豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

インカローズとカルピンチョ

2020-04-17 13:24:49 | 南米で暮らす<歴史・文化・自然>

引き出しを整理していたら、懐かしい小物がいくつか出てきた。アルゼンチンのお土産として購入した品々である。
アルゼンチン国からの要請を受け、日本政府は1977年から1984年にかけて大豆育種研究に関する技術協力を行ったことがある。当時、十勝農業試験場で大豆の品種改良に携わっていた縁でこのプロジェクトに参加することになり、延べ4回2年半にわたりアルゼンチン共和国マルコス・フアレス市で暮らすことになった経緯があるが、その時に購入したものだ。
最初の訪問は1978年2月~3月だった。ミッションが終わりに近づいた頃、大使館の松田さんに、
「アルゼンチンのお土産は何がいいですかネ?」と尋ねたら、
「牧畜の国だから革製品が多いね。珍しいものとしてはマテ茶セット、インカのバラ(石)、カルピンチョの革製品があるよ」
「高級品ならサン・マルテイン広場前のCasa Lopez、安い店ならパラグアイ通りのKelly’sがお勧め」と言う。確かにこれらの店は品ぞろえが豊富だった。
 調査団で同行した赤井さんは、革袋の水入れ(水筒)を探していた。西部劇でカウボーイが水を口に含む仕草に憧れていたのだろうか、山男の赤井さんが考えそうなことだと思った。「アルゼンチンのガウチョは水でなく葡萄酒を入れていたのではないですかね」と話したような気がするが確かでない。
その旅で私は、確かインカローズのペンダントやブローチ、カルピンチョの手袋、アルゼンチンタンゴのカセットテープ、マテ茶セットをお土産に買った。何しろ「インカローズ」「カルピンチョ」「マテ茶」は人生で初めて耳にし、目にしたもので、アルゼンチンのロマンを感じる品々であったから。

◇インカローズのペンダント
通称インカローズは、正式英名がローズクロサイト(1813年ドイツの鉱物学者ハウスマンにより発見)、和名は菱マンガン鉱。ローズ色から濃いピンク色まで変異があり、白い縞模様があるものと無いものに大別される。USAコロラド州の鉱山やペルー産のものは縞の無いものが多く、アルゼンチン産のものは縞模様が多い。宝石としては、縞模様が無く透明感があり深い赤みの石が上等とされているようだが、縞模様がある不透明なピンク色も趣があり人気があると言う。私の手元にあるものは高級品ではない。
インカローズの名前は、アルゼンチンのアンデス地方で産出されることに由来する。アルゼンチンの国石ともなっている。
なお、アルゼンチンの北部やブラジル南部も原石の産出地として知られる。空港の売店や観光客目当ての店では色とりどりの原石や加工品が売られていた。

◇カルピンチョの手袋
手袋は、バックスキンのような形状で非常に柔らかく、オストリッチのような斑紋がある。水辺に住む動物だから水洗いが可能だと言う。「ゴルフの手袋に良いね」と言ったら、大使館の松田さんは即座に「もったいない」と応じた。その言葉が出る程、カルピンチョの手袋は他の革製品に比べ高価だったが、手元にある品は縫製があまりよくない。
南米では通称「カルピンチョ」と呼んでいたが、西和辞典には、カピバラ、ミズブタのことと記されている。カピバラと言えば日本では温泉に浸かる姿が可愛いと動物園の人気者になっている。学名がHydrochoerus hydrochaeris、和名は鬼天竺鼠。ネズミ属ネズミ科カピバラ属に分類され、南米原産。ブラジル南部、アルゼンチン北部ウルグアイのパラナ川流域の水辺や近くの森林に生息している。体長は1メートルを超え、体重は40~60キロにもなると言うから、私たちが想像するネズミの域を超えた大きさである。固い体毛に覆われ、前肢の指は4本、後肢の指が3本で水かきをもつ。下顎の大臼歯は左右に4本ずつ。
南米の田舎では昔からカピバラの肉を食べ、革も利用していたと言うが、食する機会はなかった。

◇子牛革のジャケット
南米のアルゼンチンとウルグアイは牧畜の国なので、革製品のお土産が多い。革製品の小物では財布、ベルト、マテ茶セット、小物入れなどが良く売られていた。また、北部の特産品としてリャマやアルパカのセーターや手袋も人気があった。また、バッグや革のジャケットも品揃えが多く上等の品が揃っていた。
先日思い出して、クロークの収納ケースを開けると思い出の品が出てきた。それは、二年間の滞在を終えて帰国にあたり、アルゼンチン暮らしの記念にと購入した革ジャケットである。当時、アルゼンチンの農場主や紳士たちはスエード風の革ジャケットをよく着こなし、スマートに街を闊歩していた。一見ラフだが粗野でなく、適度なお洒落着で、スーツ感覚で着ている。愛用者であるネストルに話したら、ブエノス・アイレスの良い店を知っていると、ウルグアイ通りとマイプー通りの角にあるカサ・パラナを紹介された。裏地にVuri-lo-cheの文字が入っている。
帰国してから一、二回は着たことがあると思うが、日本ではなかなか風土にそぐわない感じで着用していない。久々に手を通したら、胴回りが大分きつくなっている。四十年も昔のことだものね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする