忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

待ちわびて

2010-03-31 | 共に
 遠くに泊まりがけで出かけるさいには、犬はいつも留守番役になる。犬もどうせ連れて行ってはもらえないとわかっているみたいに、私たちが準備のためにそばを行ったり来たりしても知らんぷりしている。
 留守の間のドックフードなどは頼んであるが、家を離れると犬はどうしているかと気になってくる。今回は前方の山に珍しく雪を見て、わが家は寒くないだろうかと景色よりも心配した。
 深夜の到着で2泊した家庭は猫も仲良し家族。でも私は猫を見たり話かけ撫でながら、つい一緒に犬のことを考えたりもする。仲良くなりたいけど他人行儀は猫の性格、やっぱりわが家の犬が大好きだ。
 びっくりするほど大きい月を見ながら帰り道を急ぐ。みぞれが降った日や道路の温度標識が1度の場所もあった。濡れていないか元気だろうか、前回までは犬が出るはずのない家に電話もかけていた。
 ようやく帰宅して外灯を点けるため先に車を下り、玄関を開け明かるくしてから車の荷物を運ぶ。犬がそわそわしているのが見える。鎖からリードに付け替えると、喜びを往復で駆けることで表す。でもこれまでより少しで終わったのは疲れのせいか、置いてけぼりじゃない必ずみんな帰って来ると私たちを信じたからか。

どう関心があるのか

2010-03-30 | 平和を
 [佐々木雄一郎写真展 第二部 平和を誓う] 広島平和記念資料館で行われている広島平和記念都市建設法制定60周年記念企画展での冊子を娘からもらった。資料館が5歳になったばかりのわが子にせがまれて行く場所とはちょっと複雑。
 原爆ドームが見たヒロシマ / ヒロシマに何が起こったか・壊滅の記録・苦難の日々・変わりゆく街 / 平和の訪れ・子どもと遊び・祭りと行事 / 耐えて生きる・孤独と不安・傷ついた心身 / 悲しみと決意・犠牲者を悼む・遺骨は今も・8月6日 / 語り継ぐために・被爆資料の保存・原爆ドームの保存 /ヒロシマの願い・広がる動き・静な祈り
 『これは何? ‥これは?』と聞きながら地下の展示場を急ぐ孫の姿が見えるよう。冊子は私用にと1冊手にすると『僕もいる』と2冊になった。広島市育ちの孫は何度も資料館を見学しているはず。
 今回は行きたい場所を両手の皮の垂れ下がった人の形で表現した。なるほどセーラー服ともんぺを着たあの女子学生だと私にもわかる。昔この広島で本当にあったことだと孫も聞いてはいる。
 だが、なぜ4~5歳で原爆ドームのある平和公園だけでなく、資料館の展示物や絵本とか写真集に関心を持つのだろうか。これからも関心を持ち続け、平和につなげてほしいとは思う。冊子のお返しではないが、今年また資料館でダブって買った峠三吉を描いた[風のように 炎のように]を置いて帰った。

想いを歩く

2010-03-29 | 共に
 細い路地を通った場所の入り口が閉まっていたのは、去年と同じに間違えただけ。ぐるり回ってやっと会場の正門を入り、建物やそこまでの左右に特徴のある光景を見た。
 2階の端の広間はもうほとんど満員状態になっている。前回はちょっと少なめで、昨年のほうが落ち着いた気分で聞けた。でも知った顔は増えているので、数人分だけビデオに撮った。
 終了、『早く 早く 早く』と言っていた連れは私が階段を下りた時にはもういない。外に出ると門の向こうで手を振っているのが見えた。叱られないように?急ぎ足で行くが待っていたわけではなく30mほどの距離を維持したまま。
 方向が間違っていると合図するけど知らんぷり、私がスピードを上げようやく追いつく。逆に向かっていることを教え話ながら歩いていると『 傘は? 』「 えっ! 忘れた 」雨が止みさっきの会場の傘立てに置き忘れ。
 私1人が引き返し傘を持っての別行動 で去年の場所を歩いてみる。あの病院は駐車場から病室も眺め地下の通路に夜間入口に正面玄関を通りぐるりと1回りした。お好み焼き屋の近くから公共施設‥、でも2人で入った場所を今回は1人だけで歩く。
 遠くに行った大切な人との想いがどこにもたくさん詰まっている。その日に思いがけなくその人から私宛てに手紙が届き涙する。書きかけだが深い想いの気持ちは何倍にもなって伝わって来る。もうすぐ桜を見るはずの人に返事は言葉がいいだろう。

