忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

「イマジン」は語り掛ける

2017-08-31 | 共に

 【 地 軸 】 2017.8.4 地方紙1面下段コラムより

[ 普段は真っ赤なスタンドがおとといは緑に染まった。広島カープの本拠地マツダスタジアム。原爆投下から72年となる6日を前に、観客が平和と核兵器廃絶を願う緑色の紙を掲げて揺らした。ジョン・レノンの「イマジン」に合わせて。
 ▲エジプトでは、日本が支援する「エジプト日本科学技術大学」が、核問題などを学ぶ「平和学」を今秋導入するという。高度な技術を学だけでなく、それを真の幸せのためにどう使うか、国境を越えて考えたい。
 ▲図書館で「世界を平和にするためのささやかな提案」(河出書房新社)を手に取った。中学生に向けて、各界の22人が出したアイデアが新鮮。
 ▲「フマジメ」になろうと呼び掛けるのはフリーライターの永江朗さん。テロも戦争も「これが正しい道」と真面目に思い詰めて始まる。マジメからの誘惑を断ち切るためいろんな本を読んで「この道もいいけどあの道もいい」とふらふらするくらいがいいと言う。
 ▲絵本作家のヨシタケシンスケさんは「おもしろいことを考える」。傷ついた人の「何かを憎む時間」を少しでも減らせれば、次の悲しみを食い止められる。だから面白がる方法を考えて伝える。「『一見役立たなそうなこと』にしかできないことだってたくさんあるんです」。
 ▲「イマジン」は語り掛ける。想像してごらん、平和の中で生きるみんなを―。難題の解決策を、眉間にしわを寄せず、日常の中から見つけたい。]

 ( 忘却への扉 ) 広島球場がまだ原爆ドーム近くにあった頃、平和公園の資料館を最後に訪れた時だっただろうか。読み返している私のブログに、出会った若いカップルの様子が書かれていた。
 「こんな怖いの見たくない」と不機嫌な顔で戻ってくる女性、「やっと入ったばかりなのに…」とあわてて追い掛ける男性が対照的。
 当時何かで「原爆が投下されたのが公園でよかったですね」との無知な外国人の言葉も聞いたが、その程度にしか被爆地を思っていないのかと悔しかったのを思い出す。
 日本にこそ「平和学」を学ぶ必要がある。今年、マツダスタジアムで観客が平和と核兵器廃絶を願う緑色の紙を掲げて「イマジン」に合わせて揺らしたとの文、イマジンの詩や曲は好き。私も参加したかった。


残された時を大切に生きたい

2017-08-30 | 平和を

 【 追悼の言葉 】 鬼北町川上 男性( 63歳 )


 父は先の大戦では少年飛行兵8期に属し飛行機で撤退し生還した。終戦の日を迎えるたび、すざましい光景が脳裏に浮かび、失った戦友、仲間たちを思い出したと、父の残した手帳に帰してあり、この門欄にも何度か投稿していた。
 父は日頃から戦地で部下を特攻に送った悔しさを語っていた。赤紙一枚で招集され、国の扉)ために散った若者を思うと、いたたまれなかったのだろう。
 また、晩年の父は、政治に対して怒りをあらわにしていた。戦争の悲惨さを知らぬ政治家が、国家のためという美名のもと、平和憲法を改めたいとか、国民をないがしろにするような言動が目立ったためであろう。
 父の遺志に報いるためにも、私の子や孫が平和で幸せな人生を送ることのできる国をつくるために、残された時を大切に生きたいと思うのである。合唱。]
               《 こだま 読者の広場 【 へんろ道・終戦の日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 北朝鮮弾道ミサイル発射のニュースが繰り返し流される。安倍晋三政権ら日本を戦争する方向に進めたいと企んでいる人々には願ったり叶ったり。「オオカミが来るぞ」と叫んでいる。
 これら政治屋を裏で動かしている組織などを含め、どれも、戦争の悲惨を知らないことなどない。戦争は巨大利権の道具で、自分たちは守られ儲ける側。悲惨さを体感するのはあくまで一般国民だと、人権を軽んじる政治がまかり通る。


