忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

新しく

2005-06-30 | 日々
 子供からの父の日プレゼントの気持ちにプラスして、携帯電話を新しくさせてもらった。電池の減りは早くなってきたが、まだもったいないなとの気持ちはあった。
 擦れて色が剥げたり文字が見えにくくなってはいるが、起きている間はいつもいっしょでどこか使い慣れた愛着がある。
 使用料はもらっていないが会社の仕事で使うのがほとんどであり、携帯にしばられるのは疲れるし無くてもいいかとも思う。
 持って出るのを忘れた朝など、落ち着かず結局取りに帰ってしまう。深入りした今となっては、止める勇気も小さくなった。
 気に入っているわけではないが頭を使うのがイヤだから、いつも同じメーカー製から選んでしまう。新しい携帯電話の機能いっぱいにまだ戸惑っている。
 

再び

2005-06-29 | 日々
 人のを見ることはあっても、マンガ週刊誌を買うことなど滅多になくなっていた。月初めだったかこのビックコミックを買ったのは、ふとした気紛れと気分転換の欲求からか。
 HOTELは石森章太郎プロ。はるちゃんは青柳プロ。見覚えのある絵と名前にも引かれたのかと、家に帰ってから理由を付けた。
 HOTELも全巻ではないが持っている。先入観もあるのだろうか、はるちゃんもそうだが故人時代の作品とはいま一つ切り口も異なり違和感を感じる。
 同じプロダクションとはいえ作者の心まで受け継ぐのは難しいようだ。子連れ狼 カムイ伝 (カバチタレ?)なども好きな作者だったが、描く人が代ってからのものは読んでもなぜか疲れる気がする。なれるまでには時間がかかるということだろうが、戸惑いがある。
 
  

後ろの隅

2005-06-28 | 追憶
 子供の頃の教室での席は、背が低かったこともあり前列中央あたりが多かった。先生の唾が飛んでくる距離であり、他にも油断のできない席だった。
 大人になって、集まりの場ではいつのまにか部屋の後ろ隅が指定席のようになっている。そこが居心地よいと感じている。
 できるだけ目立たないように遅刻しても先に帰るにも便利な位置だからとは、後から付けた理由かと気がついた。だったらなぜその場所に座るのか。
 ただその場所に座る機会が重なって、習慣になっただけだったようだ。特に意味も無く習慣になっていることは他にもありそうだが、探すのは疲れたので見あわせる。
 

バカを言い合う

2005-06-27 | 共に
 お互いを見せあい確かめ合っているかもしれない。朝出会った時やその後の会社への出入りのさいなど、たわいない軽口を笑顔で交し合う同僚が何人かいる。
 かなり際どい危険な言葉も交えた短い会話だ。強烈な個性を持つ人とも思え、初対面から一・ニ年は話をすることなどほとんどなかったのが信じられないくらい。
 礼儀は別にしても相手によって態度の使い分けができない、対人関係に不器用な私にとって本音が見えるだいじな仲間だ。
 同じ言葉を他の人から聞いたなら、皮肉ととり馬鹿にしてと腹立ちも感じるだろうに笑っている。認め合っていればこそ許し合えるのか。
 ひどい言葉の中にも互いの気配りがあると判る。だから後に残らず、さっぱりしている。そんな会話を交わせる間柄であることがうれしい。

山小屋に

2005-06-26 | 平和を
 斜めに倒れかけた文旦の老木の傍には、屋根に杉皮を葺き周囲を板で囲った少し大きめの山小屋が高い夏みかんの木の下に隠れるように建っていた。
 時季にもよるが、麦わらの束を積み上げてあることがあった。家の裏にある高い石垣の上の段に位置する小屋の戸を開け放し麦わらに上って、わらの匂いと感触を確かめながら村を見下ろすのが好きだった。
 なぜこんな不便な場所に小屋を作ったのか、子ども心に不思議に思っていた。戦争中にアメリカ軍機による空襲を避けるため、家の荷物を隠しておいたのだと祖父から聞いた。
 家が米軍機の爆弾でやられても山小屋に隠した家財道具で生き延びる・・悲壮感のある愛国心もあったのか、それともただ家族の生活をなんとしても守ろうとしたのか。
 鬼畜米英、一億総玉砕、銃後を守れの時代である。一家に一個の防空壕の指示さえ出ていたのだから、長男家族が帰って来た時のために家に残る祖父母も必死だったに違いない。
 隠したとはいえ空からは丸見えだっただろう。家から近いので爆弾でも落とされたら全滅だ。小屋を見るたび、攻撃されずに戦争に負けてよかったと思った。

 

