忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

あの頃を見てる

2010-05-31 | 共に
 事故で足を傷め長期間仕事を休んでいる友人は、それならパソコンでも使えるように勉強しろと会社から指示されパソコン教室に通いエクセルとワードの基本を一通り覚えたと言う。
 必要な部分だけ本を見たりしながら自己流で、仕事のパソコンを使っていた私はエクセルもワードもきれいに忘れてしまっている。ただでさえ初心者止まりで物忘れがひどいのに、日々活用しなければ1からの再出発が毎度のことだった。
 今回友人の話を聞いたのと外出時に町のあちこちでパソコン教室を見て、少しでもとインターネット以外を開いてみたくなった。グーグルで孫たちの家に空から訪問したのをきっかけに、パソコンに入れただけのデジカメ画像を開いてみる。
 数年前の画像から見て行くと、幼い孫の指しゃぶり、昨年まではしていたのだけど最近は完全に止めたかどうかも聞きたいところ。まだ若さのわかる愛犬もいる。風景もたくさん写しているが、少し減らすかどうかで迷う。
 ずうっと同じ土地で暮らしているとこうした景色が多少は変化していてもあまり気にならないが、この風景を見て育ち外に出た人たちにとっては大切な時間の瞬間かも知れない。
 病のため高齢のため事情があってと、故郷に帰れなくなった人も画像で入っている。亡くなったことを信じさせない、どれも笑顔で写っている人を見る。笑顔をみていてじぃ~んとしながら写したあの日を思ってしまう。
 画像はその明るい表情や動作を写した数だけ時間をさかのぼりながら見せてくれる。『行きたい』と何回も言っていた橋のたもとの川魚料理の店も写る。 私も行きたくてたまらないあの場所。

画面から行く

2010-05-30 | 共に
 妻は天気予報を見るのが趣味と言っていいほど毎日何回でも見る。テレビで他の番組を楽しんでいる時でも急に『ちょっとリモコン貸して』 「さっき見たやろ、もっとしばらくして見れば次の新しい正確な情報が入るのに」
 仕事上でも遊びで出かけるにも詳しい天気予報を知るのは必要だとはわかる。だがまるで天気予報依存症、CATVと地デジいつでも幾らでも見ることができ、応援を頼んでケータイやパソコンの利用もある。
 地元だけでなく孫たちの暮らす町の天気もわかるように設定している。それもほとんど毎日欠かさず見ている。その日の天候と気温に風速などの移り変わりや週間天気を、この地方と比べたり孫たちの予定行動にかさねて想像する。誘われて私も気になり一緒に見ることもある。
 出かける予定があれば前もって知るのもいいけど、普段は孫たちの町の気象情報までは‥と思っていた。でもいつもテレ画面気にする妻の近くにいると、グーグル地図の航空写真や市のホームページで孫たちの学校や市の広報を見るだけでは物足りなさも感じる。
 つい天気予報であの町の孫たちの現在を思い浮かべる癖が私にもついた。あちらの風景と天気予報がマッチして孫たちの予定連絡が合わさり、より正確な情景が浮かんで来る。私にも天気予報依存症が伝染しつつあるのかも‥。

いい加減な言葉から

2010-05-29 | 平和を
 沖縄県外への米軍基地普天間飛行場移設の公約違反、あれほどの約束をいとも簡単に鳩山首相自らが破るとは。しかも国民沖縄県民の熱望を無視しその頭越しにオバマアメリカ大統領との電話での会話で、国民への約束を打ち壊した。
 首相の発言がその場しのぎのきれい事での言い逃れ、曖昧さに嘘が秘められていると国民は見抜き始めてはいた。5月末決着の鳩山首相腹案が、結局は官僚や前政権の思うがままアメリカ様の御希望通りにするだけのことだとは‥。
 返野古移設を発表した日米共同声明の後、内閣閣僚に署名を求めこれを拒否した社民党党首でもある福島瑞穂を罷免する。歴史を大きく変えかねない逆行した鳩山首相に怖さを感じる。
 社民党が連立政権を去ることになれば、民主党や自民党またみんなの党など古い保守新党らの思うつぼ。アメリカはもちろんのこと日本の軍事産業や自衛隊まで喜ばせ奮い立たせる憲法改正への侵攻を急ピッチにしかねない不安が増す。
 今年は戦争好きの勢力にとって、手ぐすね引いて待ちに待っていた年。日本を不幸な憲法改正へと出航させないためにも、国民が無関心であってはならない。少なくとも日本国憲法前文と憲法9条だけでも読み返し、憲法の原点を改めて知ることが自由と平和を望む国民に求められている。
 改憲や実質改憲の各党派が狙う真実の目的を知ることも重要で、なぜ彼らは現行憲法さえ守らないまま変えたいのか。国民のためにではないのは確かだと思う。国民が改憲で失うものは、家族の幸せなどどんなに多くの大切なものが含まれることか計り知れない。

