忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

痛さの違い

2008-07-31 | 共に
 病気やケガなどによる身体の痛みに、心の痛み。ほとんどの人が体験することだが、単純にそのどちらが苦しいかとは分けられない。
 私も両方経験しているが、病気やケガにはこんなこともあってしかたかたがないと受け入れる方だ。個人だけの問題ではないので無責任とも言えるが、怖くはない。
 だが心の苦痛は、受けた痛みや投げた痛みと見聞きした痛みのどれも引き摺りがちになる。いい加減で知らんぷりの態度を見せてはいても自分は誤魔化せない。いい人ぶるなどできもしないが、ただ周囲の人に嫌な思いはさせたくないなと多少は気をつけているつもり。
 それなのに未だに失敗し後悔する。自己批判をまだ忘れてしまってはいないとほっとするが苦痛でもあり微妙なところだ。
 人を傷つけるより、つけられる方がまだましだ。だがそれもガマンや無視には種類と限界がある。ケンカは避けていたいのだが。
 失敗をしたこともあり、最近しゃべるのを相手よっては抑えている。売り言葉を買う必要は無い。聞き手になってわかることも増える。
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白い月

2008-07-30 | 平和を
 暑い日が続いて連日30度を超える。蒸し暑さが無いか風でも吹けばと期待はするが、ただ暑いだけでバテ気味にもなる。
 外での仕事の毎日でもこんな天気に慣れはせず、ガマンするだけ。待っている雨はいつもこの地域だけ避けて通り抜けるようにも思える。
 暑い暑いをできるだけ言わないようにする。言ったところで地球の温暖化対策さえ先送りする人類の貪欲さのせいなのだ。
 久しぶりに見る快晴の空の澄んだ綺麗すぎる青さに、地球との矛盾を感じちょっぴり恥ずかしくなる。地球も共に同じ宇宙にある筈なのに、自称高度な生命体人類は自ら自滅の道を選ぶのか。
 見上げた青空の中央に白い月を見つけた。夜に受ける感覚とは異なる。昼間の月は、より静かな表情を見せている。
 その空には涼しい色までありそうだ。年間を通して滅多に会え無い空の色に平和を思う。雨は欲しいがこの空の色も感じていたい。
 意外に早く雲が現れ増えてきて、やがて白い月は姿を消した。見続けたわけでもなく、短時間だが澄んだ空に安らぎを分けてもらった気分。
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変わってる!

2008-07-29 | 追憶
 階段途中の建増しのため形だけになった小窓に飾っていた、妻の友人の古いオーストラリアみやげを掃除のために外す。
 最初からずっと孫の一人の写真を数枚入れていたはず。抜き出して見ると孫では無いようにも思える。だったら誰だかわからない。
 写真の右下書きに日付がある。9年前に幼女だとやはり孫だが、この顔を覚えていない。初めての孫で写真も一番たくさん残している。
 でも写しただけでアルバムなどに整理をしないまま。その後ケータイで次々に、新しい姿が送られて来る。再度、成長を見返すこともあまりせずにいた。
 幼児期どの子もいろいろな顔に変化を見せる時がある。これもその一例だったのだろうが、裏付けとなる別の写真を探すのもたいへんだ。
 孫にとっての伯母さん(怒るか?)に似ている。ばあちゃんにはバカにされそうで聞けずにいる。今度娘に確認する予定だ。
 孫たちみんな、こうして大きくなって行く。身体と共に心がどう成長して行くかと、社会環境のこれからも無視できない。物忘れとの付き合い方にも面白さがある。
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輪抜け祭り

