goo blog サービス終了のお知らせ 

豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

カリンバ自然公園の「ザゼンソウ」、恵庭の花-31

2022-05-02 11:11:47 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

僧侶が座禅を組む姿に似て座禅草

4月の或る日、ミズバショウの写真を撮ろうとカリンバ自然公園へ出かけた。ミズバショウの群生地に、仏炎苞が白くない黒赤~暗紫の個体が散見される。形がよく似ているのでミズバショウの変異個体かと見間違えるが、別の種類である。案内板には「ミズバショウの仲間、ザゼンソウ、黒ずきん(黒紫色)をかぶったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることからつけられた名といわれています」とある。

「仏像の光背に似た形の花弁の重なりが僧侶の座禅姿に見える」ことが名称の由来とされる。また、花を達磨大師の座禅する姿に見立てて、ダルマソウ(達磨草)とも呼ぶ。一方、英語では全草に悪臭があることからスカンクキャベツと呼ぶそうだが、名前を聞いただけでも匂いが漂ってくる。

カメラのレンズを向ける。ミズバショウは仏炎苞と花序が地上に伸びているので華やかだが、ザゼンソウの仏炎苞は地際から生えている(一部埋もれているように見える)ので些か写真映えしない。仏炎苞の色も地味だ。

家に帰って調べてみると、開花期に発熱し周辺の氷雪を溶かし、臭いで花粉媒介昆虫を誘引するなど、ザゼンソウには植物の知恵が詰まっていることを知った。

発熱システムについては、①ザゼンソウの肉穂花序にはミトコンドリアが豊富に含まれており、②気温が氷点下になると根に蓄えているデンプンと酸素が活性化し、③デンプンと酸素にミトコンドリアが結合して呼吸活動が活発化するため、ザゼンソウ花序が発熱すると言われている。子供の頃はお化けのように見えて近づかなかったが、興味ある植物だ。

北アメリカ東部および北東アジアに分布。日本では、諏訪市、兵庫県香美町、大田原市、甲州市、滋賀県高島市、鳥取県智頭町などの群生が知られているが、北海道ではどうだろう。恵庭ではカリンバ自然公園の他に漁川沿いの湿地帯で見たことがある。

 

◆ザゼンソウ(座禅草、学名: Symplocarpus renifolius)は、サトイモ科ザゼンソウ属の多年草。冷帯、および温帯山岳地の湿地に生育。開花時期は1月下旬から3月中旬。開花する際に肉穂花序で発熱が起こり約25℃まで上昇する。そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し受粉の確率を上げる。発熱時の悪臭と熱によって花粉を媒介する昆虫であるハエ類をおびき寄せると考えられている。

地下茎は太くて短い。葉は2~7枚が根出し、ほぼ円形で長さ幅とも30~50cmになり、先は急にとがり、基部は心臓型。浅緑でつやがあり、葉柄は太く長く葉身と同じ長さになり、基部は幾分さや型で重なり合う。花は葉が出る前に咲く。花茎は太く長さ10~20cmになるが半ば中にあるため仏炎苞は地際から生えているように見える。仏炎苞は暗紫から淡紫、まれに白や緑もある。形は半球形で先がとがり、中には長円形で長さ2cm余りの花穂がある。穂には小さな花が多数密集して着く、果実は初夏から盛夏にかけて黄色に熟するが有毒。

自家不和合であり、昆虫などによる花粉の運搬を必要とする。多くの種子は野ネズミによって食害されるが、一部は野ネズミの貯食行為によって運ばれる。種子はそれによって散布され、被食を逃れて発芽することが出来る(参照:北海道の植物図鑑)。


ミズバショウ咲くカリンバ自然公園、恵庭の花-30

2022-05-01 10:27:44 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

ミズバショウが咲いている・・・

桜の開花には少し早いが、水芭蕉が咲く頃だろうとカリンバ自然公園まで散歩の脚を伸ばした。4月下旬の穏やかな日のことである。自宅からは徒歩で約45分(3.1km)、少し長い散歩で心地よい汗をかいた。カリンバ遺跡の保護地区に繋がるカリンバ自然公園(黄金1号近隣公園)は旧カリンバ川跡で湿地が残り、自然林にはミズバショウの群落がみられる。遊歩道が設けられているのでミズバショウなど自然植物を観察できる。

自然公園にはコブシが咲き、ミズバショウの白い苞も開いていた。年配女性の二人連れが散策している。車いすの老人が音楽を聴きながら公園に向かって時を過ごしている。鴨が2羽ミズバショウの間で何かを啄ばんでいる。長閑な空間の中、遊歩道からミズバショウを写真に収めた。

ミズバショウの隣に、形が似ているが「白」ではなく「濃い赤色」の個体が散見される。「ザゼンソウ」と呼ぶらしい。黒頭巾(黒紫色)を被ったお坊さんが座禅をして座っている姿に似ていることから付けられた名前だと言う。