1段階の変化

2010-03-28 | 追憶
 『塾のことは何も話たくない‥』塾体験をどうだったとおばあちゃんに問われ、受話器の向こうの孫娘はかたくなに黙る。小学校を卒業した孫娘はもうすぐ中学生になる。
 複式授業の学年もある小規模校から13人の入学する中学校は、合併以前も1市に1校だけと広い範囲から集まり父親も登校した場所だ。長距離でバス通学をすることにしている。
 小学生時代に習っていた水泳とピアノは止め、放課後は部活と塾通いの新しい体験への不安は多いだろう。おまけに初めての塾は同じ小学校の卒業生は誰もいない。おじいちゃんは、がんばれよと言えずにいる。
 私の小学生時代は、村に小学校が2校と低学年だけの分校が1校あった。本校に通っていると途中からは分校児童と一緒になる。それまでも運動会とか学芸会に映画会など催しには出会っていた。中学校は下の多児童数の小学校と並んでいて、塀も境界線もないすぐ隣。
 中学になって上の児童数の少ない小学校の卒業生と合流した。かなり遠い距離を徒歩通学だが、私たちより早く来ていた。当時は自由奔放な児童が多く、仲良くなるのも早かった。
 現在も小学校は2校あり、場所を移動して隣り町校区と共立となった中学校はこの町にある。孫たちを気にしてもしょうがないのもわかっている。新しい学校での思い出作りの出発はもうすぐだ。

なぜこんなに遅く

2010-03-27 | 日々
 夜布団に入るのは疲れと寒さもあり、9時頃のことが多い。そのまま熟睡できればいいのだが、うとうとしては目がさめるを繰り返して『 風呂 』との声を聞いて起きる。
 仕事から帰ってすぐは無理でも夕食後少ししてとか寝る前に風呂に入ればいいのだが、長風呂でお湯がぬるくなると嫌われてはと遠慮してできるだけ最後に入っている。私の前が『今日は休む』と言えばその日は早い。
 だがそんな日は少なく私が次を待っている、どうせ入るのなら早めに入って欲しい。することがあるのはわかっているが。テレビを見たり居眠りか熟睡の時間も多く、最近では夜中の0時前後になることも。
 ぬるま湯を温かくして入るのなら、私の長湯も許せるはずだと思う。大晦日での行く年来る年の除夜の鐘を聞きながら風呂の湯に浸かる気分とは違いのんびりした気分になどなれない。
 0時過ぎての入浴は大晦日か、旅先での温泉を楽しめればいい。風呂は毎日入りたいけど、今の気分と体調では1晩休めば続けて休むことにもなりかねない。早く眠りたいのに真夜中の長湯に、ちょっと気になる。

好奇心いっぱい

2010-03-26 | 共に
 猫に風呂場の窓掃除をするつもりなどあるはずもなく、ただの気まぐれ歩きか『僕はこんな場所でも渡れるんだ』と自慢気なようすを見せる。犬はわが家で飼っていて大好きだし、その行動の意味はだいたいわかる。でも猫は理解できない部分を多く感じ、それが犬とは違った魅力でもある。
 素早さと身の軽さ、ちょっと小悪魔を思わせる動作や表情にも興味をそそる。お客さん好きなのは知ってるんだから、今度会ったら早く仲良くなって欲しい。

出口に忘れ物

2010-03-25 | 日々
 目覚ましで起き、早朝の出発予定時刻までは30分だ。持参する物の準備は昨夜に済ませ、着替えの用意もできている。顔を洗い頭髪の寝ぐせを直し服を着て、日帰りの予定だが戸締まり確認と各部屋のコンセントを抜いておく。
 小雨の降る中、持ち物を忘れないよう先に車まで運んでおく。留守番役の犬を外の小屋に出している間に玄関内の明かりは消える。最後に私が外灯を消し戸に鍵をかけた。
 何も持たずにライトに照らされながら車の前から近づき、後部座席に座り出発した。少し走って前の席から『あの荷物乗せた?』と聞かれるが、言われた記憶も全くなくもちろん私は積んでない。
 引き返しもせず『約束のお土産をせっかく用意して玄関に置き、持って来てよと言ったのに忘れて‥』気持ちはわかる。昨夜遅くまでかけて作った品もあり、楽しみに待っているはずのお土産だ。
 その時私が軽い注意で済んだのは私にこれを車に持って行ってと言い忘れたか、本人が持つつもりで忘れたのかも知れない。たとえ私に言ったとしても、外に出たりで伝わってなければ言ってないのと同じ。
 私も数分前のことを忘れても再度問われれば気づくだろうし誤魔化ほど狡くないつもり。どちらにしても置いて出たのを謝るしかない。事実『忘れてごめんよ』でおみやげより私たちが行き会えたことを喜んでくれた。 ‥‥なのに 。

