忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

トタン屋根だ

2006-12-31 | 日々
 もう今年も半日を残していない時間。珍しく晴天の川沿いの道路を走り、屋根付き橋のある町へと出かける。子供が孫を連れての帰郷中、私の席は珍しく後部座席。
 席が変わるだけでよく来る場所だが、いつもと気分が違って見える景色も違っている。あれっ、トタン屋根の家がこんなにあったのか。
 眼下の川向こうに、数軒のトタン屋根の大きな住宅を見た。その形から藁葺きをトタンで覆った家だとわかる。
 広い土間とかまどに囲炉裏の暖かさを想い出させる。今はもう住居の内部は改造されているのだろう。同じような家は他にもあった。
 何十年も昔の藁(ワラ)か茅(カヤ)屋根が、そのトタンの中にはある。空っぽのトタン屋根は物置だろうか。山々は冬の色。数日前に降った雪が一部にわずか残っていた。12月初めての雪に触れる。屋根付き橋には薄雪を見たが、トタン屋根に雪はなかった。


静かな夜回り

2006-12-30 | 日々
 年末が近づくと消防団の夜警が始まる。この時期になると、団員たちが地域の家々を回って防火を呼びかける。
 昔のように風呂や囲炉裏に食事の準備にと、火を燃やすことはほとんどなくなった。木を燃やして一日かけての餅つきなどしない。
 それでも火事の起こる可能性は減らない。焚き火などの火力利用は、老齢の家庭に多く残っているだろう。年の瀬の安心を運ぶ夜回りの音だ。
 年によってその音も時間も異なり、夜でも違う。今年は遠慮がちな音を聞いた。消防自動車が鐘を鳴らして走り、拍子木を叩いて来たのはわかるが声はない。
 幾つかの班の聞き間違いか耳が遠くなったのか。ただ「ご苦労さま」と一度も言えなかったのは申し訳ない。

思いがけず

2006-12-29 | 平和を
 デジカメ以前のカメラのフィルム・ケースに500円玉を入れると、11,500円入る。物を買ったときの釣り銭を集めた2個持って郵便局で、順番を待つ。
 うつ向いて本でも読んでいるような先客を気にする余裕はなかった。送金の確認をしていると、立ち上がったその人から明るく声かけられた。
 あまりの瞬間別の人かと思った。随筆集を読ませてもらっている友人なのに、会える機会は少ない。彼だけでなく初めての奥さんにも紹介された。
 いい場所での出会いを感じる友だ。黙っていたがアムネスティへの入金の場に笑顔の会話ができた。フィルム・ケースのお金に追加して送らせてくれた。
 空になったケースはまた満杯にしようと持っている。次はいつ幾つになるか続けることを忘れずにいたい。人権とは平和と繋がること。話し合ったことはないが、彼には近さが見える。好きな赤いポストの横の場所での年末だ。

窓の明かり

2006-12-28 | 日々
 近所のとは言っても、この地域だと離れてはいる。その家の人が検査のため病院へ数日入るとか聞いてはいた。でも姿を見ない日が続くので気になる。
 元々情報の入り方は少ないのだから、尋ねられても返事はできない。遠回りすればその家の側を通れるが、いつもの別の道を走ってしまう。
 夜になり犬の散歩を遠くする。家の見える場所まで行き見下ろすと、窓に薄明かりがとも思える程度はお隣からの明かりだろうか。
 帰宅か不在か不明確な明かり。だが可能性に早すぎるかもしれないけど、少々安心させてくれる。明日には事実もわかるだろう。
 翌日まだだと聞いて心配になる。次の話しはまだ会っていないが、帰っていると替わった。これは信じられると、前夜の明かりを再確認するためまた行った。その夜も窓の明るさは同じだったが、次の日には元気な姿があった。人も窓の明かりも明るい方が好き。

見えてるけど

2006-12-27 | 日々
 夜に電話の受話器を取ると、妻の友達からだ。今夜は出かけてると言ったのだが、関係無しに話が続いた。見えるのだけど。
 先ほど外へ出てると、その辺にきれいなイルミネーションが見えるのだけど、あんたとこじゃないかと思ってと。
 わが家だけではないので、彩りや様子で可能性を伝える。飾り付けを始めて何年にもなる。ようやく発見の電話だが、喜んでもらえるのは嬉しい。
 その数日前にも友人から、見えるのだけどと尋ねられた。私自身どう見えているか知らない場所は多いようだ。点灯する日も残り少ない。よく見つけてもらったものだ。

