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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

武蔵野歩紀0km

2025年05月05日 | ぶらり

《武蔵野歩紀(武蔵野あるき)》と

題してはみたけれど、

はて、そもそも「武蔵野」とは?

と自問

 

広辞苑を引いたら「埼玉県川越以南、

東京都府中までの間に拡がる地域」。

 

あ、埼玉も入るのか

小説『武蔵野』のイメェージで

勝手に東京都下だと。

1952年開業の「武蔵野銀行」は

確かに埼玉県に本社。

 

その行名は武蔵国に由来していて、

ではその武蔵国は何処かといえば、

現在の東京都と埼玉県及び

神奈川県の川崎市、横浜市あたり。

納得だ。

 

ただ、川崎で産湯につかった身には

つい目線が地図の下の方になって、

また川崎を貫く南武線が、

武蔵国の国府があったことから

「府中」を通っていたりもして

 

そんな前段を踏まえつつ、

今回ぶらりと歩いたのは

西東京市。

 

 

旅先で聞かない市だなぁ

と思うのは大抵「合併市」だが、

学生時代を東京近郊で過ごし、

Uターンした方などには

「なんね、そん小説ごと出てきよる

毎朝新聞、四菱銀行みとう地名ばぁ」

となるやも知れない。

2001年、田無と保谷が合併して

西東京市。

 

そんな旧保谷市の「柳沢」から

今回のぶらり旅は始まる。

「やなぎさわ」と読みたいところ、

だが「やぎさわ」が正しい。

 

鉄道は西武新宿線が走っている。

1927(昭和2)年からある古い駅で、

長野に柳沢(こちらは「やなぎさわ」)が

先に存在したため会社名が冠された。

 

長野電鉄河東線「柳沢」開業は

大正14年だから、実に僅差。

 

 

北口はこぢんまり。

駅の真ん前のスーパーの一角で

焼鳥を焼いている。

昭和では定番のスタイルで、

チビでも小銭を握りしめて

「ねぎま〜」なんて一丁前に買って、

でも台が、あの頃は高かった。

 

時には「おまけ」っておじさんが

レバーなんかくれちゃう。

「レバー食べられっか?」と

気の利く人は言ってくれるが、

鉢巻した太い眉の口数少ないタイプは

無言で2本渡しなので、

テンション高めに「ありがとっ」と

受け取って走り出すしかない。

 

「こりゃ喜んでると誤解されんな」

と最初の角を左カーブしながら

失敗したと思うのだった。

 

・・・そんな北口の逆の、

南口が本来のスタート地点。

 

 

何も始まらずにつづく

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ちょびっと町田(補)

2025年04月27日 | ぶらり

昨日、町田について〝ちょびっと〟

綴った際に、ジーンズショップの

「マルカワ」は絶頂期には54店舗

と。

また主戦場はネットに移行とも。

 

あくまで「主戦場は」であって、

実店舗もある。今日現在4つ、

なのだが藤沢湘南台店、中野店は

5月6日に揃って閉店となるので、

残るは1975年から続く湘南店と

昨年4月に産声をあげたばかりの

池袋サンシャイン通り店になる。

 

嗚呼! あたまっから爪先まで

マルカワだった日もあった俺

柿生から百合ヶ丘、高円寺を経て

いま池袋に暮らす俺を追って、

まさかブクロに出店とは!!

マルカワのない町田をぶらつき、

帰りの小田急快速のなかで

HP開くまで池袋にあることを

知らなんだ

 

東口じゃなく俺の住む西口ならと

悔みつつも、確かに商圏としては

サンシャイン側が圧倒的に良い

 

 

話を町田に戻す。

上は、JR横浜線と小田急線をつなぐ

ペデストリアンデッキのオブジェ。

pedestrianは歩行者のことらしく、

広場を有する高架型の歩道のこと。

 

1980年完成というから、

ありゃ、45年も経つのか⋯⋯

それこそ全身マルカワ時代じゃん!