わが半生

2005-06-25 | 共に
 【被差別のわが半生】山下力著 平凡社新書読了。[荊冠旗に乾杯!迷いながらも、つまづきながらも生きてきた半生。カムアウトすべきか悩む人と共に歩む]と帯の文字。
 糾弾屋と呼ばれていたことのある人の予想からすると、意外な展開を見せる。市や町などでの問題の集会等でいつも正論として聞いてきた、差別の歴史とか理論、現状や運動の方向について納得できない違いを持っていた。
 そのいくつかで同意できる考えを読んだ。視点を変えた歴史の見直しにも新鮮さを感じた。井の中の蛙にならないよう、運動の原点を忘れないようにと注意を喚起してもらった。

 この本を読んだ後に公的なと人権の小冊子を見ていたら、そこでも知らなかった発生に関してなどの見直しが書かれていた。内容には同意するがただ見直しに重心が傾き、現代の人権尊重を薄めることにつながらなければよいのだが。

にがむしを

2005-06-24 | 日々
 朝の最初に見たのが、すごい顔だった。正に苦虫を噛み潰したような、表情を固めたままの顔と擦れ違った。もちろん朝の挨拶も返ってこない。
 私が起因したのでもないのに、そんな顔を見せつけられても、後味の悪さを引き摺ってしまうだけ。夕方彼の仕事場に行き何度か出会うが無視された。
 一日あの気分を持続するのは、かなりのカロリー消費を伴うのだろうなと感心する。いっしょに仕事をした人たちも疲れただろうと思う。
 あれほどではないが、私も顔に出る方なので「怒るなよ」とからかわれることもあり、相手に不快感を与えるつもりはないのだから気をつけている。
 柔らかいことばを選んだり,冗談っぽく話たり時と場合でことなるが、気持ちの上で笑顔に切り替えようとしていると怒りを押さえ薄める事もできる。苦虫など無駄な労力はできれば使いたくない。

梅雨なのに

2005-06-23 | 日々
 出会う人毎の話題は雨の降らないこと。梅雨だというのに山も乾いている。帰宅時に川を見ると、もうこの町の入り口にある橋の所まで川の水も無くなった。
 山でも数日前からスプリンクラーによる水掛が始まっている。トラックにタンクを積んでの水運びをやりだすのも時間の問題だろう。
 今日も昨年あれほど何回も通過し多くの被害を出した台風が来るのを期待している、との話しを何人かから聞いた。風は怖いけど、台風の連れてくる雨でも待つしかあてにできないのか。
 今年はその台風さえ少ないとの予想もある。自然を相手の農業などかなり厳しいことにもなりかねない。来週まで良いお天気マークが続いている。
 水の大切さ,自然の大切さが一番解っているはずの人たちなのに、温暖化問題など環境破壊に対してさえ関心が強いとは思えない。ただ自分の畑や,作物さえ水不足にならなければかまわないという次元の問題ではなくなっているなか雨を待つ。

ふしぎな手

2005-06-22 | 追憶
 あの時なぜだか急に友人のことを、彼を知らない助手席の人に話したくなった。彼の思い出などをしばらく一方的に話しかけた。
 数時間後、その彼があのころ海での事故で亡くなっていたことを知った。通夜に行くが広い部屋もすでに多くの人で、枕元での最後の別れは諦め土間に立ち送ることにする。
 家の外にも、入りきれない人たちがいた。お経を聞きながら手を合わせていると、両肩に誰かが手を乗せてきた感触がして目をやるが何もない。
 だが確かな重さがあり,冷たさと固さを感じる。何度も体験した死者に触れた時の感触そのものだが、不安も恐れもまったくない。
 友人が後ろに立ち、私の肩に手を置いてじっとしているような状態が数分間は持続していた。彼といっしょを意識しながら別れを感じることができたふしぎな時間だった。
 

初めての訪問

2005-06-21 | 日々
 孫たちの暮らす駅前アパートの3階の端、私には初めての訪問だった。何はともあれまずは孫にごあいさつと、部屋に直行する。
 よかった眠っていなかった。久しぶりに見る顔は形は以前と同じだが、ママの実家にいた頃と比べ表情も肌も柔らかそうに感じた。
 誰が見ても男の子で赤ちゃんっぽさが少ない顔と肌?だったのが、いまでは女の子と間違えられることもあるという赤ちゃん顔になっていた。
 あの頃は生まれて初めての世の中に、緊張と背伸びをしていたのかもしれない。お話ができるようになっていて、しばらく二人で話し合ったがおじいちゃんは赤ちゃんことばを忘れており聞き取れなかった。でもお互い気持ちは通じたつもりでいる。
 帰っても孫たちの生活がイメージできるようにと、アパートの周辺も歩いて見た。近所に公園があり幼い子ども連れのお母さんたちが何人もいたり、鳩に餌をやっているおじさんもいた。
 公園の隅に自然石の原爆慰霊碑があった。この辺りでも多くの被害があったのだろうか。孫たちの生きるこれからの平和を強く願う。
 ありがとう 数時間だけの滞在の心残り。ゆっくり、のんびりはまたいつか次の機会の楽しみにする。