恵庭市の南部に位置する恵庭公園の奥深く湧き出した水(源泉)は,ユカンボシ川(ユカンボシとはアイヌ語で「鹿の住んでいたところ」)となって,恵庭を抜け千歳川に流れ込む。このユカンボシ川の河畔は,人の手が入らず原始の自然が保たれている。四季折々の木々と清らかなせせらぎが静寂の空間を織りなしている。
平成12年(2000)恵庭市は,ユカンボシ川の豊かな自然を守り伝えて行くため,公園整備をスタートさせた(市制30周年記念事業)。ユカンボシ川河畔野外美術製作委員会(委員長酒井忠廣,神奈川県立近代美術館長)を立ち上げ,道内外6人の彫刻家に現地を観てもらい,自然に調和する作品制作を依頼した。そして現在,彫刻広場には個性豊かな6作品が置かれている。
10月の或る日,ユカンボシ河畔の彫刻広場を訪れた。JR恵庭駅から徒歩で向い,彫刻広場から渓流沿いの散策路を進み恵庭公園に抜け,帰りは恵庭市エコバス(駒場町4丁目)を利用すると言う,気ままな行程だった。
広場は予想より小さい。たぶん意識的なのだろう,民家との境を曖昧にして,公園と庭は一体化しているように見えた。彫像は無造作に配置され(熟考された配置かも知れないが,そう見えた),オブジェの上には枯葉が乗っていた。獣道のような散策路も際立つことなく,総じて「自然のままに」というコンセプトが感じられる公園だ。
正面ゲートには,看板と案内板が設置されている。看板の図案は,山形生まれのグラフィックデザイナー矢萩喜従郎による「シンボルマーク・ロゴタイプデザイン意匠」が描かれている。
1.佐藤忠良作品「えぞ鹿」
正面ゲートを入って右手正面に,佐藤忠良の作品「えぞ鹿」が目に入る。南米産花崗岩の高い台座の上で,ブロンズ製のエゾシカは跳躍している。作品高115cm,台座を含めると235cm。
作者は,「六歳の時から北海道の自然の中で育てられた私に,恵庭市からの要請で彫刻設置の課題を与えられ,作品構想のためユカンボシ川河畔のせせらぎの現地に立ったとき私は,迷うことなく植物たちが放つ四季清澄な空気漂う中に「えぞ鹿」を,活き活きと跳ね上がらせ,此処を訪れる人々と共に北の国の忘れえぬ空間が共存でき得ればの願いを籠めながらの制作であった(案内板から)」と制作意図を語っている。
作者の「佐藤忠良」は,大正元年(1912)宮城県生まれ。6歳のとき夕張に移り多感な少年期を過ごす。札幌第二中学(札幌西高)から東京美術学校彫刻科卒業。新制作派協会彫刻部創設に参加。戦後シベリア抑留生活を経験。東京造形大学教授(名誉教授),新制作協会会員。高村光太郎賞,毎日芸術賞,文部大臣賞,中原悌二郎賞,朝日賞,河北文化賞など多数の受賞歴がある。ただ,日本芸術院会員,文化功労章,文化勲章の候補に推薦されたが,「職人に勲章はいらない」と国家の賞については全て辞退したという話が残る。フランスのロダン美術館,ニューヨーク,ロンドン等で個展を開くなど海外でも活躍。宮城県美術館には佐藤忠良記念館,佐藤忠良個人美術館として佐川美術館がある。北海道の野外彫刻も50点を超える人気彫刻家。平成23年(2011)3月逝去,享年98歳であった。
2.渡辺行夫作品「ドン・コロ」
正面ゲートを入った左手斜面には,花崗岩の塊が置かれている。表面はビシャン仕上げ(ハンマーで叩いて凸凹にする)され,頂部は磨かれている。高さ,直径がそれぞれ150cm。これは何だ? と先ず思う。ともあれ,存在感がある。
作者は,「そこは下方に池がある斜面だった。見上げれば,視界の隅に木の枝が入り込んで来るほどの空間であった。ここにどんな物を置くと自分にとって心地よいのか。やがて,子供の頃の記憶がよみがえってきた。それは,父と一緒にスケートリンクを作るため,池堀をしたことである。その泥の中から出てくる,しつこいしつこい泥だらけの「ドン・コロ」は昔の大木の切株だ。地中深く,長く伸びた数十本の根を一本一本切り取って,だるま状にしてから,やっとのことで引っ張り出し,池の端に押し上げる。一つの「ドン・コロ」にまる一日,二日と格闘を続ける。何個も出てくる。大きければ大きい程,子供心に池の主のように思えた。あの「ドン・コロ」をまた置きたいなと思った(案内板から)」と制作の背景を語っている。
そうか,掘り起こした木の根っこなのか。メルヘンの国のキノコのように,或いは着陸した宇宙船のように見えなくもないけれど・・・。広場の中で最も安定感のある作品だ。
その一つは,恵庭の小中学生によって書かれた「20年後の手紙」を収めたタイムカプセルになっている。恵庭市制30周年記念のプロジェクトで,2020年に開かれる。
作者の「渡辺行夫」は,昭和25年(1950)紋別市生まれ,小樽在住の彫刻家。金沢市立美術工芸大学彫刻科卒業。全道展北海道新聞社賞,彫刻の森美術館賞,本郷新賞など受賞。「風待ち」(洞爺湖),「円の拘束着」(平塚市図書館),「移動願望」(札幌芸術の森美術館),「行往座臥」(札幌信広寺),「四角い波」(紋別流氷公園),「石器’98」(下川万里の頂上公園),「風の庵」(旭川北海道療育園),「風紋の標」(中山峠)など多数の作品を残している。
3.植松奎二作品「樹とともに-赤いかたち」
正面ゲートを入って左側,低地のせせらぎに赤い物体が目に入る。近づいてみると,周辺を水草で覆われた小さな池の中央に,赤い円錐体と枯れ木のオブジェがある。素材はステンレスステイールで,樹木の高さ590cm,円錐体は高さ365cm,直径が180cm,植松奎二の作品である。
訪れたのが秋だったからなのか,スチール製の枯れ木は存在感が薄い。赤い色だけが,強く水面に映えている。自然の中で何か異質な感じを受けたが,雪景色の中で見ればまた違った印象を受けるかも知れない。
作者は,「はじめて,ユカンボシ河畔の地を訪れたとき,街の中の一角に,水と緑の自然が遠い昔から残っている風景と出会い,彫刻のイメージを強く喚起された。雪のまだ深い河畔を歩きながら,池に映る四季を想い,風景の中の記憶,かたち,風景の中の色という言葉がこころに浮かんだ。ここでは,自然と共生する彫刻,あるいは,以前からそこにあったように自然な形で息づき,呼吸するような彫刻をつくりたいと思った(案内文から)」と語っている。確かにそうだ。池を一回りして,二度目にオブジェを眺めたとき,それは自然の中に同化していた。
作者の「植松奎二」は,昭和22年(1947)兵庫県生まれ,神戸大学教育学部美術学科卒業,大阪及びドイツのデユッセルドルフに住み,国際的な活躍を続ける美術家である。神戸市文化奨励賞,須磨離宮公園現代彫刻展大賞,長野市野外彫刻賞,中原悌二郎優秀賞など受賞。作品は,素材を多彩に配置し,人間の知覚を超えた空間に宿る普遍的なエネルギーを表現しようとしているのか。北海道では,旭川市彫刻美術館,北海道療育園彫刻の森等に作品がある。
次回は,ユカンボシ川河畔公園彫刻広場の山本正道,丸山隆,山谷圭司作品を紹介する。