忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

涙の断念

2019-02-28 | 画像
 西日本豪雨の災害時ボランティアにかけつけ汗を流す姿がよく報道された尾畠さん。歩いて大分?までの行動までも、テレビ番組は追いかけた。尾畠さんの行く先々を待ちかまえ、人集り行列、渋滞…警察の注意を受ける事態に続行困難と中途断念を決断する。
 興味本位?の追っかけテレビ、1日数㎞と、距離を進められなかったのは誰のせい。じゃまする?より、ボランティアに参加するとか、救援物資や資金援助などテレビ局も個人もやれることはいくらでもあるはずたがと…。

春の声

2019-02-27 | 画像
 微妙に上下しながらではあるが少しずつ気温は暖かくなってきているようだ。ここ1週間ばかりの間に、2度ウグイスの声を聞いた。立たなければ景色も見えないベッド生活、季節の移ろいを…ウグイスの声で知る。

そんなの見てっ

2019-02-26 | 画像
 「朝鮮があんなに問題報道されてる中、韓国ドラマなんか見て!」。体を拭くのは夜11時を過ぎてから、丁度韓国ドラマのある時間帯でテレビを見ながら時を待つ。叱られるのはよくあるが、朝鮮問題を聞くのははじめて、安倍政権忖度?報道の受け売りなのは明らか。
 韓流ドラマは彼女が大先輩、私はまだ夢中ではない。軍国主義大日本帝国による朝鮮半島支配統治も記憶に残る。近くの人の祖父は朝鮮で土地を奪い大地主、底価で働かせぼろ儲けしたのが自慢?だった。侵略地朝鮮と人を見下し、差別するのは敗戦後も同じ、大人を真似し子供たちも差別視していた?。日本復旧には朝鮮人労働者の力があったことも知っている。

逃げるが勝ちでも

2019-02-25 | 画像
 逃げたミミズクを何日ニュースに、他にあるだろうにと思う。ミミズクかフクロウかは不明だが、小学生の頃学校旧校舎裏村を流れる川近くに手作りの鳥小屋があり、フクロウがいた。餌は蛙やネズミを子どもたちが持って来た。当時ネズミは多くいて、天井裏を走り飼い猫は手柄自慢に捕まえた鼠を飼い主に見せつけた。
 あのフクロウ小屋の前で同じの仲間たちとけんかとなり、ゴツンと殴り追いかけられ家まで懸命に逃げた。「あの時は早かったな」と後々まで、ほめ言葉。

どこまで ゴマすり?!

2019-02-23 | 画像
 [ノーベル平和賞=国際平和、人命・人権擁護、環境保護などについて功績のあった人または団体に贈られる賞]。
 米国の働きかけも?とはいえ、安倍首相は勝手に日本代表と?トランプ米大統領のノーベル平和賞を推薦した。核廃絶反対仲間、非常事態宣言 メキシコ国境に壁、エルサレムと世界に紛争・戦争の種をまき散らす米国トランプ米国大統領とゴマすり?首相、米兵器まとめ買い、候補・推薦、どちらも平和賞にはふさわしくない。安倍長期政権の弊害の多さ。ドラマの台詞に「本物のリーダーは考えて考えて考えて考える人なんですよね」?リーダーのいない国。誰か推薦したのか、昔日本に平和賞を受賞した首相のよく知る総理がいたが、当時の選考委員はそのミスを自己反省していた。

長生きの差

2019-02-22 | 画像
 知人のお母さんが亡くなったことを知る。お父さんは90歳を過ぎて、もう10年ほど前に亡くなっていて、ご両親揃って長生きということ。知人と同年齢だが私の父母は60歳代で私の20代の頃旅立った。
 双方は出会い会話を交わした時代もあった??。姉弟家族揃って見送くれた知人の歳と感情はどんなものなのだろうか…。

くしゃみ注意

2019-02-21 | 画像
 病院と聞けばインフルエンザ、マスクを見てもそう。でもここ数日、昼間の午後はエアコンを切るようにと指示され守っている。一昨日は中予の梅園の梅祭り、各地で桜の開花便りもニュースに。
 室内温度(暖房有り)が19〜20℃の時間も、ほとんど布団の中でみの虫状態だが、抜け出せば寒さを感じ、今朝もくしゃみをしそうになり、刺激を避けるため我慢するのに苦労した。「ハーックション!!」わざとらしい大げさなくしゃみのできる人がうらやましい。

かえなかったと

2019-02-20 | 画像
 ベッド生活の多い日々、テレビコマーシャルも数多く見せられる。女性用かつら(部分かつら)CMを見るたび、あの時にと悔やむ。町の道路を走っていて、「そこの美容院に停めて」と指さされた。だが、店を通り過ぎていたのと毎回通る場所でもあり「また次に」と先に。
 がん治療で頭髪は抜けかつら使用を知り、次の機会に美容院前に停車した。だが、「もういいの」と入店を拒否? あの店の前を通るだび、かつらCMを見るたびに悔やみを繰り返す。

あの人も

2019-02-19 | 画像
 がん発症のニュースが続く。白血病に舌がん私の知人にも治療中?や亡くなった人がいて気になった。いま過去の日々を読み返していて、ちょうど私の大切の人と近くですごした月日を振り返っていた。
 がん発症を知り生きる日々の重圧?! その気持ちを日記に、言葉にすることはなかったが本人からのコメントにあらためて感じ、こんなに早期から…と悔やみ。逝った会えない人を思い出す時間。