2008-07-28 | 共に
 数日前に常会から、小さく人型に切り抜かれた数枚の紙を持って帰った。「行かないのになぜ今年は貰って帰るの、毎年貰ってないのに」
 本当は毎年バックの中に入っていた。叱られそうで黙っていただけ。氏神様での輪抜け祭りに、家族の名を書いて持参する人型だ。
 幟旗に提灯が並ぶ神社で夕方になると太鼓の音が聞こえ始めた。まだこちらは仕事中。神社から離れた別の場所では、売店や催し物のにぎやかな声も聞こえる。
 どうせ一人と、まだ行くか行かないかを決めかねていた。夕食を済ませ毎週二人で見ているテレビ番組が近づいて、行ってくると言葉にした。
 「車で送くろうか」は気持だけ受けて、歩いて行く。遠い山の上が光りドーン、ドーンと太鼓より大きく響く。また稲妻かと思って直ぐ、他の町で花火もあるのに気がついた。
 長い石段を上がると本殿前で神楽が奉納されていた。もう花火の音も聞こえない。久しぶりにお神酒とお札を頂き、久しぶりに輪抜けができた。
 蒸し暑い夜だが神楽は休みなく続く。家族や親戚に社会にと、祓いたい厄は多い。来て良かったと思いたい。
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あれを忘れない

2008-07-27 | 平和を
 動画詳細 [ NHK平和アーカイブス関連番組 NHKスペシャル あの炎を忘れない~被爆少女の手記とGHQ検閲~ ]
 [ 検閲制度により出版が禁止された15歳の少女による被爆体験手記。原爆検閲はいかにして行われたかを再編成する。 ]
 アメリカ軍による長崎への原爆投下。学徒動員の兵器工場で働いていて被爆した当時14歳の恐怖で動揺する少女は、近くにいた男の布で傷を被って早く逃げろの大声で生き延びた。
 東京に暮らしガリ版刷りの家族新聞を出していた兄は、病院で治療中の妹に体験手記を書くようにすすめた。
 地方裁判所所長だった父は娘の手記を後世のためにも出版すると決意する。戦争に敗れアメリカに占領された日本でそれは容易なことではない。
 一匹の蟻が巨象に挑戦する。『雅子斃れず』親戚内だけで回し読みする新聞の、娘の手記を世間に伝える行動を起こす。
 意義のある本だと米軍側やGHQなども認めている。真実の手記だけに国民の反米感情が高まりを恐れて検閲と出版禁止を繰り返す。
 結局、父の努力は実を結ぶ。この経過資料を今も保存する家族とアメリカにも感謝したい。過去を消し戦争を美化する人々に悲しくなる映像をGYAOで見た。
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物忘れの利点

2008-07-26 | 共に
 誰とでも気軽に話のできる人を、ちょっとうらやましく思っていた。今になってあの時の彼らも相手やその場の状況によって使い分けていたことを知る。
 当時は彼らに気安く話かけられると、受け止められず戸惑う私もいた。人にもよるが私には人見知りが長い癖はある。
 彼らとは付き合いのある関係なのに、私も相手によって必要以上に敏感になり緊張した。歳上より歳下との話が特に苦手だった。
 自分は特にと思っていた。でもこんなこと、人それぞれで異なるが誰でも多少は持っている。全くの平気の人こそ少ないのかも知れない。
 いつもは相手を下に見て威張って話すのに、「上」だと態度をがらり変身させるカメレオンのような人もいた。
 普段はなんでもないのに、役所の人や会社のトップとなると何も話せなくなる人もいた。話せるか話せないか、誰であっても話が苦手の自分をあまり気にしてもしょうがない。
 自分の性格を忘れ始めたのか、最近たまに以前のように挨拶だけでなく普通に話をしている私がいる。今朝も後で気づいた。まだ短い会話だが、物忘れから来る利点であっても嬉しくなる。
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古い価値など

2008-07-25 | 日々
 山の木の枝に逆さまにぶら下がっていたのを発見した。名のある陶工作だと一目でわかるが、銘も読めず知識の無い私には「いい仕事してますね」としか言えない。
 なんでも鑑定団に出してみようか。骨董品の価値よりは、美術品として認められれば納得できる。これほど繊細な芸術作品が身近に存在するのだ。
 生花の一輪挿しに似合いそう、それとも徳利がわりに酒を入れるか。今日また同じ形で色の濃い作品を見つけた。
 残念だが写真の前に誤って壊してしまう。でもそのおかげで内底の細かい細工から、「スズメバチ」だと作者名がわかった。
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応援するよ

