「マルテイン・フィエロ」(Martín Fierro)を知ったのは,アルゼンチンで暮らすようになった1978年,今から34年前のことである。
「小学校で朗読を課している詩集がある,マルテイン・フィエロ,アルゼンチンの聖書とも言われます」,その街で日本語が話せる唯一の人であったスーテル牧師が教えてくれた。「この国では,演説の中でも会話でも,何かと言えばマルテイン・フィエロの一節が引用されるのですよ」と。
その後,誰それとなく「マルテイン・フィエロ」について尋ねると,誰もが一節を諳んじていて朗々と聞かせてくれる。そして同時に「日本人のお前が,よくマルテイン・フィエロを知ってくれた」と親近感を示すのだった。こんな書物がわが国にあるだろうか?
近頃,我が家の書棚を整理していたら三冊の「マルテイン・フィエロ」が出てきた。一冊は,1978年11月ブエノス・アイレスのアチエッテ書房(Librería Hachette)発刊のペーパーバックである。裏表紙には,「Para Katu y Hide un amigo que tantos los quiere, al que ustedes de dicen: “Chocolate”, Guiye」と息子(当時小学生)の友達の名前が書き止められている。二冊目は1976年5月ブエノス・アイレスのヒオルデイア社刊の毛皮装丁本で,Kyoko Adachiさんからの手紙が添えられている。
そして三冊目は,1981年11月たまいらぼ刊(大林文彦・玉井禮一郎訳)の「パンパスの吟遊ガウチョ,マルテイン・フィエロ」である。
この詩集は,パンパスの夕暮れ,村の居酒屋には村人達が一日の仕事を終えて集まって来て,汗やほこりを払いながら一杯のアルコールに明日の天気や仕事のことを話しているところへ,一人のガウチョの吟遊詩人がやってきて,ギターを抱えて即興で弾き語る数奇な半生の物語・・・で構成されている。語り終えると男は,僅かばかりの食料と謝礼を手に帰って行く。当時パンパ平原にはこのような吟遊詩人が数多く逍遥していたと言われる。
文明に虐げられ,法に追われ,大自然の中で孤独に生き,当てもなくさすらうガウチョの悲嘆の詩であるが,自然と対峙する人間の底知れぬ孤独を表現しているが故に,現代人の共感をそそって止まないのだろう。
何しろこの詩集は長編である(4,894行から成っている)。第Ⅰ部は1872年,第Ⅱ部は1879年に出版されたが,その後も出版を重ね,アルゼンチンでは聖書に次ぐ超ロングセラーと言われる。
ちなみに,著者ホセ・エルナンデス(José Hernanndez 1834~1886)は,ブエノス・アイレス近郊の牧場で育ち,牧場主でありジャーナリストであり政治家であり詩人であった。彼が生きた時代は,アルゼンチンに新しい波が押し寄せ,土地の収奪や囲い込み,開発,中央集権化の過程にあり,ガウチョたちが強制的に徴兵され悲惨な取り扱いを受けていた時代である。「マルテイン・フィエロ」は,抗議の詩でもあるのだ。
訳者の大林文彦氏は「広大な自然に恵まれているアルゼンチンの人々の胸の底には,理想化された独立人としてのガウチョに代表される,自由な生活に寄せる限りない郷愁が流れているのであろう。そして現実と人間の醜さに倦んだ人が手に取り,深い共感を抱き,美しい章句に救いを見出すのではあるまいか・・・」と述べている。
アルゼンチン人が演説上手なのは,詩を朗読する習慣があるからだろうか? 残念ながら,これまで大声で詩を朗読するような経験をしてこなかった。
参照:ホセ・エルナンデス作,大林文彦・玉井禮一郎訳「マルテイン・フィエロ,パンパスの吟遊ガウチョ」たまいらぼ刊