等の種類を栽培せざるを得なかったこと,これらの極小粒の大豆は,豆腐,味噌等の製造には不適当で,納豆用にしか適用できず,貧しい農民がやむにやまれぬ状況の元に改良した大豆が,今日の茨城の小粒大豆であるという。
北海道では,秋田大豆銘柄(中粒褐目)の品種が,味が良いとの理由で,納豆に使われることが多かった。茨城県での大豆栽培が減少する中で,「納豆小粒のような品種が,北海道にないのか」と実需者からの声が大きくなった。
これに応えて,北海道立十勝農業試験場では「スズヒメ」(1980育成,PI84751×コガネジロ)を世に出した。この品種は,ダイズシスト線虫強度抵抗性を保持していたこともあり,帯広市川西農協,幕別農協でその後20年間生産された。また,北海道立中央農業試験場が育成した「スズマル」(1988育成,十育153号×納豆小粒)は,道央の空知,石狩地方を中心に今なお2,000haを超える作付けが見られる。ちなみに,現在の水戸納豆には,北海道の「スズマル」も利用されている。
その後,十勝農試では,納豆加工適性の高い「ユキシズカ」(2002,吉林15号×スズヒメ)を開発した。この品種は,「スズヒメ」に替わって生産が順調に増えている。また,黒豆や青豆を使って納豆を製造販売する業者も現れている。
枝豆
枝豆用品種の開発は主として種苗会社(北海道でも雪印種苗など)が担っている。これまで,公的機関が育種目標に設定した歴史はないが,煮豆や菓子用に開発した品種が枝豆として使われている場面は多い。古くは,「鶴の子」(1905),「大谷地2号」(1914),「奥原1号」(1939),「早生緑」(1954)やその系列品種が,枝豆に使用されていた。
冷凍技術が発展するにつれ,枝豆が保持しなければならない特性として,本来の味の良さに加え,冷凍さやの色や毛色(白毛望ましい)が重要だと指摘されている。
十勝農試が開発した「大袖の舞」(1992,十育186号×トヨスズ)が,枝豆用として注目されている。JA中札内村では,フランス製の大型コンバイン3台をフル活動させ,「畑から調理加工まで4時間」のスローガンで,液体窒素を利用した瞬間冷凍技術により品質の良い製品を製造し,高い評価を得ている。これまで,色々な品種を試みてきたが,今では「大袖の舞」に絞ったという。
「なぜ大袖の舞ですか」
「味も良いが,何より冷凍した時のさやの色が良い。それと,北海道の優良品種であるため,種子生産が安定しているし,コスト面でも安価である」
「1品種で対応できるのか」
「4月から6月まで播種期をかえる。畑も地域ブロック制でコントロールしている」
平成20年実績で,作付面積350ha,生産額3億4千万円。
この農協の強みは,組合長が率先して職員の意識改革に努め,製品開発と販売戦略を重視していることにある。十勝地方の,小さな村の小さな農協がいま輝いている。「大袖の舞」育成者の一人として,この現場もうれしいスポットである。
黒豆
黒豆はお節料理の煮豆として使われる。「丹波黒」と北海道の「光黒」が双璧で,「光黒」は種皮に光沢があるのが特徴である。「中生光黒」(1933)と「晩生光黒」(1933)は長く栽培されていたが,北海道では晩生のため,しばしば冷害に遭い,生産が不安定のため投機的に栽培されることが多かった。十勝農試では早生化を目指し「トカチクロ」(1985)を開発,中央農試も「いわいくろ」(1998)を育成した。現在はこれら2品種が主に栽培されている。
参照:土屋武彦1998「北海道における大豆生産の現状と展望」豆類時報 10,9-21に加筆
写真は「豆資料館ビーンズ邸」(中札内)