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豆の育種のマメな話

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ユリノキが見守り続ける「道南農業試験場」の沿革

2013-03-12 15:40:41 | 恵庭散歩<本のまち、私の本づくり>

道南農業試験場(地方独立行政法人北海道立総合研究機構,北斗市)の前庭に,大きなユリノキLiriodendron tulipifera L.)がある。何年に植えられたか確かな記録はないが,大正時代の写真には陳列館の屋根を越えるほどであるから,樹齢百年と言って良いだろう。まさに,道南農試の歩みを見守り続けている。

先日,OB会があって場長にお会いしとき,

「今年もユリの木の花が咲きました」

と伺い,筆者も道南農試に勤務していた頃,来客があるたびに「道南農試のシンボルツリー」と紹介していたことを思い出した次第。

 

さて,このユリノキ(百合の木)はモクレン科の落葉高木で,「ユリに似た花が咲く樹木,Liriodendron」の意味を学名としたもので,和名でユリノキ,英名では種小名のtulipifer(チューリップのような花をつける)からAmerican tulip treeと呼ばれる。また和名では,特異な葉の形からハンテンボク(袢纏木),軍配の木,奴凧の木などと呼ばれることもある。

北アメリカ中部原産で,日本へは明治時代初期(89年頃)に渡来したとされ,北海道では北大植物園,札幌大通公園などでみられる。

 

道南農業試験場は北海道庁立渡島農事試験場としての創設(1909,明治42)以来,このユリノキと共に百余年の歴史を刻んだことになる。先輩によれば,

「遭難した洞爺丸をユリの木に登って眺めた」

「落雷により真二つに裂けたが,よく再生したものだ」

「花が咲く頃,新聞社が訪れる」等々と,話題は尽きない。

 

ところで,道南地域における農業試験機関の歴史を紐解いてみると,明治42年の開基以前にも,函館奉行所の御薬園,ガルトネル農場(函館奉行所許可),明治政府が開拓使の下で進めた七重官園などがある。ガルトネル農場の顛末は幕末混乱期の一大事件として知られるが,ヨーロッパ農業が試みられた初の事例でもあった。また,七重官園は農事試験場の前身といえる組織であるが,官園廃止から農事試験場開設までには15年の空白期間があった。

 

御薬園時代(18541866,七重)

ガルトネル農場時代(186770,七重)

七重官園時代(187094,七重)

公的研究機関空白(1901以降は北海道農事試験場(札幌)が対応か?)

北海道庁立渡島農事試験場時代(1909,大野)

農事(農業)試験場渡島支場時代(19101949,大野)

道立道南農業試験場時代(19502009,大野,北斗)

地方独立行政法人北海道立総合研究機構時代(2010~現在,北斗)

 

この間,社会情勢の影響を受け度重なる組織改編が行われているが,道南農業試験場が地域の農業発展を技術革新で支え,地域経済をリードしていたことは間違いない。現在も,少数ながら精鋭の研究者らが頑張っている。ユリノキに見守られながら。

 

添付の表には,道南農業試験場の沿革を中心に道南地域農業発展の概要を整理した。

 

付表1 道南農業試験場・七重官園の沿革

 

付表2 道南農業試験場歴代場長

 

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