将来の目標

2010-03-24 | 共に
 昨日『小学校から手紙が届いてたんだけど』と探し見つけて渡してくれた夫婦宛ての封筒。裏には○○小学校6年生と子供の文字で書いてある。中の文章最後は児童1人の名前で、個人からの手紙だとわかる。
 他県で小学校に通う孫娘の同級生は1学年1クラス、孫になると2学年の複式授業。夜電話で孫娘に尋ねると、卒業を前にお世話になった人たちへ感謝の手紙を出したのだと言う。
 児童1人ひとりが家族や地域の人などから自由に誰か1人を選んで書いたはずなのに、そうではないおばちゃんたちが手紙をもらってもいいの?と妻は聞いている。
 『 いいの ○○ちゃんがみんなの前で私のおばあちゃんとおじいちゃんに 手紙を書きたいって言ったんだから 』ちょっと嬉しそうな孫娘の声での説明に私たちもうれしい。
 前回出かけた卒業論文発表会で、将来の夢である看護師についてしっかり発表した女子児童からの手紙。全校児童や大人たちの前で自分の将来の夢や目標を発表体験できる学校。
 またこうして手紙で大人に自分を伝える機会も地域や社会を身近に感じられ、共にいっしょと思える生き方、孫娘は手紙を地域の人に出していた。『返事は出しても出さなくても、どっちでもいいよ』 ‥
 「じゃあ ○○ちゃんにおばあちゃんとおじいちゃんが ありがとうって言ってた。喜んでたと伝えてくれる」 そして今日13人は卒業した。一緒に手紙をもらった校長先生とは直接話もできた。やはり遅くなっても私は返事を書こうと思っている。

お~い 行かなんだんか

2010-03-23 | 共に
 場内の20mほど離れた場所で、先輩が車から荷物を下ろす作業をしているのは見えた。私たちも同じ荷下ろしの最中で、目があえば手でも振ろうか程度の気持ちではいた。
 『お~い 行かなんだんか』先に私に向かって大声が届く。「行かなんだ」先輩には負けるが大きな声で返事した。この時間にこの場所で出会ったのだから、どちらも不参加だったのは見ればわかる。
 その日は地区の他の仲間たちは視察に出かけているはずで、ほんとなら私もみんなと一緒に行くつもりだった。カレンダーにも予定を書き込み楽しみに待っていた。
 ところが些細なことから視察の許可をもらいにくい事情が発生、参加申込書提出期限を過ぎてしまった。そして視察当日の朝になり『あれ、視察は行かないの?』と言ってくれた。
 近場の日帰りで行きたい気持ちが強かっただけに、何をいまさらの思いはあったが黙って 済ませる。まあその日は寒さと時々雨の天候で私も体調不良、家の仕事は無理したが視察を参加にしていても取り消し欠席の連絡を入れただろう。
 みんなと一緒を感じていたい気分になることが多くなった。積極的には動けないのにそう思うのは寂しがりやになったのだろうか。『もうすぐ 花見じゃのお』次に会ったとき先輩が言う。今度は一緒に参加したい。

遅れたぶんだけ

2010-03-22 | 共に
 昼食後の薬を飲むために紙袋を持った。その下に朝妻の出がけに頼まれた『○○さん宅まで、今日のお昼に持って行って‥』の品物名を書いた紙があり、あっ! そうだったと思い出す。
 医師から指示された毎日4回分の飲み薬の入った紙袋なら、必ず手にとって見ると信じてたぶん忘れると予想し私が置いた結果は喜べないが大当たり。もう1時を過ぎて在宅か留守か微妙だが行くことにした。
 『こんにちは』何度も呼びかけるが返事はなく、だが玄関は開きテレビの音も聞こえている。もう諦め出直す気でその家を離れようとした時、声を聞き引き返し用件を済ませることができた。
 『年寄りの男所帯だけど‥ お茶でもどうぞ‥』この機会にと会話を期待して遠慮はしない。すぐ玄関に知人女性の声もあり3人でしばらく話しおじゃましたが、帰りの雨に傘まで借りる。
 そのおかげで桜の花を見ながら、止まって歩いてゆっくり立ち話『この前はありがとう 会えずにいたから 遅くなり‥』考えれば去年のことだ。それより同じ地区で暮らす関係、お互いを知っているので共通の話。
 あの日のあの場所だからこそ。私のひどい物忘れでの時間の遅れがくれた偶然の出会いと会話に ありがとう 。傘と桜の花にも ありがとう 。