2008-07-24 | 平和を
 国政選挙の準備だろうか、ドライブ中に意外な場所で立候補予定者たちのポスターを多く見かけた。ただ選挙区がそこまで広いというだけのことなのだ。
 それにしても量が多すぎる。家々にも農地や空地にとよくこれほどに場所を確保できたものだ。あちこちに立つ看板には一人で2~3枚から4枚と、同じポスターを並べている。
 候補者の顔写真と名前が目立てばそれでよい。政党名のわからない人物もある。選挙公約は載せると都合が悪いのか、まだ無いのか、抽象的な美的社会の政党も。
 パーティー券から政党交付金に企業や組織献金?他を頼りに、自力で無いお金を使っての選挙運動が大半か。変な頑張り方に見えて、もっとアメリカの選挙を見習えとテレビでも言われていた。
 立候補予定者の後援会の署名集めも進んでいる。世話役さんがその政党の政策や実態を熟知しているとも思えない。候補者についても同様だ。
 過去に選挙期間中に別の候補者に乗り換えた世話役がいた。選挙は世話役(取巻きは藪の中)や候補者が、私たちを裏切らないかどうかの予想ともなる。投票日には自分を裏切らない一票だけ。
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いっしょに暮らす

2008-07-23 | 日々
 後で写真を撮れば良かったのにと、後悔することもよくある。一度に幾つもできないのと、判断力の鈍さだと諦める。
 隠居の方から珍しく息子が呼んでいる。急いでという様子だ。「蛇がいる!」なんだ珍しくもない。最近でも庭でマムシと2メートル余の青大将がいた。
 「どこに」と行くと、そこと指差したのは玄関の中。まさかとも思うが、戸を開けていればいつでも入れる。
 あそこ、そこと指差されてもなかなか見つけられない。やっと発見して井上伯父制作の杖を使って、蛇を外へと誘導する。
 廊下の隅に居たから布団の中で休んでいても不思議はない。この家が気に入ったのか、出るのは嫌な態度を見せる。
 玄関の出口の隅でとぐろを巻いて頑張った。杖で引っ掛け指示をする。ガマン比べが終ると、蛇は1メートル以上に身体を伸ばし庭に出た。
 くねくねしながら犬のそばにある石の隙間に消えた。翌日に「また玄関に蛇が!」と呼ばれ杖を持って行く。 荷物を片付け手早く逃がしてやる。きょとんとした犬の場所に消えた少し小さな別の蛇。雄雌二匹で住んでいたのだろうか、玄関で蛇が暮らす環境は、わが家の良さかも知れない。
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幸せの顔で

2008-07-22 | 共に
 実際に見たのは昨日と今日だ。それも顔写真で、通夜と葬儀の会場に飾られていた。初めて見たその笑顔に、幸せそうな顔だなと思った。
 やはりと納得できる表情なのだ。私の上司がその人の息子という関係で、両親が高齢になり病気など繰り返すようになった頃からよく話を聞かせてもらった。
 親父さんはもう90歳を過ぎていた。親子は同じ町だが別々の場所で暮らしていた。両親のいる日々をよく聞いた。過去の思い出から昨日のことまで。
 「今夜は親父を覗いてくる」「明日は親父を病院に連れて行くので‥」心配でたいへんだろうに、親父さんのためなら当然だと見える。
 そんな時でも厳しい仕事上では、重要な部分の多くを処理している上に、私まで助けてもらったのが恥ずかしい。
 休憩時間に仕事の関係を離れた、個人として家庭や考え方などの会話ができるのは私も嬉しかった。親子に関したことなど、20代に両親を亡くした私との差も大きい。話で聞くだけの親父さんなのに、長生きしてと願っていた。喪主での挨拶も話したいことが一杯だとよくわかった。98歳の別れの日に見た幸せの笑顔の訳だ。
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