 

確認したら、JR「原町田」駅が

「町田」に改称した年と同じ。

ふへ〜 

小田急の「新原町田」が

「町田」駅になったのが1976年で

4年もラグがあったのも吃驚

 

1980年は他にも変化に満ちていて、

今は東急ツインズだが、その年に

東急まちだ本店とスポーツ館が

オープンしている。

 

俺はチョッパーこと小峰先生率いる

クラス(柿生中2年8組)で、

超絶愉快な日々

3つ新宿寄りのまちで過ごしていた。

 

で、あの頃の町田は変化しつつも

まだまだウジャウジャしていて

正直ガラも宜しくはなかった

 

 

高校を出て、都心への通学やらで足が遠のき

油断(?)していたら

立派な道路が東急2館の間に通り、

昨日紹介した「久美堂」「なかじま」等と

「仲見世」などが分断されたのは2002年。

 

東急ツインズのイーストとウエストの

連絡通路から撮ったのが上の写真

「原町田大通り」というらしい。

 

そうそう。

今をときめくサッカークラブが

「FC町田」から「FC町田ゼルビア」に

名を変えたのが97年

大通り開通の翌年、03年にNPO法人化、

都リーグ、関東リーグ⋯⋯と駆け上がり

JFL昇格したのは2009年。

 

 

昨季、ついにJ2から最高峰リーグに

昇格するや否や、

破竹の勢いであわや優勝

(最終的には3位)と暴れた。

 

鉄道駅ホームへのエスカレータほか

街中にポスターやフラッグが目につく、

町田の誇りとなりつつある

 

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ちょびっと町田

2025年04月26日 | ぶらり

神奈川県町田市と言われがちな

東京都の市部では八王子に次ぐ

人口を有する行政区は、

実際に神奈川県だった時代もある。

 

 

さておき、3駅隣の柿生(川崎市)で

2歳から20歳まで過ごしたから、

一番近くのでっかい都市が「町田」で

思い出がしこたま落ちている。

 

久しぶりにそちら方面に行き、

時間があったので用事もないのに下車。

格段ものを買うこともなく、

通りを小一時間流した。

ほぼほぼ消失感を味わう為に

 

「なかじま」も「マルカワ」も

ない街をぶらぶらと。

 

前者は文具店で大正12年創業、

会社設立は昭和22年。

地元の小学校近くの佐藤文房具店

とは比較にならない大きさで、

町田に行ったらまず足を向けた店だ。

 

後者は昭和23年書店として立ち、

同36年中古ジーンズ販売を始め

ジーンズ専門店に転じたのが41年、

50年に会社設立。

平成元年に年商100億円を達成し

全国に54店舗を展開

中坊の頃の僕は、アドホックで

バレー用品を買い、町着はほぼ此処。

 

どちらも町田の顔だった。

今も本社を町田に構える両社は、

ともに主戦場をネットに移した。

   

だから、この世には存在する。

 

我等が「マルカワ」本店ビルには今

パソコンショップ等が入っている。

 

もちろん変わらない場所もあって、

マルカワの向かいは今なおマックだし、

書店の「久美堂」も東口前に本店が

どっしり構えていた

戦後まもなく2坪で始まり、

昭和22年に今の場所に移っているから

まもなく80年になる。

 

戦後といえば闇市の空気が残る

「仲見世商店街」も健在。

まち歩き番組の常連だ。

 

仲見世から遠くない路地にある

「アレグロ・コン・ブリオ」は

オープンから10年になるが、

まだ訪れたことがなかった。

 

てか、場所を知らなかったので

検索したら仲見世のすぐ近くだった。

 

 

が! なんと予約で満席。

酒も肴も味わうことなく、

オーナに挨拶だけして帰ることに

⋯⋯まさか、人気店なのか

 

オーナー兼ソムリエは森下了太。

阪神の森下翔太と一文字違いで、

昔彼が役者だった時期に親しかった。

 

末筆になったが、1枚目は東急ツインズの

イースト館の前の像。

 

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ぶらり新川崎〜やっちゃん

2025年04月21日 | ぶらり

昨日お届けしたのは、

友人でもあるハーモニカ奏者

大竹英二のライブ鑑賞記

 

出演した「夢こんさぁと」は

幸区役所主催のイベントで

〈幸区にある夢見ヶ崎動物公園の

〝夢〟と音楽を聴いたあと、

夢と希望を膨らませて……〉という

コンセプトで1997年から続いていて、

その4月17日が209回目であった。

 

 

次回No.210は津軽三味線だそう。

会場は幸市民館大会議室。

本庁に隣接するホールにて5月15日。

ふむふむ、毎月第3木曜日開催なのだな。

 

さて「こんさぁと」の名の由来でもある

動物公園の顔出しパネルと、

その顔部分の奥に見える鹿を添えた。

 

スポーツ競技場の最寄駅から

フランチャイズチームのフラッグが

延々と並ぶことは多いが、

新川崎駅から西に伸びる通路には

動物たちの紹介イラストがあった。

 

 

叔母がいて、よく遊びに来ていたのは

数十年も昔のことで、

その頃の面影は今はほとんどない。

当たり前だ。

僅かな名残の町工場やアパートに

ノスタルジー。

 

 

また、政令指定都市とは思えない

バス本数にも一瞬似た感情が湧いたが、

500mほど先の幹線道路には

市営バスと臨港バスがビュンビュン

むしろ通勤通学に充てた特別路線で、

そんな運用が可能なのは

さすが150万が暮らす川崎だ!

