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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

よろしく原宿〜前奏

2025年06月07日 | ぶらり

原宿の竹下通りに行ったのは

60年近い時の中で恐らく両手ほど。

 

 

ファッションだの最新の流行だのに

ずっと疎いまま今日に至っている。

例えば中学の時、ノムラが竹の子族、

うえみはローラー族だったけれど、

「原宿」「竹下通り」などは

耳で聞くのみで足は踏み入れなかった。

 

聴くといえば

『ヨロシク原宿』という歌があって、

サビメロだけは覚えていて、

かつデュエットだとも認識していた。

では誰達が? となると浮かばない。

 

検索したら「ニックじゃがあず」と、

フザケた名前がヒットして

さらに混迷を深めたわけだが、

『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』

というバラエティ番組に出演していた

西山浩司(悪い子)と小柳みゆき(悪いOL)

からなるユニットだと解れば、

あぁ、はいはいと納得だ。

 

名プロデュサーでもある萩本欽一の

仕掛けた楽曲のひとつで

競馬界でミスターシービーが

クラシック三冠を達成した1983年に

スマッシュヒットしたのだった。

 

そもそも「原宿」に火がついたのは

1978年のラフォーレ原宿オープン!

とも言われている。

上述の2族に加え、一世風靡など

路上パフォーマンス全盛もあいまって。

 

あ、これは原宿行った日じゃないが

ローラー族は健在でした!

代々木体育館でバスケ観た時かな。

 

 

踵で踊る皮ジャンの若者、

それを遠巻きに眺める人々を

カメラに収める西洋人を撮ってみた。

 

長い前段になったが、

余り縁のない原宿に行った話。

 

竹下通りは平日の昼間ながら混雑。

タレントショップは今はなく

(いつの話だよ〜

けれども矢張り、通りは原色が目立ち、

目がチカチカ

国際色豊かなのは想定内だが、

思ったより年配者も歩いていた。

 

で、すぐに草臥れて東郷神社参道に折れた。

 

(つづく)

 

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池田山をおりる

2025年05月31日 | ぶらり

 

品川区の高級住宅地のひとつ「池田山」。

町名にはない。

売れっ子芸人のボケ担当。

ピンの仕事も多いセントポール卒業、

あごに特徴のあるAの豪邸も

有りだとか無いだとか。

 

さて。

昨日は寺が多いと書いたけれど。

ユニークな美容院もあった。

 

 

高台から下れば大きな病院。

NTT東日本関東病院だ。

 

関東逓信病院という重々しい、

立派な総合医療機関たる名称で

1952年に誕生したわけだが、

ご存知のように民営化した結果、

東日本と関東が、ややカブる

残念ネーム(?)になっちゃった

……あくまでそれは名で、

建物は恐ろしく立派だし、

技量も素晴らしいのだろう

(かかったことはないが)。

 

大病院は山を下ったあたりにあり、

東京医療保健大学五反田キャンパス、

小ぢんまりした工場や団地も。

 

 

こちらは郵便局の宿舎らしい。

電電公社に郵便局、どちらも組織がかわったのは

上述の大学も。

2005年に青葉学園短期大学を改組して

開学したのが「THCU」が略称の新しい学舎。

 

家政科(のちに人間生活学科)と

植物栄養科の短大が、医療保健学部

(東京)と看護学部(東京、千葉、

和歌山県)の四大になる、

というのは珍しいのではないかしら。

 

今更だけれど。

町名はないから「ぶらり」したのが

池田山ではない場所も含んでいるやも。

一応、断っておく。

 

それから。

昨日、岐阜の「池田山」にも触れた。

あちらは「いけださん」で、

こちらは「いけだやま」。

 

 

 

佐賀出身の出羽海部屋の力士

池田山(昭和60〜63年)は

小城錦の四股名で初土俵(同56年)。

本名池田宗徳から改名。

 

最高位・小結の小城錦とは別の力士※

※昭62年〜小岩井、平成元年〜小城ノ洲

(おぎのしま)、同2年〜小城錦(おぎにしき)。

同16年引退。通算605勝585敗107休。

 

 

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池田山をのぼる

2025年05月30日 | ぶらり

 

品川区の町名にはないが、

エリアとして「池田山」がある。

備前岡山藩の池田家下屋敷のあった辺りで

高級住宅地。

御殿山、島津山、八ツ山、花房山とともに

「城南五山」と呼ばれるそうだ。

 

冒頭に並べたジャングルジムと

それがある公園は近々なくなると掲示。

 