ミズバショウの名前を知ったのは「夏の思い出」の歌詞。尾瀬にミズバショウ群落があるのだと、その時覚えた。そして、十勝に住むようになってからは芽室町上美生のミズバショウ群生地を訪れ、北海道では「ヘビノマクラ」と呼ぶと教わった。花序の形を蛇の枕に見立てた表現だが、ミズバショウが咲く周辺は湿地なので「危険だから近づくな」と子供たちへの警句だったのだろう。また、ミズバショウの葉が牛の舌に似ていることから「ベコノシタ」とも呼ぶそうだ。地域によって他にも呼び方があるようだが、葉の形状による場合が多い。アイヌ語では「パラキナ(幅の広い葉)」である。

北海道には大空町、女満別町、芽室町、雨竜沼湿原、大沼などよく知られた群生地があるが、恵庭市のカリンバ自然公園は市街地でミズバショウ群落を観察できる貴重な場所である。

 

◆ミズバショウ(水芭蕉、学名: Lysichiton camtschatcensis Schott)は、サトイモ科ミズバショウ属の多年草。北海道と中部地方以北の本州の日本海側及びシベリア東部、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島に分布する。

湿地に自生し、発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞と呼ばれる苞を開く(花ではなく葉の変形したもの)。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が花序で、数十から数百の小花が集まっている。それらすべてが雄蕊と雌蕊を持つ両性花だと言う。受粉後、花序は大きく成長し緑色肉質の果穂になる。開花時期は低地で4月から5月、高地では融雪後の5月から7月。葉は花の後に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。大きく成長した個体の塊茎からは細長く短い地下茎が生じ、栄養繁殖することもある。


恵庭の樹-4 松園通りのハルニレ(開拓の証人、伝承の神木)

2022-04-30 10:00:18 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

楡の樹は残った

花の拠点「はなふる」(道と川の駅「花ロードえにわ」)から松園通りの桜並木を恵庭開拓記念公園に向け1km余り歩くと、歩道の真ん中に一本の楡の大木がある。道路を拡張する際にこの樹を伐採(移植)しようとしたところ、作業員にけが人が出るなどの祟りがあったため動かせなかったと言われ、この大木を避けるように不自然に道路が曲がっている。何時の間にか祟り伝承が独り歩きし、恵庭の御神木と噂されるようになった。恵庭市内ではちょっと知られたハルニレである。

場所は道の駅から恵庭開拓記念公園に通じる茂漁松園線の歩道(南島松)で、「道路保護樹木、推定樹齢120年、所有者恵庭市、樹種ニレ、樹高18m、幹周り2m、指定年月日昭和57年4月1日、第27号」と書かれた白い杭が立っている(杭は根元が腐り倒れていた)。幹をよく見ると、深く裂けた縦縞の樹皮に誰かが鋸を当てたような跡がある。老木の樹皮に現れる現象かもしれないが、謎を深める傷痕だ。

祟りの樹伝説は世に数多く存在する。例えば、栗山町桜丘の国道234号線沿いに存在したハルニレの巨木。栗山町HPによれば・・・開拓の犠牲になった囚人や、不幸な境遇を苦に自殺した女性の霊がニレの老木に乗り移ったと伝えられ、切り倒そうと鋸を当てるとキューヒーと木が泣き事故が続出。霊木として祀られていましたが、昭和45年に切り倒され、切った本人もまた亡くなったと言われています。現在、切り株には「泣く木二世」を移植し霊を慰めています・・・とある。現在は石碑が建っているそうだ。

わが国では昔から森羅万象に神が宿ると考え、森羅万象を神々の体現として享受する習慣があった。樹々にも霊が宿り、老樹を神木と見立てることが多かった。そのような神樹を人間が切り倒したら祟りがあると考えるのは自然な成り行きであろう。この風習は、人間の都合で大木を伐採する歯止めになっていたと言えるかもしれない。

松園通りのハルニレを道路保護樹木に指定してから40年が経過している。さすれば、このハルニレの推定樹齢は160年。芽生えたのは江戸時代末の頃、漁川で鮭を獲るアイヌの人々が暮らし、山田文右衛門(十代清富)が請負人をしていた時代であった。

その後、このハルニレは生長し、土佐藩入植や山口、富山からの集団移住者による開拓を見守った。漁川沿いに旧長州藩士が入植し、廻神美成が私立松園小学校を建設した頃、子供たちはこの樹の傍の道(松園通り)を通って通学したに違いない。爾来、漁村、島松村の人々はこのハルニレを切り倒さず守り続けた。恵み野団地が造成された折も、この樹は残った。

御神木と崇められる一方、開拓の歴史を語る記念樹とも言えよう。

ハルニレを開拓記念保護樹に指定している市町村は、栗山町、新十津川町、石狩市、伊達市、名寄市、下川町、美深町、浜頓別町、本別町、弟子屈町など。開拓原野のシンボルとして、雄大な樹形のハルニレを開拓記念保護樹に定めた意図は十分理解できる。また、北大の構内にはハルニレの大木が多く、北大のことをエルムの学園と呼ぶがこれも納得。ハルニレはその雄大な姿を以てして、地域のシンボルになれる樹だ。