見渡して

2006-12-26 | 追憶
 裏山で農作業をする。仕事の手伝いにと言った方が良いだろうか。他にも同じ程度の能力の相棒が、いつものことだが一匹いっしょにやって来ている。
 冬が嘘のように、暖かく晴れている。犬は場所を変えては繋がれていく。時にほんのわずかな相手をしてもらうが、犬にとって遊びにはならないのか諦めて自分の時間を過ごしている。
 何故だかほめてやりたいほど、きちんとしたお座りの姿勢をくずさずにいる。高い石積みの上から、動かずどこかを見続けている。
 その前方がどこなのか、後ろ姿からではわからない。なんだか遠い昔どこかで見たような気がする。それは家族、祖父を思い出す。
 あの頃は疲れ忙しいけどのんびりした日々だったのだろうか。野良仕事の中で一休みする時、じっと村を見渡していることがあった。何かを考えているとも思えない。見ているだけで満足できる時間。
 祖父の近くに私たちがいた。遠くを見るのが好きだった。犬の恰好に祖父母たちとの畑仕事を思い出したが、ゆっくり眺める時間はない。

クリスマス

2006-12-25 | 共に
 昨日は小さなラジオから、一日中と言ってよいほどクリスマス・ソングを聞いた。話題もクリスマス・イブに関することが多い。そんなにもこの国は、キリスト教を信仰いる人々が多いのかと驚くほどだ。
 その音楽は嫌いではないが、聞き飽きるほどは無くてもいい。教会へ行く機会もなくなったが、歌いたい気持はまだ残っている。
 信仰していた母方の祖母や伯父からは、宗教について聞いていない。初めてサンタクロースと出会ったのは幼稚園。でも毎週の日曜学校でお話をしている人だとわかっていた。
 家では母の聖書があり私も気持的には近かったが、家庭にクリスマスもサンタのプレゼントも無くて当然と思う環境。それは結婚して子供が生まれるまで続いたが、現在子供や孫のおかげでクリスマスが近くなっている。

どっちが泥棒

2006-12-24 | 日々
 ガラス窓になにかが近く影を見た。そこには干し柿が吊るしてある。知っている姿はヒヨドリだ。左端の一連に、わずかに干し柿の形を残した一個を狙って飛びかかる。
 瞬間で一口食べてすぐ逃げる。それを何度も繰り返す。コラッ!と部屋の中から、泥棒行為を批難しているのが聞こえないのだろうか。
 元は渋柿、ヒヨドリは美味しくなった干し柿だけを盗っている。わが家の軒先に吊るしてあるのに、ヒヨドリたちには自分の庭にある一軒の食堂のつもりか。
 勝手に山から採って来て、皮剥きをして吊るした泥棒は人間の方なのかとも言える。外に出ると怒っているようなヒヨドリの、甲高い鳴き声があちこちから聞こえてきた。

お先に

2006-12-23 | 日々
 酒の席と言っても若い頃の話だが、最後まで居ることが多かった。酒呑みだと噂されても、本当はただ付き合いができる程度。
 遊びの中には溶け込めないが、酒を呑む仲間との集いは好き。だから帰りが遅くなる。楽しみと後始末どちらもいい思い出だ。
 今では長く酒も休んでいる。機会があっても長居をし過ぎないよう気をつけている。もう羽目を外せる歳でもない。
 遅くなるのは仕事場だけか。いつの間にか特に何もなくても、最後まで居るのが当たり前になって長い。帰って真っ暗よりも、明かりが灯り人がいる方がいいだろう。
 お先にと言う人黙って帰る人と様々だが、見ればこちらから一声かける。このところ都合で、私が早くなる人ができた。昼間に伝えてはいるが、名を呼びお先にと声かける。自分が先に帰るのに、どうもなれていない。

のんびり読書を

2006-12-22 | 日々
 これでも本を毎日読んでいると言えるのか。毎晩ほとんど数ページが限度になっている。それも風呂に浸かってなのに、のんびりできない読書では勿体無いとも思っている。
 「年賀状書いた?どうして早くしないの、時間はいくらでもあるのに」あればもっと本も読めるし、他にやりたいこともあるのだが黙っている。年賀状も今年中には出したい。
 本は後一冊でも読めると良いのだが。今年は時間に縛られると感じることが多かった。心の余裕が少ないと、読める本の数も減っていく。
 読み残された、たくさんの本も私の一部。来年のことになるが買う本を減らしてたまにでいいから、のんびり読める時間が増やせるかどうか。どちらにしても明日がある。