忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

そこで寝るか

2007-06-30 | 日々
 裏山の道を歩いていた。今ではほとんど人の通ることもなくなった道は、昔の子供や大人たちと牛が材木などを運んでできた溝の形が残っている。
 もう少しで目的の向かい側の人家が見える場所に着く。その時、顔見知りの猫が下りてきた。すれ違いはしないだろうが、避けてくれると思って声をかけた。
 ところが近くまで来るとその細い道で横になり、私の通行を塞いでしまった。まだ体を撫でるほどの仲ではない。
 しばらく待ってみることにした。猫はお尻はこちらに向けたまま顔を起こして何度か私を見たが、そのうち頭も横にして死んだのではと心配するほど動かなくなる。
 邪魔をするのもかわいそう。出直すことにして、しばらくしてから行ってみた。まだ同じ姿で眠っていたが、声をかけると細目のままで顔だけ上げた。もういいと諦め、引き返して遠回りをする。
 里道を寝床に使って邪魔したのは猫なのに、なぜか許してしまった。もういないだろうと一時間ほどしての帰り、それまで私がいた場所の近くの道端に寝ている猫を見てびっくり。踏まないように注意し挨拶を交わすと猫はまた寝た。夕御飯を心配になる時刻。

反省の呼びかけ

2007-06-29 | 平和を
 米下院外交委員会で第二次大戦中の従軍慰安婦問題をめぐり日本政府に責任を認め公式に謝罪するよう求めた決議案を可決した。
 新聞社説に「批判を直視し誠実な対応を」とある。「慰安婦制度は日本政府による強制的な売春」「現在の日本には問題を軽視しようとする教科書や世論もある」と決議の指摘を否定できない事実と思う。
 悪者論日本を断罪 ホロコースト・黒人奴隷と同列視 女性の人権敏感な米 親・知日派も責任追求とも見出しにあった。
 日本自身があの大戦での同盟国ドイツのように自国の戦争犯罪を自らも裁き反省さえしてこなかった意識を、アジア諸国やアメリカから指摘されなければならないとは情けない。
 真実を知っていながら歴史から消そうとしているとしか思えない数々の行為。いつの世も力を持たない者が犠牲になり無視される。人権の育たない国をいつまで続ける。

引っ越しに

2007-06-28 | 平和を
 子供の家族が引っ越し予定と、連絡が入っている。何回目だか覚えていないが、生活環境が変わるだけでも大変だろうと思う。
 私は引っ越しと言っても同じ敷地内の2、3軒を移ったり、その1軒の家の中で部屋を移動しただけでこの農村地帯を出て生活したことはない。
 祖父母も近隣と地元内での移動程度か。父は仕事の関係で九州各地や朝鮮北部、母は県内各地の後に宮崎と大分県別府で暮らし敗戦をむかえた。
 母方の伯母家族は満洲での終戦と引き揚げを体験している。もう一人の伯母は従軍看護婦として、中国から現ベトナムまで日本の戦争の中にもいた。
 他にも身内に侵略戦争の外地を体験した人が、家で見た軍事郵便からもいたのはわかるが話を覚えてはいない。
 今回の引っ越しは当人にとって、被爆地から少し離れること。私も数年出かけていない平和記念公園だが、気持ちの中では子供たちの家庭同様いつも近くに存在感がある。


片思い

2007-06-27 | 平和を
 古いのが使用できなくなり自分の新しいパソコンを購入するまでの間、他のを借りて使っていた。ほとんどインターネット専用の状態での数ヵ月。
 もちろんあちこち新しい場所も訪問して、「お気に入り」にも残していた。私のパソコンができ接続も完了して、借りていたのは返却する。
 パソコンが手に入ってもインターネット専用は変わっていない。深入りする余裕も他への活用も今のところ無し。
 しばらくして気が付いた。借りていたパソコンに残したお気に入りを、コピーするのを忘れていた。出会ったのだから、再会も簡単にできると思っていた。
 これだけはと特別に思っていた場所を色んな言葉で検索するが、会えないでいた。旅先ですれ違っただけの、住所も知らない片思い。
 もう3ヶ月諦めかけていた夜、そのホームページと再会した。憲法・靖国・沖縄・家族その他、広い範囲の平和がぎっしりこめられている。これからも片思いの気持を続けたい。

雨音に笑顔

2007-06-26 | 日々
 梅雨入りしたと聞いたが、たまに通り雨が降る程度。この時季に今後の干ばつが心配になるとは、梅雨なのに雨を待つ日が続いている。
 先日この地方から遠く離れた場所にあるダムに出かけたが、水は排水口より下に溜まっているだけでかなり水量は減少していた。
 天気予報を詳細にいつでも知ることができるようにはなった。だがあくまでも予報だ。数時間後の雨雲と高い雨の確率に期待していても、降らなくて何故と言いたくもなる
 今日も雨はダメかとあきらめていたのに雨が降った。短い時間だったが、久しぶりに聞く雨音につい笑顔になった。