悪いことをしたら何て言うの

2017-08-29 | 共に

 【 地 軸 】 2017.8.21 地方紙1面下段コラムより

[ 【悪いことをしたら何て言うの?」「ごめんなさい」「そうだよね、気をつけようね」。夏休みも終盤、少しはしゃぎ過ぎた子が電車で叱られていた。素直な横顔がほほえましい。
 ▲かつては皆、そうしつけられたはずだが、大人はなかなか謝らない。何秒頭を下げる、などの「技術」は発達しても嫌々、形だけ。大人の謝罪は責任、つまり地位や金銭が絡む。「損得」に直結するから。
 ▲殊に訴訟大国の米国では、過失を認める「アイムソーリー(すみません)」と言ってはいけない―そんな「心得」が語られて久しい。日本でも影響されたか、事故を起こしても誤らない人が増えた。非があっても、いや非があるからこそ謝らない、では社会も人の心もすさむ。
 ▲その過ちに気付き、米国の多くの州で「Sorry Law」、通称「アイムソーリー法」が近年、制定された。主に医療過誤で、誤っても後の訴訟で不利にならないと定める。申し訳ないと思う人としての自然な感情こそが、相手も痛みや怒りを和らげる。誠実な謝罪は、信頼を取り戻す誓いの言葉。
 ▲翻って、日本の政界では、支持率が下がれば「反省する」が、約束した丁寧な説明は「記録もなく記憶もない」の繰り返し。誠実な言葉はついぞ聞かれない。子どもにはちょっと見せられない。
 ▲「首相が謝るのはなぜ?」「『アイ・アム・ソーリ』だから」。ふと、そんななぞなぞを思い出した。日本にも「謝罪法」をぜひ。]

 ( 忘却への扉 ) 「ごめんなさい」親(大人)に叱られるのが怖くて子どもたちは口にした。あのころ大人が怖かった。
 他人の子どもでも叱る大人がいた。謝る子供も、自分が悪いことをしたと分かっているから、どななれげんこつの1~2個貰っても仕方がないと、我慢した。
 理解できる原因で叱られての「ごめんなさい」は、その後気分がすっきりする。時には仲間内での自慢話にもなった。怒鳴りたたいた大人は悪くない、私たちのことを思ってのことと知っていた。
 だが、現代の日本の政治屋のように、民主主義を放棄し権力を鼻にかけ威張り、誤らず、反省しない人々に「謝罪法」を与えれば、ますます図に乗り暴走するだけ。とばっちりを受けるのはわれわれ市民。


挑発が止まらない

2017-08-28 | 平和を

 【 米追随でなく戦争回避こそ 】 伊予市 男性(6 9・無職 )

 ◇北朝鮮のミサイルによる挑発が止まらない。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が挑発すると米国のトランプ大統領も北朝鮮への軍事介入をちらつかせ応戦する。一歩間違えれば朝鮮戦争へと発展しかねない。
 ◇米国が北朝鮮に軍事介入して被害を受けるのは米国でなく日本や韓国である。安倍晋三首相はミサイル防衛に万全をと口にするが、国民の不安は日本が被害を受けることだ。北朝鮮のミサイル発射に備えて、陸上自衛隊松山駐屯地(松山市南海本町)に地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を配備するのは結構だが、それよりも朝鮮戦争が起こらないこと、そして、その戦争に日本が巻き込まれないようにすることこそ大切だ。
 ◇しかし、安倍政権の下で集団的自衛権の行使が認められており、朝鮮戦争が起きたときは日本が戦争に巻き込まれる可能性がある。安倍首相は、米国一辺倒でトランプ大統領に追随するのではなく、朝鮮戦争を回避するために万全を尽くすべきだ。]