 

幸区は7区ある川崎市の中で

最小の約10平方キロメートルに

17万ちょいの人口も最少。

鉄道駅も尻手、鹿島田、新川崎と

わずか3つのコンパクトな区。

 

しかし、ヒガシこと東山紀之

(現SMILE-UP代表取締役社長)や

第6回全日本国民的美少女コンテストで

米倉涼子を抑えてグランプリ受賞の

佐藤藍子らを生んでいる。

 

そんな街に生まれ育った一人

「やっちゃん」を唐突に思い出したのは

英二の奏でた『才女』を聴いて。

この曲はやたら郷愁を誘う。

 

プログラムには漢字二文字表記ながら、

一般的には『アニー・ローリー』の方が

通りが良いだろう。

 

叔母・恵美子の夫の一番下の弟は、

僕が小学生の頃、中学生で

あの辺りを牛耳る「番長」だった。

手のつけられないワルで、

昭和あるあるだが、高校には進まず

中学卒業後に伊豆で板前修行。

 

巨躰だったが、帰った時は

スリムになってまるで別人だった。

 

 

英二のCDとリンクを貼ったのは昨日。

今日は彼のブログを紹介。

1999年のことを2022年に書いてくれた。

 

祖父に捧げるブルースハープ - 大竹英二のHARMONICAライフ

祖父に捧げるブルースハープ - 大竹英二のHARMONICAライフ

懐かしい友人から連絡がきた🤓思い起こせばハーモニカの役者指導はこの作品からスタート♬劇団東演「祖父に捧げるブルース・ハープ」公演情報当時は朝まで飲んだりし...

goo blog

 

 

今や劇団ホームページですら拝めない

チラシまで 貴重

そうだった! 劇団創立40年と

劇場(劇団のアトリエ)開場20年、

ふたつの節目を記念した芝居だった。

 

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ぶらり新川崎〜夢こんさぁと

2025年04月20日 | ぶらり

池袋駅から乗り換えなしで

新川崎駅に行けることを

数日前に初めて知り、

人生初の新川崎駅下車。

それは〈大竹英二〉を聴くため。

 

 

知っている人もいるだろう。

ハーモニカの世界チャンピオンで

2015年に全日本ハーモニカ連盟の

常任理事にも就任した大竹氏は、

映画『ラーゲリより愛を込めて』の

ハーモニカ指導など多方面で活躍中。

 

『ラーゲリ〜』は2022年の作品だが、

さらに遡ること23年前の舞台作品

『祖父に捧げるブルースハープ』の

テンホールズハーモニカ指導も

彼が担当してくれた。

戯曲は堀江安夫、演出に鷲田照幸、

主演が山縣よう子で

劇団東演の第112回公演。

 

制作担当の私は、渡された戯曲に

ハーモニカ演奏が出てきた瞬間、

彼に頼もうと決めた!

下北沢のバーSAMASAMAの

二人とも常連だった。

 

千秋楽のカーテンコールには

彼にも登場いただいた

 

そんな彼が、川崎市幸区役所の

日吉合同庁舎にてミニコンサート

 

 

昨日書いたように

えみこ姉ちゃんちがあって、

南加瀬は馴染みだったが、

それは随分と遠い話。

あの頃、合同庁舎はまだなく、

加えて初めて降りた駅だったから

早めに着いて、懐かしい動物園を

ちょいと覗いてから庁舎へ。

と、80席ほどのパイプ椅子は満パン。

立ち見での鑑賞となった。

 

1階ロビーのオープンスペースは

前円後方の形。

弧を描いてた側の壁はガラス張りで

しかも高く吹き抜けになっていた。

そちらが「ステージ」・・・

とは言え段差はなくフラット

・・・で、まず名詞がわりの

バッハの『カンタータ147番』

 

サポートギターの岩田裕樹を

迎え入れて『カントリー・ロード』

『埴生の宿』など7曲

(アンコールの『花』含む)を

 

