先に「北海道における大豆栽培の歴史」(2013.11.5)について触れた。その中には多くの品種名が登場し,「この品種は知っているよ」と言う方もあろうが,多くの方は「初めて聞く名前だ」と仰るだろう。
「それじゃあ,北海道で栽培された大豆品種を紐解くことに致しましょう・・・」と,年代順に,品種名,来歴,育成場,初出文献の一覧表を作成したので,ご覧あれ。
◆1901年北海道農事試験場が設置されてから,奨励した優良品種は総計92品種
この数値が多いか少ないか一概には言えないが,北海道の広大な面積,異なる気象条件,大豆の多様な用途を考えれば,相応の数なのかもしれない。
北海道の大豆栽培は,開拓者が移住の際に携帯した大豆種子を開墾畑に播くことから始まった。そして,いくつかの種類は北海道でも収穫できることを見出し,言伝に種子は広まって行った。在来種の出現である。それら在来種は開拓が道南から道中央部へ進むにつれ栽培面積も拡大し,1900年(明治33)には29,000haの作付けがあったと言う。しかし,これら在来種は当然のことながら十分な特性評価がなされておらず,地域や年次によって生産は安定しなかったであろう。
◆北海道最初の優良品種は何だ?
1901年(明治34)に北海道農事試験場が設置されてから,作物の優良品種を認定し普及奨励することにより生産を安定化させようとの試みがスタートした。当初は,農事試本場を初め各地の試作場や分場で在来種を集め品種比較試験を行うことにより,特性の優れたものを優良品種として奨励した。北海道最初の優良品種は,1905年(明治38)に認定された「早生黒大粒」「赤莢」「白小粒」「鶴の子」の4品種である。更に1914年(大正3)には「中生黒大粒」「大谷地」「甘露」が優良品種として奨励された。その後も在来種からの品種比較試験は続けられ,総計で29品種(1905~1954年)が優良品種に認定された。
この数から考えられるのは,北海道開拓の志を胸に移住した折に携帯した大豆種子のいくつかが北海道の気象条件に適うものとして既に定着していたと言えるのではないだろうか。また,初期の品種群には,「早生黒大粒」「中生黒大粒」のような黒大豆,「白小粒」のような褐目小粒種,「大谷地」のような褐目中粒種,「鶴の子」のような白目極大粒種,「吉岡大粒」のようなあお豆(大袖振)等々多様な種類が既に存在している。日本各地の食文化が人の移動と共に北海道へ輸入されてきた状況を垣間見ることが出来る。
◆「大谷地2号」「霜不知1号」「蘭越1号」など純系分離で14品種
1910年(明治43)には北海道の大豆作付面積は77,000haに達し,そのうち十勝地方が約26%のシエアを占めるまでになった。大正から昭和初期に至るこの頃は,「大谷地1号」「大谷地2号」「霜不知1号」「蘭越1号」「石狩白1号」等のような純系分離育種により育成された品種が主体になった。在来種から純系分離育種により選抜し優良品種にしたものは総計で14品種(1923~1951年頃)を数える。長年栽培し続けた在来種の変異が拡大していた(雑多な)ことを示す証左でもあろう。
◆最初の交配育成品種は?
1940年代以降になると人工交配育種が主となり,総計49品種を数える。最初の交配による育成品種は「大粒裸」(1936年)であるが,当時マメシンクイガ被害が大きな課題であったことが偲ばれる。マメシンクイガの被害が少ない無毛(裸)品種は,その後も「長葉裸」(1939),「白花大粒裸」(1943),「長葉裸1号」(1943),「十勝裸」(1951)等が優良品種に認定されている。
その後,第二次世界大戦後は多収品種の「十勝長葉」,耐冷安定性の「北見白」「キタムスメ」,線虫抵抗性で白目良質の「トヨスズ」,線虫抵抗性で早中生安定品種の「トヨムスメ」「トヨコマチ」「ユキホマレ」等へと品種は変遷する。
品種開発の流れを概観すると,次代を経るにつれ,耐冷性強化,線虫や病害抵抗性の付与による収量の向上と安定,品質加工適性の向上,機械収穫など作業性の向上など大きな進展があったことに感嘆する。これも,地道な努力を続ける育種家たちの継続する力であることは間違いない。
◆最近の基幹品種は?
現在(2011年調べ),北海道で栽培が多いのは「ユキホマレ」(10,267ha),「トヨムスメ」(2,912ha),「トヨコマチ」(978ha),「スズマル」(3,218ha),「ユキシズカ」(2,854ha),「いわいくろ」(2,546ha)である。その他,大袖銘柄のあお豆が3品種で586ha,鶴の子銘柄の極大粒種が4品種で733ha栽培されている。
そして,今もなお新しい改良品種が次々に誕生している。
これら多くの大豆品種開発を担ってきたのは,北海道農事試験場本場(後の北農試)(後に中央農試が道央部以南の育種を担当)と十勝農試を中心とする育種家軍団であった。そして,適応性の検定や特性評価などに携わる多くの関係者が育種家たちを支え続けてきたことを忘れることは出来ない。
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