忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

貧しいことば

2005-02-18 | 共に
 私が悪かったのではある。自車の起因による渋滞を避けようとして、結果しばらく同僚を置いてきぼりにしてしまったのだ。
 携帯で、お詫びとすぐ行くから待っていてと伝える。返った返事の中に『馬鹿か』を二度きいた。彼が仕事に復帰して数日目、長く休んでいたことを心配していて損をした気分がちょっぴり。そんな自分と馬鹿と言った彼を淋しいと思った。
 馬鹿という言葉には、他人事であっても特に反応する。個人に対して使うことばではないと思っている。聞きたくない言葉だ。
 私も使うことはあるから人のことなど言えないか。でも相手はかなり少数だ。お互いバカと言い合える気持ちの分かる者同士でなければ、冗談でも使えない。

 言葉や文字自体が差別をするのではない。それを使う人の気持ちが差別に変える。使い方で心に深い傷まで残す。そんな反省を私も持っている。また思い出した。

海の道

2005-02-17 | 日々
 朝一番で、長い半島を走ってきた。左右が海、でもその表情は異なる。片側は島々が暗い薄紫のシルエットの重なりを見せ、幻想的でもあった。
 あの向こうに母や叔母たちの思い出があり、今も親族が暮らしている。もしかしたら、祖父のルーツに繋がるかもとの願望を持つ土地だ。
 もう片方は、雲が垂れ下がったかのようで、海面の白波でやっと空との境が分かる。叔母たちが住み、子供たちや孫が生活している。他にも身内が暮らしている。

 どちらもすぐそこ、一跨ぎと思える。雲に隠れていてもあの辺り、ちょっと足を伸ばして海の道を走って行きたくなった。代りにラジオで県外からの声を二つ聞いて我慢した。

ロボットに

2005-02-16 | 平和を
 泥沼化したイラク戦争で、米軍兵士の戦死者が増え続けている。そこでアメリカは自軍の被害を減らすため、戦闘用ロボットを造ったという。
 ロケット弾まで装備し、一キロも離れた所から遠隔操作で偵察攻撃ができるのだ。戦闘であたら若い命を捨てることも無くなる?そう米軍にとってはだ。
 科学の力を見せ付けて、アメリカの正義の戦争を世界で自由に始めることもできるのか。アニメの世界だけであって欲しい夢が現実化。
 本末転倒ではないか。遠くからやって来た加害者は安全第一命を大切に、死に破壊される被害者はあくまで他国の相手だけ。強さを弄んでいるかのようだ。
 人間に支配されているロボット。いつかアニメのように、人間に抵抗するロボットが現れそうな気がする。ロボットの目に涙が・・・。
 
 

ひがしやま

2005-02-15 | 追憶
 半島で買ったらしいひがしやまをもらい、懐かしい味を久しぶりに食べた。子供の頃はさつま芋が準主食ともいえる時代があった。
 芋の加工品も色々食べた。その中でも、ひがしやまは手間がかかるのか、あまり作らずめったに食べれなかった。おいしいお菓子の代用だった。
 蒸したさつま芋の皮を剥き、縦とか横に輪切りにして広げ乾燥させたものだ。干すことによって甘味が増し、粘りや香りも出てくる。少々異なるが柔らかく湿ったスルメか、ガムでも噛むようなものか。
 筵や竹で編んだ物に並べ干してあるのだが、できあがるまでに何日もかかるので待ちきれない。裏返すついでに、ちょっと一枚とつまみ食い。元々量が少ないので、干している間に無くなってしまっていた。

 ひがしやまと聞くとなぜか蚕室の玄関を入った右手の板の間で、 藁で編んだ入れ物のなかで布団に包まれ顔だけ出してにこにこしている幼い弟を思い出す。側の窓の外には、ひがしやまが干されていた。弟の頭をちょこっと突つき、ひがしやまに手を伸ばした。
 

背負って

2005-02-14 | 追憶
 昨年の台風被害のため、結局取り壊しとなった大きな建物は、その昔柑橘の集荷場として建てられた。村でも運搬手段のトラックさえ持たない家がほとんどの時代だった。
 リヤカーとか大八車はあったが、我が家では集荷場まで遠回りとなり時間がかかるので背負って運んだ。叺(かます・藁を編んで作った袋)に収穫した夏みかんを詰め、オイコで背負った。1回に50~60kgの荷を背に、30分近く山道を下る。
 何度も何度も上り下りを繰り返す。収穫が終るまでそんな日々が続くのだ。よくやったもんだと今更ながら感心する。辛くはなかった。家族みんなで働いて、いい汗かいていた。
 役目の終った集荷場はその後も別の活用の場として、長く町民たちに利用されてきた。ありがとう・お疲れ様でした。
 

