忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

暑いなぁ

2006-06-30 | 日々
 暑さには強い方だと思っていたが、やっぱり人並みに暑いと感じ始めた。数日前まで厚めの上着を、朝晩だけでも着ていたのだ。
 バイクに乗っている時、昨日の朝までは寒さを少し感じていた。夜にも再度出る用事があったが、もう大丈夫だと夏物に替えた。
 明日は雨になるのか、かなり蒸し暑い。昼間の軒下の温度計で29度、ある部屋だと33度で暑いはずだと思っていたら、倉庫が仕事場の知人から36度あったと聞かされた。
 勝った負けたの数字ではないが、冷房無しの窓を開けての温度とは厳し過ぎるのでは。まだ真夏じゃないだろう?と言いたくなる。
 選ぶわけにはいかないが、こんな日は外の方が好きだ。風が吹いたりバイクで走る時、木々のやさしい揺れを見ると心地よさとホッとした気分になれる。
 陽の当たる場所でも、じっとしているより身体を動かしていたほうが、暑さの程度を低めに感じられる夏だ。

先祖の名字

2006-06-29 | 追憶
 合併後の新しい電話帳を捲っていると家と同じ名字が、もちろん一緒に並んでいた。遠い親戚だと聞いている。今は会う機会もないが、気分としては身近に感じる。
 祖父は家に後から入ったのだが、祖父母の実家の繋がりさえ辿ることができなくなった。子供の頃には連れられて親戚に行ったが、はっきりした関係の記憶は残っていない。
 伯父伯母家族などは近くて気にしているが、その他の親戚となると身近さは感じても、お互い普段は軽い付き合いだ。
 それでも昔の血縁から、遺産や土地の放棄の話があったりした。土地など祖父からも聞いたことのない、名字も違う人からの話で驚いたが親しみは湧いた。
 古い地域の出来事で文書として残っていないが、同じ名字には関心を持つ。それもずっと遠い昔を想う。
 祖父の名字も、明治になって付けたものだろう。たがその地区に残る伝承からも、遠い昔から言い継がれて来た係りはある名字だと思う。
 昔が侍であるかないかなど関心はないが、でも確かに遠くに何かで繋がっているという夢はある。母のは長女が同じで近さもあるが、祖父の氏名だと戦国時代の海の向こうへの想像も無理ではない。

用はないけど

2006-06-28 | 日々
 梅雨の午後買い物から帰り、のんびりしていると電話が鳴った。こっちの家には一人だけ、こんな時間に誰からだろう。苦手だが出ないわけにはいかない。
 長女からの電話でホッとする。「別に用はないけど、暇だから」が最初のことば、そんな会話の方が私も好きだ。
 孫のこともたっぷり聞けた。井戸端会議とは、こんな話しをするんだろうなという会話が続く。声を聞けるだけなのに、そばにいる気分になって話している。
 途中で長電話になっているのに気が付くと、相手の電話料も気になってくる。その後しばらく追加して、ありがとうと電話を切った。
 数日後こんどは夜にかかったが、その時も妻は外出中。私は帰ってすぐで、夕食の準備をしてもらい食べ始めたところだった。
 宅配便が届いたお礼と「用はないんだけど」しばらく話すが、せっかくの丼もんも冷えていく。孫を電話に出そうかと言ってはくれたが、遠慮した。やっぱりほんとは話したい。用はなくても、気軽に話たいとは思っている。

抱きしめて

2006-06-27 | 共に
【やさしさを抱きしめて】著者・岡本千春 発行・文芸社 白い薄地のスカートとサンダル履きで一人歩いている女性の、腰から下の後ろ姿。爪先から踵にかけて前方に緑の山並み。それから上は夏の白く柔らかな曇の広がりの写る表紙。
 [バツいちの出戻り女監督が率いる個性豊かな少年野球チームの活躍を描いた「がんばれ!双岩スポーツ少年団」、戦後間もなく小さな港町にバレエ芸術を根づかせた女性の奇跡を描いた「みかんと魚とバレリーナ」、児童養護施設で働いていた保母と、かつてそこで暮らしていた少女の再会から蘇る切ない思いが綴られた「やさしさを抱きしめて」の3作品収録]
 何度か本屋で表紙を見て、印象には残っていた。縁あって来てその地に暮らすようになった著者が、身近な地域を舞台に書いた作品。
 書いてみたいと思っても、本にするのは大変だろう。こちらも発行された本に会える機会は少ない。新聞などで知り、取り寄せることもあるが、偶然の出会いの方がうれしさも深く残る。

てっぺんかけたか

2006-06-26 | 日々
 この最近ほととぎす(不如帰)の 鳴き声をよく聞くとは思っていた。だが今夜のように甲高くこれほどはっきり聞いたことはなかった。
 いつもは遠くから届く鳴き声も、良い響きで好き。でもその夜は我が家の庭の木にでもいるのだろうか。!!てっぺんかけたか!!てっぺんかけたか!!てっぺんかけたか!!驚くほど大きい声だ。
 カッコウ目カッコウ科だが小形の鳥だというけど、子供の頃から鳴き声だけで、鳥の姿を知らないことに気づく。声からだとワシやタカを想像する強烈さがある。
 外に出た私のせいか、鳴き声は止んだ。代わりに聞こえるのはコウロギの声。人の歩く気配に静かになっていないふり。
 そんな時遠くで不如帰の柔らかい、てっぺんかけたの声を数回聞いた。祖父母や母、兄弟一緒の山仕事の思い出にも繋がる声でもある。