3度目の正直

2010-05-28 | 日々
 今年の1回目は霧が濃く2回目は開花前で、やっと今回ツツジを見た。昨年は5月20日に見事な色の満開だった山。1516mの山頂付近を含むツツジの群生地は、異気象のためか色も薄目。
 満開から蕾までとバラバラで見頃を過ぎたのも。だけど山で出会ったバイクのおじさんとの立ち話で、最適見頃の今日に来れて良かったと決めた。

メール見た?

2010-05-27 | 日々
 『メール見た?』との電話にやっと気づく、新聞記事を読み私のためにと送ってくれていた。読んでみて私の実行しているのは、夜に目覚めても時計を見ないことだけだった。

        認知行動療法に基づく 不眠への対処法の例

        寝床で眠る以外のこと(テレビ、読書など)はしない
        眠れない時は 寝床から離れる
        就寝時間にこだわらず 眠くなったら寝床に入る
        眠れない時や夜中に目が覚めても時計を見ない
        睡眠時間にかかわらず起床時間は一定に
        眠るための努力をしすぎない

                     (中国新聞の記事から)参考にしてみて〓

 たまに昼間もあるが夜は毎日薬で眠る。それでも眠りの浅い夜はある。もう慣れて昼間はボォーッとしてるだけ。無理にでも動いていればそれだけで済むが、今日は大勢の人たちと椅子に腰掛け数時間、大半を眠気を催したまま過ごす。不眠対処方法に頭を使うよりは何も考えないで眠りたい。

なつかしいニッケイ

2010-05-26 | 追憶
 わが家の樹齢50年ほどになる肉桂(にっけい)の花が満開で、淡黄緑色の小花が木全体をこんもり包んでいる。数年前に大風が太い枝を数本折ったのも隠して見せない。
 この地方ではニッケの木と言い高さは10mはあり、葉を噛むと特有の味がする。根の細い部分を掘り出し切って乾かし、噛むと皮は刺激の味がする。ニッキ水に似た味だ。
 祖父の山岳信仰みやげを想い出す小判形に丸めたニッケの根とニッケシュ。その山の中腹で買い飲まずに我慢していたニッキ水を今夜封を開けニッケがゼロだと知った。今年こそわが家のニッケの根をかじる。

近くまで来たから

2010-05-25 | 共に
 『おとうさん、おとうさん どこ』いつもよりやさしい呼びかけに、どうしたのかと考えながら返事する。やって来ると『お客さん!早く、○○さん』自動車の音も犬の吠えるのも聞いてないのにほんとかな。
 あっ、ついさっきまで寝たりさめたり布団に入って休んでいた。起きると犬が散歩をせがむので連れて出たところだった。静かなはず右か左か上か下、見まわしていると家の角からその人が笑顔を見せる。
 じゃまになる犬は家族と共に去って行く。『久しぶりに、ちょうど近くまで来たので寄ってみた』祖父母や父母が居たまだ道路のなかった頃にはよく聞いた言葉だ。自動車を持っていたり運転できる人は村で数人の頃のこと。
 ぶらり立ち寄り祖父と盆栽や庭木を眺め煙管タバコをプカリの長話。縁台や家の板の間に腰掛けてお茶やお酒を飲みながら‥、とにかくあの頃はゆっくりと時が流れた。母の知人たちも同じ、向こうから来るこちらから行く偶然出会って立ち話。
 道路ができ車が走るようになり便利になったが、『ちょっと寄ってみた』人との再会はずいぶん久しぶりのこと。幾つも年上の人だが、お互いによく個人的な会話をしていた間柄。
 深刻な話や裏話も体験談でかなり厳しい環境に耐えた人だが、家族や知人との良い関係はたくさん聞いた。今回も笑顔での話、途中に他の車が通らないかもと知らせがあって物足りなく終わる道路の不便。でも『また寄らせてもらうから』が聞けた。