松園通りのハルニレは、「恵庭開拓の歴史を知る樹」「伝承の樹」である。恵庭の樹に登録する価値があろう。

  

◆ハルニレ(春楡、学名Ulmus davidiana var. japonica、通称:ニレ、エルム)

・北日本を中心とした寒冷地に分布するニレ科落葉高木。沢沿いなどの湿地に多く、樹高は最大で30m以上に達し雄大な樹形となる。生育に適した北海道では特に大木が多い。

・開花は3~5月、若葉が展開する前に咲く。雄しべと雌しべを持つ黄緑色の両性花で、10個前後が束になって咲く。果実は1.5cmほどの扁平した団扇形で小さな種子の周りに翼を持つ。

・葉はサクラに似るがやや分厚く、縁のギザギザが目立つ。葉の下半分が左右非対称であるのが特徴。長さ3~12cm、幅は3~5cm。表面には細かな毛が多く、手で触れるとザラつく。寒冷地では秋の紅葉が美しい。 

・樹皮は灰褐色で、樹齢を重ねると縦縞やささくれが出来やすい。樹皮を剥ぐとヌルヌルした液が生じることからニレ(滑れ=ぬれが転訛した)と呼ばれた。この樹液は紙漉のツナギに、樹皮を叩いて潰したものを瓦の接着剤に使われた。

・幹は最大で直径1mを超える。材は硬くて木目が美しく、建材、器具材、楽器材として使われることもあるが、乾燥によって寸法が狂いやすく耐久性が低い。材はくすんだ褐色で別名をアカダモと呼び、ヤチダモの代用とする。

・アイヌはハルニレをチキサニ(擦る木)と呼ぶ(ハルニレ材を擦って火を起こした)。アイヌ伝説では、地上に最初に生えた木がハルニレで、そのハルニレにカンナカムイ(雷神)が恋をして(落雷)起った炎から、人間の先祖であるアイヌラックル(アイヌの英雄神オキクルミとも)が生まれたと言う<参照:庭木図鑑、Wikipediaなど>。


恵庭の樹-3、豊栄神社の御神木

2022-04-26 10:00:38 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

豊栄神社の水松

恵庭市内の最古樹は「豊栄神社の水松」ではあるまいか。

豊栄神社境内に推定樹齢三千年と称される水松(イチイ)の大木が御神木として植えられている。開道百年を記念して恵庭渓谷ラルマナイの深山から移植された老樹で、径級150cm、樹高20m(説明板)。樹齢三千年は些かオーバーかと思うが、尊厳たる姿を見せている。移植から既に50年を経過した今も元気な姿で御神木として崇められている。

「これこそ恵庭を代表する樹」と言っても、誰も異議を挟むまい。海抜500mのラルマナイ深山から搬出され、昭和46年に移植された老樹であるが、しっかり根を張り威風堂々としている。恵庭市内に数多く存在するイチイの中で、まさに横綱クラスである。

記念樹移植の由来を記した説明板が建っているので引用する。

「・・・昭和四十三年開道百年を迎えるに当たり記念事業として恵庭営林署に乞い受け昭和四十六年八月十八日移植完了す。抑々この太古の老樹は深山ラルマナイ漁分担区二十八林班標高500メートル地にあり神武天皇紀元前と推定され、明治四十二年山林の大火災にて付近一帯の樹木ほとんど焼け枯死せし中に唯一本生き凌ぎ、昭和二十九年九月古今未曾有の大風水害の中を堂々と生きぬき厳然として今日に至る。この尊厳の姿は此後神木として私共住民の子供孫まで幾千代かけて永遠に尊厳と追慕せらるることと存じます。搬出に当たり深山より林道を運び出し支笏湖畔廻り四十余キロの行程を搬出無地移植完了す。蝦夷が島根の北の園 遠き昔を偲びつつ 波静かなる世を祈るらん 昭和四十六年九月二十日 豊栄神社宮司本間康将」

 

 

なお、豊栄神社(とよさかじんじゃ、恵庭市大町3丁目6-5)については、拙ブログ2015.1.29「恵庭の神社-1、大国魂大神と豊宇気姫神を祀る豊栄神社」を参照されたい。


恵庭の樹-2、恵庭市庁舎落成記念樹

2022-04-25 13:43:41 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

恵庭市唯一の北海道指定 記念保護樹木

恵庭市役所に「記念保護樹木(北海道指定)」があると、今年になって初めて知った。「記念保護樹木」の言葉は耳新しかったし、市役所へ何回も行っているが「どこにそんな樹があったか?」思い出せない。しかも、恵庭唯一の指定樹木だと言う。

