忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

やせていて

2005-04-30 | 日々
 昨夜は、頼まれて人の自動車に乗り帰ってきた。倉庫の壁いっぱいに付けて止め、ドアをロックし助手席側から降りた。
 朝になり早出のため急いで車に乗ろうとして、ドアに鍵穴が無いことに気付いた。運転席側から入るしかない。さあどうしようか。
 わずかに開いた壁側のドアの隙間からなんとか手を入れ窓を開けることができて、やっとのことで身体をねじ込んだ。笑い話にもならない。
 あと少し私が太っていたら入れなかっただろう。昼前にも狭い場所で作業をすることがあった。やせているからできたこともけっこうある
 いつもやせ気味で、10キロ以上太っても肥満にもならないが、時に四十キロ台にやせることもある。大学の献体の会に入っているのだが、人体解剖のためにはもう少し太っていた方が扱いやすいかとは思ってもやせのままだ。
 



まんまよー

2005-04-29 | 共に
 内孫の次女をおんぶして出かける途中、母は倒れた。母は孫たちの誕生をとても喜び、世話ができるのを楽しんでいた。
 私も病院に寝泊まりして付き添ったが、入院は長期化し幼い子供たちが情緒不安定になったり病状の変化もなくなったことから自宅療養を選択した。
 食事の用意ができると、次女と一緒に持って行った。隠居に入ると次女はいつも「ばあちゃん、まんまよー」と明るい声で呼びかけた。母のあの時のうれしそうな笑顔が忘れられない。
 恥ずかしそうに覗いていた長女は、介護関係の仕事をしている。次女は育児に追われている。隠居は祖母を見ていない長男の住処となっている。母はいないが今でも隠居に入ると、幼い次女の「ばあちゃん、まんまよー」の声が聞こえそうな気がする。
 

となり町戦争

2005-04-28 | 平和を
 第17回小説すばる新人賞受賞作だからではなく[となり町戦争]の書名に惹かれて買ってみたのだが、著者三崎亜記さんの年齢からしてゲーム感覚での話かと誤解していた。これほどまでに引き込まれる、身近な戦争が詰まっている本とは驚きだった。

 [ある日届いた「となり町」との戦争の知らせ。僕は町役場から敵地偵察を任じられた。だが音も光も気配も感じられず、戦時下の実感を持てないまま。それで戦争は着実に進んでいた―――。シュールかつ繊細に、「私たち」が本当に戦争を否定できるか問う衝撃作。]と帯にある。

 大日本帝国が始めた侵略戦争の敗戦後の生まれだが、まだ身近に戦前や戦中を感じさすものを多く残していた。体験者が殆どの時代から疑似体験で戦争の不安を引き摺っている身としても、リアルさを感じた。
 現実にも他人事では逃れられない戦争への危機は、市民の無関心に乗じて着実に進行しているのだ。平和崩壊への予兆を感じる。

木の上で

2005-04-27 | 日々
 一本の木に登って何時間かいた。あんなに木の上にいたのは久しぶりだった。山桜の木が大きくなり周囲に迷惑をかけていたのだが、もう一回花を咲かせてからと切るのを先送りしていた。
 家から遠いし近くまで行っても木々に遮られて、もう長いことその桜の花を見ていなかった。歩いて山へ行く頃には、毎年花を楽しみにしていたのに。
 思っていたより育っていた。枝のほとんどを隣りの果樹園と横の道まで伸ばしていた。残念だが枯れてもしかたないと伐採を決断した。
 青葉のあちこちに小さな実がなっているのを見て、最後の花を想像するだけ。地上から5・6メートルのところ迄登って、手ノコで切り始める。木の高さは10メートル近くある。
 近くで木を切っていた人たちが仕事を済ませ、「それはかなり難しい。切ってやろうか」と声をかけてもらう。ありがたいことだし、プロの人もいて頼もうかとも思ったが自分でやりたくて断わった。
 思い出の桜だ家族の手で切り、かたづけたかった。ほんとは高所恐怖症気味なので、無事地上に降りれてほっとした。桜の木とそのほかへありがとう。
 
 

気疲れ

2005-04-26 | 共に
 「あぁ疲れた」表情からして疲労困憊といった様子で、いつもの笑顔は消えている。仕事もこなせ体力にも自身がありそうな人が、柄にもなく弱気なことば。
 同じ立場の関係なのだが、一緒に仕事をしている年上の相手から聞く話に気疲れをしているようだ。大声を出したり怒鳴ったりするわけではなく、どちらかといえばことばも丁寧でなんでもできる人なのに、それほどまでに疲れさせるるとは。
 他の人からもよく聞くことではある。あれがなければみんなに尊敬されるのにと、噂された。周囲の人を疲れさせるもったいない人、はたして本人はそう思われていることを知っているのだろうか.
 数日後に[疲れさせた人]に出会い話ができた。その中で[疲れた人]のことも話題になった。本人は好感を持っている相手までも、疲れさせていることに気付いていない。
 言っておこうかとも考えたが、他の話に移り忘れてしまった。気分的疲れのほうが、疲労の回復に時間がかかると思うが、その後[疲れた人]にも笑顔が戻った。
 

大当たり!?

