忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

数だのみでの暴走

2013-04-30 | 平和を
 昨年の衆院選での保守派議員の増加を背景に、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」168人が23日春季例大祭に参加した。記録がある1989年以降で最多となる。
 参加者は自民党・民主党・維新の会・みんなの党・生活の党からで、首相補佐官、財務・環境・農水・国交・厚労の各副大臣、外務・内閣府・総務・防衛の各政務官を含み、不参加だが安倍首相は供物奉納をした。
 戦没者(英霊)を祀る靖国神社は敗戦前、国家神道にもとづき国が所管し陸軍省・海軍省の管轄となっていた。敗戦後国とは分離し1宗教法人となるが、[旧厚生省が、戦後、身元が判明した戦没者リストを靖国神社に]送っていたことなどが指摘された。
 昭和天皇さえ戦後は数年置きに計8回参拝したが、A級戦犯合祀に不快感をもち(富田メモ・卜部侍従日記)1975年を最後に参拝を停止し現天皇も行っていない。
 なのに安倍首相は24日麻生副総理ら3閣僚の靖国参拝をめぐる中国、韓国の批判に対し「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と反論し、参拝容認の姿勢を明確にした。
 安倍首相の歴史認識や閣僚の靖国参拝に対して、オバマ米政権も中韓を刺激に自制を促し東アジア情勢の不安定化を招きかねないと、日本政府に懸念を伝えていたことも明らかになる。
 侵略戦争の反省など最初からなく、28日には行革相が参拝した。「右向け!右!直列前進!」の大号令に憲法改悪へ突き進む、海外マスコミの国粋主義と見る安倍首相集団。国会で絶対多数占める夏の参院選がもうすぐそこにとほくそ笑む。

これ知ってる?

2013-04-29 | 日々
 どこから入ったのか台所の床に頭と首の部分がとても小さな黒い虫がいた。害になる虫でもないだろうと逃がすため指につまんで外に出た。
 犬が私におやつをもらえると誤解して擦りよって来た。おやつじゃないよ、この虫の名前を知らないかと犬に聞いたが、犬は虫には無関心。一緒に写真をと思っても、よそ見をされて大あくび。
 

いっしょに歩く

2013-04-28 | 共に
 暖かい青空とウグイスや小鳥たちの鳴き声を心地よく感じながら、ゴールデンウイークなど関係ない山仕事の手を休め昼食に帰るため原付で下っていく。
 数百メートル走った所で道路の真ん中にオスとメスの雉(キジ)仲良くいるのを見て原付を停車した。10メートルとは離れていないすぐ前に私が何もしないのがわかっているかのように平気でいる。
 これまで近くで見たと言っても動物園か個人(高麗雉)の鳥小屋の金網の中のキジ。日本雉は草むらか道路でも瞬間的に見たことがある程度だった。
 恋の季節なのか特にオスは凛々しい顔立ちと体形に色艶に惚れそうないい姿、でも恋愛はメスがリードするのでちょっと気がかり…。
 お似合いのオスとメスだと私は思いながらその様子を見つめていた。時間にすると数分もは経ってないにしても結構長く感じた。
 まずメスが上の段にある果樹園の木の下にふわっと隠れ、慌てる様子もなく間を置きオスが後を追う。私もエンジンをかけ傍を通って下りて行くとき、キジの入った草むらを見てみると、まだその場所に居るキジたちの上部を見れた。卵を産み温め新たな雛が育って空に羽ばたく姿が目に浮かぶ、無事に成長して欲しいと願う。
 