4月の初めカメラを抱えて市役所を訪れた。記念保護樹木は正面玄関脇の3本の庭木であった。なんの変哲もない、見慣れた庭木のイチイ(オンコ)である。傍らに説明板があるので引用する。

・・・恵庭市庁舎前庭記念保護樹木、所在地 恵庭市京町1番地、樹種 イチイ、直径63,40,50cm、樹高8,10,11m、推定樹齢 3本共260年、所有者 恵庭市、このイチイは、昭和47年6月恵庭市庁舎落成記念として、市内盤尻の市有林から移植したものです。北海道の歴史とともに育ち、これからも恵庭市の発展を見守ってくれる大切な樹木です。昭和48年3月30日指定、北海道・・・

移植当時の推定樹齢が260年と記載されているので、既に樹齢310年と言うことになるのか。改めて樹形を見上げた。イチイの生長速度は遅いと聞くが、まだ庁舎の高さには届かない。老樹と言うより成壮年樹の感がある。しかし、イチイは「市の木」なのでシンボルとしての意味はある。幾世代か後には誰もが崇める程の大木になることだろう。

ところで、記念保護樹木とは北海道が北海道自然環境等保全条例(昭和48年)に基づき指定した樹木で、北海道全体で106樹木が指定され、これはその中の一つ。多くは開拓当時から自生していた「開拓記念木」「開拓以来住民に親しまれている樹木」「神木として敬愛されている樹木」「信仰のシンボルとして敬愛されている樹木」「アイヌの伝説に由来する樹木」などで、孤高に聳える大木が想像されるが、恵庭市の記念保護樹は些か若々しい。

市内には他にも記念保護樹として価値ある古木がありそうなものだと思うが、どんなものだろう。散歩の途中も公園や神社の樹々が気になるようになった。

 

◆北海道自然環境等保全条例

北海道では北海道自然環境等保全条例に基づき環境緑地保護地区等及び記念保護樹木を指定している。

○北海道自然環境等保全条例(昭和48年12月11日、条例第64号)

(目的)第1条 この条例は、自然環境保全法(昭和47年法律第85号)その他の法令と相まって、自然環境の適正な保全を総合的に推進するとともに、国土の無秩序な開発を防止し、もって道民の健康で文化的な生活の確保に寄与することを目的とする。

(記念保護樹木の指定)

第23条 知事は、由緒・由来のある樹木又は住民に親しまれている樹木のうち、郷土の記念樹木として保護することが必要なものを記念保護樹木として指定することができる。

北海道のHPから、北海道指定記念保護樹木一覧(空知・石狩管内部分を抜粋)を引用する。

なお、平成5年(1993)に環境基本法(法律第九十一号)が施行されてからは環境保全意識が一段と高まり、北海道環境基本条例(平成8年10月14日、条例第三十七号)、恵庭市環境基本条例(平成9年12月30日、条例第21号)が制定された。恵庭市では、さらに「空地の環境保全に関する条例(昭和51年3月25日、条例第3号)」「きれいなまちづくり条例(平成15年3月31日、条例第9号)」等を制定し、地域の環境美化を促進し、市民の生活環境の向上に努めている。


恵庭の樹-1、品位と長寿を誇る「市の木、イチイ」

2022-04-24 13:12:11 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

わが家の記念樹

平成4年(1992)恵庭市恵み野に住宅を建てた。住民票移動など一連の転入手続きを終えると、恵庭市から「市の木、イチイ(オンコ)苗木」をプレゼントすると言うので、早速入手して庭に植えた。30年余り前のことである。その後は素人の刈込で半球仕立てにし、出葉時の瑞々しさを愛で、秋には小鳥たちが赤い実を啄ばむのを楽しんでいる。現在、樹高1m強、樹幹径10cmほどになっている。

この時初めて、恵庭市の「市の木」はイチイ、「市の花」はスズラン、「市の鳥」はカワセミだと知った。「市の木」「市の花」を制定したのは市制施行から3年後の昭和48年(1973)である。市のホームページには「市の木イチイは四季を通じて緑葉を残し、風雪に耐え抜く力強さは長寿の象徴とされています」「初夏の訪れとともに、島松原野にはスズランの花が咲き誇ります。スズランは幸福の花とも呼ばれ多くの市民に親しまれています」と選定の理由が記されている(なお、「市の鳥」カワセミを制定した平成8年)。

因みに、イチイを市の木に指定している市町村は多く、恵庭市の他に北見市、函館市、富良野市、今金町、共和町、清里町、小平町、中川町、当麻町、東神楽町、美幌町、むかわ町、由仁町、西興部村、奥尻町、せたな町、北竜町、八雲町がある。北海道では風雪に耐える姿に人気があるのだろう。また、岐阜県が県木として指定している(北海道はエゾマツ)。

 

