忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

言いたいことは

2011-01-31 | 共に
 その日の夕食時にサッカーの試合を見ようと誘われたが、深夜になるのを知り断る。でもどうせ眠れないだろうと、パソコンを開くのとあと少し残っている本を読み終えたいと起きていた。
 でも思ったより時間がかかり本はしおりを挟み変えて机の上に残る。部屋を出ようとドアを開けると、玄関の板の間に布団とマットに毛布を被り寝ているはずの犬が私を見上げてる。
 そわそわした態度に「しっこ? うんち?」と聞けば玄関の出口に私を誘う。寒いが外のいつもの場所でしっこをした。「うんちは ないの?」 無い、帰るで家に入るがまたそわそわ。
 先ほど私が居た部屋のドアをじっと見ている。まさかおやつと思いながら尋ねると、うれしそうにそうだと合図する。例外だからの数個のクッキーを喜んで食べたが、またそわそわを始める。
 もしかして遠くに雷が鳴っているのかも知れない。「電気消すよ おやすみ」私は布団に入る。サッカーの試合は忘れて眠ったのでは気になった人は、観戦中か低いテレビの音かしている。
 数分眠れたかどうか呼び起こされた大声に試合が終わり結果報告かと思えば、それもあったが犬がそわそわしているから散歩に行ってみて。またどうして深夜のこの寒い中を、犬のためなら行きはする。
 この犬、例外はあるけどうんちは急斜面の藪でするのが好き。夜中は付き合う方もたいへん、犬が猟犬や猫やイノシシの匂いを追い家を出ている目的を忘れてしまうことがある。
 目的達成満足して家に帰った。玄関の鍵を絞め犬に毛布をかけ頭を撫でると、犬はしつこいほど舐めてくれた。そこはお互い好きを表す所を決めている。私は撫でて犬は舐めて、その夜はごめんなさいと感謝の気持ちをプラスでもらった。

来て見てほしい

2011-01-30 | 共に
 『木の根っ子が見えるほど 荒らされとるけん 土被せて もとに戻しといてや』 とは聞いていたが、段々の果樹園の畦をイノシシが1ヵ所崩した程度だろうと思ったがそれでも2人で山に行く。
 予想の場所とは違い地面の土を掘り返し、その辺一帯数えきれない根っこをまるでロープが絡み合った状態にしている。わが家の他の園でもイノシシの乱暴ぶりに被害を受け続けて来た。
 だがこれは木本体を枯らしかねない酷いありさま。千切れた根っこを片付け、土を持って来て被せ平らにする。この地面の下にイノシシの食料になるものがあったとも思えない。
 こんなに直しても今日またやって来るかも知れないのだ。仕事を済ませて道路に上がると、友人のトラックと倉庫の戸が開いているのを見て挨拶に行く。「あけましておめでとう」も言ってない出会い。
 体調をくずしていたのだが、自分もこうなってやっと持病のある人の気持ちがわかったと言う。先輩の園内も同じイノシシなのか、被害は同様でも樹齢が若いだけに危ない。
 私も知っている他の人など、ヒヨドリに食べられた未収穫園に見える大量の被害果実も話題になる。猟期でも撃たれるに危険はないと知っているのか、山の住民は無視できる存在。
 『わしら農家の生活を守るより 害鳥の命を大切にする法律がある おかしいやないか 菅さんはじめ大臣らが見に来たことあるか こがいな場所で ちょびっとずつでもと 無理しながら食うために稼いどる者が居るんぞ 来て見たらわかるはずやろが』 貧富の差を極端に下層を広げて見おろし楽しむ気なのか、根っこを見捨てて行く現在の国家の方向。

それって もしかして

2011-01-29 | 平和を
 [鳥との 遭遇 近寄ってもガードレールの上を 横に飛び跳ねて逃げるだけ] この季節かわいい雛鳥ではないはず。原因はいろいろあるだろうが、もしかして鳥インフルエンザではと思ってしまう。
 メールが届いて私たちの町の養鶏場近くを、鳥インフルエンザの不安を話ながら帰って来た。養豚団地の危険が去ってすぐの事。例年になくヒヨドリの群れに果樹園も襲撃された。人も鳥もインフルエンザは避けたい。