本物を見て実感

2013-04-27 | 平和を
 先日近くを通りかかったおり珍しく外で履き掃除をしている姿を見かけて自動車をおりた。体調が悪いことは知っていたので、ちょっと立ち話をするだけと考えていたのに2人の会話は長くなる。
 体にさわってはと「また 次にでも…」話を打ち切る言葉に、「あの焼夷弾を見せてもらえたら‥」 と付け加えた。「いつでもどうぞ そうよ ちょっと待っといて 今すぐ 持って来るけんな」
 「疲れとんなはるけん 今日は見んてかまん 」 聞こえたはずなのに「いいの、いいの」と急ぎ足で家の方に、私も一緒について行く。家にも入り玄関廊下に腰かけて2分も待つと、かわいい手提げ袋が私の目の前に置かれた。
 1945年(昭和20年)6月7日大阪で当時15歳の女子中学生だつた彼女の家族が暮らす大阪を、米軍の大型爆撃機B‐29が焼夷弾の火の雨を降らせた。
 その時家を町を人々を焼き尽くす猛火を奇跡的に逃げられて助かった人。家の焼け跡に突き刺さっていた焼夷弾の1本を父親が引き抜き、助かった記念に田舎まで持ち帰った現物だ。
 錆び付いた円筒形に見える焼夷弾はM69 [木造の日本家屋を焼き払うためのもの、1発あたりの大きさは、直径8cm・全長50cm・重量2.4kg
 38発の焼夷弾を子弾として内蔵するクラスター爆弾「E46集束焼夷弾」などとして投下された。投下後上空700m程度でこれらが分離し、一斉に地上に降り注ぐ。]
 ベトナム戦争で米軍が使用したナパーム爆弾も高性能化させた焼夷弾。日本には加害者と被害者の両面で、あの戦争の実態をを絶対に忘れさせてはならない。
 彼女も体験を伝えるために、頼まれれば焼夷弾や資料見せて呼ばれ講演などしている。だが、日本全土に空爆があったとは先生さえ知らずいると嘆いていた。その夜わが家本棚を探すと    (つづきなど 昨日のブログ「ほんものを見た翌日」に追加しています)

本物を見た翌日

2013-04-26 | 平和を
 先日近くを通りかかったおり珍しく外で履き掃除をしている姿を見かけて自動車をおりた。体調が悪いことは知っていたので、ちょっと立ち話をするだけと考えていたのに2人の会話は長くなった。
 体にさわってはと「また 次にでも…」話を打ち切る言葉に変える。「あの焼夷弾を見せてもらえたら‥」  ・・・ ここまでで場所を移動したため、続きは翌日にしなければならなくなった。
 本文は4月27日のブログ・忘却への扉に送信したが、長くなったのでその続き?をここに付け足す。   彼女も自身の体験を伝えなければと焼夷弾や資料を貸しだすとか頼まれると講演などにも出席している。だが、あの大戦では広島長崎への原爆投下や東京大空襲だけでなく日本全土で空襲があったことを子供たちはもとより先生たちさえ知らずにいると嘆いていた。 
 家に帰った私は夜になってたくさんある戦争関係の本棚の中からまず 【日本空襲 記録写真集】 発行所/毎日新聞社 取り出しページをめくる。昭和46年3月/第1刷・昭和48年3月/第2刷 ¥1000とあるモノクロ写真集。確かにあの人の体験した1945年6月7日の大阪大空襲も載っていた。大日本帝国軍が初めに侵略拡大のために実行した無差別爆撃とはいえひど過ぎる。
 [ すでに戦後四半世紀が経過した そして 戦後は終わった という声も聞く だが、非戦闘員の受けた 〈空襲〉 の体験を伝えることは 単に歴史をふりかえるだけでなく 未来の平和への土台を築くことに結び付く 自分の家庭 われわれの町で起こった血みどろな悲劇を 戦争の被害者であると同時に加害者でもあった日本人全体がつきとめる必要があろう その勇気と努力が人間の尊さというものを確認させてくれる ](日本空襲 の1ページ)日本国憲法の平和と国民主権の原点を納得する。現憲法は国家権力暴走への絶対的歯止め。 

メルのペット?

2013-04-25 | 共に
 [ 奥 新しいペットのザリガニ。手前 メルの後頭部。プラスチックの水槽で ザリガニを飼っています。猫パンチで水槽越しに ザリガニと 戦おうとするので 普段は 隔離されてます。]
 ザリガニとメルどちらが隔離されてるのかな。どっちも大事なペットのはず、猫パンチで戦おうとするなんて安倍さんの国防軍海外派兵を想像してしまう。誤解だったらいいのだけど安倍さんはやりかねない。

○○ちゃーん?

2013-04-24 | 共に
 「○○ちゃん?」 最初の声ですぐ昨夜留守だった従姉妹からだとわかる。「昨日 電話してくれたんやろ ごめんよ 家に居たんだけど ぐっすり眠って気づかなかっんよ」
 母の実家を継いだ叔父の娘で独身者、先月兄が亡くなり以前から予定していたお墓工事を進める代理を引き受け、墓地のある町に暮らす私も動くことになった。
 4月1日工事開始、19日には土台の水洗いが終わり、土間に石を張っていたこと。その前の週の木曜日は石碑など座っていたと報告する。
 まだ仕上げの段階での現場は見ていないのと、私の所に請け負った土木部長からの仕事完了の連絡も請求書など届いてないので、会社からの連絡を待つことにした。
 あちらの義理の従姉とは今回1度も直接話さず仕事は進んだのだけど、従姉と私に任せたままで良かったのかと心配にもなる。現場を見たのは私だけ従姉は出来上がりを確認などの用事を済ませに来るが、本家は何度も来れないので納骨も1年後にするつもりらしい。
 いくら仲の良い夫婦でも亡くなるのは別々なのがふつう、別れを認めるのには月日がかかる。だから自宅で少しでも長く一緒を感じながら過ごしたいとの気持ちがうらやましくも思う私。