◆イチイ(一位、櫟、学名:Taxus cuspidata Sieb. et Zucc、英名:Japanese Yew)北海道では通常オンコと呼ぶが和名はイチイ。イチイ科イチイ属の常緑針葉樹である。名前の由来は、神官が使う笏がイチイの材から作られたことからシャクノキ(笏木)とも呼ばれたが、仁徳天皇がこの樹に正一位を授けたので「イチイ」の名が出たとされている。別名アララギとも称され、アイヌ語ではクネニ(アイヌは弾力性に富むことからイチイを狩猟用の弓を作る材料として使用したことから、「弓の木」の意味「クネニ」と呼んだ)。

分布:北海道、本州、四国、九州、沖縄、千島列島、中国東北部、朝鮮半島

形態:常緑針葉樹の高木。樹高は10~15mほどになるが、暗い場所で育つため生長は遅い。幹の直径は50~100cmほどになるが、30cmになるまでに100年はかかると言われている。葉は羽状に互生、濃緑色、線形で先端が尖る。

生態:花期は3~4月、雌雄異株、小形の花をつける。初秋に赤い実をつける。種子は球形で、杯状で赤い多汁質の仮種皮の内側におさまっている。果肉は甘く食べることができるが、種子には有毒成分アルカロイドのタキシンが含まれ中毒(痙攣や呼吸困難)を起こす。

植木:耐陰性、耐寒性で刈り込みにも耐えるため、庭木や生垣に利用される。また、北海道ではサカキの代わりに玉串など神事に用いられ、神社の境内にも植えられる。

材質:年輪の幅が狭く緻密で狂いが生じにくい。また、紅褐色をした美しい心材が多く加工し易いことから、工芸品、器具材、箱材、机の天板、天井板、鉛筆材として用いられる。岐阜県飛騨地方の一位一刀彫が有名。<参照:Wikipedia、北海道の森林植物図鑑(北海道林務部監修)、樹木図鑑(日本文芸社)>

「市の木」の所以だろうか、恵庭市内にはイチイをよく見かける。多くは生垣や刈込をした庭木であるが、深山から運び出した大木を移植した庭(建設会社、造園会社など)もある。そのような古木を見ると、樹齢何年か、売買するとしたらどの位の値が付くのか下種は勘繰る。


春の先駆け「クロッカス」「ふきのとう」、恵庭の花-29

2022-04-05 13:32:59 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

雪解けが遅れた庭に春告花「クロッカス」と「ふきのとう」

2022年4月4日、雪の重みで折れた庭木の枝でも片付けようかと、春の陽ざしに誘われて庭に出る。昨冬は記録に残る大雪だったので庭の片隅にまだ残雪があるものの、「クロッカス」が咲きだし「ふきのとう」が目を出しているのを見つけた。

開花はまだ数株で、一面に花開くのはもう少し先のことだが、わが家の「春告花」クロッカスは今年も健在である。

◆クロッカス

拙ブログ「恵庭の花-17 クロッカス(花サフラン)、2018.3.31」でも触れているが、クロッカスはアヤメ科(Iridaceae)、クロッカス属(Crocus)で学名はCrocus L、秋植え球根植物。原産地は地中海からトルコにかけての地域と言われる。

晩秋に咲き、花を薬用やスパイスに使うサフラン(Crocus sativus L.)と同属であるが、早春に咲き、観賞用のみに栽培されるクロッカスを春サフラン、花サフランなどと呼んでいる。クロッカスの名前は、雄しべの先が糸のように見えることから、「糸」を意味するギリシャ語からきているのだと言う。

球根は直径4cmくらいの球茎で、花はほとんど地上すれすれのところに咲き、黄色・白・薄紫・紅紫色・白に藤色の絞りなどがある。クリサントゥスCrocus chrysanthusを原種とする黄色種と、ヴェルヌスC. vernusを原種とする白・紫系の品種とは植物学上別種だが、通常は同一種として扱われる。

花言葉は、早春に花咲く姿から連想した「信頼」「青春の喜び」、ギリシャ神話に由来する「愛したことを後悔する」など。ギリシャ神話には、「美青年クロッカスは羊飼いの娘と恋仲だったが、神々の反対にあい悲嘆のあげく自殺してしまった。クロッカスをあわれに思った花の神フローラは、彼の亡骸をこの花に変えた」との伝説があるそうな。

寒さに強く、日当たりと水はけの良いところなら、植えっぱなしでもよく生育するほど丈夫と言われるが、わが家のクロッカスも植えっぱなし。周辺はまだ緑のカケラもないのに、健気に花開く。

 ◆ふきのとう(蕗の薹)

旬は2月~3月とされるが、北海道では3月~4月。蕾の状態で採取され、ほろ苦い味と特有の香りが好まれる。そのまま天ぷらや、アク抜きしてから煮物、和え物、味噌汁、ふきのとう味噌に調理して食べられる。子供の頃も毎年のように、祖母が野に生える「ふきのとう」を摘んできては、美味しいからと勧めてくれたが「苦い」と感じた記憶だけが残っている。それも何時の間にか春には欠かせない食材、好物となってしまった。