クラシック、カントリー、英国民謡に

ユーミンの『やさしさに包まれたなら』

など幅広く、かつ聞き覚えのある選曲。

平日の昼間でも、年輩の方々が多く

ベストなチョイスと言えた。

 

合同庁舎には図書館分室なども。

知らずに来庁し、懐かしい音色に

足を止める幸区住民も多かった。

 

 

滝廉太郎作曲、武島羽衣作詞の

『花』では「わかる人は歌ってください」

と大竹氏。

二人の演奏に心がほどけていたのだろう

皆が声を揃え歌ったのは壮観だった。

 

彼のリリースしたアルバム

「ジブリ・ザ・ハーモニカ」

彼の代表作だが、

この日のセットリストにも上述

『カントリー〜』『埴生〜』『やさしさ〜』、

プログラム最後の曲『いつも何度でも』

が収録曲。

 

参考まで

ジブリ・ザ・ハーモニカ | 大竹 英二 | ソニーミュージックオフィシャルサイト

 

追記 写真2枚目は

夢見ヶ崎動物公園のフラミンゴ。

3枚目は公園からの風景、

晴れた日は富士山も見えるらしい。

 

【まだ終わらない】

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ぶらり新川崎〜夢見ヶ崎動物園

2025年04月19日 | ぶらり

池袋駅から乗り換えなしで

新川崎駅に行けることを知らずに

長く生きてきた。

川崎生まれ川崎育ちで

還暦も近いのになぁ恥ずかしい

と反省しつつ、

そもそも新川崎駅誕生が

1980年とわりに「最近」だ!

と言い訳も少々。

だってまだ50年経っていない

 

あの辺りは操車場のイメージが強く、

今は慶応大学のK2キャンパスや

高層マンションもあるけれど

まだまだ新しい街だ。

 

新しい? 丁寧に語れば、

東にJR南武線の駅「鹿島田」と

同じ名の町が広がっている。

西には北加瀬と南加瀬が。

それらは昔から存在している。

 

後者に、僕の母の妹が住んでいた。

いわゆる叔母に当たるわけだが、

僕のちっちゃい頃はまだ若く独身で

「えみこ姉ちゃん」と呼んでいた。

いまだにだが。

 

その狭間に駅ができた。

 

 

えみこ姉ちゃんの夫となった

「よしのぶちゃん」の地元が南加瀬で、

彼の実家近くのアパートで

新婚生活をスタート

なので、ちょいちょい遊びに行った。

近くに夢見ヶ崎動物公園があり、

そこにもよく行った。

 

40年ぶりくらいに坂をのぼる

かつての少年を迎えのは、

動物園に飼育されていない猫。

 

 

裏側から入ったので

まず古墳のある公園に出た。

 

 

八重桜と菜の花。

その手前の花壇には周辺の小学校数校の

生徒たちが植えた花が咲き、揺れていた。

 

動物園は川崎市営で入園無料。

1972年オープンのこぶりな6.6ha

(公園含む)。

ゆえに最大の動物はシマウマ!

そんなのどかなzooは、

平たい川崎南部においては高台の

加瀬山のてっぺんにあり、

上述の古墳や立派な神社もそびえている。

 

ただ、今更になるが

新川崎に来たのは別の理由からだ。

 

【つづく】

 

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ぶらり上板橋〜bibliotecaの章

2025年04月12日 | ぶらり

 

何度も訪れながら「ぶらり」していなかった

上板橋駅周辺を散策した、ある日。

まずはプラネタリウムで50分の上映を鑑賞。

 

星にまるきり詳しくないので、

紀元前2千年紀のメソポタミアに始まる

星占いの星座と

2025年現在の宇宙に散る星座の位置に

ズレが生じているなどなど

「へえ」が沢山あった。

 

終映と閉館時間が重なり16時半に

教育科学館を出て、次に向かったのは

板橋区中央図書館。

2021年に平和公園内に移転した

真新しい3階建ての、1階には

「いたばしボローニャ子ども絵本館」

というコンセプトエリアがあり、

そんな図書館全体が受賞したのは

2022グッドデザイン賞

 

〈公園内立地を活かし、

公園へも知的交流活動を展開する

先例となる図書館を

ハード・ソフト共にデザイン〉等が

評価されて。

確かに何度も訪館したくなる図書館。

 

デザインの格好良さもさることながら

友好交流都市のボローニャから寄贈の

絵本をはじめとした国内外の蔵書は

言葉にするのが難しい。

23区の中でも正直パッとしない存在の

「板橋、すんげーな!」

わりと的確だったりする⋯かも。

 