お互い明るくなれば

2011-01-28 | 共に
 道の駅の小さな売店横に車を駐車し、じゃこカツとじゃこ天を買って持ってきた弁当で車の中から海を見ながら昼食。次の道の駅でソフトクリームの ミックスとバニラ、1ヵ所は現金でもう1ヵ所は前売り券を渡され私が買い役。
 国道は岬の頂上線にあり車を出ると風も吹いていてよけいに寒い。細長く広い駐車場の片隅に地元産の農産物などを販売しているが、この部分は柱と屋根だけで表は吹きさらし。
 建物はつながりソフトクリームなどの窓口を開いた売り場。客は外から注文する。ソフトクリームを受け取り「これ 食べたら冷たいやろか?」 『やっぱり 車ん中で食べるとおいしいな』
 言うのを聞いて、つい売店の人への発言を口にした。思ったとおり叱られたが、寒い日の客の少なさお互いバカバカしくても明るくなる瞬間があっていいだろう。
 じつは道の駅に来る前ショッピングセンターに立ち寄った。私1人急ぎ中に入って書籍文具のコーナーで、 鬼太郎のベトナム戦記 水木しげるを買っている。
 立ち読み防止の封がされていたが戦争と平和に関する本が他になく、今年初めての本屋。客は私だけ店の人も1人お釣りをもらって、「万引きじゃないけど 店を出てから 叱られないために ちょっと」
 言いながら上着をめくって背中に本を隠した。店の人は見えない入り口側を見てから、にっこり 。遅れ後部座席に何も買ってないふりして乗った。ぐるりと回って帰るいつものコース。
 私たちの町との境にある1番高い山の道路脇にはまだ雪も ‥。家で待っていた犬に留守番のお礼を言って本の部屋に入るまで、あの本はずうっと私の背中にはりついていた。

時間が止まって

2011-01-27 | 平和を
 朝目覚めると部屋の明るさを確認することでおよその時刻を判断する。時計が枕元にあるのだけれど、15分ほど遅れるか進んでいるかしたままなので役立たない。
 窓のカーテンに少し隙間を作っているが、透明ガラスと違い先日も予定のある『明るくなってる もう起きんといけん ちょっと玄関の時計を見て来て』 「まだ 早い」と私が言っても信じない。
 朝7時半過ぎに家を出るのに、4時に起きるのは早すぎる。こんどは認めてもらって2度寝ができた。妻の起きた音を聞いて数分後に私は起き出す。夜は眠れるかどうかは別だが、暗い部屋の布団に入るのは妻より数時間は早い。
 家に居ればテレビに表示される時刻か、いくつもの時計が時を知らせてくれる。仕事中は町内のマイク放送で1日数回の定時にメロディーが流れる。小さなラジオも時計代わり。
 買ったが数回使用しただけの腕時計に代わって、携帯電話が日々肌身離さず1番の時計。携帯電話は電話としてより、おもにメールと時刻を知るため使っている。
 何日か前だがその携帯電話の操作を間違えたのか、見えている時刻が0:07で止まったままなのに気づいた。時間に縛られた生活でもないのだが、正確な時刻がわからないと知れば不便と不安を感じる。
 いつ見ても0:07、見なければいいのに見てしまう。携帯電話の説明書は詳細すぎて読む気にならず、設定などいろいろやってみるが失敗の連続。諦めかけた昨日の夜中にケイタイの時刻を見てまた騙され、設定をもう1回さわる。
 戻った ! まだ23時48分 子供の頃は太陽が上れば起きて 沈めば眠るに近い生活の体験もある。敗戦後の国家に束縛されない自由と平和な時間を貧乏だけどみんな一緒と感じていた。

よい姿勢で

2011-01-26 | 日々
 『ごはんの時は 椅子をクルクル回し 体を斜めに食べるのに、テレビを見るのは正しい姿勢』 部落常会の最中に着信音、写真だけ見てまたすぐ着信あり。『長くは もたなかった』と証拠写真をありがとう。         
返信が遅くなりごめんね。

ひとがらぼしゅう

2011-01-25 | 共に
 家族の1人の誕生日前祝いを兼ねて、隣り町にある大きな大衆食堂に行く。ちょうどお昼の食事時、待ち客1番目で名前を書いた。呼ばれるまでにと洗面所に入ると、壁のよくわかる位置に目立つ文字。
 【 人柄 募集中 】 人材募集や従業員募集ではなく、人柄募集なのを好きになる。久しぶりに来て初めて見れた言葉がうれしい。人柄募集にひかれてこの店に勤める人は、お客さんと店にとってもいい人だろう。
 思っていたより早く名前を呼ばれ席に案内され注文した品を味わった。店で働く人たちも気持ちよく仕事をされているように思える雰囲気を感じる、お客さんに喜んでもらえる店を共に目指す人柄募集の店。