「ふきのとう」のことを、津軽弁で「ばっけ」、秋田弁で「ばっけ」「ばんけ」「ばっきゃ」、庄内弁で「ばんけ」、アイヌ語は「マカヨ」と言うらしい。英語では特別な単語はなく、「フキの花茎a butterbur scape、the flower stalk of a butterbur」と呼ぶ。

因みに、フキ(蕗、苳、款冬、菜蕗、学名Petasites japonicus (Siebold et Zucc.) Maxim.、英名Japanese Butterbur、Fuki)は、キク科フキ属の多年草。日本原産で、北海道、本州、四国、九州及び沖縄県に分布し、樺太、朝鮮半島や中国でも見られる。土手や道端、原野、河川の中洲や川岸など、やや湿ったところに自生する。

栽培種もあるが、昔から最もポピュラーな野草の一つ。わが家では裏庭に栽植したフキが群生している。


人知れず強かに咲く「カタバミ」の花、恵庭の花-28

2021-08-03 18:01:47 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

バス停で足元を見ると黄色い小さな花が目に留まった。花の大きさは直径7~8mm位だろうか。その植物は歩道と車道の境目に、瘦せ地のクローバーの風情で地面に張り付いている。花を愛する恵庭の人々でも、おそらく誰も気付かないだろう。たとえ気が付いても、その草花の名前まで詮索しようとは思うまい。人知れず秘かに咲く、可憐な野の花である。

散歩がてら注意深く観察すると、道端のほか畑地や公園の芝生にも、家の犬走や車庫の裏にも根を張っている。乾燥が続いたこの夏も強かに地面を這い、黄色い5弁の花をつけている。あたかも砂漠に転々とする星のごとくに。

この草花の名前は「カタバミ」。夜になると葉をたたむ特性がある。その様子は片方の葉が食べられたように見えるので、「片喰(カタバミ)」と名付けられたと言う。

 

◇カタバミ(酢漿草、片喰、学名: Oxalis corniculata

カタバミ科の多年草。大根のような主根を地中深く下ろす。茎は地を這い多数の小枝を出す。葉は3枚の小葉からなる複葉。小葉は小さなハート形(約1cm)でハートの先端を合わせた形になっている。葉色は緑~紅紫色の変異があり、夜は閉じる特性がある。

葉の形や匍匐する草姿が似ているのでクローバー(シロツメクサなど)と間違えられることもあるが、クローバーは葉形が卵型(円型)で白い線がありサイズが大きい。野に見られるクローバーは牧草用に改良された栽培種が野生化したもので、カタバミとは異なる種類である(マメ科)。クローバーの花は小花を密集して付けるので、容易に区別できる。

また、四葉クローバーを探した子供の頃を思い出して、四葉カタバミを探したが見つからなかった。カタバミもクローバー同様に多葉変異体を発生するが、環境耐性が高いためかカタバミの四葉出現率は低いと言われている。因果関係があるのだろう真偽は分からない。

春から秋に黄色い5弁の花(直径7~8mmと小さい)をつけ、日向では開花するが日陰に咲いた花はしぼんでしまう(夜も同様)。花が終わると円柱状で先が尖った果実が真っ直ぐ上を向いてつく。熟すと弾けて種子を最大1mも飛ばす。このためカタバミの繁殖は旺盛で、しかも根が深いので厄介な雑草の一つである。目立たぬ野草カタバミは、どんな過酷な環境にも生きながらえる強かさを有している。

下位分類として、アカカタバミ、ケカタバミ(毛が多い)、アカカタバミ(葉がやや小さくて赤い。通常のカタバミよりも環境に対する耐性が高く、都市部の路肩などにも生える)、ウスアカカタバミ、ホシザキカタバミ、タチカタバミ(茎が直立する)などが知られている。

また、わが国でよく見られるカタバミの仲間には「オッタチカタバミ(Oxalis dillenii)」「ムラサキカタバミ(Oxalis corymbosa)」などがある。

オッタチカタバミ(Oxalis dillenii)

地上部はカタバミ(Oxalis corniculata)より旺盛に見えるが、花の色やサイズ、葉の大きさは似ている。カタバミと同じ仲間であるが、根茎の節から地上茎が真直に伸び、出葉は2本ずつ少しずれて発生する特徴がある。茎が立ち上がることから「オッタチカタバミ」の名が付いた。北米を原産とする帰化種。

ムラサキカタバミ(Oxalis corymbosa

鉢植えの植物を購入して育てていたら、クローバーに似た葉が出て来て、ピンクの花をつけた。カタバミ属のムラサキカタバミ(Oxalis corymbosa)である。葉の大きさ、花の大きさは前述のカタバミより大きく、クローバーと同じ位のサイズである。地下に球根を形成し、球根上部の鱗茎から束になって葉柄が伸び葉をつける(根生葉)。茎が地上を這うことはない。

