麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

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2017年10月19日 | 身辺雑記
火曜日、かみさんがライヴに出演。
それを鑑賞に静岡の磐田から
義父が上京したので会食。

てなわけで〈義父と〉刺身など。



ちゃんこのお店だったのだが、
閉店間際の入店となり鍋は諦めた。

そのまま義父は我が家に泊まり、
翌朝は大リーグを一緒に観戦。
ダルビッシュの好投を楽しんだ。

義父との近況ついでに祖父との
思い出も書いておこうか……。



父は津軽人、母は川崎人。
川崎区に生まれ、多摩区(のちに
分割されて麻生区)育ちの僕の、
側にはいつも母の父母が居て、
だからよく遊びに行っていた。
弟が産まれる前後に至っては、
そこから学校に通っていた。

そうそう。
高学年時に緑色のフェンスになるが、
番線を横に渡しただけの仕切りで
その家と小学校は隔てられていた。
昭和46年頃の話だ。

つまり。通学時間、数秒。
いや勿論、原則は校門からだけど、
それでも3分掛からない距離だった。
閑話休題。

祖父は寡黙で白髪の短髪。
絵に書いたような怖いおじいちゃん。
近寄りがたい存在だった。

じいちゃんはじいちゃんで、
接し方に苦慮したのだろうと
今になれば気づくわけだが……。

朝早く勤めに出て、ほぼ同じ時間、
判を押すように帰宅すると
風呂に入り、飯を食い、夕刊を読み、
子や孫の見るテレビはつまらないと
別の部屋でラジオを聞いていた。

話した記憶がほとんどない。
というか、静かさを好み、
ふざけると「うるさい」と雷。

母や叔父叔母は、昔はもっと恐く、
箸でピシャリと手の甲をはたかれた
と、幼い僕をビビらせたものだ。

そこに効いた自慢のスパイスを
子供心に感じ取っていた。
今はそれが親子の情愛だと解る。

とある休日。
おじいちゃんは縁側で針金を使い、
器用に飛行機をこしらえて、
黙って僕にくれたことがあった。
数少ない思い出のひとつだ。



縁側といえば。
ランニングシャツ一枚で爪を切る
祖父の姿が鮮明に刻まれている。
何故だろう?

夏はすいか、秋は虫の音を
縁側で愉しんだ昭和の風景。

登場人物は、祖母、嫁に出た母、
母の弟妹は当時まだ独身で、
僕はおじさんおばさんではなく、
ミッキにいちゃん、カズねえちゃん、
エミねえちゃんと呼んでいた。

思えば、そんな記憶の中に
祖父の姿はないのである。
向田邦子的世界とも言えるが、
あの時代の「男」は皆そうだった。

別にそれを賛美するって意味は
毛頭ありません。念のため

そんな祖父と祖母は今千葉に眠る。
おばあちゃんは川崎人だったが、
おじいちゃんは千葉の長生郡の産。
だが。
僕は一度もその地を訪れていない。


コメント
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