 ( 忘却への扉 ) 北朝鮮の脅威を感じるが、それは、米国とその従属国日本の挑発によるところも多分にあるのでは。
 世界最強の軍事大国とそれに追随する安倍晋三政権。北朝鮮のミサイルを迎撃するため、愛媛県松山市の陸上自衛隊松山駐屯地にも地対空誘導弾パトリオット配備とは、要は米国を守るためで危険極まりない。
 四国電力伊方核発電所のある地に地対空誘導ミサイル配備など、どうぞ攻撃目標にわが県をと言っているようなもの。加計学園獣医学部新設問題どうよう裏を隠したまま押し通せるこの県が恥ずかしく思う。


身近な社会が

2017-08-26 | 共に

 前作、下流老人に続く【 続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 】 著者・藤田孝典 発行所・朝日新聞出版 朝日新書 2016年12月第1刷発行 2017年1月第2刷発行を読んだ。
 「死ぬ直前まで働く」社会がはじまる!! 下流老人は過労で死ぬ!? ではいま、何を選択すべきか?
[ もう、しぬまで働くしかないのか? 想像してみてほしい―ーー 「あなたが80歳のとき、本当に働けるだろうか?」 忍び寄る「一億総老後崩壊」を告発した 『下流老人』から一年半。 世界一老後が過酷な国で、 生きていくための「解決策」を示す。
 下流老人は、過労老人へ――――
       第1章 深刻化する下流老人
       第2章 生きるために、働く老後―――死ぬまで擦り減る、体と心―――
       第3章 誰もが陥る「死ぬまで働く」という生き方―――なぜ高齢者は働かざるを得ないのか――ー
       第4章 日本の老後はカネ次第―――不気味な顔を見せる格差社会―――
       第5章 下流老人を救うカネはどこにある?―――これから「財源」の話をしよう―――
       第6章 一億総下流化を防ぐ解決策―――持続可能な未来~子供世代へ―――
 たった一つの「解決策」を示す! ※本書は、ショッキングな内容を含みます (上文=帯、裏表紙より)
 
 楽しい将来の夢など全く見えず、老いるのが辛く怖くなる本ではあるが、これが事実と現実が証明している。私も下流老人を実感する。
 安倍政権以前はこれほど貧しいとは感じないで暮らしてきた。低収入で生活に豊かさはなくても、気分的にはゆとりがあった。だが、近年それさえ奪われて行くばかり。


そんなことできる時代ではなかった

2017-08-25 | 平和を

 【 「平和死守」戦後世代の務め 】 松山市 男性( 61・無職 )

 ◇戦後生まれの私には戦争の現実やその悲惨さは想像するしかない。だが、戦争で生き残った父はさまざまな十字架を背負い人生を歩み続けている。多くを語ろうとしない父とこんなやりとりをしたものだ。「悲惨な戦争を二度と繰り返してはならぬと言いながら、なぜその時、戦争反対と声を大にすることができなかったのか」と軽口を発する私に、「そんなことできる時代ではなかった。お前らにどんなに言ってもわからない」と父は眉をひそめながら言い返していた。
 ◇父は小笠原諸島の父島へ守備隊として配属された。硫黄島での玉砕後、次は自分たちの番だと覚悟したが、米軍が沖縄に上陸したので命拾いしたことなども話してくれた。そのたびに、自分が存在するのは父が戦死しなかったおかげだと、ほっと胸をなで下ろす自分がいた。
 ◇生き残ったことに負い目を感じ、その後は贖罪(しょくざい)としての人生を送る戦争体験者も少なくないだろう。「平和は戦争のための準備期間」というが、それを現実にさせないのが戦後世代の務めだと思う。
                       《 こだま 読者の広場 【 終戦の日に思う 】 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 