北海道で野生化したものは見られないが、関東以西を中心に道路や塀の隙間、畑や荒地などに繁殖している。原産地は南アメリカで、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど温帯から熱帯の各地に分布している。日本には江戸時代に観賞用として導入され野生化した。日本など温帯地域では結実せず、鱗茎(球根)の分球によって繁殖する。

オキザリスの意味は「酸っぱい」

カタバミ属の学名Oxalis(オキザリス)は「酸っぱい」に由来する。葉や茎はシュウ酸(oxalic acid)を含み、かじると酸っぱい味がする。そのため、酢漿草とも書かれる。地方名には「すいものぐさ」「しょっぱぐさ」「すいば」「かがみぐさ」「ねこあし」など多数あると言われる。多くは噛んだ時の味に由来する命名だが、「かがみぐさ」は古代鏡を磨くのに使用したこと、「ねこあし」はたぶん葉形から名付けられたのだろう。

全草は酢漿草という生薬名で、消炎、解毒、下痢止めなどの作用があるとされる。

家紋に使われる

戦国大名の長宗我部元親、徳川氏譜代の酒井氏など「かたばみ紋」を家紋とした。田中角栄の家紋も「剣かたばみ」だった。カタバミは繁殖力が強く、一度根付くと絶やすことが困難であることから、家が絶えないに通じ、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として用いられた。

夏の季語。「蔵の陰 かたばみの花 珍しや(荷兮)」


オダマキ(苧環)、恵庭の花-27

2021-06-08 11:07:58 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

庭の片隅に、播いたことも植えたこともない花が突然咲くことがある。5月の末、ムスカリの花が終わりに近づいた頃、生垣の根元に紫色の花が雨に打たれているのを見つけた。花の形、葉の形からオダマキらしい。

「オダマキを植えたことがあったか」と尋ねたが、無いと応える。

「何処からか種子が飛んできたのでしょう」と言う。

野良生えが多いのは、恵庭市恵み野がガーデニングの街と呼ばれるほど近所の庭々に多様な花が植えられているからだろうか。多分そうだろうと納得して、花の姿を写真に収めた。

この株は来年もきっと花をつけるだろうと、抜かずにそっとしておく。拙宅の庭は、気まぐれに根づいた花々も大歓迎、何時の間にか多年草主体の自然園と化している。

 

◇オダマキ(Aquilegia L.)

キンポウゲ科(Ranunculalceae)オダマキ属(Aquilegia)の総称。日本原産のミヤマオダマキ(A. flabellata var.pumila)と、ヨーロッパ原産の西洋オダマキ(A. vulgaris)に大別される。

*ミヤマオダマキ(A. flabellata var. pumila

日本の高山地帯(深山)に分布するオダマキの野生型。草丈は20cmほど。花色は青紫色から白まで色幅がある。暑さにやや弱い。園芸業界では、ミヤマオダマキ改良種をオダマキと呼び、その他はミヤマ~、セイヨウ~などを付けて呼ぶことが多いようだ。

*セイヨウオダマキ(A. vulgaris

ヨーロッパからシベリアにかけて広く分布。花色は紫色でうつむきかげんに咲く。草丈は50~60cm、日本での開花は主に5月~6月。花色が赤、ピンク、黄、白など、大輪種や八重咲き種など変異に富んだ園芸種がある。

◇特性

開花期は春~初夏、花は茎の先端に2~3輪がまとまって下向きに咲く。花は5枚の萼(がく)と筒状の花びらからなり、がくの後ろ側には距(きょ)が角のように突き出ている。葉は暗緑色で長い葉柄の先に3枚の扇型の小葉からなる複葉。葉縁には切込みがある。開花後、花茎の先に細長い莢が5つ集まった果実を付け、熟すと先端が開いて中から光沢のある黒い種子がこぼれる。

◇名前の由来

オダマキは、麻糸を空洞の玉のように巻いたもの(苧環)、あるいはそのための器具のことで、花の後ろの部分がこれに似ていることに由来する。イトクリソウ(糸括草)の別名もある。

全草にプロトアネモニン(protoanemonin)を含むと言う。茎を折ったときに出る汁に触れると皮膚炎(水泡)を引き起こすことがある(アネモネも同じ)。


野良生えの「ワスレナグサ(忘れな草)」清楚に咲く,恵庭の花-26

2021-06-04 10:26:05 | 恵庭散歩<花のまち、花だより、自然観察>

隣の空き地にワスレナグサ(勿忘草、忘れな草)の群落が誕生した。薄青色の小さな花が多数、5月下旬の淡い陽光に揺れている。一面のスギナを緑の絨毯にして、ワスレナグサの可憐な花々が春を告げる。誰かが種を蒔いたわけでもない、何処からともなく運ばれてきた種子が出芽し、群落となったのだ。いわば野良映え集団、野生化した雑草だが、一面の淡い青色は清涼感を漂わせる。

よく見れば、ワスレナグサは庭の彼方此方にも舗装道路の割れ目にも生えている。栽培種が野生化したのか、昔から自生していたのか由来は分からないが弱々しく風に揺れている。ワスレナグサはその姿に似ず、寒地で生きながらえる逞しさを有している。

