忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

一人じゃ

2005-02-28 | 共に
 最近見かける事が無かった近所の人が、前を歩いていたので「お久しぶり」と声をかけた。誰だったか?と覚えていないふうに、名乗ると分かってもらえた。
 堰を切ったように、早口で話が出てくる。八十三歳になった。一人暮しは淋しいものだと。話し相手もなく何もしないで、ただ部屋で座っているだけの毎日の繰り返しは辛い・・。誰かがそばに居るからやる気も起きる。とあれほど道具も揃え熱中した趣味も止めてしまっていた。
 近くに住む子供が毎日来ているし、元来明るい人だから口で言うほど辛そうにも思えない。通りかかった顔見知りと三人しばらく話したら、さっぱりした様子でじゃあ買物があるからと歩いて行った。

 時に口喧嘩くらいしてもいい、そばに話しのできる相手が居る間をだいじにと。一人じゃないと感じれることの幸せ。そんなことを教えてもらったよう。歳をとる重さ。

伴わない

2005-02-27 | 共に
 人権・同和の分科会に出席した。会場入口で長靴を脱いでいた。作業着も雨に濡れている。後ろから挨拶され、こちらも返す。すっきりした身形の人だった。
 先に入って受付に近づき、見知った人に声をかけようとした。すると年輩のその人は、急に身を屈め私の横を擦り抜けると、後から来る先程の人に丁寧な口調で挨拶をした。まるで私が見えていないかのように。
 会が始まり、その中でも挨拶に関る話しが何度も出てきた。私も話そうと思っていたことがあったのだが、先刻の態度がどうも引っ掛かり話す気を失っていた。
 会の後半の助言者の自己紹介で入口での人が県からの人と知り、受付での対応の訳がわかった。でも会の主旨からいっても納得はできない。
 違和感を持ち続けていた会だったが、助言者の『頭では理解しているが、行動が伴っていない』『気づきから行動へ』などの話を聞き心が氷解した。私の言いたかったことも、他の人に話してもらえた。入口の出会いのおかげで良い結果となった。母の口癖「人のふり見て我がふり直せ」を忘れないことだ。
  

キャシャーン

2005-02-26 | 平和を
 こちらに来る予定についての電話があった。次女の声を聞くと、タツノコプロの名作『新造人間・キャシャーン』が想い浮かぶ。
 丁度あの子が生まれた当時の人気アニメだった。強大な力を持ち過ぎた者の驕りが、世界を恐怖で蹂躙しようとする。人間が作り出したロボットの反逆とそれへの抵抗という形で、社会を風刺し未来を予見した。公害問題等をぶつけた社会派アニメでもあった。
 私も欠かさず見ていた。二人目の子供に、これしかないとキャシャーンの幼なじみの名前をもらった。しばらく身近で不評の声も聞いたが、いまではよく見かける名前となった。
 結婚式に使えたらと、キャシャーンたちの絵柄の入った大きなビニールのプールを隠しておいた。キャシャーンの歌は私のテーマソングのように口ずさんでいたが、式で歌うためには正確にと覚え直した。二つともお蔵入りで終ったが、キャシャーンたちとあの子に対する想いは重なる。

また抜けた

2005-02-25 | 日々
 ずっと気を付けていたのに、ぎっくり腰になってしまった。朝一番、急遽他の人に代って行った場所で、最初の荷を動かそうとした時だ。
 つい先程の気忙しい言葉を思い出したとたんジカッ!と来た。物を持ち上げるときは、腰を落とし気持ちを集中して不自然な姿勢にならないようにと注意していたのに。一瞬の油断で痛い目にあう。
 その仕事は一人でなんとか片づけたが、こんな時に限って力仕事が回ってくる。ゆっくり横になって安静になどするつもりは無い。
 要領は分かっているので、できるだけ無理をかけないように工夫して身体を使う。でも痛みは次第に強くなり、人にも甘えて助けてもらった。
 今回の特徴の一つは立っていてたいした痛みもない状態で、ちょっとしたことで突然に痛みが走りガクッと腰が抜けたようになるのだ。
 くしゃみと笑いに瞬間反応するので困った。痛みの数で、私もけっこう笑っていることが分かる。家に帰ったら、くしゃみだけ気を付けたらいいので気楽である。長引かないように、今回は早めに治療も受けた。

布団の中

2005-02-24 | 追憶
 また最近、時折だが布団に入って本を読むことがある。昔と言っても良いほど、長らく中断していた習慣だがいいものだ。
 あの頃は、何時間でも読めたのだが、今は慣れないせいもあるのか三十分余が限界だ。目の疲れと背中や首が痛くなる。それとベットは窮屈だ。
 畳に布団が合っている。一人先に布団に入る。枕元には専用の電気スタンドと自作の書見台、そして何時も数冊の本があった。
 文学書などの大作を一気に読むのはキツイので、その他の本を間に入れていつも2・3冊を読み進めていた。一晩で読んで終う本もあれば、中には数ヶ月もかかる読了もあった。
 読み止めて電気を消すのが遅くなりがちだった。あの探求心や体力が今は無い。読める時に読んでおくべきと気付くのが遅い。
 万年床の枕元に積まれた本。新たな本を先に読むので、後回しにされた本はいつまでもそのまま。ある時本と畳にシロアリがわいているのを見つけた。ベットに代える切っ掛けともなる事件だった。

