その2:企業実習(1990年7月)
私が進学したのは工業系の学校で、夏休み期間中に企業実習があり、実習先に愛知
県の鉄道車両メーカー(どこかバレバレ?)があったので応募しました。同級生の
中では恐らく最遠隔地での実習で、個人的にも3週間近くも親元を離れて過ごした
のは初めての経験でした。
実習先および会社寮は名鉄豊川線の沿線にありました。近くの踏切の音が電子音で
なく本当の鐘の音(カンカンではなくチンチン)だったのが印象的でした。
名鉄に乗るのは「国鉄最後の日」に5,000円で乗り放題の切符で明治村まで行った
以来で、パノラマカーに乗るは初めて。絵本に載っているような電車が、とくに
珍しがられることもなく日常の通勤電車として使われていたり、豊川線のような
単線の支線に乗り入れたりするなど、ふだんは地方のJRしか利用したことがない
私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。当時はパノラマsuperが
が全席特別車(有料)の特急として走っていましたが、特急の次に急行より早く
特別料金不要で乗れる列車に「高速」という妙な名前の種別があり、パノラマカー
はそれによく充当されていました。5500系、AL車もまだいて、昨年末に引退した
5700/5300系はまだ新車でした。5700/5300系はパノラマカーを近代化したような
車両で、両者とも同じような車両なのに、なぜか5300系の方の乗り心地がゴツゴツ
していることが不思議でしたが、たまたま逆方向のホームに停まっていた現車の
床下を見て納得。5300系は5000/5200系(SR車)という初期の高性能車からの車体
更新車で、台車や一部機器は旧車からの流用だったというわけです。
工場ではTEC100系、名鉄1000系パノラマsuperなどが絶賛量産中でした。実習では
FFTを使って振動解析の真似事をさせてもらいました。パソコンはOSという概念が
できる以前の時代で、学校ではNEC(N88BASICの時代)でしたが、国産より速いと
いう理由でYHPを使っていました。
昼食時には食堂でNHKを映していて、朝ドラ再放送の「凛凛と」が印象に残っています。
ソプラノサックスがフィーチャーされたインストのテーマ曲もお気に入りで、CDを
探しましたが、当時はTVサントラ曲のシングルというのは稀で、見つかったのは大分
後でした。結局これはアルバム内の1曲で、情報すらなかったため、当時は見つけよう
がありませんでした。「凛凛と」は朝ドラでは珍しい男性主人公でしたが、演じた田中
実は残念なことに若くして鬼籍に入られました。
名古屋メシ圏ということで、特に寮メシの赤だしが濃い&塩辛いのに驚きました。休日
に駅前に遊びに行った時の、そば屋のカツ丼の味噌汁は少しマシでしたが、基本的には
似たようなもの。今も赤だしが出てくると、当時のことが懐かしく思い出されます。
(後日注:この4月からの朝の連ドラの中で、豊橋出身の奥さんが作る赤だしの味噌汁
に福島出身の主人公がギョッとする描写がありますね)
電車に囲まれて夢のような(笑)実習も3週間近くが過ぎて、最終日に工場のお偉い様に
あいさつに行った事務所には、「当社で製造された車両」としてTOMIXの鉄道模型が
びっしりディスプレイされていて、当時お休みしていた鉄道模型熱が再燃したきっかけ
となりました(笑)。帰宅後さっそく7000系パノラマカーの模型を探したのですが、当時
はなぜか生産中止とカタログに明記され、どこの店にも見当たらなく悲しかった思い出
があります。夏の終わりになって地元のデパートで白帯車を見かけたのを、本当はノー
マル仕様が欲しいのにと散々悩んだ挙句、なけなしのバイト代で押収しました(笑)
行きの東海道新幹線は0系で、東北新幹線の200系よりも時代遅れの感じがしましたが、
帰りは実習先でも量産中だったまさに最新鋭の100系。座席は前後間隔も広くしっかり
リクライニングするし、内装も洗練されているのに驚きました。帰路の途中(大好きな
(笑))東京に寄り道して小学校の時の同級生に会い、地下鉄博物館に無理やり同行させて
呆れられました(笑)。大してお金を持っていない学生の私は「うまい・やすい」牛丼に
ハマっていましたが、初めて銀座ではない新宿の松屋に連れていかれ、味噌汁付である
ことを知りました。さらに東京からの帰路は、突然の思い付きで東北新幹線をやめて、
在来線経由で当時デビュー間もない651系「スーパーひたち」で初めて常磐線を完乗した
のも思い出です。
その3に続く?
