豆の育種のマメな話

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世界最南端の町,ウスアイア(Ushuaia),哀愁を感じる町だ

2012-07-28 12:20:11 | ラテンアメリカ旅は道連れ<南米旅日記>

地球儀を廻して南アメリカ大陸を南端まで辿ると,マゼラン海峡(Estrecho de Magallanes),ビーグル水道(Canal Beagle),大西洋に囲まれたフエゴ島(Tierra de fuego)が目に入る。

フエゴ島は,マゼランが1520年の航海中に断崖の暗闇に揺れる火をみて(先住民の松明だった),火の大地(Tierra de fuego)と呼んだことに由来する名前の島で,広さは約48,000km2あり,四国と同じくらいの大きさである(東半分がアルゼンチン,西半分がチリ領)。

ウスアイア市は,このフエゴ島アルゼンチン領(テイエラ・デ・フエゴ洲)の州都で,ビーグル水道に面し後背地の山が海に迫る地形に張り付くようにある。南緯5448分,一年を通じ冷涼で風が強く,年平均気温が5.0℃,夏でも最高気温が15℃に達しない気候である。ブエノス・アイレス(BsAs)から3,250km離れており,南極点から1,000kmとむしろ南極に近い。

 

20××1228日,この町を訪れた。

 

ブエノス・アイレスのホルヘ・ニューベリー空港を1220分に発ち,トレレウ(Trelew)に立ち寄り,ウスアイアには17時に到着。眼下に広がる乾燥したパタゴニア曠野と一直線に延びる道路だけの風景が途切れ,フエゴ島に近づくと霧をまとった森林が見えてくる。ホッとした気持ちになる森林限界の風景だ。

 

だが,空港に降り立つと気温は4℃,雲は低く,夏だというのに雪がうっすらと残っている。最果ての地に降り立った高揚感はあるものの,自然は容赦ない荒々しさで迎えてくれた。

タクシーで山の上のホテル・デル・グラシアルに入る。良いホテルだ。エントランスホールに暖炉が置かれている。

 

ウスアイアと言う名前は,イギリスからの入植者が付けた名前であると言うが,ヨーロッパ人が入植する以前は先住民が住んでいた。モンゴロイド(黄色人種)である。20万年前アフリカに誕生した人類ホモ・サピエンスが,アジアからベーリング海峡を越え,アラスカからアメリカ大陸を南下し(5万キロの旅,グレイト・ジャーニー),南米の最南端に到達するのは15千年前のことであった。

最南端の地に立つと,時を越えた人類のロマンを否が応でも感じざるを得ない。「何故,こんな処まで・・・」。風の大地をもう一度眺めた。

 

その昔,イギリスがオーストラリアを流刑地にしたように,アルゼンチン政府はBsAsから遠く離れたこの島に凶悪犯を収容する刑務所を作った。囚人たちは,山から木を伐りだし,道路を作り,線路を敷き,街を造るのに駆り出されたのである。そして,ウスアイアが出来上がった。このような囚人による開拓は決して珍しいことではない。ローマ時代にも,シベリアでも,八丈島でも,北海道開拓の歴史にも記録されているではないか。

 

一方,この島から北東450500kmの大西洋上にはフォークランド諸島(マルビナス諸島)がある。とても近いことに気付く。1982年イギリスとアルゼンチンは島の領有権を巡って争った。いわゆるフォークランド紛争(マルビナス戦争)である。アルゼンチン軍の攻撃によりイギリスは多数の艦船と乗組員を失ったが,イギリス軍は最終的に揚陸作戦で勝利を収めた。この紛争は3か月ほどで終わったが,イギリスではサッチャー首相の人気が上昇し,アルゼンチンでは政権の混乱と民主化の流れを産んだ。

 

日本は,アメリカやEC諸国からの要請にもかかわらず最後まで禁輸措置を取らなかったが(ちょうどこの時,筆者はJICAのプロジェクトでアルゼンチンに派遣されていた),一方国連の場ではアルゼンチンの撤退勧告に賛成票を投ずるなど,アルゼンチン側を非難した立場をとっていた。

その後1990年になってから,両国は外交関係を回復しているが,イギリスの地図にはFalkland Islands,アルゼンチンの地図にはIslas Malvinasと表記されているように,現在も自国の領有権主張を取り下げてはいない。領土とはそういうものだ。

 

さて,夕食をとるため坂道を下り街に出てみよう。海岸沿いにマイプー通りが走り,その一本山側のサン・マルテイン通りがこの市のメイン・ストリートになっている。商店やレストランなど主要な建物はこの通りを中心にある。

人口は6万人。訪れたこの時期は夏のシーズンで,海外からの観光客で賑わっていた。ビーグル水道に面するウスアイア湾観光桟橋から南極クルーズも出ている。

 

「明日は,テイエラ・デ・フエゴ国立公園に行こうか,ビーグル水道クルーズに参加しようか?」

旅行会社のオフイスを訪れた。

「午前に国立公園ツアー,午後にビーグル水道クルーズはいかが?」

OK,そのコースにしよう」

「ホテルでお待ちください。明朝7時にピックアップします」

「グラシアス,・・・アスタ・マニヤーナ!」

 

午後8時を過ぎても太陽は沈まず,11時頃まで空は白々としていた。

外は明るいけど,明日は早いからもう寝ようBuenas noches, Hasta mañana!

 

 

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