イモリ家の客

2006-06-25 | 日々
 朝一番に外に出た時、深いタンクの中で水浴びしているのを見つけた。この程度の大きさのカエルに出会うことは何年ぶりだろう。
 イモリの住み家のお客さん、ハスの葉に前足と大きな顔を乗せて浮かんでいる。なんとなく可愛くて、一日何度も見に行った。
 夕方いっしょに記念写真を撮った。タンクに戻したが深くてカエルが自分で外へ出ることは無理だ。水を入れ足し、自力での外出を可能にする。
 しばらくして見に行くと、タンクの縁にじっと座っていた。淋しいけれど自由がよいだろう。気が向いたらまたおいで。
 妻にカエルを入れたと言われたが、来たのはカエルの意志なのだ。私が連れて帰ったのは無口なイモリだけ。

雨漏りと遊ぶ

2006-06-24 | 追憶
 梅雨らしい雨だと喜んでよいのだろか、降り過ぎると危ない。山や外に関係する仕事だと、降っても降らなくても気になってしまう。
 子供のころは雨降りを楽しんでいたように想う。小さい長靴を履いたかどうかも忘れた、裸足が平気だった頃のことだ。竹の柄で骨組みに紙を貼った雨傘は、重くて破れたりしたが少々なら修理したのを使っていた。天から落ちて来て開いた傘を叩く雨音や、傘の匂いが好きだった。
 音と言えば変わり者かも知れないが、雨漏りの音も好き。雨が降り続くと古い家はどこかで雨漏りがした。
 初めの頃は祖父母らに教えられた場所に、洗面器とか古鍋を置いた。慣れると場所を探すようになる。音や雫の跳ね具合で容器を取り替えたり移動させる。
 大人には天井からの水滴は心配の種だろうが、子供にとっては興味の種だ。雨水が溜まってくると、水紋も大きくなる。こぼさないように家から持ち出し外に撒く挑戦もできた。。

人よりも旗

2006-06-23 | 共に
 定期発行されている人権・同和教育に関する県の会報を毎回読んでいる。地域で行われる人権教育などにも関心はある。
 仏作って魂入れずと言うのかどうか、本気とか純粋さを感じる人に会うことは滅多にない。もちろん全てではないが公的役職など上の上手に人権を語る人から、人間としての矛盾を見せられることはよくある。
 これも人権だが強制はしないはずの君が代や日の丸に関することでも、ある県の市議会で教育委員長が「はらわたが煮えくり反る」と市立小中学で入学・卒業式の君が代に起立をしなかった来賓や保護者を批判したとの記事を読んだ。市教育委員会は人数や氏名の調査を検討しているとも。
 愛国心教育の本音を見た気がする。問題なのは声や布や形式ではない、人の命や心の尊重のはず。老後の不安を聞くことも多くなった。人権が軽くなり、片寄った自由の新しい差別が復活し始めてきたのではと感じている。

帰れないのか

2006-06-22 | 日々
 家に着いて犬小屋の前を通るが、犬の姿が見えない。散歩に行っているのかと思いながら玄関を入りかけると、電話を渡される。東京いる友人からで、外で長電話を続けた。
 中に入ってから、我が家で一番遠い山で犬が逃げたと知った。昼間なら遊んで戻る距離ではあるが、外は暗くなっている。そこから自分で帰ったことはない。
 もしかして逃げる前の場所で待っている可能性もある。放っておくのも気になり手分けして探しに出る。私は家の近くで連絡を待ち、犬を呼びながら山へ上っていく車のライトを追っていた。
 山に着いたのが分かる。少しして携帯に犬の息遣いが入ってきた。やっぱり信じて待っていたのだ。家に帰って挨拶に来たが、喜べず叱れず心配さすなよとも言えないまま少しだけ触ってやった。

途中の冗談

2006-06-21 | 日々
 帰宅途中にある車庫から、車がバックして出ようとしている。急ぐこともないのでバイクを手前で一時停車させた。
 運転者が笑顔を見せて車が行った後、バイクを少し動かし始めた。「遅いじゃないか?」と横の家の人から声をかけてもらう。気付かなかったが庭木の手入れの最中だ。
 いつも挨拶しながら走り抜けるだけで、話をする機会はない。もう八十はかなり越えているはずだが、子供の頃にはご夫婦からよく声も掛けてもらった。
 軽い冗談が上手な、優しい笑顔を持った人。家の周りに花や盆栽も育ち、見ながら通るのが楽しみでもある。
 冗談の通じる人だと分かっていても、機会の無さと歳の差もあり話すことなど諦めていた。言葉をもらったお返しに、私も軽く冗談を投げてみた。ニヤリとした笑いは見れたが、彼の年期の入った冗談には叶わない。たかか冗談だけど気持ちの交わりを無視はできない。