豆の育種のマメな話

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アステカ神殿の上に立つ大聖堂,メヒコの旅の始まり

2011-09-10 12:00:01 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

日本と南米を何回か往復したが,どの旅でも当地での生活品を詰め込んだ荷物をいくつも携行するため,通常はサンパウロかブエノスアイレスへの直行便を利用することになる。飛行機は成田から12時間,USAのニューヨーク等でトランジットして更に1012時間,地球を回り込むようにして南米にたどり着く。ちょうど地球の反対側,旅程は単純だがとにかく長い。途中で降りて旅をする気力もなかなか出て来ない。

その代わりにと言うことでもないが,南米での暮らしの合間にペルーやボリビアなどインカの遺跡に触れ,或いはまたチリやアルゼンチン北部のアンデス地帯,南部のパタゴニア,イースター島などを訪れた。これらの旅では,スペイン人がこの地の原住民と戦い,キリスト教の文化と生活(ヨーロッパ)をこの地に浸透させた歴史に,興味をかき立てられた。ご存じのように中南米では,ヨーロッパ文化が侵略してくる前に,アンデスを南下してきた原住民モンゴロイドが暮らし,インカ,テオテイワカン,マヤなどに代表される文明を築き,巨大な遺跡を残して消えたのである。これら消えた帝国の物語は,遺跡の発掘による考古学研究が進むにつれ次第に明らかになっている。

「今度の旅はメヒコにしようか」食事中の会話からこの旅は始まった

メキシコのベニート・ファレス国際空港に降り立ったのは20079月,独立記念日の2日後,雨季も終わりに近づいた緑濃い季節であった。アルゼンチンのエセイサ空港を前日夜中の23時に発ち,アエロメキシコ029便は655分に到着。メキシコシテイは中央高原地帯に広がり,霞んで見える都市であった。人が溢れる細長い空港。当時は,滑走路にJALの機影も見えた。

メキシコシテイではソナ・ロッサのホテルに宿をとった。ツインルーム朝食付きで76ドル。この地区には中クラスのホテルや飲食店が多く,新市街のレフォルマ通りには徒歩で行けるし,地下鉄で歴史地区を訪れることもできる。国立人類学博物館もゆっくり見学しよう。さらに,このホテルを拠点にして,テオテイワカン遺跡やタスコを訪れ,プエブラへも足を延ばそう。また,カンクーンではマヤ遺跡チチエン・イツアーを訪れよう。

 

◆アステカ神殿の上に立つ教会本殿

メキシコの首都メキシコシテイは,人口860万人,都市圏まで含めると2,000万人の大都市である。コロンブスによって発見された新大陸は,あたかもそれ以後が歴史のように語られるが,発見前から独自の高い文明をもった民族が住んでいた。このメキシコシテイは先住民のアステカ時代に,湖上に浮かぶ大都市であったという。アステカ帝国を滅ぼしたコステカ率いるスペイン兵士は,その繁栄を目にして「夢幻の世界とはこれか」と驚愕した様を記している。

金塊を求めて新大陸に向かったスペインは,アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し,その石材でスペイン風の街を作った。巨大な遺跡の上に今の都会がある。中南米に開花していた文明が,ヨーロッパ文明によって覆い尽くされた歴史の現実を,メキシコでは体感することになる。

地下鉄でソカロに向かう。広場に面して,北側にはメトロポリタン・カテドラル,1563年に着工し100年以上の歳月をかけて完成した大きく重みのある歴史を感じさせる建物で,内部も重厚なバロック様式で飾られている。メキシコにある教会の総本山。また,カテドラルの裏から東側にかけてアステカ帝国の中央神殿跡テンプロ・マジョールが連なる。実は,このカテドラルはアステカ時代の中央神殿の上に建設されていたのである。

広場の東側にはメキシコ独立の舞台となった国立宮殿がある。ここはアステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた建物を,コステスが破壊し植民地の本拠として宮殿を建てたものだという。当時のままに保存された議事堂を見学し,回廊の壁を埋め尽くした「メキシコの歴史」を描いた壁画(ヂエゴ・リベラ作)を鑑賞する。周辺には歴史を感じさせる古い建物が連なる。観光客に混じって,征服の歴史に思いをはせ,庶民の生活を覗きながらそぞろ歩くも楽しい。

◆東洋の理念と違う

前述したように,アメリカの歴史では,アステカ神殿の上に立つ教会のごとく,在来の街(宗教)を壊して新たな都市(宗教)を建設するように,自己を主張することが当たり前に行われてきた。ヨーロッパでもキリスト教とイスラム教の相克が歴史に刻まれている。スペインのメスキータをご覧になった方は,両文化の歴史を感じることができるだろう。バーミヤンの磨崖仏と石窟など彫刻破壊の事件も生々しい。

それに反して,日本に仏教が入ったとき,神社が壊されただろうか。日本にキリスト教が入ったとき,神社仏閣が破壊され教会に変わったのか。浅学にしてその例を知らない。植民地にされたことのない国ということなのか。それだけではあるまい。日本人のDNAには,神様も仏様も併せのむ寛容さ,お互いの幸せを思い遣るがあるのではないか。コーヒーや紅茶が入ってきても緑茶を忘れない。ワインやビールが入ってきても日本酒と横並びにして,お互いの良さを認める。

だが近頃わが国では,アメリカ的な(グローバルともいう)一律化した考え方,規制,効率化,数量化,マルかバツかの理念が幅を利かしているが,もう一度本来の姿を思い出してみたらどうだろう。 

 

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