マドリードではソフィア王妃芸術センターで,ピカソの「ゲルニカ」を観た。作品の芸術性評価や解説は多くの書物に論じられているので,ここでは詳しくは述べない。
「ゲルニカ」(Guerniika)は,パブロ・ピカソがスペイン内戦中に都市無差別空爆を受けた町ゲルニカを主題に描いた絵画として知られている。
スペイン内戦中の1937年4月26日,スペイン北部バスク地方のゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受け,人口6,000人のうち598人が死亡,1,500人が負傷したと伝えられている。当時パリに居たピカソは,この報を聞いて義憤を覚え,急遽パリ万国博スペイン館の壁画としてこの絵を完成させた。戦争への怒りと生命の尊厳を独自の手法で表現している。
スペイン内戦はフランコ将軍の勝利により終結したが,この絵はヨーロッパの戦火を避けて1939年ニューヨーク近代美術館に預けられる。第二次世界大戦後スペインとニューヨーク美術館の間で返還交渉が行われるが,1981年になってようやくスペインに返還され,現在はソフィア王妃芸術センターにある。
ソフィア王妃芸術センターはアトーチャ駅の近くにあり,ピカソ,ダリ,ミロ等の現代芸術を代表する作品が展示されている。2階と4階が常設展示場で,「ゲルニカ」は2階C室にある。縦3.5m,横7.8mの大作,カンバスに工業用絵具ペンキによってモノクロールで描かれている。この絵は,作品誕生の経緯から反戦のシンボルとみられてきた。
一室に独占展示されている「ゲルニカ」は,一つの鑑賞グループが説明を受けているところであったが,壁一面にその存在感を示していた。
「あー,ゲルニカだ」と思わず近づくと,
「セニョール,ノー,ノー・・・」とガードマンが近づいてきた。
ガードマンが指さす床には,壁から2mほどのところに線が引かれており,この線が立ち入り禁止ラインということらしい。作品の迫力に圧倒され,足下に注意を払わなかったため,一歩踏み込んでいた。
ニューヨーク展示中にスプレーで落書きされたことがあり,スペインに戻ってからはバスク独立運動にからんだテロを警戒し,自動小銃を抱えた兵士が警護し防弾ガラスに囲まれていたこともあったというが,今は近くから直に鑑賞できる。
バスク地方のビルバオに1997年グッゲンハイム美術館が完成してから,ソフィア王妃芸術センターとの間で所蔵論争が起きているという。論争の絶えない作品だ。