わかりにくいけれど1枚目の写真は

2階の「にこにこテラス」からの風景。

公園の桜も見頃でした。

ちなみに3月27日。

 

 

お目当ての芝居の開演は19時ゆえ

そろそろ腹ごしらえをと、

記憶を頼りにラーメン屋に向かうと

「しばらく木曜日定休」と貼紙。

しからばともう一軒へ。

そこは「本日は終了」。

美味いところはスープなくなり次第

暖簾をおろす

 

駅北口側を諦め踏切を渡り、南口へ。

路地を入ったラーメン屋では

常連客が飲みながら大将と談笑中……

ここも看板が裏返っていて、

ついには川越街道を渡った。

嗚呼、結果的にまさに「ぶらり」

 

末筆ながら「biblioteca」は

ボローニャにちなんでイタリア語の

図書館です。

 

振られ続けてありついたラーメンに

触れないのは……まぁ、そうゆうこと。

 

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ぶらり上板橋〜天象儀の章

2025年04月11日 | ぶらり

プラネタリウムなんて何十年ぶり?

と記憶を遡ったら……

スカイツリーの中にある「天空」での

〈君に届けたい流れ星 songs by 東方神起〉

なるイベントに付き添った(?!)のが

5、6年前。

ただ始まった途端私は爆睡し、

目覚めたのは館内に灯がついた時。

それを天象儀に行った前回と呼べるのか?

 

まさかとは思うが、念には念

「東方神起」とゆーのはアーティスト。

ユンホとチャンミンの二人組。

彼等の楽曲と星空のコラボでした。

 

 

東武東上線「上板橋駅」最寄りの

板橋区立教育科学館内にある

プラネタリウムを訪れたのは

先月の27日。

⋯あら、もう二週間も経ったのか

 

劇団銅鑼のアトリエでの

公演を観たのである。

 

「カミイタ」には何度も行っている。

その大半が銅鑼の芝居で

たいがい開演ギリのタイミング着。

行きは駅と劇団、帰りは

銅鑼行きつけの居酒屋経由で駅。

  

つまり駅とアトリエの往復で

町をほぼ歩いてないな!

と今更に気づき、加えて……

昨今、地元に長く愛されたスーパーの

幕引きの報によく接するのに漏れず、

上板橋駅前のイトーヨーカドーも

昨秋閉まったなぁなどとも。

 

オフでもあったので早めに家を出、

解体工事用のフェンスに囲まれた

「旧ヨーカドー」の脇を抜けて、

まずは教育科学館に足を向けた。

 

 

やはりプラネタリウムは楽しい。

為になる上に、楽しい。

こどもの頃過ごした川崎の、

生田緑地には「日本民家園」や「D51」、

そしてプラネタリウムなどがあった。

今はあの頃にはなかった

「岡本太郎美術館」(1999年〜)も。

 

なかったといえば、

「かわさき宙(そら)と緑の科学館」

なんぞとゆーこじゃれた名前は

世界的なプラネタリウムクリエイター

大平貴之の投影機を置いてからだろうか。

(大平氏は川崎市出身)

 

話を多摩川の向こうから

都内に戻そう。

 

川崎のように1500万個の投影が可能な

「メガスターIII FUSION」などない、

8500個のプラネタリウムだけれど

温かみのある職員さんの生解説は

十二分に堪能できた。

 

館内には面白そうな展示がまだあり

プラネタリウム後にと思っていたが、

わたしの下調べが甘く、

一般向けの投影終了と閉館時間が一緒。

 

後ろ髪引かれながら教育科学館を

後にしたのは、まだ16時。

【librariumの章へ】

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将棋〜ぶらり千駄ヶ谷(先手)

2025年04月07日 | ぶらり
  1. 新国立競技場、東京体育館など

スポーツのイメージが強い街

千駄ヶ谷

 

 

けれども、鳩森八幡神社

(はとのもりはちまんじんじゃ)

もあり、境内には「将棋堂」の碑も。

 

毎年1月には祈願祭も行われ、

日本将棋連盟との縁も深いが、

公益社団法人日本将棋連盟は

昨年、創立100年を迎えたのを機に

東西に新しい将棋会館を建設。

東は、千駄ヶ谷駅の目の前だ。

 

 

めちゃカッコイイ佇まい

1階のショップにカフェも併設した

「棋の音(きのね)」には多くの人が!