2005-04-25 | 日々
 朝、時間待ちの街角で、自販機にお金を入れボタンを押した。取りだし口を開けると4本あった。全部同じに温かく、今出たばかりとわかる。
 一瞬もらっておこうかとも思ったが、店の中へ声をかけた。奥の部屋から店主が出てきて、この自販機にはよくあるのだとこぼしながら試してみるが何度やっても多く出る。あの様子ではかなり持って行かれているようだ。
 以前別の自販機で数十本が出てきたこともあったが、その時は電話をかけてまで教えてしまった。めったにない大当たりを素直に信じられず、受け入れられない損な性格?
 たまの一本で十分で健康のためにも缶もの飲料は控えているのだが、あんな場合誰も見ていないだけに自分が試されているようでの痩せ我慢だろうか。どちらが本音かわからない。大当たりはいつも夢のまま。
 
 
 

信じられれるか

2005-04-24 | 平和を
 【首相「反省とおわび」歴史認識村山談話を踏襲】ジャカルタでのアジア・アフリカ会議での日本の首相の演説への新聞見出し。
 つづいて【過去の植民地支配と侵略に対する「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明、日本が今後も「平和国家」として歩んでいく姿勢を強調した。】とあった。
 ことばを軽く使っているような気がして、同じ国民でありながらどこか後ろめたさを拭えなかった。世界へ向けてもそうなのか。
 現在の日本国民に、過去の植民地支配や侵略に対するどれほどの認識があり、どんな痛切な反省と心からのおわびの気持ちがあるというのだろう。
 イラク戦争にも自衛隊を送り、国旗や国家・教科書問題、首相まで靖国参拝に固執、そして憲法までも変えようとしている日本。過去に侵略戦争で多大な犠牲を強いた日本の反省とはどれほどのものなのだろう。大戦では同じ側にいたドイツとはかなり異なっている。

沢蟹の散歩

2005-04-23 | 日々
事務所の奥で、床を歩いている赤い沢蟹を見つけた。そんな季節になったのかと、そっと摘み上げた。川から離れた家の中、好奇心は満足できただろうが、かなり危険な散歩に気付いているのか。
いつものように川放ってやる。水の中に沈んだまま動かず、ゆっくりと流れて行く。気絶しているのか死んだのかと気になり眺めていると、川底の石に引っ掛かり止まった。
 足が動き生きていると確認できた。記念写真を撮ってやろうとカメラを向けると、元気に、救助者の私を威嚇した。
 いままでに何匹の蟹を川に帰しただろうか。でも死んだ姿を見ることの方がずっと多い。なんでこんな所までやってきたのかと、可哀相になる。
 先日も使われなくなっていた金庫を処分しようと開けたら、中に乾いた沢蟹が入っていた。雨の時季になるとやってくる沢蟹も増える。川で遊べよと声かけてやりたい。

おやすみなさい

2005-04-22 | 追憶
 何才の頃だったのだろうか。中学生にはなっていたと思うのだが、これからは父母に寝る前のお休みの挨拶をしようと考えた。ふと言ってみたくなったのである。
 「行ってきます」や「ただいま」は言っていたのだが、その他の家族間の挨拶習慣はあまりなかったように思う。言葉は交わしていても、はっきりした挨拶言葉ではなかったということだ。
 いざ言おうとしたら、これがなかなか言葉にできない。母家に風呂は無く、別棟に寝起きしている父母の部屋の前を通って所に風呂場があった。
 その帰りが言うチャンスと考え、明るくは無い電灯の灯りが写る障子戸の外で声に出せないまま「おやすみなさい」を言う練習?を何日か続けた。
 緊張の中初めて言えた時、父母の自然な「おやすみ」の声が返って来た。それまでも毎晩挨拶をかわしていたかのような声に、言って良かったとほっとした。
 
 

卵一個分

2005-04-21 | 日々
 初めてのお出かけで、定期検診に行って来た赤ちゃん。まあ順調に育っているようで一安心だ。孫だとよけい気になってしまう。
 あちらのおじいちゃんからのプレゼントのチャイルドシートを前夜オジサンに取りつけてもらったので、初試乗もできた。なれないことが多かったせいか、母子ともにお疲れになったようだ。
 3Kgなかった体重も、平均すると一日に卵一個分ほどずつ増えている。どうりで重く感じるはずだ。このおじいちゃんもダッコが上手になる前に、それまで体力が堪えられるかが心配になる。
 
 今日初めて数軒の家でこいのぼりが泳いでいるのを見た。町で暮らすことになる孫は、こいのぼりの準備はしていない。場所のこともありいらないとのことだが、少々淋しくもある。我が家の庭に、先輩孫に買った小さなこいのぼりと吹流し飾り祝っている。