大声に

2005-02-23 | 共に
 青年時代に、高齢や耳の遠い人と仕事をすることが長く続いた。伝えるために大きな声で話していたら、何時の間にか普段の声も大きくなっていた。
 それ以前は小さな声でも聞こえる人がほとんどで、大きい声の必要はめったに無かった。子供同士遊んでいる時か、山仕事中の母や祖父母の居場所確認に使ったくらいだ。
 あの頃、私のことばがみんなに届いていたのかと、今になって気になる。テレビの無い時代だ。自然の中での会話がほとんどだったから、いま考えるより大きめで話していたのかも知れない。会話をお互い大事にしていた。

 歳を取ると能力も反応も鈍くなってくる。小さい声や早口が、聞き取れないことがある。言葉が理解できなかったり、忘れたりもある。わからなくて聞き返すと煩わしそう。
 分からないままなることもある。少し大きな声でゆっくりとか、相手によって声の出し方を変える気配りがあったらと思う。これからも相手に伝わる声や話し方を意識したい。ただ声が大きくなって不便なこともある。内緒話しに無理を感じるのだ。
 

ひとり芝居

2005-02-22 | 平和を
 1928年大阪生まれ。新家英子さんのひとり芝居『身世打鈴』。早く席に座れ、間近で身の上話という意味のこの芝居を観ることができた。
 演技であることを忘れてしまうほどに、強く心を打たれる。廃品回収で生活する在日朝鮮人の老女の語りを通して、故郷・生き様・侵略・家族・別れ・南北・差別・・。
 白いチマ・チョゴリを着ている。時に歌い踊る。歌は朝鮮のことばだ。朝鮮半島の人々には日本に国と言葉まで奪われていた過去がある。
 休憩も取らず一時間半余の舞台を演じる女優が大きく見えた。上演回数は2000回間近だという。一番の隣国である朝鮮・韓国のこんな事実を忘れてはいけない。
 朝鮮戦争の時には、屑鉄が値上がりし、クズ屋も儲かった。・・仲間のおじいさんがな「この屑鉄がな、鉄砲のタマになって朝鮮へ行って同胞を殺すんや」て、泣きながら話しよった。・・戦争はアカン、アカン、アカン。
 よくお世話になった古鉄屋の在日朝鮮人のおじさんの姿を思い出した。彼も数年前、子供のいる大阪で亡くなったとか聞いた。
 

柔らかい白

2005-02-21 | 日々
 えっ、ほんとに。朝玄関の戸を開け驚いた。何時の間にか、まさかの雪が積もっていた。数センチの積雪で、道路には雪がないのでホットする。
 景色が柔らかそうな白で被われていた。通り道の畑一面黄色に満開を続けていた菜の花も、今朝は雪の下に隠れていた。
 他の地域ではチェーンが要った所もあったと聞いた。積まれたままの融雪剤がじゃまだと思い始めていたが、まだ片づけるのは早いと教えてくれた。
 枝の雪を払ってみた。綿帽子とも形容され柔らかそうに見えても、やっぱり寒い。孫に笑われそうだ。私にも冬が楽しい時代もあった。いまは寒さが大の苦手、一日身体を固くして過ごした。明朝も寒いと予報。雪は?

飲まないと

2005-02-20 | 日々
 もう酒は飲みたくない。結局は酒が主となる定例の集まりに行く。普段からアルコールは控えている。もうたっぷり飲んだから、できるだけ休肝日を連続させたいのだ。
 嫌いじゃないから、飲み会が怖い。出なけばいいのだが、欠席できないものもある。飲まないからと、宣言しながら席に着く。
 でも親しすぎてか、分かってもらえない人がいる。『駆け付け三杯。飲んだら治る』と注ぎ上手なのが困る。こちらはいつでも断り下手。
 口を付けたら最初は注がれてそのうち手酌で、かなり加減はしているが満足手前まで飲んでしまう。帰り下手でもあり、つい遅くなる。

 もう酒は飲みたくない気分。その後、数日。数ヶ月。酒を休むことになる不安。一年近く飲まなかったこともある。飲みたい時に少し飲める状態の身体を維持していたいから、[アルコールを与えないで下さい。] 酒の無理強いも暴力だと思うことがある。とか言ってもまた飲むのだろうなァ。
 
 

透明人間

2005-02-19 | 共に
 町のお祭りと銘打った会場に出かける。大勢の人人。来場者に振る舞い酒等あちこちで見かけたが、一度も奨められない。 
 中にはかなり酒が入っている人もいる。二階でも貰って来たからと並べていたが、声は掛からない。まるでその人たちからは、私が見えていないかのよう。
 運転するので酒は飲まないし欲しくもないが、みんないっしょで祭りではないだろうか。私に限らず知らない人にはあまり声をかけないようだ。
 仲間内や知り人の範囲でだけ盛りあがる。これも地域性かも知れないと納得して、透明人間気分を楽しむことにした。それでも私が見える人たちにも会えて、話もできた。

 小さな部屋の片隅の値札の付いた品を買おうとしたら、店の人も見えずこれには困った。暫らく待ったが駄目で、他の担当?の人にも聞く。『分からない。事務所で聞いたら?』その後、無事買えた。同じ部屋に居たのだった。やはり人間、透明よりお互い見えている方がいい。