たびたび、痛ぁ~

2010-05-24 | 平和を
 口の中を噛むことがよくある。食べている時に舌や今日のようにほほの内側を噛んでしまう。もちろん痛くて血のでることもあるが、慣れか鈍くなったのか痛みが長く続かないので助かっている。
 これも今日だが、これは痛みは続いた。剪定バサミで枝を切っていて枝といっしょに手のひらを切る。作業用手袋(軍手)をはめていたので、傷口は見えないが後悔するほどの痛み。
 血で軍手が赤くなりだせば帰ろうかと剪定は止めない。しばらくするけど血は出ず痛みも軽くなってきた。あれっどうして、ようやく軍手を外すと傷がない。皮膚に小さな凹みはあるので、かなりの 圧力が加わったのは確かだ。
 剪定バサミと手の微妙な角度と軍手のおかげで切れたのは枝だけで済んだのか。傷口と血を見れなかったのがちょっと残念には思ったが、バチが当たるぞ傷が無いから言えること。
 山里暮らしに傷はつきもの、棘による引っ掻き傷や刺さるとか夜になり風呂場で気づくこともある。先日はスズメバチの巣作りを見たがこれからはハチや蚊とかムカデにマムシの季節。
 幼児の頃から遊びや失敗し、草や刃物でも自分の血と傷口を見て痛さをさんざん体験している。ケンカでのケガはさせたこともされたこともあるが子供の頃の数回だけ、自分より弱い者に対する暴力行為は辱だった。
 戦争体験の悲惨さをいくらでも見聞きできる貧乏だけど平和を喜ぶ時代があった。自分の痛みも他人の痛みも分かり合える大切さ。だが現代が物欲の妖怪に取り憑かれたかのこんな国になろうとは、心の貧しい自称権力者に人々の痛みなど無関心‥‥。

危ない私は正しいと

2010-05-23 | 共に
 本線道路をずうっと走って赤信号の三叉路手前の停止線で、方向指示機を点滅させながら停車する。前方にもこちら向きの自動車が何台もいる。脇道からの通過時間は短く早めに青色へと変わった。
 前方の自動車が動き始めるのと同時に、私の乗った車も前進し曲がろうとする。「なにしてる !!」私の声に車は止まり、その前を向こうからの自動車が次々に通過して行った。
 『あの自動車がこっちに先に曲がるよう、待っていてくれたから発進した』と運転手は見込み発車を認めない。だったらなぜ三叉路中心部で2台の車が危険接近したのか。
 事故にならなかったから言い訳もできるが事故っていれば、こちらの言い分など通らない直線車優先場所での早曲がり。どんなに急いでも数分違うかどうかの距離なのに。

 運転を忘れないためにたまに慣れた短距離だけを走る私だが、毎日仕事で運転していた時代もある。その頃でも積載オーバーは我慢したが駐車違反はできるだけ断り、速度違反は10キロまでと決め、他の違反はしないで安全運転を心掛けた。私には注意が必要だと忘れないでの運転で危険の多い職場で無事にいられた。安全に自信は油断に通じる。

分別してる

2010-05-22 | 日々
 『飴食べる』とドライブ中の助手席から後部座席に座る私に、キシリトールのど飴を1個手渡された。すぐ『袋を返して』と前から手が伸びる。車内でゴミの分別を済ませての持ち帰り予定。
 のど飴1個分の袋も集めその他道の駅などでの買い物袋、自動販売機で買った飲み物の内のアルミ缶とペットボトルも持ち帰り。小中学校のPTA等の実施する廃品回収の時期まで保管する品もある。
 だから後部座席の私の前は、ドライブの距離が長くなればゴミも増える。自動車だけでなく家庭内に倉庫や車庫どこもゴミは一応片付いてはいるが、きれいとはとても言えない。
 埃はまた別で掃除機の利用回数が少なすぎる。それとゴミと認識するかどうかはは個人の自由で判断はまちまち、ゴミ以外はあまり動かさずめったに整理整頓をしないのですっきり片付きはしない。
 山里暮らしは生ゴミを自分で処分する。近くの畑の隅をゴミ捨て場にして数日毎にほんの少しを持って行く。1㎡ほどの1カ所をずうっと使っているが山にはならず、時々猫や鳥やイノシシまで食べに来て減らしてくれる。

 市の収集車で燃えるゴミと燃えないゴミは処分場行き、ダンボールと新聞雑誌など紙類とガラス類とプラスチックと空きビンとペットボトルと空き缶は別回収品。その外地区で粗大ゴミの回収や小中学校で金属や布など含めた廃品回収がある。わが家で燃やすことはないが、畑や山で土に戻すゴミは多い。