このあたりから坂で、

左に首都高速を見上げながら

インドネシア大使館に向かうと

勾配が強くなる。

山だもの。標高は29mだけれど。

小高き丘のほうが正しいか。

 

周辺には寺院も沢山ある。

光取寺(こうしゅじ)、清岸寺(せいがんじ)。

ともに浄土宗の寺。

後者に生きる「祐天上人の桜」は

区の天然記念物指定。

 

 

祐天の名前から察する方も多いだろう。

東急の駅名にもなっている祐天寺には、

この高僧が眠っている。

霊験強く、羽生村(現茨城県常総市)の

累(かさね)という女の怨霊を

成仏させた説話から生まれたのが

三遊亭円朝の怪談『真景累ヶ淵』。

 

 

6代将軍徳川家宣が、父綱重の正室

隆崇院の為に建てた

隆崇院(りゅうそういん)。

 

少々ややこしいが、隆崇院自身は

伝通院(文京区)に墓所がある。

 

他にも月窓院や宝蔵寺、戒法寺、

常光寺などが点在。

 

そしてどうやら此処あたりが一番高く

下りに至るのだが、それは次回

『池田山をおりる』にて。

 

 

余談。

岐阜県揖斐郡池田にも「池田山」はある。

標高923.9m。

国指定の天然記念物「霞間ヶ渓」を臨み、

スカイスポーツのメッカとしても有名。

 

 

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おそれいりやのコンビニエンス

2025年05月29日 | ぶらり

国内に5万5千店以上あるコンビニ。

チェーン店だから、基本似た造り。

だけれど、商売ゆえ店舗ごとに

周辺エリアの特性を鑑みた品揃えや

レイアウトがあっておもしろい。

 

いまどきライターを随分並べていて、

その一方で墨汁。それに、駄菓子。

 

 

入谷の鬼子母神からそう遠くない

とあるコンビニの棚。

 

昔からあった駄菓子屋は

店主の高齢化や少子化などで

惜しまれつつなくなったけれど、

駄菓子が文化として根付く下町で

フランチャイズオーナーになった

「かつてのこども」も

小銭を握りしめて溜まった一人。

コンビニの一隅にせめてもの火を灯す。

 

かたや喫煙者の減った時世ながら

スモーカーの割合が高い業種もあり、

彼ら彼女らのニーズに合わせて

ライター、軍手の品数が豊富だ。

 

 

「恐れいりやした」に入谷を掛けて、

その入谷の名所「鬼子母神」と連ねた

地口。

と、地口は古い言い回しだから、

洒落のほうが分かりやすいか。

 

入谷といえば朝顔まつりも有名だ。

7月あたまだから、まだ先ながら

もう貼り紙などは町のあちこちに。

 

それを見越すには早すぎる気もしたが、

上述とは別のコンビニには

紙皿やビニールコップ、割箸などが

広いスペースを割いていた。

 

そして、墨汁や軍手、ライターは

ひとつもなかった。

 

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高田馬場のあっちの方

2025年05月28日 | ぶらり

 

梅雨の季節が近づきました。

雨でも中止にならないものの一つ、

映画

室内ですから。

⋯⋯稀に野外もあるけど

 

高田馬場の、早稲田大学方面にある

名画座の開映まで時間があったから

さかえ通りを歩いてみた。

早稲田口を出て、改札を背に左。

早大や映画館とは逆に向いて、

斜めに伸びるすぐの細い路地。

主に飲食店が並んでいて、

抜けると新宿中央図書館があった。

過去完了形。

 

 

区立中央図書館は2013年に移転し、

跡地に小洒落た図書館が建ったのが

2017年。オープンからまだ8年。

名称は下落合図書館にかわった。

 

筆者が浪人時代を過ごした予備校が

この少し手前にあったのだが、

図書館より先に移転して今は老人ホーム。

前者は解体新築だけれど、

わが母校は居抜きリフォームのため、

外観や門扉などにあの日の面影が濃い。

 

さて、図書館の逆隣には保育園。

トイメンには当時短大だったところが

四年制大学になり作った新たな校舎。

 

確率としては低いけれど・・・

保育園を出て、学校にあがったら

図書館で勉強し、目の前の大学に入り、

イベント関連会社で働いて、

老後に元予備校のホームに入れば、

半径50メートル圏内での人生になる。

 

大学の隣(保育園の前、図書館斜め前)に

国内でも有数の、舞台装置作成・施設管理

・警備・イベント制作運営管理を行う

企業の本社があるのだ!