伝える人

2007-06-25 | 平和を
 真実の姿次世代に 「平和を」祈りと怒り [慰霊の日]検定に揺れる沖縄 遺族ら「時代に逆行」 沖縄の激戦から62年。新聞見出しの太い文字が何面にもあった。
 当然のことだが、沖縄でのあの無謀で悲惨な戦闘時の住民の集団自決に軍の関与を教科書から消した検定を批判する声が、犠牲の地沖縄から沸き上がっている。
 少なくみても4人に1人の住民が犠牲となった沖縄の声を無視した教科書検定にも、式典に訪れた総理は「審議会が学術的な観点から検討している」と他人事のような発言。
 今もあの戦争が心に焼き付き傷を負った人々が生きる土地に、巨大なアメリカの軍事基地を優遇して置く日本の現実。沖縄戦はいまだ終結していない面がある。
 敗戦時からの戦争への証拠隠滅と無言と無視。真実を体験した沖縄県民の声を聞かずに、学術的な観点からとの言い逃れ。
 沖縄では命を大切にすることを、先祖代々受け継いできた。その人々が、自分から死を選ぶはずがない。報道番組で聞いた言葉を信じる。

読書ノートの

2007-06-24 | 日々
 数日前に、持っている本をまた買ってしまった。今年になって10冊近くの数をダブっているのは、積ん読が多いせいかそれともただの物忘れ。
 今回の本の購入は確信犯のようなもの。本を手に取り支払いを済ませ店を出て車に乗る。その間この本は家に有るとの気持ちが、次第に強くなる。
 なのに返却しないまま帰ると、やはり予想どおり家の本棚にあった。本の購入自体を控えたいのに、逆に無駄なことをしている。
 家にある私の本をジャンル別に書き残そうと考えたこともあったが、実行せずに終わった。読書感想文は学校の宿題だけか。
 読書日記とまではいかないが、読書記録を残していたことはある。本の題名と著者、読み始めと終わりの月日に、備考をわずかに書き込むだけ。続けていればよかったと今思う。

落とした物は

2007-06-23 | 共に
 ラジオ番組の純喫茶谷村新司で、リスナーからの手紙が紹介された。会社で「口は災いのもと」が話題になった時のこと。
 ある人のおばあさんが言ったと「落とした物は拾えるけど、口から落としたものは拾えない」の言葉を聞いたという。例え話に感心する。
 言った方は忘れても、言われた方はいつまでも覚えているもの。私は今となっては言われたことも忘れてしまったと思うほど。だが遠い過去に言った何気ない一言と状況を、未だに消せずにもいる。
 [誰かを傷つけることは絶対に言わない・噂話なんかどうでもよくなった・言うは水に写し聞くは石に刻む]とはマスター谷村さんの話の中にあった。
 全てではないが生き続ける言葉があるとわかっているのに、人柄を勘違いしてつい口にする。相手を傷つける気持ちはなくても、その人がどう感じるかは別のこと。
 人は好きだが気軽に会話するのに時間がかかることの多い性格。口から落として気づかないでいることもあるだろう。意識することも必要か。

遠近両方

2007-06-22 | 共に
 遠くに暮らしている子供たちから、同じ日に写真付きのメールが届いた。それぞれの性格や生活環境の違いもあり、メールのやり取り一つとっても微妙に異なる。
 孫たちの今の行動や表情までも見ることができる。その日の天気と生活も時にはには知らせ合う。明るく元気で暮らしているのが、一番の幸せ。
 便りの無いのが良い便り。祖父が一家の大黒柱であった時代は、そう思っていたのだろう。電話代わりの電報は、配達されるのが子供の私も不安だった。
 代読した私の記憶にあるのは、敗戦後の子沢山の親戚から届く生活費の無心の手紙。その後我が家に電話が付き、祖父母が亡くなってからも優しい声が聞けた。あの電話を祖父が利用したかは覚えていないが、遠い距離を感じていたはず。
 現在の離れて暮らす子供たちとの関係は、電話やメールに交通手段の違いもあって近所に暮らしているようにも思う。現実の遠い距離は否定できないが、近くを感じる時の楽しみは多い。

連呼が通る

2007-06-21 | 平和を
 投票日が延長どころか、早くなったのかと誤解しそうな声が走る。まるで選挙期間中の選挙カーから聞こえる運動本番のマイク並だ。
 立候補予定者本人だろうが、名前を連呼している。その名前が聞き取れないので、多分新人なのだろう。わからない連呼は選挙にはいらない。
 強行採決がほとんどで、まともに議論のされない国会になぜ延長が必要なのか。地方での投票用紙や掲示板に投票会場と、準備も啓発も整いつつあるのに国のために無駄と混乱。
 新人立候補者は投票日の延長を活用して、自分の名前を有権者に届けられる発声法を練習し次回に聞かせてほしい。
 それよりこの目立つ時期にせっかく各地を回るなら、名前の連呼は後にして自分の政策なり信念を声にして訴えるべきだと思う。
 物事を難しく考えるのは苦手だが本来政治に裏の裏まであるのは変だ。自分の考えに合った自分のための一票を投票するには、選挙期間中の候補者や政党の言葉だけでは信じられずにいる。