いつも春のよう

2005-02-13 | 日々
 『いつも春のよう』借りた本で、あすなひろしが亡くなっていたことを知った。くっきりとした線で白と黒、切紙絵のように描く。シャープなのに、それでいて作品はどれもほんわか。
 初めて出会った時、とても新鮮さを感じた。笑い・悲しみ・怒り・・・何を描いても、どこかほんわかがある。何度読んでも飽きが来ない。
 『青い空を、白い雲がかけてった』一番最初に手にした本だ。長い間、あすなろひろしと覚えていた。作者名より、中身の印象が強かった。

 この季節に菜の花が満開だ。先日は雪に埋もれていた数日間もあった。黄色の花が淋しく見える。

代える

2005-02-12 | 共に
 ここのカテゴリーの一つ『人権』を変更した。意味は間違っていないのだからそのままでも良いのだが、感覚として馴染めずにいた。
 人権の文字から感じるイメージほど、堅苦しくは考えたくない。人権の文字には教育がくっ付いて見えるのだ。もっと身近なことと思いたい。
 上から与えられるものとは違うと思う。ほんとうなら私たちが普通に、当り前に持っているはずなのではないか。
 『一人は万民の為ために、万民は一人のために』の額が掛かっているのを見る。『人権』もそうだが、掲げる言葉ではないのでは?。誰も手の届かない所に高く掲げてあるかのようだ。

 平仮名で、いっしょとしたかったのだが、取り敢えず『共に』とした。また代えるかもしれない。どうでもいいことだが、意識を無くさないための変なこだわりか。
  

後ろ盾

2005-02-11 | 追憶
 兄ちゃんに言いつけてやる。いじめられたり喧嘩に負けると、そう言う子供がいた。ほんとにその子の兄貴が出てきて、敵討ちをすることもあった。
 だが強い兄貴を笠に着て威張る子は、陰でバカにされた。弱いものいじめは恥ずかしいことと、みんなが思う時代だった。喧嘩をするなら自分より強い相手だ。
 だから子供の頃いじめられた記憶は無い。兄のおかげもかなりあったようだ。がき大将のいた頃だ、歳の離れた兄の仲間たちにはやさしくしてもらった。
 今日もその内の一人に、声をかけてもらう。なにかの機会で一緒になると、未だに兄の話しを聞くことができる。私の知らない若いままの兄がいる。
 仲間たちは今もたまに誘い合って、兄の墓参りをしているようだ。うれしかった。私もずっと、あの人たちの中に兄が生きているかのように思っている。気持ちの上でとても大切な人たちだ。早く逝ったが、思い出してもらえる兄は幸せ者だ。
 

数のそと

2005-02-10 | 共に
 小学校の同窓会への参加を、地域ごとに手分けして呼びかけた。担当地区に『』があり、電話が不明のため夜家々を探した。
 何軒かで問うが、「知らない」との素っ気無い返事ばかりで戸惑う。警戒されたようだ。ある家でやっと誤解が解け、笑顔で教えてもらう。近所の人たちからも明るい声が掛かる。
 他所に出た人もいて、職場も訪ねた。二人から出席の希望が聞け、楽しみに同窓会当日を迎えた。でも最後まで顔は見れなかった。
 後日世話役の反省会?で、残念だったと話す。皆がそう感じていると思っていた。だが返った言葉で、最初から期待もせず予定にも入れて無かった者もいたことを知り無性に淋しかった。
 その後も『』ではないが同じようなことに何度か出会ったりして、同窓会に行けなくなった。一度行かなかったら次も行けない。学校を卒業してから不登校。
 いつも期限間際に、欠席となる。会いたい。行きたい。いっしょになりたい。そんな気持ちに蓋をして、自分で選んで数の外。

あの雲とおんなじ

2005-02-09 | 日々
 宮尾岳のコミックス、並木通りアオバ自転車店のお話。母のいる療養所まで、四十キロの距離を10歳のアオバは父と母の自転車に乗って会いに行く。
 父母の出会いの切っ掛けとなった自転車だ。『あの白い雲と・・おんなじ色だから・・・』母は白い自転車を選んだ。〈風に乗って飛んで行く自由な雲〉空への憧れ。
 アオバが乗ってきた自転車は塗り変えられている。「きれいな水色・・・アオバが決めたの?」「うん!あの空とおんなじだよ!」
 車椅子の母と寄り添う父、アオバを見つめ微笑む二人。

 このシリーズの初期の作品が特に好きだ。たかが漫画どころか、教えられることも多い。コミックも子供たちから借りても読むし、未だ自分で買い集めている。積読で終らないのはコミックだけだ。