 

そして2002年、富士短大から

東京富士大学となった経営学部には

イベントプロデュース学科が

13年に新設されている。

シミズオクトにはうってつけだ!

 

 

冗談はさておき。

予備校よりむしろ通った感のある、

重々しいコンクリートのごつい外観だった

古き良き中央図書館とはまるで違う

外光を取り込みまくる今風なライブラリに

なっちゃいました。

 

「中央」を冠した頃からは

大きく所蔵が減ったわけだけれど、

わが友・隅田川馬石の落語CDが

恐らく全部揃っていてびっくり

 

入口の暖簾が和のテイストなのと、

何か関わりはあるのだろうか。

区民じゃないけれど、借り倒そうか。

 

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すぐる

2025年05月24日 | ぶらり

〈すぐる〉といえば

かなり多くの日本人が

江川卓を連想するだろう。

 

1955年福島県生まれ。

投手(右投右打)。

作新学院高〜法政大学〜阪神

〜巨人(1979 - 1987)。

135勝72敗3S。

 

78年ドラフトではタイガースが指名権。

まず阪神と契約したのち

超法規的トレードでジャイアンツ。

遠くいにしえのことで

忘れている人も少なくないか?

 

野球には詳しい方だし、

世代的にも「空白の一日」は

鮮明に記憶しているけれど、

初代の岡田宗芳にはじまり

「代打の神様」八木裕などが

背負った猛虎の3番を「形式的に」

江川がつけたことは失念していた。

 

さて、個人的には「傑」と書き

〈すぐる〉と読む男を

その「怪物」が甲子園に現れるより

先に知った。

わたしが2歳から住処とした社宅の、

前を走るバス通り。

反対側のはす向かいにあった

「クリーニング新洋舎」の三男坊。

 

長兄はわたしの2個上で、

芸術に長け、のちに美大に入った。

次男は1個下。彼も家業を継がず、

税関で日本の安全に寄与している。

で、末っ子が重いアイロンを握った。

 

わたしの弟からみると1年先輩の傑は

彼に悪さを教えたひとりだ。

ちなみに我が弟も、

父の興した会社を継ぐことになる。

若かりし頃、少々ワルかったが

二人とも孝行息子だ。

 

 

例えば宮部みゆきの『楽園』で

主人公が手掛かりを掴むのに

その地に根ざした

老舗のクリーニング店を訪ねるが、

古里を離れて久しいわたしも

最近の情報を仕入れるべく

サッシの扉を横に引いた。

 

スワローだのポニーだの

チェーン店が増える時世に抗って

暖簾を守る二代目の

奥方が「いらっしゃい」と威勢よく。

 

「あ、ごめんなさい。客じゃなくて」

恐縮しながら店内に目を泳がせて

面影の残る背中に声を掛けた。

 

傑と言葉を交わしたのは恐らく

15000日ぶりくらいだろう。

年換算で約40年。

木製のカウンターは

蝶番で上に開く懐かしい作り。

それ越しに小一時間。

「母の居る施設を見舞った足で

顔を出した」から始まり、

話は懐かしいことが2割、

あとは知りたかった情報を色々と。

ただ昔と紐づいたネタが大半。

 

それをポケットに突っ込んで

駅方面へと向かった。

⋯⋯あくまでも「方面」。

 

電車の走る駅までは距離があり、

普通ならバスを使う。

その日も最後には歩き疲れて

PASMOをピッとしたけれど、

停留所イツツほどをブラブラ

 

関東納めのだるま市

〜高崎から下って来る睦月の祭の

掉尾を飾る〜お不動様にもお参りし、

高度経済成長期に丘を切り拓いた

アップダウンのある団地の

迷路のような道も歩いた。

 

当時大きく見えたグラウンドは

やけに小さく感じ、

加えて半分は閉鎖され、

工事の飯場が建っていた。

 

坂を下りきる。

かつて賑わっていたマーケットは

顔ぶれがほとんど変わり、

居酒屋が唯一同じ看板を出していた。

その辺りは道路自体変容したところ。

バス通りの向こう岸には、

傑の店とは別のクリーニング店が見えた。

 

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あざみ野を「ハタ」して「ハオワ」した。

2025年05月09日 | ぶらり

 

あざみ野に週に1〜2回通ったのは

1995年頃だったと思う。

東急の駅が開業して20年が経ち、

横浜市営地下鉄ブルーラインが

通ったばかりの、まだ20世紀!