 民主党は自民党より駄目だと知人は言った。自民党政治には悪い部分はあったが、まだ党の根っこの地方に無視できない各種の住民につながる組織があった。だが民主党にはそれがない。
 根っこを持たない民主党が政権を取ったことでの独断専行の暴走が危険だと。なるほどマニフェストを簡単に放り投げ、平和より戦争・軍事のアメリカ追随と大企業優先の国造りをまず決定してから、TPPに消費税増税と庶民にはこれまで以上に苦しみを押し付ける腹。裏切り以外の何ものでもない。
 再び俺たちの番、よくゆうよ前政権党。支持者を裏切っていた期間が長過ぎた。国民の暮らしを守る政治の場は政治屋たちに任せるのではなく、選挙でも有権者は議員候補の議会人としての人柄募集を第一に投票する必要がこの国にはあると教えられた。

声を聞ければ

2011-01-24 | 共に
 場所によってはヒヨドリの鳴く声が怖いほど聞こえる。飛んでいるのをあまり見ないのは、果樹園の果実を食い荒らしている最中だとわかる。多数の品種を栽培するこの地方では収穫期が半年間にもなり、野鳥やイノシシに狸に野ウサギなどにとってのごちそうは山盛りの期間が長い。
 ヒヨドリのにぎやかな鳴き声の聞こえない山で、1人仕事をしていると静かすぎて淋しい気分になることがある。人恋しさ‥‥ ? 代わりにラジオを聴いてみるが物足りない。
 たぶんいつものように家に置かれ呼び出し音を聞くだけとは思いながら、娘のケイタイに電話した。苦手な電話と苦手な会話、呼び出し音を聞ければそれだけでもいいか程度の気持ちからだった。
 やはり外出か、切ろうとした時娘の声。孫は家に来ている友だちと遊んでいるところ、それを聞けばあと私の話すことがなくなった。でも1~2分それだけで気分は明るく・・・単純だ。

帰りはいっしょに

2011-01-23 | 共に
 バスを降りみんなそれぞれに別れた。ケイタイで迎えを頼もうとしている私に気づいたのか『(朝 乗り物は)何で来た 迎えは? ちいとあっちまで歩かんといけんが かまなんだら いっしょに帰るか』
 同じ方向の先輩のことば。頼めばそのまま家に帰るどの人でも、乗せてもらえるのはわかっていたが遠慮もあるけど場合によっては途中までなら歩くつもりでもいた。
 気心の知れた人からの思いやり、喜んでお願いする。駐車場への歩道に出るため大きな倉庫を通る。場違いな品を指差し『これは 何よ』と尋ねられた。処分のために置かれているのだろう古いパソコンやコピー機他がセットなった事務机。「パソコンやってみなはらんかな」 『やってみたい気持ちは あるがやけど』 好奇心旺盛も先輩らしい。
 歩道でその朝出会った女子高生についての話になる。1人だと『おはようございます』と挨拶するのに、次に来た2人はどちらも挨拶せずに通り過ぎたんだけど‥‥。
 小学生や中学生の挨拶も同じように1人の時だけ声を聞く。現代の子供たちの考えたがわからない。 あれっ 走る道路が違う。遠回りしてわが家の近くで車は停車した。そこなら歩いて近い場所をのありがたいうれしさ。

いってみると

2011-01-22 | 共に
 予定の8時ちょうどにその会社が借りたバスは出発した。今日は休みのはずなのに社員の数があまりに少なく、私たちを別にすれば普通車2台でじゅうぶん。空席ばかりが目立ち、ありがたいけどもったいないと思う。
 どの人も同じ町のよく知っている者どうし気楽ではある。85歳を最高に高齢者たちのためか2回の休憩時間、そこでカガミを見てやっと朝の集合場所でのみんなの疑問を納得した。
 カガミの中に私がいない。この人だあれ 帽子をかぶりマスクで顔はほとんど隠れ目だけがなんとか見えている。名前を言ってようやく話の仲間入りができたのだ。
 車内から見る久しぶりの県庁所在地は様変わりが進んでいる。自動車道をくぐり抜けたすぐまん前に葬儀社のビルはあった。開始時刻までには間があるが会場前で受付を済ませる。
 会場に入ると知っているのは故人だけと思っていたのに、遺族側に知人が何人もいて驚く。私が忘れていただけで、びっくりするのが変なのだ。想い出せば故人は元々私たちの住む地方から伸びた半島の先端部の村で育っている。
 子供や親戚と遺族席には私も関係のあった知人がいても当然のこと、何人かともちろん帽子を脱ぎマスクを外して挨拶を交わせた。中学時代の先生の健在ぶりを見れうれしかった。故人は明治45年は2月の生まれ、つらい戦争を体験の数え年で100歳の幸せな老後からの旅立ち。