[「なぜその時、戦争反対と声を大にして叫ぶことができなかったのか」]わが子に説明できない悔しさが、私には分かる。戦時中に、平和や戦争反対は禁句で、今で言う「共謀罪」当時の「治安維持法」で監視社会、厳しい取り調べと罰則だけでなく命を捨てる覚悟がいること。
 隣人でも知人がそのようなことを言うのを聞けば、警察に密告しなけれが同罪だ。市民同士にスパイを強要させ冤罪を生んでも国家は平気な時代だった。
 以前も書いたが、母が私の2人の幼い兄たちを連れ暮らした貧乏長屋は、隣の声が筒抜け状態、息子に召集令状が届き別れの前夜、親子の泣き声と小声の会話を聞いた。「密告するのが義務とわかっていたが、親子の気持ちも当然、黙っていた」。他の住民がそのことを訴え出れば、親子も母も捕まったはず。誰も密告せず無事だった。
 母の話もあり、権力の犬(回し者、スパイ)には絶対ならないと誓った。まあ、母方の血筋「お人好しの頑固もん」は私も受け継ぐ。


私には夢がある

2017-08-24 | 共に

 【 地 軸 】 2017.8.17 地方紙1面下段コラムより

[ 米国の首都ワシントンから一歩離れると自然豊かな景色が広がる。以前、車で1時間ほど南下し訪れたバージニア州では雄大な山の風景に息をのんだ。名曲「カントリーロード」に登場するブルーリッジ山脈があるのも実はこの州。
 ▲国民には牧歌的な景色よりも「激戦地」として記憶されているという。英国人が入植し、黒人の奴隷が産業を支えた。150年ほど前、州政府は奴隷解放に反発。南北戦争で地元出身のリー将軍が南軍司令官となり、戦乱の舞台に。
 ▲その後、南部各地に将軍の像が建てられたが、近年は撤去の動きが広がる。将軍の顕彰は人類差別の助長につながるからとの理由を聞いて、保守的な南部で融和が進んでいることに感慨を覚えた。
 ▲だがバージニアでは今、撤去に反対する白人至上主義者がデモ行進し、これに抗議する人たちと衝突、死傷者が出る惨事に。人種を巡る対立でまた激戦地に血が流れた。
 ▲「すぐに出て行け」。州知事は白人至上主義者を批判、一喝した。ところが大統領は「現場にいた両陣営に責任がある」と言い放った。差別を容認したに等しい。自らの支持層の離反を防ぐのが狙いらしいが、社会の分断化を深めるばかりだ。
 ▲54年前の8月、ワシントンでキング牧師は人種差別の撤廃を求めて「私には夢がある」と演説した。今のホワイトハウスのあるじは夢すら持てない国に逆戻りさせたいのか。自由、平等をうたった建国の精神が泣く。]

 ( 忘却への扉 ) わが家が白黒テレビを買った頃、よく見ていたのが「西部劇」、原住民をだまし力ずくで土地を奪いわがもの顔の白人移民。悪役で殺されるのが原住民、拳銃や銃で軍隊まで使い侵略したのが英雄の白人だ。
 奴隷として売買された黒人たちの映像も普通に物語には登場した。南北戦争時の南軍制服姿の戦闘シーンも多かった。
 米国は建国時から戦争好き。奴隷解放とは言うが、その後の戦争にも、前戦の死に一番近い場所に行くのは白人よりも黒人や有色人が多数だった。
 民主主義とか人権尊重とか言っても虚構、白人至上主義は顕在、それに抗議するデモが行われる米国。だが、日本は無関心、声も上げず夢すら持たないとはあまりに心が貧し過ぎる。


戦争をする国へと方向転換

2017-08-23 | 平和を

 【 「何のための戦争」問い直す 】 松野町 男性( 81・農業 )