とある大手企業の副社長宅の

私邸警護のアルバイトをしていた。

 

バスロータリーのある西口を出て

坂を登りきったあたり。

 

 

当たり前だが、30年も経っているから

当時の面影はなく「勤務地」は

まるでわからなかった。

 

さて、そんなあざみ野に

久しぶりに降り立ったのはまず東口。

GWただなかの5日に

「アートフォーラムあざみ野」内の

ヨコハマ市民ギャラリーで

写真展を鑑賞した。

昨日のブログに書いた話だ。

 

会場の、道路向かいはベンツ販売店。

その脇から跨線橋を渡り、

20代のバイト時代には登った道を

逆に下りながらキョロキョロしたが

⋯⋯で文頭に繋がる。

 

 

坂を下りきれば駅前。

今度は腹ごしらえの為のキョロキョロ。

 

上階は住居で、1階に鰻、カレー、

もんじゃ焼き等飲食店が入ったビルの

一番奥のラーメン店をチョイス。

 

小ぶりな店内に5人のスタッフが

せわしく働く繁盛店で満席だった。

 

 

ロータリー周辺には新しい店と

変わらぬ店が混在していて、

バスは、ほぼ変わらぬ行先。

 

我が故郷・柿生エリアに向かう

3番のりばも随分使わせてもらった。

虹ヶ丘営業所(川崎市麻生区)行と

虹ヶ丘団地(同上)経由

すすき野団地(横浜市青葉区)行。

 

変わらぬと言えば、駅の真ん前に

いまだ竹林がそびえている。

駅のできるずっと前から住まう

地主の一人の、広大な敷地の一部だ。

(確信はないが駐車場も同じ所有者か)

 

 

ちなみに3番のりばの広告の

「ア歯科」は上の駐車場のすぐ近く。

 

写真展にバングラデシュの風景。

その国の公用語の「ハタ」は散歩、

「ハオワ」は食事。

 

あざみ野を散歩して食事した、

こどもの日の、半日のこと。

 

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あざみ野を「ハタ」してきた。

2025年05月08日 | ぶらり

「武蔵野」に続いては「あざみ野」。

(昨日まで3回を「武蔵野」でつづった)

 

武蔵野エリアから地理的には

多摩川を渡り、神奈川県。

県庁所在地の横浜市⋯⋯とはいえ

皆の思うヨコハマからは遥か遠い

青葉区にある「あざみ野」。

 

東急田園都市線に〝できたばかり〟の

わりと新しい駅と、その周辺のまち。

ちなみに駅開業は1977年5月25日。

樋口久子が全米女子プロで、

日本人初の世界タイトルを獲得する

約3週間前。

 

さて、48年前ができたばかりかは

個人差があるだろう⋯⋯。

 

1993年には横浜市営地下鉄が延伸。

横浜駅に直通で30分圏内となり、

大きく栄えた!

 

そんなあざみ野駅の東口を出て、

坂を登ること約5分。

「アートフォーラムあざみ野」へ。

 

 

鑑賞した写真展は

〈竹沢うるまWorkshop

「写真と視点」修了展 Vol.2

Photographs & Perspectives〉

 

公式概要には

〈一年かけて制作に取り組んだ

8名の写真作品、約80点で構成。

消えゆく劇場を独自の視点で

記録した作品群、

バングラデシュと東京、

ふたつの土地を新手法で表現する

意欲作などが一同に集う〉

 

と、トップに紹介された

「消えゆく劇場」とは一部で

その動向に注目の高かった俳優座劇場。

 

そこで長く働いた神馬千裕の

内側から撮った無数の写真たち。

 

 

一葉一葉も力があるが、自ら語る

コンセプトの文章がまた素晴らしい!

 

あ、概要にもあるバングラデシュの

公用語は「ベンガル語」。

「হাঁটা」は日本耳には「ハル」と聞こえ、

意味は散歩。本日のタイトルは

『あざみ野を散歩してきた。』

 

 

アートフォーラムの2階が会場で、

1階には交流ラウンジやグランドピアノ。

 

 

もちろん、あざみ野には他にも

散歩しがいのある街なので、続きます。

 

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武蔵野歩紀3.9km

2025年05月07日 | ぶらり

武蔵野の豊かな緑の中、

約6ヘクタールの広大な敷地内に

のびのび遊べる芝生広場をはじめ

テニスのクレイコートや

ランニングコースのあるグランド、

BBQ施設とアクティブエリアに加え

みんなで本を持ち寄り育てる

民間図書館「まちライブラリー」も。

 

それが「MUFG PARK」。

 

