読書日記

いろいろな本のレビュー

俾弥呼 古田武彦  ミネルヴァ書房

2012-01-22 09:04:37 | Weblog
 『「邪馬台国」はなかった』(1971年 朝日新聞社)で有名な古田氏の近著で、推理小説を読むような面白さを満喫できる。「台」の旧字は「臺」だが、著者によると、魏志倭人伝には「邪馬臺国」と表記した個所はどこにもなく、すべて「邪馬壹国」と表記されている。また「壹」(86個)と「臺」(60個)を誤記したケースは一例も見当たらない。さらに魏朝においては、「臺」とは「天使の宮殿」、さらに「天子その人」を指すのであるから、作者の陳寿が蛮夷の国・倭に対してそのような文字を使用するはずがないと言う。また俾弥呼の年齢を魏志倭人伝の「年已に長大」から従来は「70~80歳ぐらいの女性」としていたが、著者は魏志倭人伝の中の文帝が「年已に長大」にして即位したのは34歳だったことを論拠に「30代半ばの女盛りの女性だったと書いている。
 その俾弥呼の読み方だが、「ヒミコ」ではなく、「ヒミカ」と読まねばならないらしい。古田氏曰く、ヒミコの「コ」は男子の敬称であり、女性には使わない。また魏志倭人伝では「コ」の音は「狗」という文字を使っている。したがって「ヒミコ」と読むのであれば「俾弥狗」と表記されなければならない。「俾弥呼」の「呼」は「コ」と「カ」の2つ読みがあるが、上例より「コ」とは読まず、「カ」と読む以外にない。ヒミカとは「太陽(ヒ=日=太陽)の神にささげる酒や水の器(ミカ=甕)」の意であり、「鬼道に仕える」彼女にぴったりであると。
 次に本書のハイライトと思われる部分を紹介したい。それは女王国までの距離の話である。従来、魏志倭人伝に、朝鮮半島南端の帯方郡より、俾弥呼のいる女王国まで「万二千余り里」(1万2000余里)とあるが、実際の総和は、1万600里しかない。古今東西の道理である「部分里程の総和が総里程」にならないが、これは作者陳寿のミスであり、魏志倭人伝は距離や方角の記述が曖昧で、史料としてあてにならないと言われてきたが、これも間違いだと古田氏は言う。途中の対海国(対馬)と一大国(壱岐)を従来は「点行」読法(両島を一点だけ経由したとみなす)で通過したと考えてきたが、「半周」読法(両島を半周する)で図るべきで、そうすればぴたり1万2000里になると言う。魏志倭人伝の記述は極めて正確であり、第一級の史料と言えると述べている。まさに目から鱗、歴史の面白さを味わえる。在野の考古学者で、学会からは無視されてきた古田氏だが、その苦労の結晶が表れた作品だ。