 ◇私の叔父は太平洋戦争末期、激戦地ブーゲンビル島(パプアニューギニア)沖で海の藻屑と消えた。父に宛てた最後のはがきに「今回、日米決戦の最前線に挑みます。万死に一生を得て帰郷することはないでしょう。育てて下さった両親に何一つ恩返しができず、この世を去ることが残念です…」と記している。
 ◇個人の尊厳という観念など全く否定された厳粛な事実を思う時、一体何のための戦争だったのか深く問い直したい。「戦争はもうしない国」として再出発して以来七十余年、曲がりなりにも今まで続いてきた、それが「戦後レジーム(戦後体制)」である。
 ◇安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正をはじめ集団的自衛権行使の容認、行使するための法整備などを着々と進めてきた。ともかく、同盟国とともに軍事行動ができるように、つまりは「戦争ができるようになる」ための方向転換である。安倍首相の主張する積極的平和主義が気掛かりである。]
                      《 こだま 読者の広場 【 終戦の日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 軍による厳しい検閲のもとでで兵士が郷里や家族に送るはがきなども、文面によっては処分され送れない時代。
 わが家にも子どもの頃、どれも検閲済みの印が押された軍の検閲逃れのきれいごとの文面だけが書かれた戦地からのはがきや絵葉書がありを見ていた。
 軍に睨まれたら痛い目にあう。同じ日本軍にいながら人権など全くない世界。投稿者の叔父が兄に宛てた最後のはがき、その軍の戦闘内容を記す文面に本当に届いたのだろうかと疑問。
 検閲担当者の、死を前にした兵士へのせめてもの思いやり…?、それとも別の戦友に託した内緒のはがきだったのかもしれない。
 


日本が負けた安心感

2017-08-22 | 平和を

 【 国民欺いた惨禍 もう二度と 】 松山市 男性( 78・無職 )

 ◇戦後72年たち、戦争体験を語れる人も少なくなった。当時6歳の私は空襲警報のサイレンが鳴るたびに学校から逃げかえり、防空壕(ごう)へ避難した。上空はB29が飛んでいて、とても怖かった。
 ◇昭和20年8月15日にラジオから玉音放送が流れると、祖父が「日本は負けた。戦争は終わった」とつぶやいた。子どもの私でも、祖父の表情には悲しみと安堵(あんど)が見て取れた。私が4歳の時、出兵した父はパプアニューギニアで戦死し、白木の箱になって帰ってきた。父との思い出はほとんどないが、父の最後を知りたくて13年前に父の眠る戦地を尋ねた。そこで収集した貝殻を今も大切にしている。
 ◇世界を巻き込んだ戦争では多くの都市が灰じんに帰し、310万人もの日本人の尊い命が失われた。いったい何のための戦争だったのだろうか。太平洋戦争は一部の軍人や政治家と国民を欺き、起こした悲劇の歴史であると思う。戦争の惨禍を教訓として二度と戦争をしてはならない。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 神風が吹き敵を壊滅させると、神国日本の現人神である天皇の力を信じさせられていた国民たち。だが、日本は無謀な戦争に敗北し占領された。
 見上げれば米軍のグラマン戦闘機の翼の星マーク、がはっきり分かる山すれすれをわがもの顔で飛ぶ。畑仕事中の祖父の「見るな!知らん顔していろ!」のおびえた声に戦争の怖さを知った。
 「占領軍の放送が入るから短波放送は聞くな」と、ソニーの携帯ラジオを子どもたちのために買った父は注意した。家の中に米軍払い下げ?を購入したのか、日本製ではない品物がいくつかあった。
 軍国主義日本につながる品も幾らであり、親族たちも満州に朝鮮、インドシナ半島各地を体験している。もう直接話は聞けないが、子どもの頃から母がよく話してくれ、私も高校卒業後は本を集めるだけでなく、体験者に積極的に話しかけ聞いてきた。
 「絶対に戦争はダメだ」と近年、敗戦前に生まれた人からよく聞く。これは日本政府の戦争への歩み方を、体験しただけにきな臭さや軍靴の響きの異常さに危険さを強く感じているからだろう。