私が進学したのは工業系の学校で、夏休み期間中に企業実習があり、実習先に愛知
県の鉄道車両メーカー(どこかバレバレ?)があったので応募しました。同級生の
中では恐らく最遠隔地での実習で、個人的にも3週間近くも親元を離れて過ごした
のは初めての経験でした。
実習先および会社寮は名鉄豊川線の沿線にありました。近くの踏切の音が電子音で
なく本当の鐘の音(カンカンではなくチンチン)だったのが印象的でした。
名鉄に乗るのは「国鉄最後の日」に5,000円で乗り放題の切符で明治村まで行った
以来で、パノラマカーに乗るは初めて。絵本に載っているような電車が、とくに
珍しがられることもなく日常の通勤電車として使われていたり、豊川線のような
単線の支線に乗り入れたりするなど、ふだんは地方のJRしか利用したことがない
私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックでした。当時はパノラマsuperが
が全席特別車(有料)の特急として走っていましたが、特急の次に急行より早く
特別料金不要で乗れる列車に「高速」という妙な名前の種別があり、パノラマカー
はそれによく充当されていました。5500系、AL車もまだいて、昨年末に引退した
5700/5300系はまだ新車でした。5700/5300系はパノラマカーを近代化したような
車両で、両者とも同じような車両なのに、なぜか5300系の方の乗り心地がゴツゴツ
していることが不思議でしたが、たまたま逆方向のホームに停まっていた現車の
床下を見て納得。5300系は5000/5200系(SR車)という初期の高性能車からの車体
更新車で、台車や一部機器は旧車からの流用だったというわけです。
工場ではTEC100系、名鉄1000系パノラマsuperなどが絶賛量産中でした。実習では
FFTを使って振動解析の真似事をさせてもらいました。パソコンはOSという概念が
できる以前の時代で、学校ではNEC(N88BASICの時代)でしたが、国産より速いと
いう理由でYHPを使っていました。
昼食時には食堂でNHKを映していて、朝ドラ再放送の「凛凛と」が印象に残っています。
ソプラノサックスがフィーチャーされたインストのテーマ曲もお気に入りで、CDを
探しましたが、当時はTVサントラ曲のシングルというのは稀で、見つかったのは大分
後でした。結局これはアルバム内の1曲で、情報すらなかったため、当時は見つけよう
がありませんでした。「凛凛と」は朝ドラでは珍しい男性主人公でしたが、演じた田中
実は残念なことに若くして鬼籍に入られました。
名古屋メシ圏ということで、特に寮メシの赤だしが濃い&塩辛いのに驚きました。休日
に駅前に遊びに行った時の、そば屋のカツ丼の味噌汁は少しマシでしたが、基本的には
似たようなもの。今も赤だしが出てくると、当時のことが懐かしく思い出されます。
(後日注:この4月からの朝の連ドラの中で、豊橋出身の奥さんが作る赤だしの味噌汁
に福島出身の主人公がギョッとする描写がありますね)
電車に囲まれて夢のような(笑)実習も3週間近くが過ぎて、最終日に工場のお偉い様に
あいさつに行った事務所には、「当社で製造された車両」としてTOMIXの鉄道模型が
びっしりディスプレイされていて、当時お休みしていた鉄道模型熱が再燃したきっかけ
となりました(笑)。帰宅後さっそく7000系パノラマカーの模型を探したのですが、当時
はなぜか生産中止とカタログに明記され、どこの店にも見当たらなく悲しかった思い出
があります。夏の終わりになって地元のデパートで白帯車を見かけたのを、本当はノー
マル仕様が欲しいのにと散々悩んだ挙句、なけなしのバイト代で押収しました(笑)
行きの東海道新幹線は0系で、東北新幹線の200系よりも時代遅れの感じがしましたが、
帰りは実習先でも量産中だったまさに最新鋭の100系。座席は前後間隔も広くしっかり
リクライニングするし、内装も洗練されているのに驚きました。帰路の途中(大好きな
(笑))東京に寄り道して小学校の時の同級生に会い、地下鉄博物館に無理やり同行させて
呆れられました(笑)。大してお金を持っていない学生の私は「うまい・やすい」牛丼に
ハマっていましたが、初めて銀座ではない新宿の松屋に連れていかれ、味噌汁付である
ことを知りました。さらに東京からの帰路は、突然の思い付きで東北新幹線をやめて、
在来線経由で当時デビュー間もない651系「スーパーひたち」で初めて常磐線を完乗した
のも思い出です。
その3に続く?