 

◇ワスレナグサ

ムラサキ科ワスレナグサ属(Myosotis spp.)の仲間を総称してワスレナグサと呼んでいる。属名の Myosotis は、細長く多毛で柔らかい葉の様子がネズミの耳に似ていることに由来している。ギリシャ語の「二十日鼠(myos)+耳(otis)」が語源だと言う。

原産地はヨーロッパで温帯から亜寒帯に広く分布し、世界には50~100種が存在すると言われる。日本には、ワスレナグサ属の一種であるエゾムラサキ (M. sylvatica)の自生が古くから知られているが、明治時代に園芸業者がノハラワスレナグサ (M. alpestris) を輸入してから種間雑種など多くの園芸品種が作られた。

現在、日本で見られる主な種類は、シンワスレナグサ(M. scorpioides)、ノハラワスレナグサ(M. alpestris)、エゾムラサキ(M. sylvatica)。

シンワスレナグサM. scorpioides、ワスレナグサ)

種名のscorpioides は、「サソリの尾に似た」という意味。花序がサソリの尾のように曲がっていることから付けられた。英名は true forget-me-not, water forget-me-not。ヨーロッパ産の基本種で、その他のワスレナグサ属と区別するために、true forget-me-not という呼び名が付けられている。多年生で、花は薄青色。園芸品種に比べると花の咲く様子が地味。隣地のワスレナグサは、この系統だろうか。

ノハラワスレナグサM. alpestris

種名の alpestris は、「亜高山の、草本帯の」という意味。英名は alpine forget-me-not。多年生。花は薄青色・鮮青色。

エゾムラサキM. sylvatica、ミヤマワスレナグサ、ムラサキグサ)

種名のsylvatica は、「森の」という意味。英名は garden forget-me-not, wood forget-me-not, woodland forget-me-not。二年生から多年生。花は薄青色・薄紫色。萼は切れ込みが深く、立ち上がった鉤状の毛がある(他のワスレナグサ属の萼の毛は平たく伏している)。

◇特性

開花は3月下旬~6月上旬と長い。薄青(紫)色・鮮青(紫)色の小さい5弁の花(花径6–9mm)を付け、花冠の喉に黄色・白色の小斑点をもつ。花は多数でさそり型花序、開花とともにサソリの尾のような巻きは解けて真っ直ぐになる。

草丈は20–50cm、葉は長楕円形もしくは倒披針形で互生。葉から茎まで軟毛に覆われている。一般に日当たりと水はけのよい湿性地を好み、耐寒性に優れているが、暑さに弱い。

◇語源にまつわる伝説

中世ドイツの悲恋伝説に登場する主人公の言葉に因む。「騎士ルドルフはドナウ川の岸辺に咲くこの花を恋人ベルタに贈ろうと岸を降りた際、誤って川の流れに飲まれてしまいました。ルドルフは最後の力を振り絞って花を岸に投げ、„Vergiss-mein-nicht!(僕を忘れないで)“という言葉を残して亡くなりました。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした」のだそうです。

このような伝説から、ドイツではこの花をVergissmeinnicht と呼び、英名もその直訳の forget-me-not、日本では明治38年(1905)に植物学者の川上滝弥が「勿忘草」「忘れな草」と訳したのが名前の由来と言われています。花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで下さい」。

◇抒情歌「忘れな草をあなたに」

木下龍太郎作詞、江口浩司作曲。女声コーラス・グループのヴォーチェ・アンジェリカが1963年にリリースした楽曲。1971年に倍賞千恵子と菅原洋一がリリース、叙情歌として広く知られるようになった。

・・・分かれても 分かれても 心の奥に

いつまでも いつまでも 憶えておいて ほしいから

幸せ祈る 言葉にかえて

忘れな草を あなたに あなたに・・・

その他にも、千曲川(五木ひろし1975年)、忘れな草をもう一度(中島みゆき1982年)、Forget-me-not(さだまさし1984年、尾崎豊1985年)など。帰らぬ恋、初恋の淡い思い出を「ワスレナグサ」に重ねている。

◇ワスレグサ

「ワスレナグサ(忘れな草)」を索引していたら「ワスレグサ(忘れ草)」があることを知った。ヤブカンゾウ(Hemerollis fulva var. Kwanso)である。和名抄に「萱草」を「一名、忘憂」とあり、「身に着けると憂いを忘れる」の意味で「忘れ草」と呼んでいた(万葉集にも詠まれている)。平安時代に入ると「人を忘れる」の意味に変わり、古今和歌集や源氏物語にもこの意味で萱草が出て来るらしい。

ワスレグサ(ヤブマンゾウ)は茎頂にユリに似た八重咲の橙赤色の花をつける。華やかで目立つ「ワスレグサ」の花姿は、清楚な「ワスレナグサ」の極対極にあると言えそうだ。