1952年開場時は千代田銀行武蔵野運動場。

のち同行の研修所などを経て、

MUFGの福利厚生施設としての役割も

維持しつつ、開放された場所。

 

MUFGは三菱東京とUFJの合併企業だが、

さらに因数分解すると、

三菱銀行、東京銀行、三和銀行、東海銀行。

そして7行前の千代田は、財閥解体期の

1948〜53年に存在した三菱銀行の別名。

 

 

5月4日、「まちライブラリー」で

落語のイベントを聴いたと昨日書いた。

 

西武新宿線・西武柳沢駅から辿り着き、

濃い緑を深く吸い込みながら

「ももたろう」だけでなく園内も満喫。

噺し手は西武線の東伏見駅を勧めてきたが、

帰りはJR中央線の武蔵境駅を目指した。

 

 

パークの隣は武蔵野大学。

武蔵野女子短期大学を前身に、

武蔵野女子大学となり、

2003年から現校名。翌年から共学。

文・理・医療系の12学部20学科の

浄土真宗本願寺派の学舎。

 

武蔵大学、武蔵野短期大学、

武蔵野美術大学、武蔵野音楽大学など

「武蔵」を冠する大学は多いが別法人。

 

 

後半戦は独歩先生の教えから逸れて、

大通りを行った。

五日市街道を柳橋交差点で左折し、

あとは浄水場などの脇を行く一本道。

 

その途中に、防災会社の駐車場に

廃棄となる消火器の団体さん。

赤いキリンはジャンク品の店先に。

 

それから武蔵境駅の少し手前の

古書店で『東京公園』を入手。

大きな公園を歩いたあとだからか

背表紙が目に飛び込んできた

 

もう10年以上前になるか、

ドラマになった『東京バンドワゴン』。

小路幸也の小説は2006年に始まり、

シリーズ最新作の第20弾

『ザ・ネバーエンディング・ ストーリー』が

4月25日に発売されたばかり。

と、まるで愛読者のようだが、

あとから検索して知った

 

そして彼が2009年に出した

『東京公園』は2011年に映画化、

第64回ロカルノ国際映画祭で

金豹賞(グランプリ)審査員特別賞を

受賞していることもあとから。

 

とてもよく歩いた一日。

良く晴れた日曜日でもあった。

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武蔵野歩紀1.6km

2025年05月06日 | ぶらり

武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを

苦にしてはならない。

どの路でも足の向くほうへゆけば

かならずそこに見るべく、聞くべく、

感ずべき獲物がある。

武蔵野の美はただその縦横に通ずる

数千条の路を当もなく歩くことによって

始めて獲られる。

春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、

雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、

時雨にも、ただこの路をぶらぶら歩いて

思いつきしだいに右し左すれば

随処に吾らを満足さするものがある。

 

かなり長い引用になったが、

国木田独歩『武蔵野』の一節どおりに

西武柳沢駅から、黄金週間のある一日、

道迷いを苦にせず、右し左しぶらぶらした。

 

 

巨大な古木と蔵を有する広い家が

どっしり町に睨みを聞かせば、

今風の縦長の新居の先に

ベビーカーのSDGsなどが歩き始めて

10分もしないうちに現れた。

 

1階に商店が並ぶ昭和の団地が匂う

集合住宅が駅前をはじめとして

あちらこちら点在して、

やがて一戸建てがあっただろう地を

根こそぎさらったマンション。

それを過ぎての町風景が頭の二葉。

 

 

少し意地の悪い筆になったが、

根こそぎはマンションばかりでなく、

昭和の集合住宅も、あるいはまた

蔵のある豪農家だって、

武蔵野のはやしを切り拓いたわけだが。

『武蔵野』からもう少し引くと、

 

武蔵野を除いて日本にこのような処が

どこにあるか。(中略)

林と野とがかくもよく入り乱れて、

生活と自然とがこのように密接している処が

どこにあるか。

じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのは

このゆえである。

 

今尚そんな風情の残る柳沢をさらに行くと、

「MUFG PARK」に行き当たった。

 

緑環境、スポーツ・健康増進環境、

交流・交歓環境を備えた施設。

開園時間8:00~18:00、休園は年末年始。

 

テニスコートにグランド、

バーベキューもでき、図書館も。

 

 

「まちライブラリー」と称する

館内では、な、なんと会話・飲食自由。

蔵書の約1万冊は市民などからの寄贈。

背ポケットには「みんなの感想カード」

などユニークな図書館。

 

この日は、奥のフリースペースで

落語のイベントも開催されていた。

 

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