ときには想いだす

2013-04-23 | 追憶
 明日は雨の予報でもあり家の近所の段畑で小夏(ニューサマーオレンジ・日向夏)の採集をする。祖父から昔は鉱山の事務所があったとも聞いている。
 下にある墓地との斜面には高く伸びた古い甘柿の木が、新緑で木陰を作りはじめている。里道側にはシュロの木があり祖父は皮を切り取って、ロープにハケとか土壁塗りのひび割れ防止の材料にしていた。
 瓦屋が焼いた小さな御室(おむろ)は祖父が果樹園にする前は内側に祭ってあったのを、私が道路ができてから里道の石積みを直し移動した。
 その向かい側に鉱山の土砂置き場の跡に50年ばかり昔は小屋の建っていた場所がある。果実を肩に担ぎ運んでいて、ふとその辺りの所有者だったおじさんを想い出した。
 その小屋で寝泊まりしていたことがあったという。数日の時もあり1カ月以上のこともあったとか。家族関係が原因だったと聞いたが食事は家で酒は酒屋へ飲みに行く。
 だれもが歩いて通る道、出会えば祖父はもちろん子供の私も親し気に声かけてもらった。トタン屋根で板張りの山小屋は記憶にあるが、あの人を見みたのはわが家の近く。小屋跡に懐かしい気分にもなれた。
 すぐ下まで関係者数人で道路を作り、その時は道路など必要ないと加わらなかった隣家やその他農地や山林所有者も、しばらくして道路の必要性を感じ始めて延長されたので、道を歩く人は主にわが家の数名だけになっている。

かんしんはあるのに

2013-04-22 | 平和を
 各候補者の選挙カーは毎日何度もやって来て、「お願いします」 と候補者名を音量高く連呼する。「お騒がせしています」 に「ご迷惑おかけします」 だけどちっとも遠慮はしない。
 宣伝カーは何回も鉢合わせ山での反響もあり、たまの演説さえ割れてか内容も候補者さえ誰だか不明。これまでも政治に関わって来た人なのに、その政策と実績を私は知らないまま。
 評判の悪さも票には強い根拠となるこの地方。利益を目当てに応援する取り巻き連中は別にして、毎回騙されまた自分たちを裏切ると知っていても1票を投じる市民の狭い選択肢が理解できない。
 家族で投票は欠かさないけど、どの候補者にするかは各人自由。候補者事務所等からのハガキやパンフレットとか電話か訪問者があれば家族に伝え見れるようにはしている。
 昔は右翼など個性を売りにした泡沫候補までいて選挙も何かとぶつかり合って、小選挙区制でない当時は各党各候補者の持ち味が鮮明に現れ面白かった。今回は投票日夜の選挙速報も見ず、結果は翌日の新聞で知る。
 「今度の選挙 どう思った?」知人に聞かれて「どれも似たようなもの 国があれなら 下もつい(同じ) 政治屋ばかりが動かす社会が怖いなぁ」
 それまで選挙も政治についても話をしたことの無い人だったが、「ほんと世襲議員や政治を商売感覚で 儲けようと考えてる 政治屋が多数を占めた 変な世の中になってしもたな」
 「家でも誰に投票するかは 何も言わずに私は私。いい候補者がなければ 該当者なしと書いたり 憲法9条を守れとか 原発いらないと 私の気持ちを書くんよ」 それも私に似ていた。

こっちを向いた

2013-04-21 | 共に
 昨晩、南相馬市の原町に暮らす従姉妹と電話で話をする。「寒いねぇ ストーブ また出したよ」 海に近く暖かくて ○○ん家の辺りと あまり変わんない と伯母もよく言っていた。
 こちらも同じでこの数日とても寒い。犬も朝しばらくは家の中で眠り、気温が上がって庭に出る。1枚パチリを感じるのかすぐこちらを向いた正姿勢、いい自然体をなかなか写させないわが家の犬。