 

今や人気の高い将棋界。

そんな連盟の第17代会長・羽生善治は

わずか一期での退任を発表。

 

2000年以降だけ切り抜くと、

12代/二上達也(1989-2002)

13代/中原誠(03-04)

14代/米長邦雄(05-12)

15代/谷川浩司(12-17)

16代/佐藤康光(17-23)

将棋に詳しくなくとも

何となく名前聞いたことあるなぁ

というビッグネームが並ぶ。

 

絶頂期には全七大タイトルを席巻!

さらに永世七冠をも成し遂げた

羽生のあとを担うのは、果たして⋯⋯

 

 

藤井聡太の活躍もさることながら

『月下の棋士』『3月のライオン』など

漫画から将棋の魅力にハマる人も多い。

 

今は『盤上のオリオン』なのか?

私はすっかり漫画から遠ざかり

知らないタイトルながら神社境内に

居たところから察するに⋯⋯。

月刊少年マガジン連載からアニメ、

実写映画にもなった『四月は君の嘘』の

新川直司の作品らしい。

 

それにしても。

境内との不似合いといったらないなぁ⋯。

ただ同じく神社とフィットしない

FC東京のポスターによって、

違和感が若干緩和される不思議

 

さて、将棋会館の前のバス通りを渡ると、

昔は「アリスガーデン」という

フレンチレストランがあった。

大学の先輩が明治記念館で挙式

信濃町周辺での二次会の

幹事を任じられ、見つけた店。

あの頃はSNSなどなく、情報誌と

何より自分の足と鼻が頼りだった

 

貸切パーティーは変わらず

受け付けているようだが、

もうフレンチではなく、

アジアンレストランに。

 

 

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ひっさびさ中目黒(参)とこしえ

2025年04月04日 | ぶらり

 

3日続いた雨の、何より寒さが

初老の骨身に染みたけれど

桜が長持ちすると思えば

少し我慢もきく⋯⋯。

 

桜の名所のひとつ「中目黒」。

東急東横線の駅

(東京メトロ日比谷線乗入)の

海側(?)を線路に沿って伸びる

目黒銀座商店街。

〝中〟を打ち忘れたわけではない。

近くには目黒区役所もそびえる。

 

2012年まで発行していた

「キリンパスポート」等

商店街のキャラクターとして

活躍(?)した名残だろうか

キリンのオブジェが散見され、

冒頭はその中のひとつだ。

 

商店街は高架を右に見て、

横浜方向に一番街、二番街、三番街

と続いて、四はなくて伊勢脇街、

そして五番街。

 

筆者が名誉副支配人を拝命していた

ウッディシアター中目黒は伊勢脇街。

そのご近所に「中目黒グリル」が

開店したのは2010年頃だったか?

(ウッディは1998年開館)

「〜グリル」のオーナーは

打ち上げによければ使って下さいと

劇場に営業に来られた折に

「外に食べに行く時間ないでしょ、

特にスタッフさんは⋯。

お弁当もやりますよ、特別に!

気軽に相談ください」とも。

さすが元俳優さんだけに

芝居のこと貧しさにも明るく、

ワンコインでと言ってくれた。

 

 

そんな熱心さは全方位に向いていたのか

生き馬の目を抜く繁華街にあって、

腰を据えた上に今年、2号店をオープン。

 

そのように続く店もあれば、

閉じる店もある。

中目黒を代表する安い居酒屋のひとつ

「大樽西口本店」が閉店していた。

(こちらは中目黒駅西銀座商店街)

 

 

と思いきや!

少し離れた場所に5号店を発見。

 

本店⋯⋯とは名乗らず「目黒川店」と

言い張る佇まいが実質、本店 

一番大きいその箱は2階席から桜が見え、

この時期は予約でいつも一杯だ。

 

最近は当たり前の外国人店員を

滅茶苦茶昔から積極採用していた。

そして流暢な日本語を操り、

サービスもしてくれた。

(で、目黒川に沿ってあるのは

中目黒駅前商店街)

 

やはり大樽は無双のようだ。

ウッディシアターから一番近い

「おたる」と掲げた大樽も健在。

総じていえば増えたわけだ。

 

 

とこしえ。

〈永久〉〈常しえ〉とも書く形容動詞。

いつまでも続くこと。

 

勿論、永久はありえないだろうが、

良い「場」は愛されて、残る。

桜のように潔く散るのも、

悪くはないし、欠けたところには

新しい「場」が生まれ、

そこが街に馴染めば、街の表情も

また改まって面白くなる。

 

久々に訪れた街をぶらり。

2時間ほど、ただ歩いたのは先月末。

 

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